第12話 怒れる精霊


 どさり──鈍い音を立ててアリアさんが岩に崩れ落ちた。

 フラちゃんを地面に下ろしたジャストさんがアリアさんの名を叫びながら駆け寄る。

 フラちゃんもアリアさんに向かって走り出す。


 いったいなにが…… 


「伏せろォオオッ!!」


 そのとき、モーリスさんの絶叫とともに、僕の身体が地面に打ち付けられた。

  なっ! と声を発するより早く、今まで僕が立っていた場所を、ひゅん、と乾いた音が通り過ぎる。

 音の過ぎ去った方へ首を向けると、風槍が大岩を穿ち、固い岩に亀裂を入れていた。

 僕の上にはデニスさんを担いだままのモーリスさんが横倒しになっている。


 もしモーリスさんが僕のことを押し倒してくれなかったら……

 

 あの魔法によって僕の身体は貫かれていただろう。


「あ、アリアさんはっ!」


 地を這いながらアリアさんの方を見る。

 そこにはアリアさんの身体を抱き、大声で叫ぶジャストさんと、


「ママァァァアッ!!」


 ジャストさんに向かって走るフラちゃんの姿が──


「──フラっこォォォオッ!! 伏せろォォオッ!!」


 モーリスさんの絶叫が僕の耳をつんざく。


 しかしモーリスさんのあらん限りの叫びも虚しく、僕とモーリスさんとジャストさんの目の前で、フラちゃんの小さな身体に風の槍が突き刺さり──


「フラァァァアアアッ!!」


 ジャストさんの喉が張り裂けるほどの叫びが岩肌に木霊する。


 フラちゃんは胸から血を大量に噴出させながら、その場に倒れ込んだ。


 デニスさんを抱えたままのモーリスさんがすぐさま立ち上がり、倒れたフラちゃんの身体を抱え、岩陰に飛び込む。


「ジャストさんッ! ラルクッ! 攻撃されている! 早く岩陰に隠れろッ!!」


 岩陰から顔だけ出したモーリスさんが声を荒らげる。

 ジャストさんはモーリスさんの声に反応し、アリアさんの身体を背負いモーリスさんのいる岩陰に身を隠した。


 なんだっていうんだ! なにが起こっているっていうんだっ!!


 僕は地に這いつくばったまま、なにが起きているのか理解できずに混乱に陥ってしまった。


「聞いてんのかッ! ラルクッ! 早くそっちの岩陰に隠れろッ! 早くしろッ!」


 アリアさんは無事なのか? フラちゃんは大丈夫なのか?

 なんであんなことになっているんだ?

 さっきまで一緒に笑っていたじゃないか。

 一緒に山を越えるって言っていたじゃないか。

 ジャストさんはどうするんだ。

 アリアさんとフラちゃんが元気じゃないとジャストさんが可哀そうじゃないか──


「やっと見つけたぜぇ。こんなとこまで来てやがって、クソが」

「お頭ぁ。このばか、女さやっちまったで」 

「ちっ、女ぁとっとけっつったろうが、ボケがぁ」


 なんだ、誰の声だ? 誰がしゃべっている? 女って? アリアさんのことか? 


「ラルクッ! 早く隠れろッ!」


 あれ? 今のはモーリスさんの声? 隠れろ? どうして?


「まあ、今回はたんまり稼がしてもらったからよしとすっかぁ」

「お頭ぁ寒いっすよ。はえぇとこ片付けて酒飲みいきやしょうよ」


 僕はモーリスさんの声より知らない男たちの会話の方が気になり、その場でむくっと起き上がった。


 誰……だ? あれ……


 すると五十メトルほど先に薄汚れた風体の男たちが数十人、こちらへ向かって近付いてきていた。


 あ、そうか、盗賊か……


「ラルクッ! いいからはやく逃げろッ! 魔法が飛んでくるぞッ!」


 モーリスさん……

 魔法? ああ、さっきのがそうか。

 そうか、あいつらの魔法でアリアさんとフラちゃんが……


 護れなかった……

 アリアさんも、あんなに小さなフラちゃんも……

 僕が魔法を使えないばかりに……




「お頭ぁ、あのガキじゃないっすかぁ?」

「んなこたぁどうでもいいからとっとと魔法で切り裂いちまえや。んで依頼達成だぁ」

「あいよ。この石ぁホント楽でいいやなぁ」




 『力の弱いものを助けられるように強くなりなさい。手に届く範囲の大切なもの全てを守れるように、努力して強くなりなさい』



 手に届くものひとつすら護れない……

 僕は……

 僕は……


 護りたいのに……

 強くなりたいのに……



「バカヤロウッ! なにしてやがるッ! ラルクッ!!」



 気が付くと僕の目の前に風槍が迫っていた。

 アリアさんとフラちゃんの身体を打ち抜いた魔法。



 このまま僕も貫かれるのか……

 生きたかった……

 もっと長く生きたかった……

 父様、母様……

 マーク、ネル、ミル……

 みんな……



 大声で叫びながら僕に向かって飛び出してくるモーリスさんが視界に入る。



 優しいな、モーリスさんは。

 こんな僕に体を張ってくれるなんて……

 僕もあんな男になりたかった……

 ありがとう、モーリスさん……

 でも危ないからもう逃げて……

 モーリスさんたちは今のうちに逃げて……



──うっ!



 死を覚悟したまさにその瞬間。

 右目が熱く脈打つ感覚に、僕は我を取り戻した。



 ハッと前を見ると──目の前で起こっていることがとてもゆっくりに見えた。


 ゆっくりゆっくり、風の槍が僕めがけて飛んできている。


 なんだ? この魔法、本当に風槍か?

 こんなに遅かったのか?

 こんなの避けるの簡単じゃないか。


 僕は身体を少し横に逸らし、難なくその魔法をかわす。



 それと同時、僕の頭の中に不思議な言葉が浮かび上がる。

 聞いたことも見たこともない言葉。



 なんだ? これ、頭の中に勝手に言葉が溢れていく……

 聞いたことない……いや、これ……

 あの夢の中で、あの二人がしゃべっていた言葉……?

 この言葉を口にすればいい……のか?



 僕は本能のまま、頭の中の言葉を繋ぎ合せ、声に出した。




 『----我に仕えし精霊よ ----今、我の命に応じ ----彼の者を癒せ ----加護魔術 ----【聖なる癒しの光】



 意味は全く分からないが、不思議な発音の言葉。

 すると言葉を発し終わった瞬間、僕の周囲に無数の光の珠が浮かび上がった。



 あ! この光の珠! ピレスコークの泉で見た……あの珠……

 どうしてこんなところに……



 光の珠はどんどん数を増やしていき──

 やがて光り輝く渦になって一方向に飛んでいく。

 その光が向かう先を目で追うと、そこはアリアさんとフラちゃんの身体がある場所だった。

 そして──光の渦はアリアさんとフラちゃんの身体を包み込んでしまった。



 なんだ……あれ……綺麗だ……


 

 目の前に違和感を覚え、目を向けるとまたしても風槍が飛んできていた。



 遅い……

 こんな低級魔法、食らう訳がないじゃないか……



 僕はさっきとは反対側に軽く身体を逸らし、魔法をやり過ごす。



 こんな子ども騙しの魔法であの二人が…… 

 悔しい……



 僕の胸の奥から何とも言えない感情が込み上げてくる。

 拳を強く握らずにはいられない、野性的な感情。



 ああ、これが怒りか。

 こんな感情、初めてだ。


 そうか、この怒りをあいつらにぶつけてやればいいんだ……



 そう考えた僕は、頭に羅列する言葉を紡ぐ。




 『----我に仕えし精霊よ ----今、我の命に応じ ----怒りを示せ ----加護魔術 ----【氷の聖結界】




 これも意味のわからない言葉だった。

 しかしその言葉を口にし終えると、またしても僕の身体の周りに光の珠が現れる。

 さっきよりも多い途轍もない量の光の珠。

 こんな光景、ピレスコークの泉でも見たことがない。


 そしてその光は渦となり、百を超える盗賊たちの身体を一瞬で突き刺していく。

 あっという間の出来事だった。


 あれだけ騒々しかった盗賊たちの気配が瞬時に消え去る。


 僕が見た最後の光景は、ひとり残らず氷の像と化した盗賊たちのなれの果てと、倒れ込む僕を抱え込むモーリスさんの驚愕に染まった顔だった。



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