第4話 力の限りの一歩


 また不思議な夢を見た。

 いつもと同じ、少年と少女のたわいのないやり取り。

 今回の夢ではまた僕が客観的にふたりを見下ろしている。

 そして場面は少しだけ先に進んでいた。


 白い部屋の中。

 起き出した少年がなにやら投げやりな言葉を放ったのか、少女がものすごい剣幕で反論する。

 何度か会話が飛び交う。

 しかし、最後は少女の言葉に少年が折れたのだろう。

 少年が苦笑しながら少女の頭を撫でる。


 仲直りしたのか。良かった。


 ふたりの笑顔を見て僕も安心した。

 なんだか夢の中のふたりが他人に感じられなくなってきていることに、少しだけおかしな気分になる。


 そして僕は寝台で目を覚ました。

 父様の書斎で倒れてからどのくらいの時間が経ったのだろう。

 夢のおかげで少しだけ心も軽い。


 もう父様に迫られた選択に対する僕の答えは決まっていた。

 夢の中のふたりを目で追いかけているうちに。


 心配そうに僕の顔を覗き込んでいる父様と母様に気が付き、それを伝える。


「父様、母様。僕をここまで育てていただきありがとうございました。僕はただ今をもってラルクロア=クロスヴァルトの名を返上します。そしてただのラルクとして生きていくことにします」


 無様でもいい。みっともなくてもいい。

 生き汚いと思われたって構わない。

 生きるんだ。生きてこそのこの命だ。

 生きて何かを為すんだ。僕の生きた証を残すんだ。


 そして……できればこの夢の続きを見てみたい。


 僕は弟のマークと違って、貴族であることへのこだわりがない。

 全くないわけではないが、かえって重圧から解き放たれ肩の荷が下りたとさえ思ってしまう。

 父様のなさっていることは素晴らしいと思うが、僕が偉いわけじゃないんだ。

 マークが継いでくれるのなら、それはそれでいいじゃないか。


 生か死か。

 生きることを許されるのであれば、生きる方を選びたい。


 父様、母様、マーク、ネル、ミルに会えなくなるのは心が張り裂ける思いだけど。

 それでも生きてさえいれば、どこかで見かけることくらいはできるかもしれない。

 死を選択してしまえばそれすらをも叶わないのだ。


 僕はこの日、名前と共に貴族として生きる道を捨てた。

 そして泣き崩れる家族と一緒に、夜が明けるまで抱き合い泣き続けた。 





 ◆





 翌朝、寝ずに支度を手伝ってくれた父様と母様、そして弟と妹が外門まで見送りに来てくれた。

 祭儀に参集した貴族たちは昨晩のうちに各領地へと急いで帰ったらしい。

 僕が意識を失っている間のことだ。

 父様も明日には王都に向けて街を出るという。城に行って国王に今回の件を直接報告するそうだ。


 本来であれば今頃、誕生祭の余韻に浸っていられたであろうに……


 幾重にも迷惑を掛けてしまったことに胸が痛む。




「ラルク……旅の無事を祈っている……」


「嗚呼! あぁ、ラルク! 本当に、本当に行ってしまうのですね……うう……」


「ク、クロスヴァルト侯爵、ありがとうございます。侯爵夫人、ど、どうか泣かないでください……」


 寝ずに支度を手伝ってくれ、門まで見送りに来てくれた父様と母様に最後の挨拶をする。


「ラルクにいさま……いつか、いつか会えるのですよね?」


「……マーカス様、僕のことはラルクとお呼びください。お会いしたいとは思いますが、それも神のお導きとなるでしょう」


 まぶたを真っ赤に腫らした弟にも声を掛け、


「らあくにいちゃま、お出かけ、はやくかえってきてね」


「らあくにいちゃま、かえったらあそぼ! あそぼ!」


「……ネ、ネルフィ様、ミルフィ様も……健やかにお過ごしください……」


 無邪気な笑顔を浮かべる妹ふたりに頭を下げた。


 僕はももをつねって必死に涙を堪える。


 もう赤の他人なんだ。

 貴族と平民、この先二度と会話をすることは許されない。


「それではクロスヴァルト侯爵家の皆さま方、大変お世話になりました。皆さま……どうか……どうか……お達者で……」


 僕は父様が用意してくれた町場の馬車に乗り込んだ。

 行先は遠い親せきの住む町、とだけ聞かされている。

 約二カ月の旅路だ。

 御者が馬に鞭をあてると、馬車の車輪がゆっくりと廻り出す。



 母様と弟が涙声で僕の名を呼びながら馬車を追いかけてくるのが分かったが、僕は振り向くことができなかった。

 今、家族の顔を見てしまったら、後先考えずに馬車を飛び降りてしまうだろう。


 我慢しなければ……

 我慢しなければ……


 歯を食いしばって必死に堪える。



 門をくぐってしばらくすると、僕の名を叫ぶ声も次第に遠くなっていった。


 そして──。


 ひとりになった僕は声を出して泣いた。


 たくさん涙を流した。


 もう二度と涙を流さなくて済むように。 





 ただのラルクになり、何も持たない七歳の僕。


 簡素な服に身を包み、必要最低限の物を詰め込んだ鞄一つという装いで、先の見えない人生が始まったのだった。



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