3―5.追跡

 視界に、マリィ自身の顔と名前。

 マリィは思わず眼を向けた。

 周囲の電子広告――〝はぐれ人のご案内〟と題して、マリィ・ホワイトの顔が〝礼金500ヘイズ〟の文字とともに流れている。映像は粗かったが、それだけでも彼女の肝を揺さぶるには足りた。

「(見るな!)」

 ジャックが止めたがもう遅い。マリィは周囲、自分の顔で溢れた街を見てしまった。その狼狽が、今度は周囲の注目を集める。

〈ヤバいわね〉〝キャス〟が指摘した。〈あからさまにこっちへ来るのが2人、3人……この調子でどんどん増えるわよ〉

 ジャックはマリィの手を引いた。彼女が我を取り戻し切らないうちに、近くの路地へ引っ張り込む。

「ビビるな!」ジャックはマリィの両肩を掴んだ。「今の格好ならすぐにはバレん。ビクついてる方が危険だぞ」

「で、でも……」

 聞かず、ジャックは彼女の手を引く。半ば引きずられるように、マリィは路地を抜けた。背後に意味ありげな声が響く。

「振り返るな」

 ジャックは5メートルほど歩いてアパレル・ショップへマリィを連れ込んだ。半ば放心しかけたマリィの髪にスカーフを巻き、コートを替える。そこで、ジャックが両手をマリィの両頬に添えた。

「さあ、眼覚ましが要るか?」

「い、いいえ……ごめんなさい」

 ジャックは頷き一つ、踵を返した。ロボット相手に精算を済ませ、外へ。

 それから歩くことしばし、結果は思わしく出なかった。2人の跡を尾け始めた者が1人、2人をあからさまに見やりながら端末に話しかける者が3人。周囲を見まわし、2人に眼を留める者が、次第に増えていく。

 ジャックが舌を打った。

〈〝キャス〟、〝ヒューイ〟を呼べ〉

〈5分待って〉

〈多少目立ってもいい〉

〈じゃ3分〉

〈頼む〉

「ねえ、」今度はマリィがジャックの腕を引いた。「警察を巻き込んだら? 彼らも手を出しにくくなると思うんだけど」

「連中が手を出さなくなるのはありがたいな」ジャックが正面を向いたまま肯定する。「だが手配が回ると面倒だ。捕まったらいずれ〝メルカート〟に引き渡されるぞ」

「じゃ他に手はないの?」

「いいや、連中と警察を対立させるのはいい考えだ――車道ヘ寄るぞ」

 2人は左手、車道側へ身を寄せた。マリィの身をわざと車道側へ持っていく。

「〝キャス〟、俺達を狙ってる車は?」

〈好き者そうなのが現れたわ。後方5台目の黒いバン、こっちへ寄せてくるわよ〉

「後ろを見るなよ」マリィへはそう声をくれつつ、ジャックが〝キャス〟に声を拾わせる。〈〝キャス〟、連中との距離を〉

〈減速したわ。あと3メートル、2メートル……来るわよ!〉

 背後でバンのスライド・ドア、その開放音。車内から伸びた腕が2人の二の腕を鷲掴む。

「行け!」

 2人ともバンへ向かって跳んだ。バンの車内――ジャックとマリィを拐おうとした男が2人、勢い余って引っくり返る。

 ジャックはその喉笛へ肘を一撃、マリィの相手には側頭へ掌底を見舞った。運転席へ。

「おい何やって……!」

 振り向きかけた女運転手が絶句した。シートの後ろから、ジャックがその頭を殴り付ける。怯んだ隙に助手席に滑りこみ、運転手の胸ぐらをつかんで頭突きの一撃。前にのめったその後頭部に肘打ちをくれて昏倒させる。

「手伝え!」

 ジャックが荷室のマリィへ、運転手の上体を押し出した。悟ったマリィが、運転手を荷室へ引きずり出すのに手を貸した。

 〝キャス〟はその間にバンの自動制御を作動、ふらつきかけた車体が安定する。ジャックは運転席へ、マリィはスライド・ドアを閉めて助手席へ。

 のした運転手の端末から、〝キャス〟は〝メルカート〟勢の位置情報を盗み出す。後方に1台、仲間らしいバンが控えていた。

「次は?」

 マリィの問いに、ジャックが答えた。

「頭を下げてろ」

 ジャックは自動制御を解除した。車線を変えて急加速、後ろのバンが慌てて付いてきたのを見計らい、急ブレーキでスピン・ターン。 正面へ来た〝メルカート〟のバンへ、ジャックは自車の鼻先を横ざまにぶつけた。相手はたまらず、バランスを崩して歩道へ突っ込む。

「仲間割れなら、警察も手も出しゃしないだろう!」

 ジャックはそのままストリートを逆走。と、車列の中から2台が外れ、バンの尻を追い始める。盗んだ情報から〝キャス〟が判別――〝メルカート〟

 ジャックは加速、慌てる一般車を次々とかいくぐる。後続の2台のうち、1台が付いてこれずに自滅した。

 信号を無視して角を折れ、進路を東へと変える。〝キャス〟は後方、合流した〝メルカート〟の車を検知した。合わせて3台。

〈〝キャス〟、〝ヒューイ〟は?〉

〈次の角を左へ。しばらく直進して〉

 〝キャス〟の指示に従い、車線をまたいで急左折。抗議のクラクションを背に、後方の3台も付いてくる。

「付いてくるわよ」振り返ってマリィ。

「構うな、」ジャックの手が押さえてマリィの頭。「頭下げてろ!」

 車間はまだ開いている――かと思ったのもつかの間、後続のコミュータから身を乗り出す人影が見えた。

「撃ってくるぞ!」

 銃撃。バンの後部ドアに風穴が開いた。

 ジャックは急ブレーキ、バンの尻を真後ろのコミュータへ。相手が避けたと見るやUターン、反対車線へ乗り入れた。あわや側突、というところで車間へ割り込む。

〈逆に行ってどうすんのよ!?〉

〈〝ヒューイ〟はどこだ!?〉

〈もうすぐそこ〉

「後ろのドア開けてくれ!」

 ジャックが車線を変えて後方の空間を確保した。マリィが荷室へ移動する。バンの後部ドアを開けたところで、自走モードに車体を折り畳んだフロート・バイクが視界に入った。

 ツカガワFSX989――パーソナル・ネーム〝ヒューイ〟――が車間へ割って入り、半ば強引にバンへ飛び込む。そこで〝ヒューイ〟は車体を展開した。

「そいつの後席に!」

 ジャックがバンの運転を〝キャス〟に任せて、運転席を離れた。マリィが〝ヒューイ〟のタンデム・シートに手をかける。ジャックが〝ヒューイ〟前席へ、マリィが続いて後席へ。

〈〝キャス〟、敵は!?〉

〈まだ後方、視界に入ってない〉

 ジャックは〝ヒューイ〟を浮上させた。後退、バンから〝ヒューイ〟を乗り出す。

「あッ!」

 途端、風圧に負けてマリィのスカーフが飛んだ。亜麻色の髪が風に洗われる。その姿を捉えた監視システムは、彼女の髪型と輪郭を判別し、警告を〝メルカート〟へ送リ出す。


「監視システムに反応!」情報屋が、バレージへ向き直った。「連中は〝マーキュリィ・ストリート〟を北上してます」

「シティを北へ抜けるつもりか」

 〝サイモン・シティ〟中北部。〝カーク・シティ〟の騒ぎが拡大するにつけ、オフィスから引っ張り出されてきたバレージが呟いた。これまでジャックを捕捉した地点は、モニタに輝点として残してある――明らかにシティを北上していた。

「ヤツを追い込め」

 バレージの指示に従い、情報屋が画面を操る。シティ地図、北の外れの〝エリオット・ストリート〟終端に輝点。

「ここにバリケードを」

「は」


 ジャックは眼前の交差点へ信号無視で突っ込むと、東へ向かって舵を切る。

「飛ばすぞ!」

 マリィに告げつつスロットルを開け、車線間へ〝ヒューイ〟の車体をねじ込む。すぐ後方、無茶なUターンを演じるコミュータが3台。うち1台が追突されたのも構わず、ジャック達を追撃にかかる。乗員がなりふり構わず上体を乗り出し、銃を構えるのが見えた。

「無茶しやがる」ジャックはマリィへ声を投げた。「しっかり掴まってろ!」

 スピン・ターンをくれて急減速、ジャックはケルベロスを抜きざまに2連射――敵の先頭車、フロント・ウィンドウに風穴を空けた。そのまま逆走、敵のすぐ脇をすり抜ける。

 背後で衝突。ジャックは鼻先を転じると、北への車線へ〝ヒューイ〟を乗せた。

 後方、3台のフロート・カーが、あからさまに銃を構えた。ジャックは右方の路地へ飛び込む。

 敵が1台、ドアを犠牲にしながら路地へと突っ込んだ。その後ろ、曲がり損ねた1台が壁に突っ込む。

 路地の出口――コミュータが急停止。中からやはり銃口が覗く。

 挟み撃ち――ジャックの脳裏をよぎる、その一語。

 ジャックは〝ヒューイ〟の出力を上げた。フロントを持ち上げ、スロットルを開けて、そのまま突っ込む。

 怯む相手の車体を踏み上げ、〝ヒューイ〟が大きく宙を跳ぶ。火花を散らして着地。ジャックは車体をスライドさせて急制動、車線を渡り切ったところで〝ヒューイ〟を止めた。すかさずスロットルを開け、敵には眼もくれず北へと走る。

〈後ろから追っ手。もうなりふり構っちゃいないわね〉

「キリがないわ!」思わずマリィが弱音を吐いた。

「シティを抜ければ敵の眼もなくなる!」ジャックが一喝、スロットルをさらに開ける。


『ヤツを〝エリオット・ストリート〟へ追い込みました』

 報告を聞いて、バレージは頷いた。地図上、ジャックらの進路にある交差点という交差点を、部下のコミュータが埋めていく。

「さあ、袋のネズミだ」


〈前、様子がおかしいわ〉〝キャス〟が指摘した。〈市外の光、見え方がおかしくなってる〉

 〝ヒューイ〟は〝エリオット・ストリート〟を北上中、シティとしての街並みはまもなく途絶えようかというところ。背後からは〝メルカート〟の車輌が、あからさまに束となって追いすがる。

〈罠か〉

 行き先にあるのは、恐らく車輌をかき集めたバリケード。それが市外からの光を遮っているとあれば、〝キャス〟の指摘も頷ける。

 ジャックは急減速、〝ヒューイ〟の機首を転じて追っ手の群れへと向き直る。勢いもそのままの大群に向かって、ジャックはスロットルを大きく開ける。

 〝ヒューイ〟のフロントを派手に持ち上げる。市内でコミュータを乗り越えた際の動きだが、それは敵も承知していた。

 正面、気付いた追っ手も横一列で加速した。車上へ乗り上げる間も与えず、跳ね飛ばす肚と窺える――その時を狙って、ジャックは再び急減速、追っ手へガス手榴弾HG47Gを投げ付けた。

 眼前に現れた白煙の壁――それに追っ手が動揺した。一部が急ブレーキ、列が乱れる。

 その隙、ジャックは〝ヒューイ〟をねじ込んだ。追っ手の間をすり抜け、背後を取る。

 ケルベロスを抜いて、ジャックは弾丸を乱射した。弾倉丸2つ分、24発をぶちまける。狙う必要さえなく、弾丸は追っ手のリア・ウィンドウを次々と割った。

 混乱の中、追っ手の一団はバリケードへと突っ込んだ。あるいは停まり損ねたトラックがバリケードを突き破り、あるいは勢いそのままのフロート・カーが宙に舞う。

 〝メルカート〟の一団は、その統率を失った。その間隙を衝いて、ジャックはバリケードの跡を突き抜けた。

 2人を乗せた〝ヒューイ〟は、そのまま北へ。程なく〝メルカート〟は、その足跡を見失った。


〈カレル、ジャック・マーフィに賞金がかかりました〉

 カレル・ハドソン少佐のナヴィゲータ〝ドロシィ〟が告げる。ちょうど、その日の書類仕事が片付いたところだった。

〈!?〉ハドソン少佐は片眉を踊らせた。〈ヤツに?〉

〈〝メルカート〟が関連筋に賞金を示したようです〉要約しながら、〝ドロシィ〟は手配書を少佐の網膜に投影してみせた。〈〝身柄を〝保護〟した者に10万ヘイズを出す〟と〉

 〝保護〟とは言いようだが、つまりは〝死なない程度なら、傷めつけてあっても可〟程度の意味しかない。

 その時、ドアにノック音。ハドソン少佐は応えた。

「何か」

「少佐、」ドアを開けたのはオオシマ中尉。「よろしいですか?」

「ああ」

 オオシマ中尉が部屋に入り、眼で問うた――盗聴の心配はないか、と。

 ハドソン少佐は頷いた。〝ドロシィ〟は警備システムに介入、少佐が事務仕事をこなした中で記録した信号を流す。オオシマ中尉が歩み寄る。

〈マーフィに賞金がかけられました。ご存知で?〉

〈ああ、どう考える?〉

〈ヘンダーソン大佐の〝駒〟に、〉エリックのことを、中尉は示した。〈〝メルカート〟が食らいついたと考えます。反応が思ったより早く出ましたな〉

〈そういうことになるな〉少佐は先を促した。

〈これでマーフィは大陸全土のお尋ね者です。行動の自由は事実上なくなったと見ていいでしょう〉中尉は続けた。〈むしろ生かしておいては情報が洩れる恐れがあります〉

〈ヤツを消すべきだ、と?〉

〈ええ〉

〈誰がやる?〉ハドソン少佐は、自らに親指を向けた。〈身内の掃除もし切れない我々がか?〉

 邪魔者を処分するために、ジャックを誘導してきた彼らのこと、ジャックの始末に戦力を割ける道理はなかった。

〈大佐の〝駒〟があります〉

〈間違ってはいない。だが、その件は大佐に判断の権利があることになる〉少佐は顔の前で手を組んだ。〈そして今はデリケートな時期だ。ここで手駒を動かすのは避けるべきだな〉

〈人情ですか?〉オオシマ中尉が口の端を持ち上げた。マーフィをかばうのか、と言下に問う。

〈理屈だよ〉少佐は眉を寄せる。〈まもなく動きがあるはずだ〉

〈では……〉

 オオシマ中尉は声を低めた。ハドソン少佐が小さく頷く。

〈〝最初の一手〟だ〉

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