望まぬ王冠<王族を恨む娘に恋した王子>
三島 至
【短編】
毒見が終わった後の冷めた食事は、いくら高級な食材で、一流の料理人が作っていようとも、不味く感じる。
兄弟達はことごとく毒殺された。出される食事に口をつけるのも、嫌にもなるだろう。
気を張らずに、安心して温かい料理が食べたいものだ。
慣れてはいるが、一人の食事も味気ない。母がいた頃を思い出しては、一層虚しく感じた。広いテーブルに並んだ豪勢な料理を一人で食べていると、腹の代わりに胸が空っぽになっていくようだった。親しい人と共にする、質素でも賑やかな食事に憧れた。
下町に出向くようになったのは、それが理由だ。
身分を隠して髪を染め、大衆食堂に通う。すると、隣の席にかけた顔見知りが気軽に話しかけてくる。
食堂の常連は大体知り合いだが、彼らは話しかけている相手の身分など知らない。歳若い自分に、人生の先輩として色々な話を語って聞かせてくれる。その態度が心地よかった。
ここでは自分は、ただのイストという十六歳の少年だ。
殺伐とした、暗殺に怯える日常を思い起こさせることのない、穏やかな時間が流れる場所だった。
注文した料理が運ばれてくると、イストはナイフを持ち、焼かれた直後で湯気を出している肉を大きめに切り分けた。
初めてここで食事をした時、小さく切って口に運んでいたところ、「ずいぶん上品に食うんだなあ」と言われたので、それからは気を付けている。その時一口ずつゆっくりと咀嚼している者は、イスト以外に居なかった。
この店に女性客あまり来ない。イストのような若者も少数派だが、常連は殆ど中年男性だ。
周りに倣って、なるべく豪快に見えるように、大きく口を開ける。もう慣れたものだ。自分は違和感無く店に溶け込めているだろう。
料理を味わっていると、イストの隣に座っている男性客が、店主のダリマーと話し始めた。
「そういやあ、また例の貴族の悪い癖が出たよ」
最初に口を切ったのはダリマーだ。
「今度は、メリルちゃんに目を付けたらしい。あの子も元貴族だからよ、どこか品があるだろう? 気に入って、妾にしようとしているみたいだ」
「そんなの、あのメリル嬢が了承するわけねえだろ」
否定した男性客に対して、ダリマーは首を振った。
「了承も何も……拒否権なんて無いじゃねえか。逆らったら何をされるか分からん。気の毒だが……」
「強欲貴族が……何人女を囲えば気が済むんだ。これだから貴族は嫌なんだよ。いや、メリル嬢は別だけどよ。彼女も被害者だからな……だけど大概の奴は、俺達平民を同じ人間とすら思っちゃいねえ」
ダリマーと男性客は大きく溜息を吐いて、二人揃って顔を歪めた。
このような話題は度々出る。下町の近くに居を構える貴族が、悪徳で有名なのだ。
知ったのは下町に来るようになってからだ。特に珍しくも、いちいち出て行くような問題でも無い。地方にいけば、もっと酷い扱いを受けている平民もいる。例の悪徳貴族は、まだましな方だろう。
権力ある者が下位の者を虐げている事実は、イストの心に何の感慨も残さなかった。噂を耳にしてから、何か行動を起こした事も無い。
イストもまた、虐げられてきた者だが、ずっと耐えてきた。耐えすぎて、もう心は麻痺してしまった。
イストは大衆食堂を出ると、通りの店に顔を出した。
下町ですることといえば、ダリマーの店で食事をする事と、後は知り合いの店を見て回るくらいだ。町の人々も、愛想良くイストに話しかけてくれる。
必要な物は自分で買わずとも手に入るが、こうして実際に眺めるのもいい。自分が本当にこの町の住人になったかのような錯覚に陥る。要はただの現実逃避だ。
果物を売る中年女性の店員と会話を楽しんでいると、不意に彼女が嫌そうに眉を顰めた。目線はイストの後方、大通りに向いている。
どうしたのか問う前に、「ああ嫌だ、またあの貴族が来たよ」と店員が言ったので、彼女が不機嫌になった理由が分かった。
店員に合わせて、イストも困ったように眉を下げた。いかにも気弱そうな、権力に怯える少年の顔を作る。
――貴族ねえ。貴族の何が偉いんだか。
苦い表情の裏で、イストは毒を吐いた。
イストは基本的に、貴族に対して良い印象を持っていない。
兄弟達が生きていた頃、陰では下賤の子と罵られ、でしゃばれば彼らに排除されそうになり、生まれてきた意味を否定され続けた。
目立つ事をしなければ、率先して始末される事はなかった。代わりに他の有力候補が先に殺されていった。彼らは最初から、末の王子が脅威になり得るとは考えていなかった。
イストは忘れ去られていただけの存在である。兄弟達がイストを無視して、勝手に殺し合っただけだ。そして下賤の子だけが生き残ったのだから、誰も得をしない結果になったと言える。勿論イストにとっても。
イストの事を散散見下し、扱き下ろしてきた貴族連中が、唯一の跡継ぎとなった自分に今更媚を売ってきた所で、どうしようとも思わない。イストは冷静に、掌を返した貴族達を排除した。平民の側室だった母を死に追いやった者達には、相応の報いを受けさせた。
復讐という程のものでもない。イストは何の努力もしないで、権力を手に入れたのだから。
見返してやったという気持ちは起きなかった。寧ろ、全てが虚しかった。
実を言うと、この町で評判の悪徳貴族を見た事は無かった。
興味など無かったが、町で遭遇すると面倒だ。顔くらいは覚えておいた方が良いかもしれない。馬車の音は聞こえなかったから、何処かに停めて歩いて来たのだろう。どんな顔か見てやろうと思い、イストは遅れて店員の視線を追った。
イストが振り向いた時、丁度悪徳貴族らしき男性と目が合ってしまった。
瞬間、まずい、と思う。彼の目に嫌悪が見えたからだ。
平民と目を合わせる事が嫌だったのか、それとも別の理由からかは分からなかったが、その貴族は眉間にしわを寄せて、イストの立っている方へ足を向けた。つかつかと歩いてくる。面倒を避けようと思ったのに、先に面倒を呼び寄せてしまったようだ。
はっきりと顔を見られている。どうせここで逃げても、厄介な事に変わりは無い。諦めて、彼が来るのをその場で待った。
貴族男性は、イストの前まで来ると、上から見下ろし睨みつけてきた。彼の方がやや背が高い。
彼は舌打ちして、忌々しげに言い放った。
「おいお前、見ない顔だな。気に食わない顔だ」
顔がお気に召さなかったらしい。言いがかりだと思いつつ、この町の住人ではない事を告げる。
「ここへは旅行で来ているのです」
「気に食わん。名前は」
理由も気に食わないと言う。この男はとにかくイストのやる事成す事否定したいのだろう。
少し懐かしさを覚えた。嫌な感じだ。
「イストといいます」
それでも善良な一般人を装い慇懃に答えると、彼は「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前、この町には二度と来るな。私の行く所に顔を見せるな。イストという名の男は町に入れないように手配しておく」
当然のように理不尽な要求をしてくる。
適当にこの場を流そうと思っていたが、流石に町に入れないのは困る。数少ない息抜きなのだ。今すぐ強制的に追い出されては厄介なので、対処するために彼の名前を聞き出しておこうとした。
「貴方は何という名前なのですか」
名前さえ分かれば、イストの権限でどうとでも出来るだろう。軽く考えて口にしてしまったが、彼は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてきた。
「お、お前!この私を知らないのか!」
思ったより幼稚で扱いづらい相手だ。旅行者だと言っているのに、名前を知らないと怒る。
後で調べれば良かったと、少し後悔した。周りには遠巻きに町の住人が集まって来ており、心配そうな表情でこちらを見ている。イストの事を案じてくれているようだ。
あまり目立ちたくは無い。今からでも何とか穏便に済ませたいと思い、言葉を選んでいると、貴族男性が「ゾラン・ステヴンだ! 二度と言わんぞ」と喚いていた。
耳には入っていたが、考え事をしていたので、結果的に無視する形になってしまう。
はっとして何か言おうとしたが、彼が激昂して拳を振り上げる方が早かった。
「腹立たしいやつだ! 何とか言ったらどうだ!」
冷静に――この場は、大人しく殴られた方が良さそうだ、と判断する。勿論、衝撃は受け流すが。
そのまま拳を待ち構えていると、何かがゾランの前に立ちはだかった。庇うようにイストに背を向けて、ゾランと対峙している女性がいる。
顔は見えない。体の線が細く、しなやかだ。髪は一つに、きっちりと纏められている。
「子供に手を上げようとするとは、何事だ、恥さらしめ!」
イストより背の低い女性が、凛々しい声を張り上げる。そんなに子供じゃないけど……と思いつつ、成り行きを眺めた。ゾランの顔を見ると、イストと目が合った時とはまた違った表情で歪んでいた。
「メリル嬢、わざわざそちらから出向いてきたのか。何、ちょっと礼儀知らずの平民がいたものでね。気にする事はない、すぐに済む」
幾分声も柔らかい。だが相手を見下す雰囲気は変わらず、自分が圧倒的優位に立っているという自信が声音に表れていた。
――メリル嬢?
先ほど食堂で聞いた名である。今目の前に立っている彼女こそ、ゾランに目を付けられた哀れな女性なのではないか。
「何度も言うが、私は貴方の妾になるつもりは無い」
メリルと呼ばれた女性は、屹然とした態度で言い返した。
「こちらも何度も言うがね、上位の者の言う事は絶対だ。元貴族とは言え、君はもう何も持たない町娘だろう? 私に選ばれるなんて運がいい。妾になればもっといい生活が出来る。何にせよ数日の内には強制的に屋敷へ連れて行くから、そのつもりで」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように、ゾランが殊更丁寧に説明した。イストにも状況がよく飲み込めた。
「私はそんな生活を望んでいない」
反抗する態度を崩さないメリルに対し、ゾランは肩をすくめて口を閉じた。諦めたわけでは無く、呆れているようだった。
イストへの興味を無くしたのか、メリルとの会話を最後に、ゾランは側にいた従者へ「行くぞ」と声を掛けた。
「邪魔だ、どけ」と言い、人垣を手で散らしながら、ゾランは大通りの人込みに紛れていく。やがて完全に見えなくなった。
イストを助けてくれたようなので、礼を言おうと思い、イストは女性の後ろ姿に声を掛ける。
「あの、ありがとうございました。助かりました」
メリルが振り返った。
後ろ髪は束ねてあるが、顔をイストに向けた時、前髪は頬にかかっていた。彼女は邪魔そうに、髪を指でかき分ける。彼女の目が見えた。
「礼には及ばない」
物々しい話し方とは裏腹に、ほっそりと小さな顔に、厚い睫毛で縁取りされた大きな瞳が鮮烈だった。あまり見ない金色の瞳。朝露を落としたように光を反射して、月の色が輝いている。頬は陶器のように白く、滑らかだ。
これなら確かに、貴族の屋敷で大切に囲いたくもなる。そう思ってしまう程、彼女の顔立ちは整っていた。
――不覚だ。
どんな豪胆な女性かと思えば、見た目は全く真逆ではないか。
凛々しい口調と可憐な外見が相俟って、異様な魅力を放っている。
意志の強い眼差しが、イストを見ていた。
着飾らない美しさがある。華美な服装ときつい香水を纏って言い寄ってくる女性達とはまるで違うものだ。
それは本能だった。何を警戒するでもなく、ただ純粋に、欲しいと思った。
「僕は旅行で度々この町に来ています、イストと言います。貴女の名前を伺ってもいいですか?」
イストは即座に外面を作り上げる。下心など無いかのように、感謝の念を前面に出して、人の良い顔を模った。
「メリル・アーガストだ」
メリルは疑う素振りも無く、笑顔で名乗り返した。
メリル・アーガストは、「そこの下宿で働いている」と言って、通りから見える建物を指差した。
年齢は、イストよりも年上だろうか。二十歳か、少し下に見える。
可憐と言っても、彼女はどちらかと言えば中性的な見た目だ。男装すれば、綺麗な男性に見えるかもしれない。今も女性用と思われる服を着ているが、動きやすさを重視したような服装で、きびきびとしている。背筋が真っ直ぐと伸びており、対面すると、こちらも思わず姿勢を正してしまいそうだ。
何とか親しくなろうと、イストは色々と話題を振った。必死な心情を決して悟らせない表情で、メリルの事を知ろうとする。御礼もかねてと言いながら、巧みに彼女と会話を続けた。そこで下宿の話も出てきたのである。
メリルは落ち着いていて、ゾランとのやり取りを見ても、物事に対してあまり動じない性格のようだ。
彼女が進んで話そうとしたわけではないが、持ち前の話術で“元令嬢”のくだりも聞きだした。
アーガスト家は没落貴族、血縁はもう居ないとの事である。下宿の主人が、亡くなったアーガスト家の当主と知り合いで、厚意で置いてもらえているのだという。
「父に恩があると言って、路頭に迷う所だった私を拾ってくれたのだ。下宿の主人には感謝してもしきれない」
町の住人はゾランのせいで貴族嫌いのようだが、メリルに関しては好意的に接している。アーガスト家は没落前までこの街に貢献していた貴族だったようだ。メリルも元は貴族でありながら、その言動の節々に、貴族を良く思っていない様子が感じ取れる。
「さっきの……ゾラン・ステヴンさんでしたっけ。あの人に妾になれと言われて、迷惑しているんですよね? だからメリルさんも、貴族が嫌いなんですか?」
ゾランの時と同じ失敗をしないように、顔色を窺いつつ、慎重に尋ねる。
メリルはイストの顔を見つめ、逡巡した。「いや……」と言いかけて、目を逸らす。ぽつりと、「あれは関係無い。個人的な恨みによるものだ。それに……」再びイストを見る。
会って間もない相手に、話していいものか迷っているのだろう。油断を誘う笑みを浮かべ、続きを促す。
――何も警戒する事は無いですよ。
「……私が恨んでいるのは、貴族というより、王族だ」
メリルはそこで言葉を止めた。
ぎくりとする。
メリルとは初対面なのだから関係無いと思ったが、王族という言葉に反応しそうになった。動揺が表に出ないよう、顔に力を入れる。
「それはまた、どうして」
神妙な顔で聞いたが、
「すまない、まだ仕事が残っているんだ」と言って、メリルは会話を終わらせようとした。長く話しすぎたようだ。
すかさず、「また会ってくれませんか?」と、重く受け取られないよう気を付けながら言った。無理には引き止めない。あくまでも、友人になりたいのだと匂わせて。
メリルは数度瞬きする間考え込んで、「私でよければ」と答えた。
害はないと判断されたようだった。
メリルは基本的に下宿に行けば会えると言った。イストはそれを心に留めて、下町を後にする。
食堂でメリルの話題が出た時は、干渉するつもりは毛頭無かった。しかし、こうなっては話は別だ。
メリル・アーガストはまだ、誰のものでもない。妾になどさせてなるものか。
彼女を手に入れるために、イストは自ら動く事を決めた。
王族が相次いで亡くなり、今まで注目されていなかった末の王子が、王位継承権第一位となったのは、国民の誰もが知る話だ。
彼の名前は、エイスリード・シャルレイン。
母親は平民出の側室で、強い後ろ盾も無かった。しかし王の寵愛を一身に受けていたため、他の妃たちの嫉妬を買い、早々に殺されてしまった。
母親の感性を強く引き継いでいた王子は、王宮の暮らしに馴染めず、母が亡くなってからはさらに王族や貴族に猜疑心を抱くようになっていた。
彼らは常に互いを監視しあい、蹴落とそうとする。暗殺は当たり前に行われ、エイスリードは息を潜めるように生活した。
王位になど興味は無く、争いに参加する気も無い。他の王子達に蔑まれ、見下されようとも、陰湿な嫌がらせや暴力を受けても、彼は黙って耐えた。
死にたいと思うほど絶望はしていなかった。母が死んだ時より辛い事は、もう無いと思っていたからだ。
母の時には何も出来なかったが、彼は自分のために何かしようとも思えなかった。少しでも反抗すれば殺される。味方のいない王宮で生き延びるには、目立たないようにするのが一番だった。
十人以上いた兄弟は、いつの間にか数を減らしていた。
最後の数人は、互いが差し向けた毒や刺客で同時に命を落とし、気が付けば生き残りはエイスリードただ一人。誰も想定していない事だった。
王位争いで亡くなったのは、王子達だけではない。次期国王を産む可能性のある側室達も狙われた。
国王も高齢で、妃もどんどん減っていく。エイスリード以外の王子が全員死に絶えたところで、王位争いは収束を見せた。
多くの人が死に、誰もが疲れていたのだろう。周りは掌を返し、エイスリードを持ち上げ始めた。彼が王位を継ぐのは、殆ど決定事項だった。
王宮の隅で、ひっそりと過ごしていたのに、急に重責が増し、エイスリードは疲れ切っていた。
王族として教育だけは一応されていたとはいえ、学ぶ事は多い。彼に拒否権は無いのだ。毎日の忙しさに嫌気が差し、彼は王宮を抜け出すばかり考えるようになった。
今まで逃げて、隠れて生きてきた。逃れるのは得意だ。しかし一人で外に出るのは無理がある。
最初は一人きりだったが、王宮で少しずつ、信用出来る味方を増やしていった。そしてある時、下町へ行くことに成功する。
協力者を言いくるめて、一人で外出するようにした。戻るとは言ったが、いずれはそのまま帰らないつもりだった。彼は、外の世界で生きていこうと考えていたのだ。
何度か下町で過ごしてみると、食堂のダリマーを始め、気のいい人たちと親しくなり、別の気持ちが芽生え始めた。
国民の姿を、日常を見る事で、もっと国を良くしたいと思う自分に気が付く。段々と、彼らのためになることをしたいと思うようになっていった。
自分では擦れていると思っていたエイスリードは、下町の温かさを好きになった。
だが心にあるのは、綺麗な感情だけでは無い。困っている人を端から助けるほど、イストは善人では無かった。
自身の経験から、「酷い事」の基準も低くなっていたから、よくある話、些細な話だと、捨て置く時の方が多いのも事実だ。
“エイスリード”では、いかにも王族らしい。下町では、イストという、母親が二人きりの時に呼んでくれた愛称を名乗った。
平民は短い名が主流だ。貴族は、王家の血縁ならば長い名前の者もいるが、普通は遠慮して、短い名前にする。
エイスリードは王族によく現れる金髪だ。王族以外は貴族平民関係なく、茶髪や黒髪が多い。
金髪だと目立つので、髪は黒く染めた。王家の伝手で質の良い染髪剤を使っているので、髪はあまり傷めずに済んでいる。
平民で、黒髪、十六歳の少年イスト。
それが、王子エイスリードが下町に来る際の、仮の姿だ。
イストも毎日下町に出るわけではない。
たまに来る時は食堂や大通りの店を見て、必ず下宿にも寄るようにした。
数回通う内に彼女の仕事が終わる時間を把握すると、それに合わせて会いに行くようにした。長話はしない。通りかかったから、友人に声をかけただけという体で、挨拶を交わすだけだ。
しつこいと思われないように、彼女の中に良い印象が残るように心がける。下宿に行く時は、気合を入れて猫を被った。メリルと親しくなるのは、そう難しいことではなかった。
ゾランの件については、早々に手を打ってある。今頃彼は青い顔をしているだろう。ゾラン・ステヴンなど遠く及ばない、王家に縁のある貴族が、メリル・アーガストに関わるなと言っているのだ。「メリルはいずれその貴族に嫁ぐ予定だから、手を出せば分かっているな」と忠告しておいた。
時期的に、イストとの関係性に気付かれたかもしれないが、分かったところで彼に手立てはないので、別に構わない。少々きつめに脅させたので、ゾランはもう下町には来ないだろう。
メリルにも、ゾランがもう町に来られる状況では無い、という情報は流れるようにしておいた。町の住人の反応は、一安心といったところだ。貴族に嫁ぐ云々は、有耶無耶にする事が出来た。
イストは上機嫌だった。
これで心置きなく彼女に会える。
王宮ではにこりともしない、冷めた表情のイストだが、メリルと会っている間は顔が崩れるので、幼く見られる事もしばしばだ。
誤算ではあるが、それでメリルも気を許しているようなので、まあいいかとイストは思った。
下宿の出入り口近くにある椅子にメリルと二人で腰掛けて、彼女の話を聞く。
メリルは、貴族としての交友関係しか築いていなかったため、この町に来てからは同世代の友人がいなかったらしい。新しい生活に慣れるのに必死で、暇も無かったが、こうしてイストと知り合えて嬉しく思う、とメリルは語った。
周りは世話になった人ばかりで、砕けた会話を出来る相手はいない。しっかり自立して見える彼女は、ふとした時に寂しくなるのだ。彼女も友人に飢えていた。家族はもう、いないから。
「私が王族を恨んでいる理由を、気にしていただろう?」
家族の話で、メリルは辛そうな顔をする。以前言いかけた続きを、王族への恨み言を、彼女は口にした。
「父も母も、屑みたいな王族のせいで死んだ」
聞き役に徹して、彼女の横顔を見つめる。
「私は王族が嫌いだ。イストに、私の考えを押し付けるつもりは無い。これは個人の意見だ……
王子達が勝手に殺し合っていたのは、国民も知っているさ。だけど何で、王子が乗るはずだった馬車に、両親が乗らなければいけなかったんだ?
崖から突き落とされると知っていた、殺されると分かっていたなら、そもそも馬車に乗らなければいいじゃないか。だけど身代わりを用意した。他の王子達を、罠を仕掛けた相手を出し抜くためだけに!
勿論私も両親も、その事は知らなかった。王族のために死ぬつもりなんて無かった。でも噂はどうしたって流れてくる。どの王子が死んだ、また暗殺だ。跡継ぎが最後の一人になるまで殺し尽くして……身勝手な王族に振り回されて、一体何人死んだと思う?
どうせ残った奴も、ろくなものじゃない。どうして恨まずにいられるか。……吐き気がするよ」
メリルは最初、周囲を気にした様子で声を小さくしていたが、感情が高ぶった時には、抑えきれずに荒れていた。
穏やかではない話だ。令嬢の声に似つかわしくない。
王位争いで、何人も死んだ。王子も、妃も、それぞれの派閥の貴族達も。
彼女の話にあるように、身代わりを立てることもあったようだ。
身内に平気で毒を盛る彼らは、邪魔だと思えば、周りの貴族も平然と殺した。利用するだけ利用して、口封じに殺した。まだ産んでもいないのに、王子を産むかもしれないという理由で、若く美しい妃から先に殺した。イストの母も、あっけなく。
メリルの嘆きも、恨みも深い。王族を庇うような事を言うつもりは無かった。イストも同意見だからだ。
その“ろくなものじゃない”最後の王子が、イスト自身というのは、皮肉でしかないのだが。
強い憎しみの篭った瞳も美しかった。
彼女に惹かれるばかりだが、その目を自分に向けられる覚悟は、まだ無い。自分は死んでいった王族とは違うと言ったところで、彼女を無理やり自分のものにしてしまえば、説得力など皆無だ。彼女が真実を知った時、今と同じように接してもらえるとは思っていない。イストはいずれ、憎しみをその身に受ける事になる。
もう少しだけ、ただのイストとしてメリルの友人でいたかった。
「すまない、少し取り乱した」
メリルが、申し訳無さそうに眉を下げ、イストに顔を向ける。
「いいえ、気にしないで下さい」
イストはゆるく首を振る。いつも通り微笑んだつもりだ。
「イストは、礼儀正しいな」
「そうですか?」
「ああ。聞き上手だから、つい口が滑る。言い方も丁寧だし、柔らかい印象だ。話していて心地よい」
「僕も、メリルさんと話していると楽しいです」
月色の瞳が、三日月に細められた。
自分も、上手く笑えているだろうか。
下町に来られない日が続いていた。王子は結構忙しい。
時間があまり取れない時は、下宿にだけ行くようにしている。そのため、大衆食堂に行くのは久しぶりだった。
店の入り口をくぐると、恰幅のいい店主が大声で出迎えた。
「いらっしゃい!! と……あれ、イストじゃねえか。しばらくぶりだな」
イストはカウンター席に掛け、穏やかな声で挨拶を返す。
「お久しぶりです、ダリマーさん」
「最近来なかったけど、面倒事はもう落ち着いたのか? 何にする? ちなみに今日のお勧めはこの肉を焼いたやつだ」
ダリマーがメニューを指差して聞いてくる。彼は気を利かせて、先に水を持ってきた。
礼を言って出された水に口をつけながら、「お勧めは、って、いつも肉しか勧めないじゃないですか。まあ、じゃあそれでお願いします」とお決まりのやり取りをする。
注文を聞いたダリマーは、奥の厨房へ下がっていった。
喉が渇いていた。水を一気にあおると、音も立てずに、グラスを置く。
飲み方までは良かったが、つい癖が出てしまった。それを見る人はいなかったが、イストの仕草は、一つ一つが優雅だった。
「……もっと面倒な事になったけどね」誰にも聞き取られる事の無い独り言を、自嘲気味に呟く。
味付けした肉の焼ける香りがしだした時、ダリマーが厨房から顔を出して聞いた。
「そういやイスト、恋人出来たのか?」
問いかける形になっているが、半ばからかうような、確信を持った言い方だった。
「何の話ですか?」何の事かは分かっていたが、一応聞き返す。
「いやな、お前男にしちゃ綺麗な顔しているだろ? 付き合いたいって女がよく騒いでいるんだよ。俺からしたらまだガキだ、やめとけーって感じだけどな」
「もう十六歳なんですけど。ガキじゃないんですけど」
「あ、もうそんなか。ちょっと幼く見えるよな。女はお前みたいなのがいいんだとよ」
ダリマーの言葉に、僅かに眉を寄せるが、すぐに表情を一転させ、微笑んだ。
「僕なんかを良く思って下さるのは、光栄ですけど、ダリマーさんはそれ、褒めてないですよね?」
「四十のおっさんからしたら、十六歳なんてガキだろ?」
「はいはい……それで、どうして恋人の話になるんです?」
「恋人いないなら紹介して! ってたまに頼まれるんだけどよ、最近は噂になっているから、あまり話が来ないんだよ。で、どうなんだ、メリル嬢とは」
予想通りの名前が出たところで、口を挟む。
「ダリマーさん、肉焦がさないで下さいね」
「おっといけねえ」
ダリマーは慌てて厨房に引っ込んでいった。
イストの面倒事も、似たような物だ。王宮でメリルの事がばれてしまったのである。と言っても、ごく少数の、協力関係にある者にだが。
今の関係を暫く楽しみたいのに、さっさと連れて来いと急かされる。協力的なのはいい事だが、面倒だ。
煩い貴族は大分減ったが、唯一の王子に婚約の話が無いわけが無い。
イストの味方達は、想う人がいるのなら、誰かと結婚させられる前に、さっさと捕まえた方がいいという考えなのだ。
それは有難い。しかし、メリルに嫌われるのも怖い。
エイスリード・シャルレインの名は、絶大な力を持っている。
王族殺しには全く関わっていないが、一計を案じたのだと囁く者もおり、密かに恐れられている。
国民にとっては、エイスリードは“良い”王子なのだ。国民の事を顧みず、傍若無人で、自分達の事しか考えられなかったこれまでの王子達とは違う。エイスリードが国政に関わることで、国は確実に良くなっていた。
恐ろしい噂はあれど、結局は自分達に益のある王子であれば、真偽のほどはどうでも良いのだ。
エイスリードが、メリル・アーガストを王宮に迎えたいと言えば、それは叶えられるだろう。だがそこで、今の関係は終わりだ。
おそらく、笑顔で“イスト”と呼ばれる事は、二度と無い。
ダリマーとの会話の内容を、メリルに話してみた。
イストの顔をまじまじと見て、「ずっと思っていたのだが」と彼女が切り出す。
「ゾランが気に食わないと言ったのは、イストの顔が綺麗過ぎるからだと思う」
「何ですか、それ?」
よく分からない。
「自分より格好いい男がいたから、腹が立ったんだよ。ほら、私もゾランにしつこく付き纏われていたからな、君に横取りされるかもしれないと思ったんじゃないか? イストの容姿だと、女性はすぐ心を傾けてしまうだろう。だからああやって牽制したんだよ、きっと」
意味を理解すると、メリルの顔を窺った。少しも照れた様子は無かった。大した意味は無いのだ。
じっと瞳を覗き込むように見ていると、「どうした?」とメリルが首を傾げた。
動揺しているのは、自分だけだ。
「……それは、褒めていますよ、ね」
「勿論。他に?」
ダリマーに言われるのとは訳が違う。
心を寄せる女性に容姿を褒められれば、男としても嬉しいものだ。
自分の外見に頓着していなかったが、彼女の眼鏡にかなったのなら、良かった。
メリルと知り合ってから、半年ほど過ぎた。
王宮では、エイスリードの十七歳の誕生日を盛大に祝おうと、準備が進められている。
昔は誕生日どころか、名前すら忘れられていたというのに。
血縁が亡くなっているのだから、一応は喪に服すべきだという意見もあったが、ここで国の空気を明るい方へ変えるべきだという意見が勝った。
王子達を悼む声は、誰からも上がらなかった。
自分が死んだときも、誰も悲しまないのだろうなと思うと、王宮の隅に追いやられ母と二人で過ごしていた日々に戻りたい気もした。
自分が殺されたら、メリルは泣いてくれるだろうか。殺した人間を恨むだろうか。
そんな事を考えたところで詮無い。イストこそが、メリルの敵なのだから。
彼女を妻として側に置く時には、自分は恨まれる対象なのだ。
理不尽に思う事は無い。自分にも、同じ血が流れている。
平民の側室が産んだ王子など、名家出身の妃達が産んだ兄達からすれば、ただの玩具だった。あんな奴らを、兄弟だと思った事は無いが、自分も彼らと同類だと思った。流されるまま生きてきた。
だけど今は、メリルが欲しい。いつか王宮に連れて帰ろうと決めている自分も、兄弟達や、ゾランとなんら変わりない。それを変えるつもりも無かった。
メリルを訪ねると、使いで外出しているらしく留守だったので、下宿の主人が話し相手になってくれた。下宿の主人とも顔見知りだ。
話題はやはりメリルの事になった。イストの顔を意味ありげに見つめながら、「そろそろ結婚を考えてもいい歳だけどねえ」と言ってくる。主人はかねてより、メリルにいい相手が見つかって欲しいと願っていたそうだが、どうやらイストは合格らしい。
頷いて、「年下でも立候補出来るでしょうか?」と真面目な顔で返しておいた。
主人も満足げに、「メリルちゃんも、やっと幸せになれるかね」と微妙にかみ合っていない会話を続けた。
メリルにとっての幸せとは、一体なんだろう。家族が戻ってくる事は無い。貴族の暮らしに戻りたいようにも見えない。現状では、この下町で平穏に過ごす事が、最良なのではないか。
イストがしようとしているのは、幸せにするどころか、彼女の生活を全て壊す事だ。
メリルは気を許した友人に裏切られた挙句、慣れ親しんだ町を強引に連れ出されるという不幸に見舞われる。
かわいそうなメリル。こんな自分に好かれたばかりに。
「メリルちゃん、遅いねえ」
主人の妻が、心配そうな顔で出てきた。イストが来る随分前に使いへ行ったのに、まだ戻らないのはおかしいと言う。うろうろと落ち着き無く歩き回り、主人にしきりに話しかけている。ゾランの事があるから、また誰かに捕まっているのではないか、うちのメリルちゃんは美人さんだから、等と言って、おろおろとしている。
メリルが美人だというのは認める。内面は冷静で物怖じしない彼女だが、見た目は大変可憐な女性だ。見知った町の人々なら心配無いだろうが、余所者ならしつこく付き纏うかもしれない。
「僕、探してきてもいいですか?」
イストが言うと、主人の妻はその言葉を待っていたとばかりに食いついた。
「本当かい?」
「ええ。少し見てきますね。彼女が向かった場所と、通りそうな道を教えていただけますか」
「すまないねえ、イスト君……ええとね……」
紙に書き出したので、素直に受け取り、説明を受ける。渡された紙をさっと見て記憶すると、大体の目星を付けた。
――ゾランの住まいが近いのが気になるな……。
先にメリルに目を付けていた男を思い出し、少し嫌な予感がした。
下宿を出ると、人気のない路地に入る。壁に背を預けた。程なくして、イストの耳に聞きなれた声が入ってくる。
「殿下、御耳に入れたいことが」
密やかに告げられる声。驚く事無く、「それは、メリル・アーガストの事か?」と聞き返す。
「はい。先ほど報告がありました。メリル様がゾランの手の者に連れ去られたようです。申し訳ありません、護衛が目を離した一瞬の隙に」
メリルには、イストが手配した護衛を付けていた。自分が彼女を連れて行く前に、万が一の事が無いようにだ。
保険程度のもので、大して心配はしていなかった。しかし、あれほど忠告したというのに、ゾランは救いようのない愚か者だったようだ。
護衛を任せていた者にも呆れながら、溜息を吐く。
「追っているんだろう? 場所は」
「はい。さほど遠くありません。ご案内します」
「いい。俺が行ったほうが早い。先に教えてくれ」
「しかし……」
「言っておくが、お前達より俺の方が先達だ。王子の自覚が芽生えたのはつい最近だからな」
「……そうでしたね」
言いくるめ、行き先を聞いて頭に入れる。「先に行っている」と告げ、導き出した最短の道に向かい、駆け出した。
存在を忘れられていた頃の自分が顔を出す。
王家を裏で支える者達に自ら教えを乞うた。自分が王子として見てもらえる日が来るとは思っていなかった。
ただただ生きるために、逃れるために、ひっそりと、王子らしからぬ事を身につけてきた。
暴力に耐える体。力を逃がし、痛みを受けているように見せる方法。毒に耐える体。物を見分ける力。生きる事には貪欲だった。
自分の生き方はこれしかない。生きるためには、裏方に徹するのみ。殺される側では無く、殺す側に回りたいと、どこかで思っていたのかもしれない。
その力は、母を守るためには発揮されなかった。攻撃することしか、覚えていなかったから。守る力を身に付けようと思ったのは、母が死んでからだ。
表舞台に引きずり出されるようになって、生き方は変更せざるを得なくなった。
今は何に耐える必要も無い。やられたら、やり返す。
確かに横取りしたのは自分だが。
唯一の王子がメリルを望んでいるのだから、ゾランには諦めてもらうほかないだろう。
メリルが連れ去られて、それほど時間は経っていなかった。連中に追いついた時、メリルは中間地点にあるゾラン所有の家に連れ込まれるところだった。
これまでも悪事に使われてきたであろう、人の寄り付かない古い家だ。あちこち壊れかけている。
お誂え向きに周りに林があるものだから、こそこそと入っていく姿を見れば、これから悪い事をしますと言わんばかりである。
後に本邸へ連れて行くつもりだろう。しかし、こちらとしても好都合だった。林の中なら、人目につかずに済む。
犯人は三人居た。全員大柄な男だ。一人が大きな布袋を担いでいる。
よくあれで道中捕まらなかったな……と思った。ゾランは雇っている者も似たような馬鹿なのだろうか。運良くここまで来られたようだが、残念ながらここで彼女は回収する。
ドアを開けようとする連中の背後に降り立ち、三人全員にすばやく衝撃を与え昏倒させた。一人が担いでいた布袋を受け止める。人が入っている感覚があった。
もう一人気配を感じたので、反射で蹴りを繰り出しながら振り返ると、かわされた。
一人の男がぎょっとして、「げ!」と叫ぶ。両手で体を庇いながら、一瞬で後退した男は、イストの顔を見て、まずい、といった表情を浮かべた。
「で、殿下。お早いお着きで……」
ははは、と笑いながら、地面に倒れた男三人を眺めている。彼は目線を彷徨わせ、再びイストを見た。
――馬鹿が!
メリルの意識があるか、まだ分からない。“殿下”という呼び名が聞かれたかもしれないと焦った。
布袋に目を向ける。反応は無い。声を出せない状態なのか、それとも眠っているのか、確かめる必要があった。
その場にゆっくりとおろし、布袋の口に手を掛ける。
「役に立たない護衛は、随分遅かったな」
紐を解きながら、最初にまんまと出し抜かれた護衛に嫌味を言う。
「すみませんでした!」
勢いよく頭を下げてきた。
「許さん。減俸だ。伝えておく」
「え、減俸で済むんですか?」
「……向こう十年休み無しだ」
「急に重過ぎる!!」
余計な事を言わなければ良かったと言って、護衛の男が項垂れた。
袋の口を開いて、出てきたのは、メリルでは無かった。
口を塞がれて、瞼を閉じた、見知らぬ女性の顔に驚愕する。若い女性だ。意識は無いようだが、生きていた。恐らく、メリルの他にも攫われた人間がいたということだろう。
つまり、メリルは。
「まずい、メリルはまだ中だ。おい、この女性を頼む」
「え、ちょ、殿下! 俺も行きますって」
油断しすぎた。ゾランが家の中に居なかったとしても、他に雇われた男にメリルが乱暴される可能性はある。一刻も早く助け出さなければ。
家は二階建てだった。ぼろだが、結構広い。
一階には、数人の若い女性が、意識を失った状態で倒れていた。近くに、運び込まれた際に使われたであろう、布袋も放り出されている。
拘束はされていなかった。開放された後といった様子である。
おかしい。
意識が無いとは言え、手足を自由にしたまま放置するだろうか。普通は袋から出しても、縛るなり何なりしておくだろう。それとも、よほど強い薬で眠らされているのだろうか。
ここにメリルは居ない。
不審に思いながらも、二階に続く階段に足をかけた。
階段を上がる途中で、大きな音が響いた。床に何かを叩き付けたような音だ。二階から聞こえてくる。
――メリルに危害を加えてはいないだろうな……もしそうなら……
きっと彼女なら、勇ましく反抗する。もし意識があれば、大人しくしているはずが無い。
抵抗した事で、彼女が暴力に晒されているのなら……犯人達には、同等以上の苦しみを与えた上で、その四肢を二度と使い物に出来なくしてやろう。完膚無きまでに、その精神までも徹底的に砕いてやる。
焦る思考で、犯人達の悲惨な最期を想像した。
階段を叩くようにして、二階に辿り着く。
イストの実力ならば、ドアの向こうで待ち構えられていると、気付けたはずだ。だがメリルの安否を気にするあまり、冷静になりきれていなかった。
取手に手をかけて、回す。開けた瞬間、目に映ったのは――
視界が白で埋め尽くされる。
それが自分に向かって投げられた布袋だと気付く前に、強い力で後ろに引っ張られた。体勢を崩し、中腰になった頭の上を、勢いよく蹴りが通過するのが、感覚で分かった。
布を顔に被ったまま、「殿下!」と護衛が口にしたのが聞こえ、二度目の失態を叱責しようとも思ったが、今その護衛に助けられたところなので、止めておいた。まともに蹴りを頭に食らっていたら、意識が飛んだかもしれない。
布袋を掴む。
「“殿下”だと……? そこにいるのは、まさか!」
思わず手を止めてしまった。
止まったのは一瞬で、頭の中を整理するよりも早く、布袋を取り払う。
――ああ、やっぱり。
部屋の中には、やはり他にも男達がいた。その内の一人に、ゾラン・ステヴンもいる。しかし数人いる犯人達は皆、床に倒れていた。
必然的に、彼らを伸したのは、今蹴りを繰り出した人物だと思われる。恐らく、他の仲間が二階に上がってきたと思い、迎え撃ったのだろう。
――布袋、取り払わなければ良かったな。
イストにメリルの顔が見えているのだから、彼女にも自分の顔は見えている。
“殿下”と呼ばれた自分の顔が。
「イスト……」
戦闘態勢のまま目を見開いたメリル・アーガストが、イストを見ていた。
彼女の目には、困惑と、疑惑が浮かんでいるように見えた。
簡単に想像出来る。あの目は、自分を助けにやって来たとは思っていない。
親しい友人が憎い王族だった。もしや彼も、この犯人達の仲間なのか。そんな所だ。
信じられない、という顔では無い。信じたくない、という顔でも無い。彼女はきっと、自分で見たものは信じる。
知られてしまった。
護衛が警戒の色を薄めずに、イストの横に立つ。どこか気遣うような表情で、イストを見ているのが、視界の端に入った。
「……ご無事ですか、メリルさん」ひとまず、メリルは無事のようだったが、一応彼女用の笑みで尋ねる。他に何と言えばいいか分からなかった。
メリルは視線を護衛の男に向け、すぐにイストに戻した。「どういうことだ」と、やや低い声で言う。
「それは僕の台詞ですよ。帰りの遅いメリルさんを心配して、探しに来たんです。一体どういう状況ですか?」
とても危機的には見えない。
僕、と言った時に、護衛が変な顔をして「僕?」と小さな声で繰り返すのが聞こえたが、無視する。
質問には答えず、メリルが問いかけてくる。
「そういうお前は、何故ここが分かった? 最初から知っていたんじゃないのか?」
疑う口調だが、彼女の中では既にイストも犯人の一味になっているようだ。
――お前、か。
自身の呼び名に、イストは絶望した。
顔に出てしまったようだ。笑みを見せたつもりだったが、メリルは苦しげな顔をして、「やはり……」と呟く。
「最初から、分かっていたなら――全部、掌の上だったという事か。いや、もう今更だ。私はこれから、どうなる?」
体の力を抜いて、メリルが言った。戦う意思などは、感じられない。
会話に、微妙な齟齬があるような気がした。
最初から知っていたというのは、ゾランの計画――つまりこの誘拐事件を指していると思ったのだが……彼女の言葉には、別の意味も含まれているように感じる。
掌の上という事は、彼女はイスト達の計略に嵌り、踊らされたという意味だろう。しかし、そんな事をした覚えは無いし、この誘拐事件はそんなに手の込んだものでも無い。
どちらかと言えば、ゾラン達の事を知っていたというよりも、メリル・アーガストについて、知っていたと言われているような。
最初からも何も、イストはメリルの事を、彼女が話してくれた以上には、何も知らない。
まさか、と彼女は言った。王族がそこにいると彼女は認識したはずだ。そして立っていたのは、イストだ。
この一幕で、心理的に追い込まれているのは、寧ろイストの方のはずだ。
だが、どんな思惑があったとして、メリルがこれからどうなるかなんて、最初から決まっている。月色の瞳に出会った時から。
「観念して、僕のお嫁さんになって下さい」
文字通り、親の敵を見る目を向けられる覚悟で、イストは彼女を求める言葉を口にした。
柄にも無く緊張して、喉が張り付いた。
彼女が抱える秘密など、イストは知らない。でもこちらの秘密は、いつか明かさなければならなかったのだ。もう、知られた事実は取り消せない。今取り繕った所で、もう無意味なのだから、いっそ早く連れて行く。
イストがする事は、初めから変わらないのだ。だから、今この瞬間から、彼女に罵られようとも、憎まれようとも、名前を呼ばれなくても、二度と笑ってくれなくても……彼女を隣に置く事を、諦めるつもりは無い。
「……なにを言っているんだ」
メリルは状況が飲み込めていないのか、呆けた顔で言った。
油断するな、次の瞬間には、彼女の顔は憎悪で染まる……頭の中で、自分にそう言い聞かせながら、事実でしかない言葉で、彼女を追い詰める。
「メリルさん、貴女の事が好きなんです」
イストの告白を聞いたメリルは、口を開けたり閉めたりして、何か言おうとしている。理解が追いつかないようだ。
それにしても、こんなボロ家で言う事になろうとは、情緒も何もあったものでは無い。全てゾランのせいだ。一生恨む。
彼女の返事は期待していない。ただ、言い分があるなら聞いておこうと思っただけだ。聞き入れるつもりは無いが、彼女の思いを、受け止めて置きたい。
メリルはやっと口を開いた。
「何で、だって、いや、そうだ。私を騙すつもりなのか? 一体どこまで読んでいるんだ、そうやって言えば私を掌握出来ると思っているのか? 全部知った上で、情に訴えかけようとしているのか? 私が、メリルお嬢様よりも、お前を選ぶと思って、そう言うのか……?」
半分は自分に問いかけるように、もう半分は、縋るような目でイストを見つめて、弱々しく言う。「王族は、メリルお嬢様の、敵だ。」
「私がお前に屈したら、お嬢様が、旦那様と奥様が、浮かばれない。私がお嬢様を裏切るわけにはいかないんだ……何故、そんな事を言うんだ。王族らしく、恨まれるような事を、言ってくれればいいじゃないか。何故、悪い奴になってくれないんだ。生き残った王族を恨まないといけないのに、最後の最後で、優しい言葉をかけないでくれ。これじゃあ、本当に……」
視線を逸らされた。泣きそうな声で、「どうしていいか、わからなくなる」と呟くと、メリルは黙りこんでしまう。
彼女の紡ぐ言葉を、知らなかった事実を、静かに聴いた。
「……貴女の言うお嬢様は、いつ亡くなったんでしたっけ」
情報を整理しながら問いかける。
“メリルお嬢様”。さて、他人のように自分の名前を呼んだ彼女が抱える秘密とは、一体どのようなものか……。
全く知らない訳だが、さも全て分かった上で確認しているに過ぎない、という雰囲気を滲ませて、続きを聴く体勢に入る。メリルも、怪しむ事無く、ぽつぽつと語った。
「……ご両親が崖から落ちて、心を病まれて……すぐに。お嬢様は、私の光だった。あの方達が死ぬことになるなんて、知らされていなかった、私も王族に利用されて、殺されるはずだったから……知っていたら、私は何としてでも身代わりになんてさせなかった! でもその前に、王位争いは終わった……」
ある考えが、イストの頭に浮かんだ。出会った時の、彼女の行動を思い出す。タイミング良く助けに入ったのは、偶然では無かったのだろうか。彼女は、最初から、イストの事を知っていたのだろうか。
知った上で、「王族が憎い」とイストに言ったのかもしれない。でもそれは、彼女の声を聞く限りは――
「メリルお嬢様の耳に、入らないようにしておけば良かった。王族のせいで死んだなどと、知らなければ、死の間際まで、あんなに恨み言を、最期まであんなにお辛そうにされる事も、無かったかもしれない。こんな、こんな中途半端な事になるなら、」
「どうして、そんなに話してくれるんですか」
止められなくなったように話し続ける彼女を、遮った。
「僕が憎いでしょう。それは、恨み言ですか?」
――彼女の声を聞く限りは、寧ろ……。
「それとも……僕を憎まなければいけないと、自分に言い聞かせているんですか?」
メリル・アーガストという名の令嬢は、もうこの世にいない。
両親が乗った馬車が崖から落ちて、二人ともが亡くなった事で、娘は心を病んで、体を壊した。
後から、両親の死に王族が関わっていた事を知る。王位争いに巻き込まれ、彼ら王族の身代わりとして、殺されたのだと。
メリルは王族を恨んだ。死の間際まで、憎んで、憎み抜いた。
アーガスト家に仕えていた使用人に、毎日毎日、恨み言を聞かせて、その恨みは晴らされる事の無いまま、この世を去った。
最後には、使用人だけが残った。
その使用人は、心の底から、アーガスト家に仕える様になっていた。だが元々は、諜報のために、王家と関わりの深い貴族の家からやってきた間者だった。
彼女は殆ど何も知らされていなかった。ただ言われた通りに、アーガスト家で働いていただけだ。
自分が関わっている貴族が、アーガスト家を利用して、抹消するつもりだとは、全く考えもしなかった。
勿論、自分が捨て駒として消されることも。
彼女の話から推察して、イストが整理した情報は、こんなところだ。
泣きそうな、でも泣けないような顔をしている彼女の両肩を掴む。彼女は震えた後、固まった。言う事を止めてしまった。
――貴女がそんなに苦しそうなのは……多分。
自分の考えを確かめるために、畳み掛けるように、彼女に言った。
「恨んでくれて構いませんよ、覚悟していましたから。でも、貴女は本当に、僕が憎いんですか? ねえ、初めて会った時、助けてくれましたよね。ずっと、知っていたんでしょう、僕の事。どうして親切にしてくれたんですか。どうやって恨みを晴らすつもりでした?
仲良くなってから、実はずっと嫌いだったって、そんな子供じみた復讐をするつもりでした? 貴女はとっくに調べたはずです、恨むべき相手は、もうとっくに自滅していると。
薄々気付いているんでしょう、お嬢様の敵を取らなければいけないという思いが、王族に親しみを持ってはいけないという思いに摩り替わっているって。僕に好きだって言われて、そんな困った顔をして、全部、全部顔に書いてあるんですよ」
暴論かもしれない。こじつけだ。でも、結構当たっていると思う。彼女は全く否定しない。そんな余裕も無いのかもしれない。
彼女に、大義名分を与えてやる。
「辛いなら、憎んでいる事にしていいですよ。恨まれてあげます。いつでも敵を取るつもりでいていい。そうやって自分を納得させて下さい。僕は無理やり貴女を連れて行きます。いいですか、嫌がる貴女を、憎い王族の僕が、強引に連れて行くんです。貴女はお嬢様を裏切っていません。僕は貴女の本心を知りません。僕はずっと、片思いのままです。だから何も考えなくていい。でも、一つだけ」
――貴女の、本当の名前を教えて下さい。
大好きなお嬢様の名前を、憎い男に呼ばれたくは無いでしょうからと、これももっともらしい理由をつけて、“強引に”彼女の名前を聞き出した。
唯一の生き残り、末の王子エイスリード・シャルレインの結婚は、盛大に祝われた。
復興したアーガスト家の養子となった、元平民の女性との婚姻は、貴族からの反対は勿論あったが、王子は押し通した。
そもそも直系が途絶えたアーガスト家を復興させるのも、大分無理を通していたため、王子の妻への入れ込みようは、結婚前から周囲に知られていた。今更である。
国民には評判の良いエイスリードの恋物語は、下町を大いに沸かせた。
彼らをモデルにしたロマンスが流行する所まで、型通りだ。
下宿の主人とその妻は、下町から姿を消した。町の住民は、その行き先に薄々気が付いている。何故なら、彼らが自宅に住まわせていた元令嬢こそが、エイスリード王子の妻なのだから。
彼女には、噂になった相手がいた。自称旅人のイストだ。
二人の仲は良かった。何処からか、「元令嬢が“王子”の婚約者に選ばれた」と聞こえてくるまでは、下町の皆が応援していたのだ。
だが彼らは、元令嬢が、幸せな結婚をした事を知っている。
イストが居る時に、ダリマーが店主をしている食堂で、誰かさんの間抜けな護衛が、口を滑らせたからだ。
「あれ、殿下、メリル嬢と一緒じゃないんですか?」
一見平民風の服を着たその男は、イストの蹴りで地に伏した。
「いだだだだ……ちょ、婚約したからって浮かれないで下さいよ……!」
「お前、わざとやっているのか? 何でクビにならないんだ」
「殿下がクビにしないからでしょお!」
「分かった、お前は左遷だ」
「ほら、隠してないならいいじゃないですか……!」
平民風の男とイストのやり取りに、周りは目を白黒させた。
てっきり、失恋して落ち込んでいると思っていたイストが、普段聞いたこともない荒い口調で話す内容に、誰もが呆気に取られる。
――殿下。婚約。浮かれている。隠していない。
ぽかんとしているダリマーの方へ振り向くと、イストはにっこりと微笑んでこう言った。
「聞かなかった事にしておいて下さい」
噂は一瞬で広まった。
下町に住んでいた使用人の彼女は、イストの地毛が金髪である事を知っていた。
一目見た時から、彼の正体には気付いていたから。
ゾランの事は、もののついで、だ。真の目的は、イストを探る事である。
唯一の王子が何故、こんな下町にいるのだろう――彼に自分の存在を知られる前から、彼女はイストを観察していた。
だが、諜報のプロだった彼女にも、彼の狙いは見えてこない。
下町にいる彼は、身分を脱ぎ捨て、息抜きをしている、歳若い王子、そのままだ。
だから、つい。
ゾランに殴られそうになっている年下の少年を、助けに入ってしまった。
その時から、彼の事を、王族として憎む事など出来なくなっていたのだ。
情報としての王子を知っていても、下町に居る彼は、ただの少年だったから。
エイスリード王子は、彼女の気持ちを、彼に惹かれる心を、知らないと言ってくれる。
彼は惜しみない愛情を与えてくるのに、貴女は憎んでいいですよと言う。
彼は隠し事をしない。自分の思いを全て教えてくれる。だけど、貴女は隠していいですよ、と言う。
現国王は高齢だ。エイスリードが王位を継ぐ日も遠くない。
その話が出ると、彼は自分の過去を語って、僕は王冠なんて欲しく無かった、と言う。
全て、いいですよ、と言ってきた彼が、その時だけ、願いを溢した。
僕と貴女が、同じ身分で、互いの過去に確執も無く、普通の夫婦になれれば良かったのに。
それが本音だった。
王位争いで生き残った彼が、王位に執着が無いと言う。
でも、彼女はそんな彼に、王になって欲しいと思う。
だから彼女も、願いを言った。
「私は、お前が嫌がる事を、やって欲しい。だから、お前が王になるんだ」
意味が無い事かもしれない。だが彼女にとってメリルというお嬢様は、永遠だった。
エイスリードは、また優しい仮面を被って、貴女が望むなら、と返した。
あくまで今のは、前置きだ。彼女は本当に言いたかったことを続ける。
「お前、私に愛称を呼ばれるの、嫌だろう」
夫を見つめて、さあ頷け、と念を込めた。彼は目を瞬いて、口を開きかける。
そこで気付く。――そうだ、彼はもう、嘘を吐かない。彼女は慌てた。彼が真実を口にする前に、有無を言わせず、「そうだろう」と断定する。
「お前は、嫌なはずだ。だから私は、お前の事を愛称で呼ぶ。ざまをみろ、イスト」
やっと言えたと思うと、頬が緩んだ。彼女の言葉が、表情が意外だったのか、イストは暫し無言だった。
あの日計らずも、彼女を言葉で縛ったイストが、その事にようやく気付いたような顔で、瞳を覗き込んでくる。
「……もしかして、僕のせいですか」
大義名分を与えたつもりだろうが、彼女は、本当はずっと、彼を許したかった。そもそも、彼自身を恨んだ事など無いのだから。
ただ時折、メリルの亡霊が、恨みを忘れるなと囁いてくるが、敵とイストは別物だ。彼女は、普通に彼を愛したかった。
「ああ、イストのせいだ。私がこんな、捻くれた言い方しか出来なくなったのは、全部イストのせいだ」
「……怒られている気がしません」
「それは、そうだ。私は怒っていない。だって、もうすぐ望みが叶うんだ。メリルお嬢様への面目も立つ。王族への復讐は、イストが王になる事だ。異論は聞かない。王位を望んで殺し合っていた王族が、誰も王冠を手に出来なかったんだから、それで最後に、イストが望まぬ王冠を手にした時、私達の恨みは晴らされるんだ。その時、私は君を許すよ、イスト。だから、そうなったら、自分を恨めなんて、もう言わないでくれ」
ただの少年は、もう青年になって、随分高くから、彼女を見下ろしている。
彼はいつも笑顔でいてくれた。彼がそんな顔をするのは、彼女に対してだけだと知っている。こっそり、へまをしてばかりの護衛の男との会話を聞くこともあるが、あんな乱暴な話し方をされた事など無い。多分聞き耳を立てている事も気付いているのだろうけれど。
イストの瞳が潤んだ。涙は程なく溢れる。色んな彼を見せてもらった。けれど、泣きながら、こんなに嬉しそうにしている彼は、初めて見る。
「そんな事を言われたら、欲しくなりますよ、王冠」
そんな事を言う。水の泡だ、絶対駄目だ。
「駄目だ。イストは、私だけを欲しがって居ればいい」
隠し事はしないけれど、この王子様は、もう少し強請る事を覚えてもいいと、彼女は思うのだ。
言葉に縛られているのは、彼女だけではない。イストは自分で言った言葉で、自分の首を絞めていた。
“大好きなお嬢様の名前を、憎い男に呼ばれたくは無いでしょうから”。
イストは彼女の名前を呼べなくなってしまった。彼女が大切そうに口にした名は、お嬢様と同じだったのだ。
「私も貴女も、同じメリルね。そう言って、平民の私に、笑いかけて下さったんだ……」
まさか同じ名前だとは思わなかった。
彼女の声音からは、“メリルお嬢様”への深い愛情が感じられた。一番大事な思い出を、声に変えたような、愛しい響きだった。
彼女に早く許されたい。
そうしたら、メリルさん、と呼んで、彼女からの愛を乞いたい。
彼女はきっと、彼の名前を呼んで、願いを叶えてくれるだろう。
私も好きだよ、イスト、と。
<終わり>
望まぬ王冠<王族を恨む娘に恋した王子> 三島 至 @misimaitaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます