1―4.触発
〈〝グリーン・ブラヴォ〟より〝ナイト・バード〟へ報告〉
〝ハミルトン・シティ〟北東部は〝カーヴァ・ストリート〟、ジャックのアパートメントを望む街角で、警官を装った男が高速言語の呟きを発した。一瞬だけ流した視線の先、〝目標〟の窓からは光がかすかに洩れるだけ――ブラインド・モードのウィンドウ・パネル越しには中を窺うべくもない。
ジャックが自分のアパートメントに〝突入〟して10分――目立った動きがあったにしても、それを知る術があるはずもない。
〈目標の動きは依然探知できず。指示を請う〉
ミール・メーカがマグ・カップ2つを吐き出した。安いコーヒーの匂いが部屋に立つ。
「顔は変えてないか」ジャックから感慨の片鱗を覗かせて声。「――いい度胸だな」
「まあね」壁を背にして立ったまま、女が肩をそびやかした。「裏方仕事やってるからね。顔は出さずに済ましてる」
やや小柄、絞り込んだせいで細身とさえ映る体躯、栗色の髪と焦茶色の瞳。歳の頃は20そこそこ、切れ長の眼と細い顎で、どちらかと言えば精悍さを匂わせる顔立ち。
戦友だった男の科白が、ジャックの頭をよぎって過ぎる。〝言い寄られたら悪い気はしないね――いや、口さえ開かなきゃな〟彼女の、応急だが配属当時のことだった。
女が小さく笑った。
「あんた見付けたときゃ驚いたぜ! そっちこそ顔も変えねェでピンピンしてやがんだもんな」
「運が良かったのさ」ジャックがマグ・カップを取りに動く。
「さすがに声は変えたか――まぁ、これだけ金かけてりゃね」女が部屋を見回して、「生きてるのも納得するよ」
「そう見えるか?」
素材剥き出しの壁と床に安物のソファ・ベッド、見るからに拾ってきたようなテーブルと廃材で組み上げたようなデスク――その上に鎮座する、これだけは金をかけたと判るネットワーク端末を除けば、あとは贅のかけらもない椅子があるだけ。一見して、冗談にも立派とは言えない部屋の佇まい。
「セキュリティの話さ。忍び込むのにけっこう苦労したんだぜ、ホント」
ジャックが小さく笑う。
「突破されてりゃ世話はない」
「嘘つけ、見事に嵌めやがって」女が舌を出してみせる。「途中まで知らん振りなんざ、あれじゃ隠れてたオレがバカみたいじゃねェか」
「そう言うな、すんでのところで気付いたんだぜ。あー……」ジャックが手にしたマグの一方を差し出す。「今の名前を聞いておこうか。俺の方は〝ジャック・マーフィ〟、多分知っての通りだ。賞金首を狩って食ってる」
「……〝エミリィ・マクファーソン〟」マグ越しの声にやや硬さが混じる。「今は情報屋と組んで色々やってるよ」
「そうか」
頷くと、毒見の意味で先にコーヒーをすすってみせる。〝エミリィ〟が用心しているのは承知しているから特にソファを勧めもせず、ジャックはデスク前の椅子を引き出して腰をかけた。
〈こちら〝ナイト・バード〟、了解。〝グリーン・デルタ〟を向かわせる。〝グリーン・ブラヴォ〟は待機位置へ〉
ジャックのアパートメントに張り付いている〝グリーン・ブラヴォ〟に指示を返して、オオシマ中尉は傍らのハドソン少佐に声を向けた。
「ヤツのことだ、こりゃ覗きようはありませんな」
「残念だが」さして悔しがる風もなくハドソン少佐が肩をすくめる。「金も人手も今はない。中尉ならどうするね?」
「そうですな」いかにも気楽に構えてオオシマ中尉は〝考え込んで〟みせる。「任せていただけるなら、偵察ついででヤツの尻に火でも着けてやりますか」
「任せよう」
「どうも」
そう断ってから、オオシマ中尉は司令を発した。
〈〝ナイト・バード〟より〝グリーン・アルファ〟へ。シフト変更、突入用意〉
ハドソン少佐は片眉を持ち上げた。鼻の下、たたえた口髭に指を当て、
「突入か――こいつは急だな」
かばう気か――オオシマ中尉は少佐の科白をそう取った。中尉は皮肉半ば、挑むように断言を返す。
「どっちみち品定めはやらなきゃならんのです」
「殺すなよ」
それだけを、少佐は言った。
「この程度でくたばるようなら役に立ちゃしません。危険なだけです」
「違う、〝グリーン〟の方だ」
「……なるほど」人の悪い笑みを、オオシマ中尉は口の端に乗せた。
「他の連中は見付けたか?」ジャックの声に、かすかな希望と失望への恐れ。
「いいや、」コーヒーもろとも苦い失望を呑み下して、エミリィが一言。「あんたが初めてさ」
「つまり、俺が一番のドジだったわけだ」苦い思いに口の端が歪む。「何があった?」
「いいじゃねェか」エミリィが口を尖らせた。「おかげでこうしてツラを合わせられたんだ、そういう話はなしにしようぜ」
ジャックの瞳が険しさを帯びる。
「危険はあったはずだ。俺のプロテクトにしろ〝ヤツら〟にしろ、一歩間違えば……」ジャックはマグを干した。「それが解らんようじゃ、今ごろ生きてるはずがない――知った顔恋しさに来たわけじゃないだろう」
「け、あっさり言ってくれるぜ」
苦笑一つ、流した視線がジャックの左手、旧式のアーミィ・ウォッチに触れて止まる。
陸軍制式から退いて6年になるプレシジョンAM―35。
「まあ、シャバに未練はあるってわけだ。違うか?」
ジャックの眉に怪訝の色。口の端を持ち上げたエミリィが言を重ねる。
「シャバへ帰る。手伝ってもらうぜ」
「手があるのか?」
「もちろん」エミリィの語勢には虚勢めいた自信が覗く。
が、ジャックはむしろ無表情に応じた。
「なら――いいか、よく聞け。何も言わずにここから逃げろ」
「……何だと?」
「何も言うな」硬い声でジャックが告げる。「このまま帰って、俺のことはしばらく忘れてろ」
「どういうことだよ?」エミリィの声に棘が込もる。
「今日、〝ヤツら〟の尻尾を踏んだ」ジャックは有無を言わせず続けた。「俺は〝ヤツら〟にマークされる。そうなったら手遅れだ、今のうちに身を隠せ」
「冗談じゃねェぞこん畜生!」ジャックを目がけて罵声が飛ぶ。「逃げてどうなるってんだ。〝ヤツら〟をぶっ潰しゃ済むこったろうが!」
「不意を衝かなきゃ勝負にもならん。今お前の面が割れたらそれこそ元も子もなくなる」
「逃げても同じこった。こんなチャンスは2度とねェんだ、そいつを指くわえて見過ごせってのかよ!?」
「何も言うなと……」
「やかましい!」エミリィの拳が壁を殴る。「いやに簡単にあきらめるじゃねェか。臆病風に吹かれやがって!」
「お前こそ落ち着いて考えろ。日陰者がたった2人で何ができる」
取り合わないジャックを睨むや、エミリィはジャケットの懐を開いた。
「おい、やめろ!」
聞かず、エミリィは内ポケットから指先でデータ・クリスタルをつまみ出す。それをジャックの眼前に突き出して、
「そんなら後に退けなくしてやる! こいつにはな!」
「言うな!」
「証拠が収まってんのさ、〝ヤツら〟が物資を横流ししてやがったってな! それもサラディンのサイン付き、量子刻印まで入ってる代物だ!」言い放ったエミリィは息継ぎ一つ、今度は声をひそめて、「――この意味が解らねェとは言わせねェぞ」
そう告げるエミリィの指先、クリスタルに興奮の震え。
『サラディン?』ヴィジフォンのスピーカに割って入って〝キャス〟の声。『サラディンって、あのベン・サラディン?』
「余計な口を挟むな!」ジャックの声が問いを断ち切る。
『いいじゃない、このくらい』抗して〝キャス〟の声に険。
「手前、」エミリィが声を尖らせる。「――ナヴィゲータを替えたのか?」
「替えずに済む話か」ジャックの瞳に鋭く光。「過去を抱えて平気でいられるほど鈍くない」
「の割には、」エミリィが衝き込む。「時計やらツラやら未練たらたらに見えるがね」
「ナヴィゲータの経験データなんぞ爆弾にしかならん」眼を細めてジャックが凄む。「――喧嘩を売りに来たのか?」
『2年前に消えたあのサラディン?』〝キャス〟が尖った空気に水を差す。『何よ何、この馬鹿が隠してるのって?』
「聞かせてねェのかよ?」エミリィが拍子抜けしたように投げて問い。
「当たり前だ」ジャックに即答。「爆弾を増やすような真似ができるか」
視覚、〝キャス〟が割り込ませて検索データ。『ベン・サラディン:ゲリラ〝自由と独立〟首魁』
「やめろ、〝キャス〟!」凄味を帯びてジャックの声が飛ぶ。「デリートされたいか!?」
『できるもんならやってみろってのよ』嘲弄混じりに〝キャス〟の声。『この2年で必死こいて集めたデータを今さらパァにできるんならね』
「データを?」エミリィの眉に怪訝の色。「集めてた? ――この2年で?」
ふて腐れたようにジャックが天を仰ぐ。「――別にあきらめたわけじゃない」
「――なら、」エミリィの唇、端に舌先が覗く。「いいじゃねェか。取っておきの逆襲ネタだぜ?」
「やめろと――!」ジャックの声がなお尖る。
「〝ヤツら〟と!」遮ってエミリィ。「〝ブレイド〟中隊! それにサラディンがつるんでた話だ! ――テイラーのヤツもな」
――睨み合い。束の間、降りかけて沈黙――そこへ割り込んで〝キャス〟の声。
『〝ブレイド〟中隊、ねェ? あーらとっくに解散――んでこっちも2年前』
「いい加減にしろ、〝キャス〟!」ジャックの声がはらんで怒り。
『匂うわねェ、因縁が』いっそ機嫌を踊らせて〝キャス〟の声。『いいじゃない、いっそ白状しちゃえばさ』
「いつもそんな調子かよ?」呆れ半ばに訊いてエミリィ。「とんだ水と油じゃねェか」
『そーそ』頷かんばかりに〝キャス〟。『この秘密主義者、無駄に口が堅いったら』
「性格で選んだわけじゃない」機嫌を傾けたままにジャックが答える。「そういうお前はどうなんだ?」
「……そりゃな」エミリィの声にも冴えはない。「替えたさ。裏に馴染むにゃ仕方ねェ」
「――生き延びるためだろうが」ジャックが衝き込んで一言、「死に急ぐためじゃない。違うか?」
「このネタなら話は違う」あくまでエミリィが意地を貫く。「――ぶちまけたが最後、軍も監査局も無視はできねェ」
「――だったら、」ジャックが声から表情を消した。「なおのことだ、〝ヤツら〟に教えるようなマネができるか」
「まだ言うかよ?」エミリィの目許に検。
「それに――」ジャックがひときわ声を低めた。「お前を死なせたら、それこそあいつに申し訳が立たん」
「この……!」
激情――理屈より先に身体が動いた。
弾かれたようにエミリィが踏み込む――深い。
瞬間のうちに間合いが詰まる。対し、ジャックも床を蹴った。椅子を蹴倒し、自ら前へ踊り出る。
速い――戸惑いがエミリィの眉根に乗った。だが構わずに彼女は右手、抜く手も見せずに得物の切っ先を衝き込む。
ジャックも舌打ち。うまくかわしたつもりが、切っ先の感触がかすめて頬。しかしエミリィの懐には入った。伸びた相手の腕に自らの腕を絡ませようとして――違和感。ジャックが咄嗟に腕を引っ込める。
勢いそのまま、エミリィがそこへ右の膝。紙一重、衝き込まれるその軌跡を左腕で捉えたジャックが脚を伸ばし――エミリィの軸足を絡め取る。
もろともに転倒、ただし分は意図したジャックの方にある。脚をそのまま相手の背後へ絡め上げ、関節を極める。
「く……!」
小さい悲鳴がエミリィの喉に上った。
「何のつもりだ!?」
詰問がジャックの口に上る。さすがに声が硬さを帯びた。
その眼に、エミリィの右手が留まった。中にあったのは、ナイフならぬルージュが一本。それが彼女の右手を離れ、床で二つに折れていた。
「へ……鍛えてるじゃねェか」苦しまぎれ、というよりは皮肉に近い声を、エミリィは絞り出した。
「そいつァ何のためだ、え? ケチな賞金首相手に追っかけっこやるためか? ポリスの犬っころになって、ゴミ溜めン中駆けずり回っていたいってのかよ!」
エミリィの声が次第に怒気をはらんでいく。
「〝あいつに申し訳が立たない〟だ? それじゃ我が身大事で隠れてりゃ申し訳が立つってわけか!」
「お前……」
痛いところを衝かれたのは確かだった。その痛みが怒りを呼ぶ。しかし、感情が形を取るその前に、エミリィの声が沈んだ。
「それじゃあんまりだぜ……くたばっちまった連中に何て言ってやりゃいいんだ……」
ジャックに沈黙――。思わず極めた脚を緩める。だが、エミリィには抜け出す素振りもない。
ジャックは身を起こした。折れたルージュに眼が留まる。
「……こいつは?」
ふと、問いの言葉が洩れた。
「……別にいいだろ、そんなもん」
「折れてるぞ。大事な物じゃないのか」
シラを切る気さえ起こらない、とでも言いたげにエミリィが応じる。
「……いつだったか、どっかの馬鹿がくれてよこしたのさ。〝たまには着飾ってみるのもいい〟ってね――阿呆らしい、そんなに見たきゃ眼の前に出てこいってんだ」
返す言葉が、ジャックにはなかった。かつて救えなかった戦友の顔が脳裏に浮かぶ。その耳に、嗚咽にも似たエミリィの呟きが届いた。
「……畜生……」
気まずさが、沈黙の姿を取って部屋に満ちた。
「逃げろ――まだ今のうちは」
「はン、まだそんなこと……!」
苛立ちも露わに吐き捨てかけたエミリィの科白を、ジャックが遮る。
「協力はする」
唐突な譲歩が聴覚を通り抜ける――エミリィは眉をひそめた。ジャックが言を継ぐ。
「だから、今は逃げてくれ。これ以上はもう死なせたくない」
独り言にも似た言葉に滲んで疲労。
「あの時は、誰も助けられなかった――あんなのはもう御免だ」
「遅いぜ……それじゃ」
「頼む――今は、お前を巻き込むわけにはいかない」
ジャックの口調が変わった。肚を決めたかのように――そのことにエミリィも気付いて顔を上げた。ジャックが言を継ぐ。
「この先の希望を繋ぐためだと思え。逃げて、生きていたら力を貸す。焦って全てを無駄にするな――あいつらのためにも」
「……言ってくれるぜ」言われたエミリィが、小声で答えながら上体を起こす。「そんなこと言って、アテがあるのかよ――どうした?」
ジャックの表情が緊張をはらんで硬い。壁越し、見えるはずのない外を睨む。〝キャス〟の警告が聴覚に届いていた。
〈微弱だけど反応あり。最少で3人、ここへの侵入ルートに入ってるわ〉
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