2―9.到達

「9人目、か」

 エミリィは顔を上げた。見上げた壁には昔風のカレンダ――これまた古風な×印が追いかける先は、ジャックとの接触を果たした〝あの日〟から14日目を指している。

 〝ハミルトン・シティ〟は北東部、再開発に押し潰されかけた安アパートメント。エミリィ・マクファーソンはテーブルに苦く肘をつく。この14日で隠れ家を変えること3度。そのたびに姿を変え髪型を変え、今ではミニのタイト・スカート、ノー・スリーヴのジャケットにロング・ヘアのウィッグと、不本意極まる姿になっている。

 網膜には凶悪犯罪専門ニュース・プログラム。展開されたチャプタ・リストには、ここ半日の被害者のプロフィール。

 その中に、覚えのある名があった。ダレン・シーウェル――元〝惑星連邦〟陸軍兵長、1年前に不名誉除隊処分の後は職を転々として現在無職、となっている。

 ジャックの動き――彼女はそこに確信の手応えを感じている。

「何にしても次の手は……!」

 エミリィの視点が凝固した。探していた情報を掘り当てた、まさにその瞬間――、

 部屋のドアが開いた。反射でウィッグを取って投げつける。ドアをくぐる人間に、思い当たるのは1人しかいない。

「! ……っと」

 ウィッグを受け止めたのは、思った通りロジャーの姿。テーブル上の銃から手を離す。

「で、」ロジャーへ、エミリィが今度は投げて声。「オレの使い途が見つかったってか?」。

「まあな」ロジャーは後ろ手にドアを閉めた。「似合ってるぜ」

「他に着るもんがねェからな」エミリィは吐き捨てた。「大体何だよこの服ァ。街角にでも立たせようってのか?」

「そりゃお前の趣味じゃないだろうな」ロジャーに人の悪い笑み。「ちょうどいいだろ? 誰もお前とは思わねェ」

「……悪夢だ」エミリィは頭を抱えた。その栗色の髪の下、恨みがましい視線でロジャーを射る。「で、これからどこ引き回す気だ?」

「そっちこそこれからどうする気だ?」ロジャーが眼を細める。「いつまでもここで燻ってるお前じゃねェだろう?」

「まァ、な」エミリィは肩をすくめてみせた。「世話ンなったな」

「図星かい、また今度は開き直ったな」今度はロジャーが頭を抱えた。「だったら家賃代わりに教えろよ。何を狙ってる?」

「礼ってことで教えとく」すれ違いざま、エミリィはロジャーへ囁きを投げた。「オレとジャックにゃ絡んでも金にならねェぜ。それから、〝ハミルトン〟、〝サイモン〟、〝クライトン〟――軌道エレヴェータからは離れとけ」

 そのまま、ロジャーはエミリィを見送った――〝トリプルA〟が〝ウィル〟に仕掛けた追跡プログラムに思いを馳せながら。

「さてと、どこまで案内してもらえるかな?」


 エミリィは雑踏に紛れながら、骨振動マイクに呟きを拾わせた。

〈〝ウィル〟、〝アテナ〟の掲示板にメッセージだ。〝〝クレテのロックスミス〟より〝クレテのトレジュア・マップ〟へ。所定の行動を完了、〝キィ〟に所定の活動を観測〟以上だ〉




 流し込んだコニャックが喉を灼く。瀟洒なグラスを手荒く置いて、アルバート・テイラーは毒に満ちた息を吐く。

『ただいま、本船は惑星〝テセウス〟衛星軌道に乗りました』アナウンスが船室に聞こえていた。『次回の軌道変更は18時58分の予定です。宇宙港〝サイモン〟へは……』

 酒精のもやを見透かすと、壁の船外モニタに惑星〝テセウス〟の青。向かい合うソファに埋もれた身体を引き上げようとして――彼はあっけなくあきらめた。

 破滅――その言葉が意識に重くのしかかる。

 ハーヴィック中将に従わなければ、良くても終身刑。かといって隷従したところで、いいように食い尽くされるだけのこと。だからと身を隠したにしろ、〝テイラー・インタープラネット〟取締役の地位を失っては何の利用価値があるわけでなし、生き延びる手段など……。

「利用……価値……?」

 自分の声にふと気付く。と、そこで計算が頭を巡り始めた。

 サイド・テーブルの抽出しに手を伸ばす。酒精の回った腕が思い通りに動くはずもなく、グラスが落ち、ボトルが倒れた。もどかしげに抽出しをこじ開け、中の気圧式注射器を探り当てると、震える手で腕にそれを突き立てる。

 鈍い音。医療用ナノ・マシンが血管に染み入り、即座に異物を排除にかかる。

 長い吐息――酒精の雲が晴れ行く中、テイラーの眼は希望の光を追いかけていた。薄笑いが口の端に滲む。

 まだふらつく足で立ち上がる。浴室でシャワーのコックをひねると、水流に頭を突っ込んだ。次いで顔に水を受け、そして着衣のまま全身に水を浴び出した。

「利用、か」彼はそのまま笑い出した。「そうだな――こっちも利用するまでだ」




 眼が覚めて、隣に眼をやる――隣の耐Gベッドに人影はなかった。アンナ・ローランドは上体を起こすと伸びを一つ、眼を部屋へ巡らせた。

 1ダースある耐Gベッドに空きがいくつか。〝下〟方向の感覚も安定していた。出口のドア上、モニタには〝展望ドーム解放中〟の一文――船が軌道修正を終えたと見える。

 ベッドを降りて、案内に従い通路を進む。ほどなく船殻、星の海を望む展望ドーム。一点を見つめるマリィの姿が、そこにあった。

「見える?」

「ええ」

 身じろぎもせずにマリィが答えた。瞳の向く先には青、もはや〝点〟とは呼べなくなった惑星がある。

「来ちゃったわね」

「……うん」

 そう返したマリィの、行き先を見つめる眼が遠い。

「肩、凝るわよ」

「大丈夫」

「鈍いフリはやめて」肩をすくめたマリィに、アンナは首を大きく回してみせた。「今からそんなんじゃ、神経が保たないって言ってんの」

 小さい笑みが帰ってきた。アンナは友人の背を叩く。

「難しいことは考えたって仕方ないでしょ! 今のうちに休んどかなきゃ」

「……また替えたの?」

「何が?」

「男」

「あれ、言わなかった?」

 アンナの視線が宙を泳ぐ。

「テオは?」

「訊かないでよ」アンナはマリィの肩に腕をかけた。「じゃ罰ね。キィルでもおごってもらおうかな」

「どうせこんな船じゃ呑めないわよ。カンパリあたりにしときなさい」

 アンナの腕に力が込もる。

「付き合いなさいよ、呑みたい気分にさせたんだから」

 マリィはアンナへ眼を向けた。友人の眉が優しく躍る。

「……ありがと」

「ふふん。じゃ、もう1杯。カシス・ソーダがいいかしら」

「はいはい」

 2人は出口へ足を向けた。




「失礼」

 アンナのトランクが、コンベアで運ばれてきた。老紳士の脇を抜けてトランクを受け取り、コンベアを見渡す――いくら待っても、マリィのトランクが出てこない。

 〝テセウス〟静止衛星軌道上、宇宙港〝クライトン〟は手荷物受取所の一角。コンベアがすっかり空になったところで、不審を抱いて係官を捕まえる。

「――ない!?」

 マリィは思わず声を上げた。

「こっちには届いてませんよ」

 係官は肩をすくめた。

「本当に?」

 不満顔で手元のモニタを裏返して、係官は2人に見せた。2人と共に宇宙港へ入った荷物のリストには、2人の機内持ち込み荷物とアンナのトランク――それだけ。個別に管理され、運び込まれたはずのマリィのトランクは、未だに宇宙港の搬入チェックを通っていない。

 その場でアンナが航宙会社〝インタープラネット・ネットワーク〟へコール。オペレータに説明を求めるも、一向に要領を得ない。

「あー、こりゃ迷子になったかも……」何度か再チェックをかけさせるうち、アンナが呟いた。「下手するとトランジットの方に流れちゃってるわ。〝オケアノス〟か〝ポイベ〟の方に飛んでるかも」

「じゃ半月近くかかるってこと?」眉を踊らせたマリィは天井を仰ぐ。「冗談じゃないわ。そんなに待ってられないわよ」

 結局その場では結論が出なかった。追って結果を連絡させることにして、2人は税関を通過する。

「前途多難ね」

 マリィがぼやく。

「厄落としよ」アンナはそんなマリィの肩に手を置いた。「片方で済んだだけマシってもんだわ」




〈前途多難よね〉〝キャス〟に呆れ声。〈警戒厳重。仮にも裏取引の場所でしょ? しかも〝リックマン・カンパニィ〟の会長宅とくりゃ、堂々と警備が布けるってもんだわ。本当に乗り込んでくつもり?〉

 惑星〝テセウス〟第2大陸〝リュウ〟は赤道を横切る〝大陸横断道〟。ジャックが駆るアルビオンの鼻先はその東端、〝サイモン・シティ〟へ向いていた。

〈まずそうはならない〉言い切るジャックにむしろ確信。〈テイラーのヤツにもそろそろ動きがあるはずだ〉

 カレンダの日付はアルバート・テイラーの〝テセウス〟到着を告げている。

〈よく解るわね〉皮肉に満ちて〝キャス〟の声。

〈この2週間でいきなり9人だ〉ジャックが口に上らせたそれは、あの世へ送った元〝ブレイド〟中隊員の頭数。〈ヤツがそれでも動じなきゃ、他に動きは出ない。その時は〝リックマン〟で狙うしかない。が――〉

〈〝が〟、〉〝キャス〟がジャックの語尾を受ける。〈そうはならないと踏んでるわけ?〉

〈ああ、ヤツの肝っ玉は恐らくそれほど太くない〉ジャックの声に確信が兆す。〈どこかで籠城にかかるはずだ。食料と護衛用火器に動きが出る〉

〈あーやだやだ、陰険〉舌を出さんばかりに〝キャス〟。〈聞かせてもらいたいもんだわ、その自信がどこから来るのか〉

〈ヤツは前線に出るタマじゃない〉

〈見てきたみたいな言い草ね〉

〈実際に見てきたからな〉2年前の怨念、その重みを宿してジャックの声。

〈秘密の籠城となりゃ、護衛も派手にはできんはずだ〉ジャックの声に揺るぎはない。〈そこヘ付け入る〉

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