第1話 トロンボーンパートは練習しません。

カチ、カチ、カチ、カチ。

一定のリズムで鳴るメトロノーム。

2年B組の教室に、私達はいた。


「・・・はいじゃぁ次はツェードゥアー」

壁越しにC組の教室から聞こえる、甲高い先輩の声と、

一斉に響く、こもった優しい金管の音。

ホルンは、オーケストラの要。

どれだけ音程を正しく、且つ安定し、長く音が出せるか。

ホルンの技量で、オーケストラの音が変わると言っても過言ではない。

「わぁ・・・」

「なんか・・・いいかもね」

「わかるー」

ドレミファソラシド・・・の音階を終えた瞬間、

新入生女子のささやきが薄い壁を乗り越えて、聞こえる。


カチ、カチ、カチ、カチ。

我らがB組のメトロノームはなり続ける。

先輩と私、2人しかいない空虚に無慈悲にも鳴り響く。

開いた窓からは4月二週目よろしく春風が、

ワイシャツと壁に飾られた習字の半紙を揺らす。

「・・・・ふぅ」

犬塚先輩はおもむろに息を吐くと、


楽器をそっと、床に、置いた。


「次はテンポ100ねー」

もう片方の隣、

3年A組から聞こえるは、

トト、トト、トト、トト・・・と言ってのリズムを刻む、華やかな音。

ホルンのような優しさはない。

だがホルンにはない華がある。

トランペットは、オーケストラの華。

例えば曲のクライマックス。

たくさんの弦楽器の音色に乗せられて、トランペットの音が客席に届いた瞬間、多くの観客はそこで初めて涙を流す。

吹奏楽の花形と名高いが、オーケストラもしかり。

トランペットの熱量で、オーケストラ与える感動の量が変わると言っても過言ではない。

「わぁ・・・すごい!」

「うんうん!やっぱいいよねぇ!!」

「かわい・・・」

女子達の声に紛れ、

可愛いパート員につられた男子の声もひそひそ聞こえる。


一方で2年B組には・・・

「越智(おち)さん」

おもむろに、先輩が口を開く。

「はい、何すか先輩」

机に腰掛けた、

犬塚夏樹(いぬづかなつき)先輩は、

ゆっくりと両手を後ろに回し・・・。


「俺たちもさ」

「はい」

「これ、やろうよ」


ソイジェイ。

2本。


「いやいやいやいや!意味わかんないですけど!!??いいいみわかんないんですけど!!!???」

「え、知らないの、越智さん」

先輩の眉がきょとんとあがる。


「もぐもぐタイム」


「いやいやいやいや!!!知ってますけども!!!え!今!?パート練習中の今!?」

「やっぱ食べて体力つけないとさ」

「いやいやいやいや!!ってか、練習しましょう!?練習しましょうよ!!先輩!!しかもなんで口付ける楽器なのに食べ物もってきてるんすか!!」

「てかさ、杉山さん。そんな大きい声出して楽器落としそうだよ?おろしなよ」

「ああはい・・・」

言われ思わず、ツバ抜き用にもってきた雑巾を広げ、楽器をそっと置く。

床に設置した瞬間、年季の入った鈍いシルバーが光る。トロンボーンパートにはマイ楽器という概念は存在しない。


「あーあ・・・」

顔を上げると、

色白メガネ、しかし瞳によからぬ情熱を宿した先輩は、

「新入生こねーなぁ・・・」

「そっすねぇ・・・」

至極全うなことを言った。

「どーしたら人気になんだろ。ボーン。」

そう。ボーン。

トロンボーン。

トロンボーンは、人気がない。

「やっぱあれじゃないっすか・・・ほら。吹奏楽、ジャズだと派手ですけど」

「まぁ派手だね」

「オーケストラだと、トロンボーン自体がない楽曲もあるじゃないっすか」

「まぁそうだね」

「しかも6月にむけて練習してる交響曲も第四楽章しかないじゃないっすか」

「ビンゴ?」

「意味わからん。出番がっすよ」

「まぁ、プログラムは他の曲で出番のバランスとってるけど、そうだね」


交響曲。英語に直すとシンフォニー。

ベートヴェン、チャイコフスキー等著名な作曲家が残す比較的長い曲である。

大抵1時間弱くらいで、長いものでは1時間半かかるものもある。

勿論そんなのぶっ通しで聞けない。

そのため起承転結よろしく、(大抵)4つに分けられたものが、1楽章2楽章3楽章4楽章・・・となる。

が、トロンボーンはこの、4楽章のみ!!!

という曲が、非常に多い。

終始楽器を得意げにゆらしながら吹くホルンを横目に見、なんだかんだ一楽章から出番あることの多いトランペットの騒音による頭痛がようやくおさまったころ、はい出番となる。おりゃ。

まぁそれより前の楽章からはじまる曲も多いのだけれど、出番はわずかな小節数、時間にしては1分-2分で終わることが多い。南無。


まぁそんな楽器に


「新入生集うはず、ないっすよね」

「そうだねー・・・そだねー」

「古いっす」

「もぐもぐタイム」

「古いっす」

「響け!トロンボーン!」

「それユーフォだし。ユーフォそもそもオケにないし」

「魔法少女とろん☆ボーン」

「なんすかそれ」

「みんながトロンボーンに興味持つキャッチコピー」

「雑にもほどがある」

「僕と契約して魔トロンボーン少女になってよ!」

「雑だしなんならそれも古いっすからね」

楽器を床に置き、教室の椅子にのんべんだらりと座りだべっていて、果たしてトロンボーンパートに未来はあるのだろうか。


「じゃぁさぁ・・・」

先輩は軽いグーを作り、口元にあてる。

考える時の癖だ。

「どーすりゃはいるよ」


「そりゃあ・・・・あれっすよ」

なんだろ。

「やっぱ響くしかなくね?」

「いやいや」

「契約してマウスピース渡すしかなくね?」

「ジェム代わりに使うな」

うーん。

考えてしまった。


「アピールが足りんのかな」

「何すか」

「うん、まぁだからさ・・・越智さん好きなものある?」

「え。プリン」

「じゃぁこんな感じ。


好きな言葉は、情熱です。

好きな言葉は、笑顔です。

好きな言葉は、プリンです。

好きな言葉は、トロンボーンです。」


「いやいやいやいやいやいや!!どこのクリニックっすか!!??ここ湘南じゃねぇし!!静岡だし!!」

「そだねー」

「使うな!なんでさっきから微妙に古いんすか!?何ならそのCMネタも結構古いすからね!?」


あー・・・と先輩は椅子の背もたれに上半身を投げ出した。

「やっぱ全国からでも集めないと、新入生来ないって」

「公立の中高一貫なんで厳しいんじゃないっすかね」

先輩は親指を噛む。

「別のアピール方法か・・・あぁこれは?

 例えば・・・」

「はいよ」


「・・・・字が小さすぎて読めなぁああああいい!!!!!!でしょう?でもトロンボーンかければ」


「トロンボーンかけるってなんすか。唾でもかけるんすか」

「トロンボーン、だぁいすき♡ は、越智さんやってね」

「嫌っす。あと古い」

「・・・まぁ」

先輩はおもむろに、窓を見た。

運動場や外の松林のはるかかなたには海が見えている。

「今年も2人+1人でやっていくっきゃないかねぇ・・・」

「そっすね」

運動場ではサッカー部・ラグビー部・陸上部が縦横無尽に運動場を走り回り、

松の葉は風に揺れ、

静かに海は、凪いでいる。

「はい、ソイジェイ。いちご時」

「あ、あざっす」

ぺりぺりとめくり、ぱくりとたべる。

大豆の風味・ハードで柔らかい独特の感触に交じり、苺の香りが鼻を突き抜けてく。

「ちなみに先輩は何の味食べてんすか」

「チョコオランジュ」

「私もそっちがよかったっす」

「わかる」


結局この日のパート練習も、

ソイジェイを食べ、楽器を持ち、好きな魔法少女を語って終わった。

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トロンボーンパートは練習しません。 まぐろどん @haruyagi

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