1―5.口火

〈〝グリーン・アルファ〟より〝ナイト・バード〟、待機位置に到着。指示を待つ〉

〈こちら〝ナイト・バード〟、了解。待機せよ〉

 オオシマ中尉の指示が飛ぶ。配置完了まで残り1班。


「?」

 反射的にロジャーは身を隠した。

 〝カーヴァ・ストリート〟の一角、ジャックのアパートメントにほど近い路地裏。組織立った動きで音もなく横切る一団がいる。人気のない一角に黒づくめの耐弾装備、それが銃を携えているとなると――穏やかな話であるはずがない。

〈おーやおや。なあ〝ネイ〟、あいつらどこに向かってると思う?〉

 問うそばから、ロジャーは一団の後を尾け始めた。

〈声が笑ってるわよ、気色悪い〉言いたいことは先に言っておいてから、〝ネイ〟は問いに応じた。〈どこで誰がドンパチ始めようと知ったこっちゃないわ、あっちにはジャックの部屋があるけど――〝当たり〟だと思う?〉

〈だったら面白いよな〉物騒な期待をロジャーは平然と口に上らせる。〈わざわざ口説く手間も省ける〉

〈今度ジャックに教えてやろ。どんなお礼くれるかしら〉

〈もらえてせいぜい鉛弾だよ、やめときな〉言っている間に、ジャックのアパートメントが見えてくる。〈エミリィから応答は?〉

〈何もなし〉

〈つれないよなァ、せっかくうまい話がいい匂い立てて転がってるってのに〉

〈普段の行いが行いだもんね〉

〈何言ってる、オレは深ァい愛情でもって接してるぜ〉

〈でっかい煩悩の間違いじゃないの? ……ロジャー!〉

 〝ネイ〟に促されて視線を流せば、物陰に足を止める一団の姿が眼に入る。

〈どうやら〝大当たり〟だぜ、〝ネイ〟〉ロジャーは舌なめずり一つ、〈こいつァ例のブローカの関係者か……ってもこの人数相手に正面から仕掛けるわけにゃいかねェか。さて、どうしたもんかね……〉


〈他に反応は?〉

 ジャックが〝キャス〟へ投げて問い。

〈まだ反応ないけど、他がいなきゃただのバカ。いたら――包囲か突撃か、どっちにしろロクなもんじゃないわね〉

「尾けられたか?」

 壁を睨んだまま、エミリィに問いを投げてみる。

「いや――まさか〝ヤツら〟が?」

「遅かったな」その独語が変則的な回答だった。「〝ヤツら〟の狙いは俺だ。下で連中を引き付けるから上から逃げろ」

「待てよ……」

 ジャックがエミリィを立たせ、ソファ・ベッドを引っくり返す。

「5階から隣の屋上に抜けられる。〝ヤツら〟はうまいことやり過ごせ」

「待てってんだよ!」

 ジャックが懐のホルスタからサヴァイヴァル・ナイフを抜いた。ソファ・ベッドのクッションを切り開き、中からケースを引きずり出す。

「このままじゃ2人揃っておだぶつだ。先手を打って時間を稼ぐ」有無を言わせずジャックは告げた。「心配するな、そう簡単に死んでたまるか」

 ケースを開けて、中に納められた部品を手早く組み上げる――突撃銃バッカスAR110A2ヴァリアンスと予備弾倉4本。

「何かあったら〝ティップス〟の伝言板にメッセージを入れる――キィワードは〝臆病者〟と〝折れたルージュ〟、忘れるな」

「……〝心配するな〟だ? よく言うよ」エミリィは声を緩めてジャックの正面にかがみ込んだ。ジャックの頬に手を伸ばして、「こんなとこにさっきの跡が付いてるぜ。こんな顔でカッコつけたって締まりがつくかよ」

 ルージュの跡に不意打ちのキス。驚くジャックに笑いかけ、

「景気づけだってさ。あいつが言ってた」ジャックの困惑顔を鼻先で笑ってみせる――が、その当人が顔を耳まで赤くしていては様にならない。「オレにゃ似合わないけど、な」

「……いつの間にそんなに軽くなったんだ、お前」

「あんまり景気づけにゃならなかったか……あの女か?」エミリィの口元に苦笑。「へ、けっこう未練あるじゃねェの。それなら死ぬ気はなさそうだな」

 エミリィはジャックにデータ・クリスタルを押し付けた。「こいつ、預けとくぜ」

「……俺が持ってちゃ意味がないだろう」

「〝ヤツら〟に渡すなよ」クリスタルを返そうとしたジャックへ一方的な宣告。つまりはやられるな、と。「落ち着いたら眼を通してくれ。オレが焦るわけも判る」

「言ってくれるな。こいつがどういうことか解ってるのか?」

「解ってるさ。あんたが捕まりゃオレもおしまいだ――頼むぜ」

「まったく、いつからそんな楽天家になったんだ」

 ぼやくジャックの手にはMP680ケルベロス、銃身下のオプション・レールに折り畳み式グリップを取り付けて、懐のホルスタへ戻す。ジャックが突撃銃を構え、ドアの傍らへ。

〈〝キャス〟、侵入者は?〉

〈さっきから固まって動かない。いよいよもって怪しいわね〉

「よし、仕掛けるぞ」振り返ってジャックが告げる。「今のうちだ」


〈こちら〝グリーン・チャーリィ〟、待機位置へ到着〉

〈よし〉待ちかねた、とは声に出さずオオシマ中尉が回線を開く。〈〝ナイト・バード〟より〝グリーン〟各班へ、突入!〉


〈〝グリーン・アルファ〟了解〉

 指ひとつで部下へ合図を送り、アパートメントの正面入口をくぐる。〝グリーン・アルファ〟の3人は、気配を殺して廊下の半ば、階段室へと踏み込んだ。そのまま上、7階にあるジャックの部屋へ。

 途中でいきなり照明が落ちた。暗がりの中にくぐもった悲鳴――。

 前衛の一人が突如、弾かれたようにのけぞった。バランスを失い、階下へ転げ落ちる。

「敵襲!」

 思わず声が出た。2人揃ってその場に伏せ、弾道の大元へ眼を凝らす。その眼前へ拳大の物体が、弧を描いて飛んできた。

 炸裂――。同時に煙が吹き出す。悪態一つつく間もなく、視界を潰して黒一色。

〈くそ、撃つな! ――〝ナイト・バード〟、こちら〝グリーン・アルファ〟!〉

 高速言語でまくしたてるリーダの声は、冗談にも沈着とは言いかねた。


〈目標に遭遇! 奇襲を受けた――1名が戦闘不能、目標は煙幕を張って逃走!〉

「退いた……?」聞いた少佐が疑念の呟きを舌に乗せる。〈くそ、〝ナイト・バード〟より〝グリーン・アルファ〟、敵へ向けて撃て! 盲撃ちでいい、続いて後退、急げ!〉

「少佐?」

「退いたと見せて隙を衝く――ヤツも私も散々使った手だ」

「さらに機先を制してその隙を煽る、と。なら正攻法に持ち込んでやりますか」

 オオシマ中尉は再び回線を開く。

〈こちら〝ナイト・バード〟、プラン変更。〝グリーン・デルタ〟は現状維持。〝グリーン・チャーリィ〟は目標の〝部屋〟を押さえろ、入り口だけでいい〉眼で少佐に問うて、止める様子がないのを確かめる。それから中尉は言を継いだ。〈〝グリーン・ブラヴォ〟は〝グリーン・アルファ〟に合流。その後各班は突入、目標を非常階段へ追い立てろ――〝グリーン・エコー〟に後は任せる〉


 跳弾の火花が周囲を照らす。

「いつもの手が読まれてるな」ジャックは密かに舌を打つ。「てことは、こっちの素性は承知の上か……」

 通路の壁に張り付いてドアの横、キィ・ロックの端子に携帯端末からケーブルを繋ぐ。

〈〝キャス〟、空き部屋のロックを外せ――片っ端から〉

〈そんなもんで足止めのつもり?〉

〈相手が素人じゃなきゃ警戒してくれる。やれ〉告げてジャックは通路の先、非常口に眼を留める。〈非常階段の方はどうなってる? 順当なら次はそっちから来るぞ〉

〈部屋のロックは外したわ。ドア開けるのは自分でやって〉

 自動ドアなどではないのだから当然のことではある。

〈非常口は上から下まで異常なし――ロックだけはね。言っとくけど外の様子は訊かないでよね、あそこのカメラったら半年も……〉

〈くそ、エレヴェータをよこせ――照明なし、急げ!〉ジャックが割り込んだ。銃口を反対側、階段室に振り向ける。〈それから〝ティップス〟に伝言、〝〝臆病者〟から〝折れたルージュ〟へ――外出待て〟!〉

〈いいけどね……発信終了。エレヴェータはあと5秒……〉

 そこでジャックがケーブルを引き抜いた。ドアを開けて回りながらエレヴェータ前へと走る。

〈何よジャック、カンオケ趣味か自殺志願? おまけにヨタ話たれ流したりして、とうとう頭イカれたの?〉

〈ロックをいじってないなら、狙撃兵が外にいる。〝ヤツら〟、非常階段へ追い出してケリを着ける気だ〉

〈彼女も外に出りゃバレるってわけ? よく判るわね〉

〈でなきゃとっくに挟み撃ちを狙って来てる〉

 眼前、エレヴェータのドアが開いた。飛び込むが早いか、ドア脇に火線。

 弾丸は階段室から。ジャックは操作パネルへ指を走らせる――行き先は上階全て。

 ドアがひどくゆっくりと閉じていく。その隙間から外へ、連射モードのケルベロスで牽制の一連射。地に伏せる敵の気配が音に混じる。

 手を引いたジャックは得物を突撃銃に持ち替えた。畳んでおいた銃床を伸ばして天井のメンテナンス・パネルへ打ち付ける。

 ドアが閉じると同時にパネルが外れた。突撃銃のストラップを一方だけ外して口にくわえると、突撃銃を足がかりに天井へと手を伸ばす。リフタが上昇を始めた。

 そこへ外から銃撃。銃弾の雨がジャックの足元をかすめ、突撃銃を弾く。暴れ出した突撃銃が口元のストラップをもぎ取り、足がかりを失ったジャックの身体が落ち込んだ。

 間一髪、手がパネルの縁にかかった。力任せに自身を引き上げる。

〈〝キャス〟、非常停止!〉

 〝キャス〟が無線ネットワークからエレヴェータの制御に割り込む。2階と3階の間、半端な位置でリフタが止まった。ジャックがその上へ転がり出る。

「たく、派手にやってくれる……」

 エレヴェータ・シャフトの内壁、非常用の梯子に手をかける――そこでジャックが動きを止めた。見上げた先――3階のドア、シャフト側に異物がある。

「くそ……!」

 〝キャス〟が、センサで捉えた物体の輪郭を網膜に映す。遠隔操作の指向性対人地雷EXM322マンドラゴラ――それがジャックの知る、異物の正体だった。


「待ち伏せ狙いとは余裕がないな」〝グリーン・アルファ〟からの映像を眼にしたハドソン少佐は、口髭へ手を伸ばしつつ眉をひそめた。「なぜ逃げない? 時間稼ぎか、それとも罠か……ヤツめ、何を考えている?」


 7階、最後の敵が階段室を抜けた。

 息を潜めていたエミリィは8階、階段の手摺から身を踊らせる――7階の入り口は通らず、さらにその下へ。

 ジャックが仕掛けたとみえて、下階からは殺気が派手な音に乗ってくる。聞き慣れた着弾の音が聴覚へ。構わず駆け下りて5階、ジャックの示した窓際へ身を寄せる。

 思わず舌打ち――。

「丸見えじゃねェか……」

 窓から1メートルとおかずに隣の屋上へは届く。だが階段口までは悠に10メートル、その間は遮るものさえない。

「そりゃ守るにゃいいだろうけどよ……」

 見るに、屋上を見下ろせるビルが半径100メートル内に少なくとも3ヶ所。下手をすれば狙撃のいい的になる。覚悟を決めるか――肚を据えかけたところへ横槍が入った。

〈〝ティップス〟に伝言――〉懐のナヴィゲータ〝ウィル〟が高速言語で告げてくる。〈〝〝臆病者〟より〝折れたルージュ〟へ――外出待て〟〉

〈〝待て〟だ? あいつ何考えて――〉それでも悪態は高速言語で呟くに留めたエミリィが、さらに舌を打つ。〈いる、ってのか……〉

 つまりは十中八九、狙撃兵がいるということ。撃たれないまでも面が割れる可能性は充分にある。

〈くそ、もうアミん中には入っちまったしな……〉

 すでに敵の包囲網の中、下手に動けば気取られる。意を決しかねていたエミリィだったが、エレヴェータ操作パネルを眼に捉えるなり肚をくくった。

 階下で動いてエレヴェータ――となれば、戦場が動くということに他ならない。移動するにしろ留まるにしろ、もはや危険は避けようがない。

〈〝ウィル〟、隠れるぜ。空き部屋あるか?〉

〈性分じゃないな〉

〈カミカゼだけが戦法じゃねェだろ!〉言わせるな、とは肚の中でだけ呟いて、〈性分じゃねェのはこっちだって同じだ、とっととやんな〉

〈……すぐ後ろ、512号室。いつでもいける〉

 階段室からは眼を離さず後ずさり、ドアのロックへ〝ウィル〟を繋ぐ。瞬時にロックの解けたドアを後ろ手に開けて、そのまま背中から室内へ。

 視界に人のシルエット。間近に現れたその姿は敵のもの――反射的に身を沈め、反動を利して床を蹴る。銃口を向ける暇も与えず、腹部を狙って掌底を繰り出す。

 側頭部に違和感――。

 緊迫の鼓動を心臓が刻む。エミリィは動きを止めた。止めるしかなかった。支えを失ったドアが音もなく閉じていく。

 紛うはずもない――それは銃口の感触だった。

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