第3話 二つの選択
「と、父様……僕にはなにがなんだか、あれはいったい……」
「ラルク……それは私もだ……」
父様の書斎。
小さいころに勝手に入って叱られて以来、一度も足を踏み入れたことがなかった。
二度目をこんな心境で訪れることになるとは。
母様やマーク達は隣室で控えている。
母様たちの僕を心配そうに見る表情が僕の胸に突き刺さった。
「確かに紫に染まった気がしたのですが……ですから第一階級判定だとばかり……」
「ああ、それは私も見た。その瞬間は心が躍ったのだが……」
「あの魔道具が壊れていたのでは……」
「……うむ、それは考えられん。あの魔力判定の魔道具は何千年にも亘って魔法師を生み出してきたのだ。実際、実力と異なる判定結果が出たことは過去に一度たりともない」
父様の言うとおりだ。
結果に不満を持ち、魔道具が壊れていたなどと騒ぎ立てることは、教会にたてつくことと同義だ。
過去にもそういった輩は教会からの心証が悪化するだけだった。無論、結果が覆るようなことはない。
「で、では、古代魔法師が入り込んで何か悪さを──」
「ラルク、それこそあり得ないのはお前も分かっているだろう。この紅狼の森に張られた結界を……」
この紅狼の森一帯は魔道具によって強力な結界が張られている。
害意あるものが入り込んだり、仮に悪意を持たずに入り込めたとしても、中で悪事を働こうとすると途端に結界が反応する。
光で視界が利かない隙に水晶を入れ替える、などという行為も無論できようはずがない。
それは分かっている。
分かっているのだが、まったく納得できない。
何か、何かおかしなことはなかったかと必死で頭をひねる。
「そ、そうです! 父様、あの光は! あの光は何だったのですか!」
「光……? 光とはなんだ、ラルク、何か光ったのか?」
「え? と、父様、何を……あんなに眩しい光があのとき、あの瞬間放たれたではないですか!」
「光などみてはおらぬぞ? お前だけに見えたというのか?」
「え? 父様!? まさかあれほどまでの光に気が付かなかったので──」
気が付かない! 見えていないということか!?
ま、まさか、あの光……? なのか……?
マーク達も見えないと言っていたあの……ピレスコークの泉の……
「……うぅむ、お前のその目と関係があるのかもしれん。古くから伝わる話が本当であれば……」
「と、父様? 目、というのは……」
「自分では気が付かぬか。その姿見で確認してみよ」
ますます頭が混乱した僕は、言われるがままに姿見の前に立ち──、
「うわッ! な、なんだこれッ! 目が! 目が黒いッ!」
青く澄んでいたはずの瞳が、右目だけ黒色に変わっていたことに驚き、何度も目を擦り自分の姿を確認した。
だが、何度そうしようとも瞳の色は黒いままだ。
貴族達は光に驚いていたのではなくて、僕の目の色に驚いていたというのか!
そういえば漆黒の瞳とか、無魔のなんとかとか叫んでいた貴族がいたような!
「と、父様! これ何ですか! 何かの病気ですか!? それとも呪術ですかッ!? 無魔のなんとかって──」
「落ち付けラルク。いいか、今から聞かせる話はお前にとっては衝撃だろう。だがしっかり受け止め、そして答えを出すのだ」
椅子の背もたれを
「そこの本を取ってくれ……以前お前が興味を持った本、そうだ、その本だ」
そう言われて、僕はびっしりと並んだ本棚から一冊の本を手に取る。
他の本とは明らかに異なる
昔、書斎に無断で入り込み、とても珍しいこの本を手にしていた際、父様から酷く叱られたことを思い出した。
しかし今はそのことよりも、あのときより険しい表情で僕を見ている父様に、少しでも印象を良くしようと急いで本を渡す。
手が震えてしまうのは、分厚い本の重さからだけではない。
『受け止めて答えを出せ』という父様の口からどんな言葉が発せられるのか。
そのことで頭が一杯になり鼓動も速まる。
「……しかし何故だ……何故、我がクロスヴァルト家から……」
受け取った本を机に置きながら、どういうことだ、と再び父様が息を漏らす。
父様は本の中ほどまでをぱらぱらとめくると、目当ての頁で手を止めた。
そしてそのまま天井を見上げ、固く目を閉じる。
いったいそこには何が書かれているのか。
ここからでは見ることができない。しかし、僕の人生を左右するほどに重大な内容であることくらいはわかる。
僕は低い判定結果のため死に追いやられた貴族の跡取りの話を思い出し、胃が締め付けられ昼食べた物が逆流しそうになった。
指先もつま先も痺れて感覚が無い。
「と、父様……そ、その本には何が……」
必死に絞り出した声はカラカラに掠れていた。
聞かなければならない。だけど聞いたときに全てが終わる、そんな予感がした。
何一つ不自由のない幸せな生活の終わり。
それどころかもっと残酷な内容かもしれない。
いったいこれからどんな話を聞かされるのか。
枯葉を巻き上げたつむじ風が書斎の窓枠をかたかたと揺らす。と、父様が覚悟を決めたように固く閉じていたまぶたを開いた。
「魔素も魔石も使えない、無魔……」
人族であれば誰もが少なからず備えて産まれてくる魔力。
そして人々はその魔力を二つの方法でもって魔法に変換し、生活を豊かにする。
大気中の魔素を直接魔力の媒体にして魔法という現象を引き起こす現代魔法師。
魔素を石に閉じ込め、その魔石を媒体として魔法を引き起こす古代魔法師。
父様の口からはっきり聞こえた「無魔」という言葉。
僕は恐る恐る父様に尋ねた。
「僕に魔力が無いというのですか……?」
思った通り父様が無言で頷く。
「──なッ!」
そんな馬鹿な!
僕は第二階級魔法師の父様と、第三階級だが立派な魔法師の母様との間に生まれた子どもだ。
そんな僕に魔力が無いだなんて──
「それこそ何かの間違いです! 父様と母様の子である僕が──」
「これを見なさい」
僕の訴えを遮った父様が何やら口内で呪文のような言葉を呟き、本の開かれた部分を人差し指でなぞる。
すると本から白煙と共に人影が現れ、僕の目の前に立ちはだかった。
僕は思わず、うわッ、と尻もちをつき、その人物から離れようと後退りする。
しかし目を凝らしてよく見ると、
「に、人形……ですか……?」
本の中から突然現れた、僕よりふた回りほど大きい人物は、こっちに背を向けたまま微動だにしない。
「そうだ。正確には人形ではなく、魔法で記録した過去の人物像だ」
「過去の人物……その人物と僕に何の関係が……」
「こちら側に回ってよく見てみなさい」
父様が難しい表情のまま、魔法を使った指で父様が座る椅子の隣を指す。
僕は立ち上がると尻を払い、背中を向けている人物像の正面へ回り込んだ。
するとそこには、
「……はっ! く、黒い! 瞳も! 髪も!」
黒いローブ姿の少年が仁王立ちしていた。
その瞳は黒く、深くかぶったフードからは墨で染めつけたような黒く長い髪が見えている。
「遥か昔に存在していた無魔。”
「む、無魔……くろか……」
無魔という言葉に続く、”くろか”という聞きなれない言葉。
それにこの一見おとなしそうな少年が、いったい何をして恐れられていたというのか。
僕との共通点は……瞳の色か……?
僕は父様の言葉の続きを聞こうと、少年から父様に視線を移した。
「そうだ。ラルク。お前にはまだ読むことができないだろうがこの本にはこう記されている。遥か昔、この世界に無魔の少年が生まれおちた。その少年は年齢を重ねる毎に双眸は深淵のように黒く、髪は漆黒へと変貌を遂げた、と。そしてその少年が成人してからというもの、
ゆっくり息を吐いた父様が更に言葉を続ける。
「お前には無魔の判定が下された。大勢の貴族共がその黒眼を目の当たりにしている。無魔の黒禍だと騒ぎだす連中まで現れてしまった。もはや私の力を以ってしてもいかようにもできぬ……」
父様の言葉に戦慄が走り、身体が硬直した。
僕が無魔? 僕がわざわいをもたらす? 父様、いったい何を……
「もはや私の力では……」
項垂れる父様の涙が机の上に零れ落ちた。
視界が狭くなり、意識が遠のきそうになる。
なぜ……? なぜ僕が……
いったい僕が何をしたって言うんだ……
僕は……僕は……
そのとき、五の刻を知らせる鐘が鳴り響き、僕を現実に引き戻した。
鐘の音が父様にも届いたのか、静かに顔を上げた父様が覚悟のこもった眼差しで僕を見る。
「ラルク、選びなさい。クロスヴァルトから離れて遠い地でただの平民として暮らすか──」
目じりには涙を溜めているが、しかし力強い声で父様は続ける。
「世界を混沌に
七歳の誕生日に生と死の選択を迫られた僕の思考はそこで停止した。
膝から崩れ落ち、前のめりに倒れ込んだ僕の記憶もそこで途切れた。
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