本日のニュース 洗脳のテクニック


 僕はJさんからの電話をさっき受けて、日本での今日、一番大きなニュースを知った。


 「この事件、知ってるか?全員あのテロのカルトのメンバーが死刑になったらしいな」


 僕は、今日で全員とは知らなかった。長かったな。Jさんに、いろんな噂がある、テーブルの下……と説明したが、Jさんは、そんなことより、俺、中継のツールドフランス見たいからこれで、と、予想外なのか、延々と自分の知る自説、僕の長い長い分析の説明をひとしきり聞いた後、そう言い残して、さっさと電話を切った。


 Jさん、まるで俺の思想チェックだな。


 一応、おさらいで事件の首謀者の経歴をネットで再び詳しくチェックした僕は、今、かなりの情報が出ていることに驚いた。まとめでさえ、とても詳しい。


 テレビの特番をネットから見つけ出して、軽くチェックしていると、気分が悪くなってきた。


 あらゆる洗脳テクニックが、テレビからでも伝わる。このテレビ番組、逆効果になるぞ。


 僕は、さっと動画を止めて、見るのを永遠に止めた。胸がムカムカする。こんな場所に立ち会ったら、自分が洗脳されてしまうじゃないか。


 平たく言って、人というのは、労力をかければかけるほど、その見返りがあってしかるべき、と考える。だから、興味を持てば、その興味を持った分、善かれ悪しかれ、関わることになってしまう。


 例えば臨床心理士、精神科医なんかが、患者にアテラれてしまい、自分までおかしくなってしまうのとかと似ている。ミイラ取りがミイラになる。何が正しい通常の基準なのか、「認知の歪み」が出てしまう。周りにあまりに特殊なものがありすぎると、自分の感覚は正しいという「の価値観」の感覚がなくなってくる。おかしいのは自分なのか、錯覚しそうになる。


 こんな修行、修行ビデオ見ただけで、自分まで吐きそう。


 だいたい、繰り返し同じポーズをリズミカルに繰り返すなどすると、何もそこに「目的」・「目標」などがなくとも、「恍惚」・「特別感覚」・「超越的な感覚」・「経験したことのない万能感覚」・「幻視」なんかが出てくる。


 クンダリーニがなんとかとか、チャクラがどうとか、そういうことよりも、もうちょっといろんな「人間の精神と体の仕組み」が周知されるべきなんだろうが、密教や宗教関連のスピリチュアルな世界と結びついて、訳のわからないことになっている。実のところ、あまり精神的なものと、体の反応は関係ないと僕は思う。


 これが、霊的な経験と人格は関連性がない、と言われる所以であり、「超能力の開発」などを第一に目指してしまうと、本当に「赤ちゃんが本物のピストルを振り回して遊ぶ」に近いことが起こってきてしまう。


 人間の格と、超能力や、霊能力の有無はあまり相関関係がない。あまりというか、ほぼない。


 それらしいことを言う人も、実際は狐が取り憑いてるだけだったりして、絶対に「人にできないこと」・「人に見えないこと」をやってみせる人、見える人がいても、その人の「人格」まで信用してはいけない。これは基本。でも、それが難しいのは、やはり「人にできないこと」をやってのける人は、すごいと無意識で思ってしまうから。たとえ、水中に人より長く潜れるような単純なことであっても、だ。


 こっち方面に魅了されてしまうと、それまでまともだったはずの人、真面目に自分のため、人のため、世の中のために生きようと純粋に考えていたはずなのに、「人にできないことができる」・「人に見えないものが見える」ことについて、それら能力が与えられたのは「自分だけは特別だからに違いない」という「選民思想」の罠にかかって、3歩後退どころか、真理に向かおうと、真摯に地道に歩いてきたはずが、「いきなり地獄の奈落の底」だ。地獄の底で気付いた時には、すでに手遅れのケースが後を絶たない。


 僕なら気づく。相手のその変化。単なる傍観者。岡目八目というように。それというのは、空気がどす黒く見えるからだ。なんとも言えない濁った目になってしまう。目は心の窓、とよく言ったものだ。驚くほど清らかだった人が、次に会ったら、あの人はもう地獄に落ちた、と感じることがたまにある。真剣に精神修行している人の方が、多い。あと、それで食ってる人、それを新しい職業にしちゃった人とかが、危ない。ものすごく怖い。お金、名誉、そういうものによってくる女、信者、自分が持ち上げられ、おかしなことになっていく。そのことを思うと、修行すること自体を避ける方が、まだ安全であるから、僕はそんなストイックさを兼ね備えていないのもあって、常に単なる傍観者に過ぎなかった。


 ああ、本当になんというか、「高み」に行こうと進んだら、とんでもない場所に落ち込んでしまうというケースは誰も救うことができない。だから立派な師が必要なわけだが、立派と思ってついて行った師がそうじゃなかった、というのが、このケースだな。お気の毒。清らかな時と、そうでなくなった時と、一般的な人には見極めがつかないから宗教団体というのは全くおすすめができない。中にいると、集団心理と、ここまで修行頑張ってるんだから、という自己達成感、今更引き返すことはできないという想い、帰っても居場所はない疎外感、教団内の仲間意識に連帯感と、抜けられない要素は満載だ。ドアを叩いた時点で終わるから、行くな、と。それがまた、このケースは、大学内の「普通のサークル」を模していたから、勧誘方法が「始末に負えない」。常識的な目線で見れば、きっと気づくはずだろうと思うんだが、純粋培養されて、疑うことを知らない清らかな人ほど騙される罠だな。



 結局、僕は、ひとつひとつの洗脳のやり方を、そのビデオから解説しようかと思ったけれど、もうビデオは見ないことにした。計算して、洗脳のやり方を研究したんでなくて、なんというか、いっぱい用意された障害物競走、結局、横道を外れて、気がつけば、何もない砂漠のような場所に来てたんだろう。


 頭がいいから、勝手に洗脳になるような方向での修行方法を上手に利用していたんだろう。マントラ唱えるとか、水中クンバカとか、穴に入るとか。どれでもいい、やってみたら、崇高な理念や教義なしに、幻視できたり、トランス入ったりできるから。でも普通の人はやらない。洗面器に入った塩水を飲み干して、すぐに吐き出すとかやらない。だから、「教団は特別。真理に向かう道すがらに自分はいる。他の人よりも高みにいる」と思い込んでしまう。


 わざとでなくて、修行自体が、そういう洗脳のプロセスと従兄弟同士だ。「行為」と「認知の書き換え」をの作業を繰り返し、脳の分泌液をどんなふうに引き出していくか、新たな回路を作っていくかという、そこだから重要なのは。怖いなあ。変な精神科の先生やカウンセラーが怖いのと似てる。自分が助かったのは、〜のおかげと思い込むから。呼吸一つでも、自分の体をコントロールするのに、特殊な呼吸法をやれば、天国が見えたり、逆に死にそうになったりするんだし。


 心理療法とか、認知療法とか、全部その辺も同じだと思う。パブロフの犬的な簡単な例えが、全部に当てはまるというのも気持ち悪いが、結局のところ、「人間の脳の誤作動」みたいな「外界情報の認知システム」・「人間の情報処理の仕方と反応」など、仕組みについてよく知っていれば、外界の情報処理法をもうちょっと自発的に自分に都合の良いように、苦しみを減らし、最大限の生産性を上げつつ、社会のルールも超えない、公共の福祉に貢献できる最善の選択が自然に取れるという「ヒト行動の操作」ができるかもしれない。


 何か外部からの情報を取り込む時点で、「認知」が「自身を傷つけないやり方」、それが「自己防衛本能」で起こることもあるし。「離人感」なんかは、そうだ。肝心のところは覚えてない、記憶健忘とか、無我夢中で何もわからないとか。トラウマ的な事象を自身が体験する時に、そんなふうに認知を歪める。自分は自分でないとか、自分はここにいないとか。


 実のところ、仏教の輪廻転生の考え方がありだとすれば、「死ぬことは条件のリセット」だから、またこの経験を生かして、何か次回の生では、もっとわかってることが多いに違いない。


 もし僕が、そんなことを公に言ったら、僕まで危険思想を持つ人物、とマークされるのか?死ぬことはリセットだから、殺人は良いこと、とは言ってない。


 言ってないぞ。いやはや、なんでも極端はいけない。人と違う意見を言うのは本当にある意味、今だと勇気がいる時代になった。すぐにマークされてしまう。


 まあ、殺人というカルマが何をもたらすのか、延々とまた、そのカルマ穴埋めのための努力が必要になることなのだから、わかってそうする人はどれだけ救済者なのか。まあでも、何を話しても、絶対に理解されない気がするが、それだけのカリスマ性を利用されたというのもあるんだろうな。


 人の魅力というのは不思議なもので、ある意味、世俗的な魅力がゼロであれば、ここまでのことにならなかったし、日本だったからこうなった。インドやタイ、チベットに生まれていたら、何かが違ったかもしれない。欲望に取り込まれなきゃな。俺の中の目安は、集団になりたい、イコールすでに危ない、という基準だ。救済人数を増やしたい、教義を一般に周知させたい、広めたいなんていうのは、それが出てきた時点で既に片足が罠にかかってる。


 全員が救われたいわけでもない。各人、必要な段階はバラバラであり、どんな経験も必要から生じる。箱庭をいじるような、全能感は罠だ。それが出てきた時点で自分もアウト一歩手前。


 こういうことが、もう二度と起こってこないようにするためには、人間の心と体の仕組みを、もっと詳細に一般大衆に周知させていくことが必要となる。簡単に「すごい!」と思ってしまわないように。本当に純粋にすごいと思ってしまうのは、宗教知識がなさすぎるせいだ。もっとキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の世界三大宗教の教義に詳しくなりましょう。そして仏教と。



 比較して、教義の歴史的背景、どんな人がどんな教義を信じ、どんな生活を送っているのか、詳しく知っていれば、文化摩擦も避けられるし、何より、理解できることにより、インチキにひっかかりにくくなる。ヒンズー教も知っておいたほうがいいという僕は、ちゃんとした知識はなく、大学の一般教養レベルだが、それでも、あらゆる宗教がどんな感じなのかくらいは知っている。病院でばったり、宗教学の先生に会って、挨拶したが、もっと学生時代に、勉強しておくべきだったな、と思った。俺は、この楽勝科目をノートで勉強しただけ。先生の授業は一応聞いていたとは思うが、詳細を全く思い出せなかった。


 楽勝だった科目を今更恨んでしまうのは、お門違いだが、大学教授が話す話というのは、楽しい雑談のことがあり、僕は今だったら、全く理解の深さが違うと思って残念だ。むしろ、就職に関係ないからと手を抜いたが、就職に関係なくとも、生きる根幹にここまで関わるとは。全ての人にそうだとは言わないが、本当に人生の困難の時に、役立つのがこういう、一見して何の役にも立たない知識だ。犯罪の心理学なんて、研究者になるんじゃなければ、そんなこと知ってどうするの、という感じで、一度も授業に出てないが、今、その知識があれば、面白いお話が書けてしまう。


 わけのわからないオカルティズムというのは、文学で楽しむ分にはいいが、盲目的に、何か道具のように、そのことを使って利益を追求するために追うと、出てくる結果がトンデモナイ。


 もともと、こじつけるように、うまい具合に自分の利益と結びつけるわけで、それが、自覚がないのが最も問題だ。自分は最終解脱した、他の人には到達できない高みに到達した、そう思った段階で、すでに右足は罠を踏み抜いた。


 恐ろしい。


 誰でも、自分のやっていることに、誇りを感じられないと、おかしなことになっていくのだが、虚無の地平に取り込まれると、それこそ、そこにある単なる石ころでも神になってしまうことがある。とにかく、喉が渇いて死にそうであれば、砂漠が緑のオアシスに見えても、普通なのだ。


 どうしてこんなことになってしまったのか、それとも最初から、罠が口を開けていたのか。コンプレックスに、金、権力、女、地位。


 自動で「言うなりになる回路」が出来上がる仕組みがあるせいで、全てにノーと言おうとすると、今度は全てにイエスとなってしまう。人間の仕組みというのは両極端だ。これが絶対的に正しい、絶対的に正しい答えが出るやり方、と思った時に、「疑う回路」が切れてしまい、「提示されたもの全てを鵜呑みにする」ような狂信的な方向性に出やすい人が、高学歴の人間なのかもしれない。


 徹底する性質や、答えがあると思い込む性質、白黒つけたい性質、中途半端は嫌な性質。純粋な性質、救済者を待ちわびる性質、正しいものが善だと思う性質。


 努力すれば必ず報われると真じる性質、世の中は必ず平等が実現されるべきと思い、自分は正しい方に行きたいと思い、世の人は間違ってると思う性質。


 何が悪いのかわからない、「必ず正しい方」に立ってたはずなのに、真逆に「悪の権化」の立場に突然ひっくり返った。そう思う信者もいるだろう。


 要するに、何事も「中庸」が大切であり、「まっすぐに信じすぎること」というのはもうそれだけで危険だと、そういうしかない。謙虚でいないといけないし、絶対というものはない、そして、今日正しいことは、明日には間違っているのが世の常であり、信じすぎて、自分以外が間違っていると強く主張して、間違っている周りを、正しい方向に無理に「本人のためだ」と、捻じ曲げようとする時は、必ずまずいことが起こってくる。


 いやほんと、どっちが正しいかなんて、絶対わからないから。立場に寄って、正しいと正しくないは簡単に逆転する。


 善悪を超えたところ、と言ったのはニーチェだと思うが、俺は何度読んでも、えーと、何が書いてあったっけ、と思ってしまう。


 「善悪で物事を捉える時代はとっくに終わってる」と思うしかない。


それは、もしかして新しいアイデアかもしれないが、あなたが善悪を思う時、その考えはもう古い、と思った方がいい。時代が過ぎたら、善悪の価値観など逆転してしまうことが多いから、あまり意味はない。規範とすることを、自分が感じる感覚、魂の声を大切に、そして、しかも相手も尊重して、できるだけ傷つけないような言動、行動を取りましょう、という他、ない。


 この解決の方向性っていうのは、お互いの利害、お互いの自尊心、プライド、地位、金、権力などが関わってくるときに簡単に崩れるのだよ。だからいつまでも、特に恵まれてる人、恵まれてない人、行動を起こす前に、影響をよく考える人、そんなの全く考えない人、立場、真逆にいる誰もが長く苦しむわけで。


 まあだから、俺は、世俗から一切、縁を切ろうと。でもそれでは解決にならない。死ぬしかなくなることになる。肉体の維持に金がかかりすぎる。食べないと実践したら、病気になり、今度は家族の重荷になる。住むところだっているし、税金だって生きている頭数に入ってしまい、払わねばならない。


 なんとか、死なずに生きて、しかもあまり迷惑をかけない、中庸を目指すしかない。間違っても、自分が正しいから、間違ってる人を殺そうと思わないように。俺はそこまでは思わない。そこまでのエネルギーもないし。


 当たり前のこと、「なぜ人殺しはいけないのか」的な議論が本になった過去があったかもしれないが、なぜダメかって、平たく言うと、来世、すごい借りになるよ。誰も信じないかもしれないけど、今、すごく誰かに搾取されてる人は、前世での借りを返してるのかもしれない。因果応報という言葉を思いついた人はすごいと思ったが、今、苦しいのは、まあ、理由もなく苦しいというわけじゃない、と。そして、禍福はあざなえる縄の如しだから。


 僕の隣で、金魚鉢の金魚が、カチカチカチカチ、歯を鳴らす。


 金魚に歯があったっけ?と確認したくなって、見ようとすると、さっと水面に引っ込むのが常。餌が欲しいのか、暑いのか。


 金魚でさえも、死んだら悲しい。まあ、生きて動いていることがどれくらい素晴らしいことなのか。


 なぜ終身刑じゃダメなんだろうな。根絶やしにする必要があるのか。


 明らかに何か、薬物的なものが影響している反応が拘置所であることはおかしくはないのか。僕が気になったのはそこなんだが、もう調べようがないことだな。その理由を思うと、何か見えない答えが簡単に見えてくるだろう。違うか。


 まあ、拘置所がどんな状況かはわからないが、狭い部屋にいたり、暗い場所に長時間閉じ込められていても、簡単に人の精神というのはヤられる。身体の自由を奪われた時に出てくる反応というのは、想像を超えて絶対的に明らかな異常反応が出て普通と思うから、原因が薬物なのかどうかは、なんとも言えないが、いつか、わかるかもしれないな。もし口封じに薬物が使われていたのだとしたら、そんなことしなきゃならない理由はなんなのか。


 そのことを思うと、アンタッチャブルなこの件。誰も疑問に思わないのが不思議なんだが、死刑囚が英語で受け答えしていたという件は、まとめにも出てきてた。英語で。その時に会話していた人はすぐやめたにせよ、東大の院まで行ったのに、なぜ英語で会話を続けないんだ。ダメだろう、それじゃ。頭固いんじゃないのか。むしろ、善悪にとらわれすぎだろう。人の大量死が関わっているのだから、当たり前なんだが、相互理解ができないものは殺す、というのは、対話中の死刑囚と全く同じテロリスト的なアイデアだと気づかないのか。


 そうしていたら、もっとよくわかっただろうに。きちんと対話していたら。ちょっとした単語をピックアップしただけでも、おかしなこと言ってるぞ。裁判官は英語ができないのか。人の無意識が喋らせる内容というのが侮れないと、なぜ思わないのかが不思議だ。頭から「ふざけてる詐病」となぜわかるのか。そこまでの詐病ができるということ自体がおかしいだろう。人としての尊厳、誇りをかなぐり捨てている状態がなぜ起こるのか疑問がわかないのか。


 死刑への恐怖?いやそれはね、宗教の教義と反する。死ぬことは良いことと散々説いてる人だろう。辻褄が合わないと思わないのかな。


 この死刑囚、もし、「意識が混濁している状態で、何か必死に喋っている、訴えかけようとしている、黙れと静止することがしにくい、英語を使って」と思わないから、ただただ黙れ、ふざけるな、英語でなく、日本語で話せ、となるんだろうな。


 金魚が立ち泳ぎしてるから、何が必要なのか、僕は金魚に聞いてみることにした。餌?それとも水換え?それとも水温が高すぎて酸素不足?


 金魚じゃないからわからないな。わかった気になる、声が聞こえた気になる、なんていうのも、精神病理学とか的には危ないことになるらしいから、うっかりしたことは何も言えやしないじゃないか。あくまでそんな気がするだけだ。全ては僕の推測、憶測、邪推であり、真実なんて闇の中だ。そうだよ。



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夏の雨 @0078

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