2―10.傀儡

「ミスタ・テイラー?」

 背後から声。先に受けた指示に従い、視線を前へ向けたままで合言葉。

「〝人違いだな〟」

 〝サイモン・シティ〟は中北部、軌道エレヴェータの姿を望む、ミッドタウンの一角。傾きかけたとはいえ赤道直下の陽光を浴びながら、アルバート・テイラーは独り眼前の車道を眺め続けた。

「〝これは失礼。グレープフルーツ・ジュースなら3ブロック北へどうぞ〟」

 背後の声が指示を出す。頷いて、テイラーは北へ視点を巡らせた――と、

「お連れの方もご一緒にどうぞ。席が6つ増えたところで、こちらは構いませんよ」

 去り際の一言、テイラーの背筋を伝って冷気。離れてこの場を監視している護衛の数は、まさに6人。

 辛うじて無言を保って、足を北――指定の場所へと向け直す。

 現れたのはクラシック・リムジン。降り立った運転手が、テイラーをうやうやしく車内へ招き入れた。中には黒髪を撫でつけた、壮年の男――その青い瞳。丁寧な会釈をテイラーに向ける。

「初めまして、アントーニオ・バレージと申します。ミスタ・アルバート・テイラー?」

 テイラーが頷く。「アルバート・テイラーだ」

 リムジンが動き出した。同時に窓が白く曇る。

「失礼。セキュリティには手間を惜しまない性分でして」

「の、ようだな」

「いかがですか?」グラスを取り出して、バレージが訊く。「フロリダ産には及びませんが」

 自らのグラスにも注いだバレージが、グラスを掲げて先に口をつける――〝毒はない〟とでも言いたげに。

 果たして、自分は怯えているように見えるのか――テイラーが訝しんだところで、バレージが口を開く。

「さて、我々〝メルカート〟のことはもうご存じでしょう。お望みはお飲み物――ではありますまい」

「その通り」

「〝テイラー・インタープラネット〟のテイラー様からの依頼とは、お望みにかなわないのではないかと恐れておりますよ」芝居がかった、と取れなくもない口調で、「ご依頼を伺っても?」

「結構、」テイラーは、手元のグラスを空けた。「定期便、とでも言えばいいかな。何箇所かに、あるモノを――」


「麻薬だ」テイラーは隣のカウンタ席、カレル・ハドソン少佐に告げた。「〝フォックス〟に強請られてる。ヒュドラを買い付けて、ゲリラにばらまけとさ」

 〝ハミルトン〟駐屯地にほど近い、兵士相手のバー。日勤明けの陸軍兵が日頃の憂さをアルコールで呑み下す、その喧騒に紛れてテイラーが告げた名は、〝テセウス〟特産といわれる麻薬。

「それを直に伝えに来たのか、」夜更けに呼び出されたハドソン少佐は、むしろ冷ややかにテイラーを見やる。「わざわざ〝テセウス〟くんだりまで?」

「かえって目立たんよ」無駄に上品なシャツに身を包んでウィスキィをあおるテイラーは、しかし物好きな金持ちにしか見えない。「私はまだ地球にいることになっとるしな」

 ハドソン少佐はその姿を眼にして、テイラーの禁酒に思い至った――すでにそれが過去のものであることも。

「それより驚かんのか?」テイラーは潜めた声に怒りを滲ませた。「〝フォックス〟・ハーヴィックが出張ってくるんだぞ!」

「抵抗は想定の内だ――そっちこそ知らんのか?」

「……何を?」テイラーの額を不安の影が横切る。

「9人だ」ハドソン少佐は厳かに告げた。「この2週間で9人やられた。2年前の顔ぶれだ」

「何……?」明らかに不意を衝かれた表情。「ちょっと待て、それじゃこっちの人員まで掴んで……」

「あるいはな」ハドソン少佐は眼を細める。「まさか――」

「待て!」テイラーはストゥールから立ち上がらんばかりの勢いで、「俺じゃない! 〝フォックス〟のヤツには何も洩らしてない! 何も……!」

「落ち着け」少佐が左手でテイラーの肩を押さえこむ。視界の端、バーテンダの視線が2人へ向きかけ――流れ去る。「まだ何も判っておらんのだ」

「まさか……!」テイラーは声を詰まらせた。「まさか〝あの時〟の生き残りじゃあるまいな?」

「判っておらんと言ったろう」

「なら――、かくまってくれ!」テイラーがハドソン少佐に掴みかかる。「〝フォックス〟絡みの情報はくれてやる! このまま表にいても利用された挙げ句に狙われるだけじゃないか!」その手にデータ・クリスタルがあった。

 ハドソン少佐は、今度は両の手をテイラーの肩に置いた。立ち上がりかけたテイラーを力で制する。

 爆笑――が、あるテーブルで起こった。周囲の注目がそちらへ集まる。少佐は安堵の息を小さく洩らした。

「で、騒ぎを大きくするのか?」テイラーの耳元で小さく、しかし力強く少佐は囁いた。「いま姿を消したら、今度は〝フォックス〟にまで狙われるぞ」

「……!」テイラーは反論し損ねて、そのままストゥールに体重を預けた。「くそ……ッ!」

 周囲から集まりかけた視線が拡散していく――そのさまを確かめながら、ハドソン少佐はテイラーの背を軽く叩く。

「時を待て。まだ〝地球にいる〟んだろう?」諭すように、ハドソン少佐は言葉を注ぐ。「情報は流す。今は守りを固めろ」

 テイラーの肩から力が抜けた。データ・クリスタルをカウンタへ置く。と、安堵――というより失望を口の端に引っ掛けて、ゆっくりと立ち上がる。

「そうだな……そうしよう」

 気の抜けた足取りで、テイラーは出口へ歩き出した――すれ違う酔客を危なっかしくよけながら。

「馬鹿が……」ハドソン少佐は出口、閉じた扉へと一瞥を投げた。


 その夜、ハドソン少佐から秘密裏に発せられたメッセージがある――ヒュドラ流入ルートへの対応を急ぐ要あり、と。


「言わずもがなのことを」ハドソン少佐のメッセージを見たケヴィン・ヘンダーソン大佐は鼻息を一つ、「今に始まったことでもあるまいに」

 ヘンダーソン大佐の知るところ、組織内に麻薬が流入し始めたのは、今回が最初ではない。ハドソン少佐から伝わってきたテイラーのルートも、何番目かのそれに過ぎない。

 〝サイモン・シティ〟から内陸側へ離れることおよそ10キロ。〝サイモン〟陸軍駐屯地内を走るコミュータは、駐屯地の奥部を目指していた。背後にははるか街の灯、その更に向こうには軌道エレヴェータの煌きを背負い、基地内でも厳重に警護された訓練施設へ滑り込む。

「大佐!」東洋系の顔立ちの大尉が、ヘンダーソン大佐を出迎えた。肩から左手を吊っている。最近の負傷と窺えた。

「首尾は?」

「おおむね上々です。〝マリオネット〟の訓練はひと通り」大尉がヘンダーソン大佐に歩を並べる。

「その腕は?」

「〝マリオネット〟の仕業ですよ。おとといひと暴れしまして」大尉は名誉の負傷とばかり、左腕を軽く掲げた。「ねじ伏せましたが、意外に高くつきました」

 2人は施設内、応急に設けられた医務室へ歩を運んだ。入口をくぐった2人を長身の軍医が迎える。

「ようこそ、大佐」

「あれか?」

 ヘンダーソン大佐は、室内の一角を顎で示した。ベッドの上に兵士が一人。一見したところ、眠っているように窺える。

「セッティングが終わったところです」軍医が頷き一つ、「いくつか注意点を」

「何か?」ヘンダーソン大佐が眉をひそめた。

「こちらへ」

 軍医がベッドへ歩み寄る。大佐が続いた。

 ベッドの主の顔が眼に入る。やや細めの顔立ち、焦茶色の髪。ジャック・マーフィと同じ容貌がそこにあった――ただ一点、額から左頬へと走る傷痕を除いては。

「この傷痕は?」問うて大佐。

「おとといの騒ぎの跡ですよ」大尉が説明する。「無傷というわけにはいきませんでね」

「これまでの記憶に対して、プロテクトを上乗せしました」軍医がヘンダーソン大佐の横から説明を加える。「この傷痕をキィにして、擬似トラウマを植え付けています」

 軍医は大尉に一瞥を投げて、鼻を掻いた。「もちろん今回の――〝騒ぎ〟に関しても」

 大佐が頷き一つ、先を促す。

「同時に、記憶に対する執着心もインプットしています」軍医が続ける。「今後、〝マリオネット〟に対する命令は、彼の〝過去〟と引き換えになさることをお勧めします」

「取り引きというわけか?」大佐は疑問を口の端に引っかけた。「また手の込んだことだな」

「考えなしの〝人形〟では任務に支障があるかと」

 大佐は小さく笑った。「なるほど」

「では、始めますか?」軍医が気圧式注射器を手に取った。

「ああ」

 軍医が傷痕の男――〝マリオネット〟に薬を射つ。

 〝マリオネット〟が眼を開いた。焦茶色の瞳が大佐へ向いた。

「ここは?」〝マリオネット〟の口が開いた。

「報酬には相応の仕事が必要だ」ヘンダーソン大佐が、諭すように告げる。「この場合、報酬とは答えのことだ。解るな?」

「お前は――いや、俺は……!?」〝マリオネット〟の声が急に感情を帯びた――愕然、とでも表現すべきものが。「俺は……誰、だ?」

「名前がないでは不便だな」小さく、大佐は笑んだ。「よろしい、手付け金代わりに教えよう。以後私の指示に従いたまえ。いいな?」

 そのまま〝マリオネット〟の反応を確かめる。まず反感、次いで焦り――最後に諦観めいた決意。「……いいだろう」

「よろしい。貴様の名前は――」ヘンダーソン大佐は正面、焦茶色の双眸に眼を据えた。「エリック・ヘイワードだ」




「軌道から降りてきた途端にこれですよ」上等兵が、この日何度目かの愚痴をこぼした。「中で待っててもいいと思いませんかね?」

 〝リュウ〟大陸東部、〝マシューズ・ヴィレッジ〟。軌道エレヴェータを持つ〝サイモン・シティ〟から西へ離れること数百キロ、小麦畑を包む宵闇の中に彼らはいた。

「耐えな」髭面の兵長が斬って捨てる。

「何なら伍長殿に談判してみな」兵長は背後、明かりを消して停まっているトラックへ親指を向ける。「お前、また痣増やしてくるだけのこったぜ」

 特殊部隊くずれという噂のある上官――ポール・デュビビエ――は、冗談にも思いやりに溢れているとは言いがたい。

「いや冷えるんですよ」上等兵が自らの腕を抱えた。

「ボーナス取れるんだから文句たれるな」兵長に取り合う気配はない。「これが終わったらヤクと女でパーティだろ? それまでの辛抱だ」

 彼らの目的は〝物品〟の受け渡しにある。ただし正規の任務ではなく、合法でもない。

「だいたい金が要るっつってたのはお前の方だろう――」

 ふと、異音が耳に入った。

 2人は音の源へ眼を向ける。トラックのフロント・ウィンドウが曇っていた――のではなく、無数にひび割れていた。

「伍長殿!」兵長が駆け寄る――トラックのドアを開けかけ、そこで転倒。同時に血臭が立ち上る。

 上等兵はやっと気付いた――狙撃。逆方向、弾が飛んできた方向へ眼を凝らす。その眉間に風穴が開いた。

 その場から動く者がいなくなった。


 この日、麻薬の密売に手を染めていた兵士3名が死亡した。3名が取引を図ったと思われる相手と当の麻薬は、小麦畑の外れで焼かれていたという。ケヴィン・ヘンダーソン大佐はもちろん知っていた――この一件が自分の指示で行われたこと、死亡した兵士の中に元〝ブレイド〟中隊の構成員がいること、実行したのが〝マリオネット〟ことエリック・ヘイワードであることを。

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