第8話 盗賊か魔物か
森を抜けた先に広がる草原は、月の光によって美しく銀色に照らされていた。
ときおり岩山から吹き下ろす冷たい突風が、草葉に降りた夜露を舞い上げている。
生き物のように草の上を這う風が、待ち伏せしている敵の襲撃と錯覚してしまい、そのたびに身が固くなり、容赦なく神経をすり減らしていく。
──しかし、幸いなことに待ち伏せも追っ手も今のところ現れていない。
どうにか、目的の岩山まであと少し、という地点まで進むことができていた。
草原自体はそう広くはない。
この先に見える丘を越えれば、そこはもう岩山だ。
その先は積み上がる大岩が立ちはだかり、馬車で進むことは困難となる。
あとは徒歩で登って、隠れながら山の反対側に出ることができれば、完全に逃げ切ることができるだろう。
なんとかなりそう……か……な?
ここを逃げ場所として選んだ僕の、ほんのわずかな安堵の気持ちが表情に出ていたのだろうか。
振り向いて子どもたちの様子を確認していると、
「あの、もう大丈夫なようなら、山に登らずここでやり過ごしたらどうですか……?」
母親の一人が子どもを抱いたまま、前を見張るモーリスさんに向かって提案した。
他の人たちも同じ意見なのだろうか、口を挟むことなくモーリスさんの背中を見ている。
あの時は逃げることに必死で、さらに追われることが前提でここまで逃げ出してきた。
今のところ追っ手も待ち伏せもない。
もう少し高台まで行って草原が一望できる場所に隠れていれば、森から盗賊が姿を見せた後からでも見つからないように山を登ることはできるだろう。
それに夜が明けて盗賊が
それも選択のひとつかな……
そう考えた僕もモーリスさんの意見を聞こうとモーリスさんの横顔を見た。
「いや、その考えはない。奴らは必ず追ってくる。今のうちに逃げ切れるだけの距離を稼いでおきたい──」
モーリスさんは半分だけ身体を後ろに向けると、
「──今は俺たちが行き止まりに向かって逃げていることに余裕を見せているだけだろう。慌てて追わずともその先は危険な魔物の生息地になっている、どちらにせよ死という結果は出ている、と」
そう言い、最後は僕と目を合わせて丘の先に視線を固定してしまった。
「君──」
「無論それは俺の考えだ。だから残りたいというものには強要もしないし協力も求めない。馬車も明け渡すから好きに使ってもらって構わない。安全の確認が取れたら引き返せばいい。もっともそれはデニスのおっさん次第だが」
反論しようとしたレリックさんの言葉を遮り、モーリスさんは強い意志を伝える。
「なっ!」
レリックさんが二の句を継げずに黙り込む。
さらにモーリスさんは、
「もう時間がない。俺はこのまま山を越えるが、あんたらはどうするか家族で話し合ってくれ」
三家族に決断を迫る。
もう襲うことを諦めたかもしれない盗賊に怯えて、小さな子どもを抱きながら魔物の棲む険しい岩山を越えるのか。
それとも盗賊の脅威は去ったと考え、ここに留まり機を見て引き返すのか。
「デニスさん、あんたはどうするつもりだ?」
御者と馬車を確保したいのか、レリックさんがデニスさんの意見を求める。
「俺は仲間たちから盗賊の獲物に対する執着心というヤツを嫌というほど聞かされている。その忠告を素直に聞いて生き残った仲間もいれば、聞かずに死んでった仲間もいる。要するに危険から遠い者ほど長生きするわけだ。まあ、何が言いたいかっていうと、逃げられる可能性があるなら俺は死ぬまで盗賊から逃げる、ってことだ。馬車は持っては逃げられない。残る者がいれば好きに使ってくれ」
デニスさんは手綱を握ったまま、一切迷う様子もなくそう言い切った。
旅慣れたデニスさんの言葉には説得力がある。
「……そうかい、ジャストさん、あんたは?」
レリックさんが不安を隠しきれない声の調子でジャストさんにも確認した。
ジャストさんは、フラちゃんを抱えているジャストさんの奥様と目を合わせて頷くと、
「私たちも山を越える。このまま戻ったとしても二日、三日は盗賊の活動範囲の中だろう。それに盗賊より魔物に対して魔法を放つ方が遠慮の必要がない。運が良ければ魔物と遭遇せずに済むかもしれない」
「……わかった。マイトさん、あんたはどうする?」
ジャストさんの回答を聞き、レリックさんはマイトさんに対しても同じ質問をする。
「俺たちは、ここに残る。盗賊が追ってくるのが見えたら全力で山を登ればいい。それからでも間に合うだろう」
マイトさんがそう答えると、レリックさんは少し安心したように息を吐き、
「俺たちもここに残る。いくらなんでもこれだけ距離があればあいつらを発見してからでも逃げられるだろう」
用は済んだとばかりに、どっかと腰を下ろした。
結論が出て、早速レリックさんとマイトさんが笑顔混じりでどっちが馬車を操るか話し合っている。
盗賊の脅威から少し離れ、ここまでくれば大丈夫と考えるのは仕方がない。
本当にもう大丈夫なのかな……
「ラルク、お前はどうするんだ?」
盗賊の
声の方へ顔を向けるとひと際険しい表情のモーリスさんと目が合う。
なぜそんなに眉間にしわを寄せているのかわからなかったが、
「僕にはこの場所を案内した責任があります。当然この先も案内を続けます」
山を越える旨を伝える。
後ろからは、明らかに安堵とわかる溜息が聞こえてきた。
おそらくレリックさんとマイトさんは魔法が使えない僕を足手まといになると考えていたのだろう。
残るのであれば地理も魔物の情報も必要ない。
敢えて僕の判断を聞かなかったことも、そういうことだと思う。
残ると言われたところで面倒は見ねえぞ、と。
ジャストさんは歓迎してくれているのだろうか。
振り向いている僕に微笑みかけてくれている。
ジャストさんは魔法の使い方を教えたからか、僕に対してあたりが柔らかい気がした。
「そうか、わかった」
モーリスさんの顔を見ると、もう馬車の先に視線を戻していた。
そして二組に分かれた僕たちは、それぞれ選択した行動を開始したのだった。
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