第7話 生きて帰る


「エリサ……」


 ようやく呼吸が整いつつあるモーリスさんが口を開いた。

 その口調は重々しく、視線は馬車の前方を睨みつけたままだ。


 馬車は暗闇の中、速度を落とすことなく木々の間を縫うように突き進んでいる。

 デニスさんの御者としての腕は相当なものだ。


 父親三人にはモーリスさんの指示の下、手分けして後方と左右の見張りをしてもらっている。

 今のところ追っ手が迫っている気配はなさそうだ。

 母親三人と子どもたちは抱き合い、小さくなって息を殺している。

 ひどく揺れる馬車とあってか、みんな口数が少ない。

 僕はモーリスさんの隣に並び、待ち伏せしている敵がいないか闇の先に神経を集中している。



 悔しげな呟きに気が付いた僕はモーリスさんの顔を見た。


 二十歳くらいに見える精悍な顔立ちは万人受けしそうだ。実際、僕も知り合って間もないこの人のことが嫌いではない。

 寡黙な人なのか、あまり自分から話をしないけど、それがかえって気楽に感じられた。


「……あの綺麗な女のひと、ですか……?」


 黙っていればよかったのに、僕はつい言葉を返してしまった。

 不安からか、誰かと話をしていたかったからかもしれない。


「……ラルク。さっき上手く行くか五分五分だといっていたが、その理由を聞かせてくれるか?」


 モーリスさんは僕の問いには答えず、逆に質問で返してきた。


「はい。ええと、いま向かっている岩場は標高が少し高くなっていて、そこに生息する天鼠狼バットウルフという魔物のすみかになっているんです。だから──」


「──魔物! お、おい、君っ! そんな危険な場所に向かっているなんて聞いていないぞ! い、いますぐ馬車を引き返しなさい!」


「そ、そうだ、もしかしたら先に出ていった馬車を襲って満足した盗賊たちがもう引き返しているかもしれない!」


 僕とモーリスさんのやり取りを聞いていた大人が血相を変え、会話に割り込んでくる。しかし、


「駄目だっ! いま戻ったらだれも助からないぞ!」


 モーリスさんのきつい口調の一声に「しかし……」と反論しながらも口を噤む。


「俺が見た盗賊だけでも五十は超えている。もう一方と合わせれば百はいるかもしれないんだぞ」

「百……」 


 モーリスさんの具体的な数字を聞いて誰かが唾を飲んだ。

 若さと逞しさ、腰に差している剣の存在もあって、モーリスさんがリーダー的存在であるのは誰の目からも明らかだ。

 男二人はここで見放されては生き残れないと判断したのか、渋々持ち場に戻っていく。


 そうしている間にも馬車は森の出口付近まで進んできていた。

 まばらになった木々の隙間から月明かりに照らされた草原が見えてくる。


「デニスさん! そのままあの山を目指してください!」

「分かった!」


 デニスさんが僕の案内に短く返す。


「草原に出たら敵に見つかりやすくなる! しっかり見張ってくれ!」


 モーリスさんが後ろを向いて指示を飛ばす。と、僕を見て、お前は怖くないのか、と聞いてきた。


「怖いです。震えが止まりません」


 事実全身は強張り、外套の中で握りしめる拳は小さく震えている。


「お前は魔物と戦ったことはあるか?」


「あ、ありません! 見たこともないです!」


「そうか……」


 そう言うとモーリスさんは何か考えたいことでもあるのか、腕を組んで目をつぶってしまった。

 僕はそれを横目に進行方向に見えてきた草原に注意を向ける。


「この中で攻撃型の魔法を使えるものはいるか!」


 しばらくして目を開いたモーリスさんが後ろを振り返り大声を出した。

 その声に、後ろを見張っていた三人家族の父親が手を挙げ、


「私は火連弾が使えます! 人に向けて放ったことはありませんが」


 と、懐から魔石を取り出してモーリスさんに見せた。


「俺は水槍が使える」


「ああ、俺は水矢なら使える。ただ、あまり威力は無い」


 さっき、僕の魔物という単語に敏感に反応した左右の父親も、モーリスさんに答える。


「わかった。二人は現代魔法だな? それと知っているかもしれないが俺はモーリスだ。剣には覚えがあるが魔法はさっぱりだ。生き残れたら王都まで行く予定だ」

「私はジャスト、妻と娘とナッシュガルにいる息子のところへ向かうところだ。私は古代魔法だが、妻は風系統の現代魔法が使える」

「俺はレリックだ。妻と娘と息子、四人でザワーレンの街まで行く。現代魔法だ。妻は大した魔法は使えない」

「俺はマイトという。妻と三人の子どもとナッシュガルまでの旅だ。水系統の現代魔法を使える。妻も水系統が得意だ。それと、先ほどはもたもたして遅れてしまって済まない。今後は気を付ける」


 モーリスさんが自己紹介したのをきっかけに、十日以上お互い詮索しなかった情報を交換し始めた。

 マイトさんの謝罪にはみんなが口を揃えて、そのおかげで助かった、と反対に感謝している。もちろん僕も礼を言った。


 次は僕の番だ。


「僕はラルクといいます。七歳になったばかりです。魔法は……使えません……ひとりでレイクホールの親せきのところに向かっています」


 僕も正直に自分のことを打ち明けた。

 それを聞いてみんなが驚いている。

 魔法が使えないからか、ひとりでレイクホールまで行くからか。

 隣のモーリスさんも何か言いたそうだが、僕はすぐに続ける。


天鼠狼バットウルフは夜行性でとても鼻が利きます。食糧など持っていたらいまのうちに捨ててしまってください。あ、一度に捨てては盗賊に見つけられてしまうので、細かく何度かに分けて捨ててください。それと天鼠狼バットウルフは火が苦手です。ジャストさんの火連弾と奥様の風魔法を組み合わせて遠距離から攻撃してみてください。鼻っ面にあててやれば近寄ってきません」


 そう説明する僕のことを大人たちが訝しげな表情で見た。弟たちと同じくらいの年代の子どもたちはどういうわけか目を輝かせている。


「ラルク君は魔法を使えないと言っていたが、いろいろとものを知っているようだね。妻の魔法と私の魔法を組み合わせるというのはどういうことなのかな」


 その中でもジャストさんは僕のことを色眼鏡で見るようなことはなく、純粋に質問をしているようだった。


「はい、お互いに同じ空間にある魔素を使うため魔素が枯渇して威力が弱まってしまう現代魔法と違って、古代魔法は魔石に封じられた魔素を利用するのでその場の魔素に干渉しません。ですから現代魔法同士の組み合わせは強力な効果を発揮しないのでお勧めできませんが、古代魔法同士、もしくは現代魔法と古代魔法の組み合わせは魔法の効果を増幅させることができるのです」


「ほう、そんなことが……具体的にはどうするんだい?」


「えっと、ジャストさんは通常通り火連弾を放ってください。奥様はその魔法に乗せるように風魔法、できれば風刃をぶつけてください。槍型より刃型の方が横一列に群れを組む天鼠狼バットウルフには効果的です」


「そんなことできるのかい?」


「この複合魔法はなにより使う人同士のタイミングが重視されます。息が合ったご夫婦のおふたりであれば必ず成功させられるはずです」


 ジャストさんは僕の説明を最後まで聞くと、それはすばらしい、と後方の見張りもおろそかに拍手をしてくれた。

 それにつられたようにみんなが拍手をしてくれる。

 もう僕を見る視線からはとげを感じなかった。

 僕は小さなころから知っていることを話しただけなのに持ち上げられてしまい顔が熱くなったが、馬車の中の空気が軽くなったことに少しだけ肩の力が抜けていく。


「そんなにすごい魔法なら、とうぞくもやっつけられたんじゃないの?」


 そんな中、子どもの中の一人が質問してきた。見るとジャストさんのお嬢さんが小さな手を上げ、首を傾げている。

 みんなも同じことが頭に浮かんだのか、一斉に僕の顔を見る。


 僕は質問をしてきた女の子に視線を合わせると、


「それにはいくつか理由があるんだ。まず盗賊は大人数で襲ってくる。どれだけの威力や攻撃範囲があるかも分からない魔法を使って、もし失敗すれば返り討ちにあう危険性だってある。味方に当たって罪のない人を傷つけてしまうことも考えられるでしょ? それに──」


 大人たちにも聞こえるように続ける。


「攻撃するための魔法は使い方によっては人の命を奪うことができる。君のお父様とお母様はあの状況で、盗賊といえども人間相手にためらうことなく殺すことを目的とした魔法を撃てたかな?」


 するとジャストさんが、ぽんぽん、とお嬢さんの頭を撫でながら、


「ラルク君の言うとおりだ、フラ。私もアリアも何の準備もなくあの場でそれほど器用なまねはできなかっただろう。それに人を殺すことは覚悟が必要だ。それもあの時の私にあったのかはわからない……」


 優しく語りかけ、愛娘を抱きかかえた。

 家族とは本当に暖かい。

 僕も自然と笑顔を浮かべていた。


「さあ、もう草原だぞ、見張りを怠るな」


 モーリスさんの言葉に再び馬車の中に緊張が走る。


「そうですね、まずは生き残ることが先決です。そしてみなさん無事に旅を終えましょう」


 僕も自分の両頬を叩いて気合を入れ直した。





「ラルク。エリサのこと聞いていたな……」


 持ち場に戻るとすぐにモーリスさんが話しかけてきた。


「あ、いえ、別にそういうわけでは……」


 僕はあの時つい口にしてしまったことを少し後悔した。 

 モーリスさんに辛いことを話させてしまうことになるのかな、と。


 しかしそんな僕の心中とは裏腹に、モーリスさんは爽やかな笑顔で僕を見ると、


「お前の言うとおり、生きて帰ったら教えてやる。とな」


 とだけ言って、再び前方に視線を移した。

 少し前と違い、今のモーリスさんの声には重苦しさなど微塵も感じられなかった。


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