第20話 僕は君との未来が知りたいんだ

 修学旅行二日目は、朝食バイキングの後、バスで糸満にある平和祈念公園へと向かった。

 那覇の都会然とした風景が、あっという間に一面のサトウキビ畑に変わっていく。

 ざわわ、ざわわの曲が頭に浮かんでいたのは僕だけでは無いだろう。

 この日の午前中は平和の礎を見学したり、戦争体験者からの談話を聞いたりして真面目に勉強モードである。

 それを終えてバスに戻ると昼食の弁当が配布され、糸満から一気に美ら海水族館のある名護まで高速道路で大移動だった。

 車内では昨日から既にはしゃぎ疲れたのか、弁当を食べ終わるなり昼寝を決め込む生徒が多かったが、僕らの部屋は、昨晩大人しく早めに休んだので体力的に辛いということも無い。

 釣り好き、魚好き同士の僕と隆哉は、元より美ら海水族館が楽しみで仕方がなく、この魚が見たいけど見つかるかな? と言う話でもちきりだ。水族館のホームページに載っている写真を見ながら会話は盛り上がった。

 現地では基本的に自由行動なので、早速隆哉と二人で自分達が釣り番組で見ていた、憧れの魚を中心に探し回る。

 イルカショーを見に行く生徒も多いが、僕と隆哉は沖縄でしか見られない魚達に夢中だった。

 カラフルな熱帯魚達は、女子ウケもいいらしい。

 ふと横目に入った美桜の笑顔が、旅行中に見た物の中では自然なもので、僕はなんとなく胸を撫で下ろす。

 たまたま僕らが見ていた水槽の横に美桜たちのグループが居た時だった。

「ねぇ、こんな所に鮫が居るよ!」

 カラフルな魚達に混じって岩の隙間に鮫が横たわっているのに大塚が気付いたらしい。

「どれどれ?」

「ほら、あそこ、岩の隙間」

 大塚が指を差すほうを見ながら藤堂はしゃがんで水槽をのぞきこむ。

「うわぁ、目付き悪いねぇー、こいつ犯罪者顔だな!」

 高梨が言って四人の間に笑いが起こる。

 傍から聞いていた僕らまで笑ってしまった。

「ハル、あれホシザメじゃね?」

「そうだね、ホシザメって可愛いのに、犯罪者顔とか可哀想だよ。そりゃイタチザメとかならヤバいけどさー」

 僕らがヒソヒソとそんな会話を交わしていたなんてことは露も知らず……

「ほかの水槽もだけど、一緒に泳いでる魚たちって、鮫に食べられちゃわないのかな?」

 大塚の発した素朴な疑問に、隆哉が彼女らに歩み寄って答えた。

「水族館の鮫ってさ、常におなかいっぱいご飯貰ってるんだよ。大塚さんも、おなかいっぱいだったら、他に食べ物があっても食べようとしないでしょ?」

 女子の四人が、へぇー、と口を揃えた。

「飛鳥くん、詳しいね!」

「幼馴染が魚好きなもんで……」

 傍から見ている僕は、まるでナンパじゃねーか、とか思いつつも、イケメンらしく余裕なそぶりで話している隆哉の後を追った。

「けどさー、夏希ならお腹いっぱいでも甘い物があったら食べそうだけどねー」

「ひどくないっ!?」

 高梨のツッコミで、その場に居合わせた一同にまた笑いが起きた。

「甘いものは別腹、なのは置いておいて、あの鮫なら実は茅ヶ崎とかの海岸にも普通に居るんだよ?」

 女子四人からは期待通りに、えっ!? と言う驚きの声が上がった。

「なぁハル、お前こないだ船でデカいの釣ってなかった?」

「あぁ、そう言えば……」

 突然話を振られた僕は、先日スマホで撮った写真を探して女子達に差し出した。

「「「「ぎゃっ!!!」」」」

 またも想定通りの反応に、隆哉と二人で笑い合う。

 僕が膝の上に乗せて写真を撮ったホシザメは、三浦の遊漁船から鯛釣りに行った際、たまたま外道で釣れたものだ。

 全長ならゆうに一メートル五十センチを超えている特大サイズだった。

 目の前にいるホシザメが七十センチあるかないかなので、長さは倍以上。そうなると見た目の大きさはその比ではない。

「この子は、ホシザメっていう鮫の中でも大人しい子なんだよ。仮に海水浴してても、人は襲わないから大丈夫。この写真撮る時は流石にちょっと暴れてたけどねー」

 釣り好きなのを知っている美桜はともかく、他の三人は目を点にした。

 クラスでも地味な人間が、船の上で大きな鮫を膝に乗せて、めちゃくちゃ笑っている写真なんか見せられたら、まぁ、ギャップは酷いと思う。

「あんた、結構ワイルドな事やってるんだね?」

 藤堂は、意外だわぁ、とか言いながらスマホを返してきた。

「ほんとそれ。夏休み前から運動部でもないのに日焼けすごいなコイツ、とは思ってたけど、釣りが原因だったのね……」

 高梨も藤堂に同調する。

「春樹くんはお魚捌くの上手いんだよ?」

 どこか誇らしげな美桜が大塚に教えた。

「え、お魚料理出来ちゃうんだ! すごいなぁ、私、三枚下ろしなんか出来ないよー」

 美桜の言葉に、このメンバーの中で一番家庭的な雰囲気をした大塚が、関心の声をあげる。

「釣ったら自分達で食べるのが魚への供養だからね」

 なるほどね、と言った大塚は、うんうんと頷いた。

「俺も釣り好きだけど、ハルは魚に関してはめっちゃ詳しいからさ、なんならコイツに水族館の案内してもらえば?」

「えっ、すごいじゃん東雲くん!」

 隆哉の提案に大塚がほわんほわんとした笑顔を浮かべながら言って、藤堂や高梨さんが、それは名案だ! とばかりに、何か含んだように笑い合う。どうやらみんなでお節介を焼いてくれたらしい。

 美桜を見れば、気まずさを露わにして複雑そうな顔をしていたが……

「じゃあさ東雲、この頭の出っ張った愛嬌のあるヤツはなんて言うの?」

 早速高梨が指差したのは愛嬌のある顔の大型の魚、ナポレオンフィッシュだった。

「これはメガネモチノウオ」

「えっ?」

 へー、と言っている女子らを他所に、ナポレオンフィッシュを知っている隆哉が予想外の答えをした僕の方を見る。

「タカ、ナポレオンフィッシュの日本名はメガネモチノウオなんだよ? ちなみに世界最大級のベラの仲間だね。世界中の暖かい海に生息してるけど、食べても美味しい魚だから、乱獲されて数が減っているみたい。ちなみにナポレオンフィッシュって呼ばれるのは、頭のところがナポレオンの被っていた軍帽に似てるからだね」

「「「「「おぉ~」」」」」

 女子だけでなく隆哉まで感心して声を重ねた。

「じゃあこれは?」

 次は藤堂がゆっくり泳ぐ狐顔の魚を指差した。

「ハマフエフキ、沖縄だとタマンだね。投げ釣りで最強のターゲットって言われてる。これも食べても美味しい魚だね!」

「じゃあこの綺麗な黄色い魚の群れは? よく他の水族館にも居るけど?」

 大塚が見上げたのは群れで泳ぐ黄色く色を付けたイサキみたいな魚達。

「えっと、ヨスジフエダイの事かな? 魚の名前でしりとりすると、ヨから始まる魚って貴重なんだよね~」

「いや、そこはしないから!」

 流石に今の発言には、隆哉からツッコミが入る。

 その後も、少し前に地元の茅ヶ崎のサザンビーチが鮫の目撃で閉鎖された原因が、目の前に泳いでいるシュモクザメだったと説明したり、水族館の職員でも無いのに色々な魚の解説をして周った。

 次第に、なんだなんだと、他のクラスの生徒まで僕らの所に集まり始めた。豆知識として、魚達の残念な一面なんかを紹介していると、たびたび笑いが起こり、それを見た一般のお客さんも混じって僕の話を聞いているではないか。

 少し、いや、かなり恥ずかしかったが、こんな所で魚が好きなだけで覚えた知識が役に立つとは思わなかった。

 僕の解説で皆が笑顔になり、何より喜んで貰えることが実感できるのは素直に嬉しい。

 みんながジンベイザメ水槽で圧倒されている間に、僕は隆哉と連れ立って抜け出し、小さい水槽で展示されている希少種なども見て回った。魚好きに取ってみれば、本当に一日掛けて周りたいと思うほど、この場所は細かい見どころも満載だ。

「悪いな、あんな事になって……」

「え、なんで? みんな喜んでくれたし良かったんじゃないか?」

 僕の答えに隆哉は肩を竦めた。

「いや、夢咲さんと回れるようにって思って声掛けたんだけど、あんなわらわら人が集まってくるとは思わなかったよ」

 僕らの前では網目模様をしたマツカサウオが、水槽の中でぐるぐる回りながら泳いでいた。

 確かに人が集まり過ぎて美桜と話す間は無くなってしまったが、その事をそこまで気にする事では無いだろう。

「タカ、昨日から気の回し過ぎだよ。この先どうなるのか分からないけど、きっと僕たちはなるようにしかならない」

「だけど、この場所なら一番ハルがカッコつけられると思ったんだけどな~」

 そんなことを言った隆哉は、どこか悔しそうな表情をしていた。お節介な親友に、僕の方もやれやれと肩を竦める。

「今はさっきのだけでも充分かも……」

「え、なんかあったっけ?」

 気のせいかもしれないけどね、と僕は隆哉の追求をはぐらかしておいた。


 美ら海水族館で設けられていた自由時間の三時間はあっという間だった。

 またバスに揺られて辿り着いた二日目、三日目の宿泊先、カヌチャベイホテルはゴルフ場やプライベートビーチまで有する複合リゾート施設だ。

 敷地はかなり広く、宿泊施設もビルの立つホテルというのではなく、大きなロッジの様な建物にリゾート感溢れる部屋が多数並んでいた。

 その中でも、オーキッドという部屋の一室が今回、僕ら四人にあてがわれている。

 とりあえず浩介、隆哉、内田と四人で部屋に荷物を置き、今日もシャワーで汗を流してから夕食の会場へと向かった。

 今晩の食事は中華料理が回転テーブルに並んでいて、昨日よりボリューム感満載といった具合だ。

 男子同士、奪い合うように大皿から取り分けながら食べた料理はどれも美味しく、まわりのクラスメイト達と一緒に舌鼓を打った。

 食事の間は、美ら海水族館での事を話したりして、ますます会話も盛り上がる。

 僕のお魚トリビアの話題にもなり、地元に帰ったら僕の案内で釣りに行きたいと言い出す者までいた程だ。

 それぞれが満腹になって、また四人で部屋に戻る道すがら、この後はどうしようか? という話題になった。

 とりあえず大富豪をやろう、とは、内田が言い出し、みんなそれに乗り気だ。

 彼なら女子の部屋に突撃じゃー! とか言い出すかと思ったが、意外にもまともな提案に肩透かしを食らった気分である。

 まぁ、僕も大富豪なら腕に覚えがある。消灯時間まではあと一時間程だが、それで終わりになるとは到底思えない。

 夜通しも覚悟で、縛り、激縛、ジャックリバースと、細かいルール決めをしているうちに部屋まで辿り着いていた。

 隆哉が代表して持っていた鍵で部屋の扉を開けると、ドアに何か挟んであったのか、封筒の様なものがひらひらと舞い落ちた。

「なになに、ラブレターでも挟まってたのか?」

 内田が無駄にはやし立てる中、浩介が自分の足元に落ちたそれ拾って宛名を確認する。

「ハル、お前宛だ」

「えっ、僕なの?」

 てっきりこのメンツなら隆哉へだろうと思っていたそれが、自分宛とわかり、僅かばかりの期待をしながら手紙を受け取った。

 しかし、宛名の文字は自らが期待した女の子の字体ではない。

 ふぅ、と息を吐いてから僕は封筒をポケットにしまった。

「ちょ、おま、それ普通すぐ読むだろ! てか、間違いなくラブレターだろうが!」

 内田がさらに騒ぎ立てたが、僕は宛名の字を見た段階で読む気すら無かったのだ。

「これは知らなかったことにするよ……」

 そのまま部屋に入ろうとするのを、男子三人が引き留める。

「おい待てよ、女の子が勇気出して書いたかもしれねーのに無視は酷くねぇか」

 強い口調でそう言ったのは隆哉だ。

 他の二人からの視線も厳しく、僕は仕方なくその場で封筒を開いて、中の手紙を読んだ。

『東雲春樹さま 突然のお手紙失礼します。お話したい事があります。夕食が終わった後、ホテルのビーチまで来てください。お願いします』

 一通り簡素な文を読み終え、僕は手紙を封筒に戻すと、ポケットにもう一度突っ込んだ。さっきより雑に入れたので、皺になっていたかもしれない。

「やっぱり行かないよ。差し出し人の名前も書いてないし、イタズラだろ、こんなの」

 やはり無視しようとしたら、僕は三人に部屋から閉め出された。

 ドア越しに言った内田曰く、女の子を待ちぼうけさせるような男は、部屋に入れてやらないんだそうだ。

 あげく内側から施錠されてしまい、ここまでくると悪ノリでしかないような気もしたが、そこは修学旅行中だから仕方ないとしよう。

 僕は言われた通りに、とぼとぼと重い足取りでビーチの方向に足を進めた。

 もちろん、目の前にどんなに可愛い女の子が現れようと、今の僕がその子とどうこうする事は出来ない。

 美桜との関係にすら区切りを付けられないでいる僕に、他の女の子の事を考えるなんて器用な真似は無理だ。

 さっき、ラブレターが自分宛と言われた瞬間、それが美桜からなのではないかと期待してしまった辺り、僕は救いようがない。これでは隆哉の言う通りではないか。

 少し前までは、このまま一生美桜との思い出だけを胸に閉まったまま生きていく方が、遥かにいいのではないかとすら思っていた時期があった。もう恋なんてしない、そうすれば今の胸の痛みも、いずれは薄れるだろうと。

 それほどまでに、僕にとって彼女と過ごした一週間の日々は濃密で、輝きに満ち溢れていたのだ。

 坂を下った先のビーチには、ヤシの木が何本か植えられていて、そばには休憩用のベンチが見て取れる。

 薄暗い砂浜には人影などなく、一時の逢瀬を楽しむカップルすら見当たらない。

 やはりイタズラだったのではないか……と思いつつも、今戻ったところできっと部屋に入れてもらえないだろう。

 ならこのままベンチに腰掛けて、沖縄の夜風にあたりつつ、非日常の風情に浸るのも悪くない。

 昼間の暑さもなりを潜めた珊瑚礁の海の浜辺には、普段湘南で聞き慣れている物とはまったく違う静かな波音と、夜風に靡いたヤシの葉同士の擦れる音だけがその場に聞こえていた。

 もしもいま美桜が隣に居たら……

 このベンチに並んで座った彼女と手を重ね合わせ、美桜は僕の肩に頭を預ける……

 そんな姿が脳裏に浮かんだ。

「あれは反則だよなぁ……」

 ポツリと溢れた独り言は、昨日から美桜がわざわざ選んで着ている服の事だった。

 修学旅行初日、美桜は僕達が付き合い始める前、初めてのデートで着ていたコーディネートそのままで僕の前に現れた。

 以前は明るい栗色のゆるふわパーマだったヘアスタイルは、僕の好みに合わせたという、落ち着いたアッシュブラウンのストレートになって、それは別れた今も変わっていなかった。

 あの時より遥かに清純さが増した美桜に、あの柔らかい印象を与えるコーディネートは本当に良く似合っている。

 それに僕たちが久しぶりに顔を合わせる昨日という日を選んであの服を着た彼女には、何か意図があったのではないか……そんな深読みまでしてしまっていた。

 そして今日、それは意味の無い深読みから、確信へと変わった。今日の美桜が、初デートの翌日、突然家に訪ねてきた日と同じコーディネートをしてきたからだ。

 それが、もう一度あの時の気持ちを思い出して……というメッセージの様に感じてはいたが、正確な所は美桜本人にしかわかるまい。

『もう一度美桜とやり直したい』

『けれど彼女を傷つけた僕に、果たしてその資格はあるのだろうか?』

 彼女を見た今朝から秘かに二つの相反する気持ちがまたせめぎ合いを始めたのは言うまでも無かった。

 好きなまま外から見守るのが一番良い、などと思った事もあるが、結局ほぼ一ヶ月経った今も、何も答えが見い出せないままだ。

 美桜と久しぶりに会って、昨日の朝こそやや気まずい雰囲気だったが、パーカーを貸した時も嫌がってはいなかったし、今日は水族館で多少でも話をすることが出来た。

 特に、僕が魚を捌けることを語った美桜は、どこか誇らしげにしていて、そんな事だけでも嬉しかった。それで充分とすら思えた。

 ただ、それ以外の場面で、美桜の笑顔が幾分硬く、余所行きのそれにはどこか陰りも含まれていて……

 本当の美桜の笑顔を知っている身として、それがとても寂しいと感じた。

 隆哉の言っている意味も分かったし、美桜にいつまでもあんな顔をさせていたい訳でもない。

 なんにせよ、意思の弱い僕は、本人を前にしてしまうともうダメダメだ。彼女と一緒にいたいという気持ちが、どんどん心の中で膨らみ始め、収集がつかなくなってしまう。

 もちろん身勝手なのは分かっている。未練がましいのも分かっている。

 せっかく呼び出してくれた女の子がいたとしたら失礼極まりないが、今は他の女の子では無く美桜に逢いたい……

 そんなことを考えていた矢先だ。僕の名前が呼ばれた。今の僕が望んでやまない、大好きな、一番愛おしい声だった。

「春樹くん…………」

 一瞬、僕の幻聴かと疑った。想いが強過ぎてそう聞こえてしまっただけだろうと。

 けれど、声のした方を振り向くと、夢でも幻でもなく、そこには僕の大好きな女の子が立っていた。

 さっきまで逢いたいと強く願っていたせいで、不躾なくらい視線が釘付けになる。そして気付いてしまった。美桜は僕が受け取った物と、まったく同じ封筒を手にしていたのだ。

「美桜も手紙を?」

 一度自らの手元を見てから美桜は首肯した。

 ベンチから立ち上がった僕は美桜と向かい合う形になる。

 この段階で、もう既に互いの状況は飲み込めていたのだろう。

 ファミレスでの勉強会のおかげで、美桜も手紙に書かれた字が僕のもので無い事くらいは気付いていたはずだ。

 ポケットからしわくちゃになってしまっていた手紙を取り出すと、互いに渡された手紙を見せ合う。そして、すぐにふたりして大きなため息を吐いた。

「これ、百合香の字だよ」

「そっちは隆哉の字だな」

 どうやら僕らは本当にお節介な友人達に囲まれているようだ。

「なんか前にもあったよね、この感じ」

 美桜が僕らの出会ったきっかけとなった時の話を持ち出し、いっその事、一周まわって可笑しいよ、と言って笑った。

「そうだね…………それじゃ、手紙出した犯人も分かった事だし、僕は先に戻るよ」

 今みたいに、他人の力でふたりきりになったとして、それが本当に自らが選んだ決断になるのかわからない。

 ただ、美桜本人を前にしてよく分かったのは、やっぱり僕は美桜の事が好きだ、いや大好きだという事。

 例えいろんな懸念材料があったとしても、それをぶっ飛ばした上で、ただ彼女と一緒にいたいという気持ちが抑えきれない。

 きっとこれ以上この場にいたらその気持ちが暴発してしまう。

 他力本願な今の雰囲気に、僕は流されたくなかった。もう一度やり直すなら自分の力で美桜を呼んで、きちんと告白しよう。

 もしそれで美桜にお断りされたとして、その時には失うものなど、何一つとして無い。

 だから、今は立ち去るべきと判断した。そうでなければ……

「待って!」

 美桜は背を向けて歩き始めた僕の手を取り、その場に引き留めた。涼しい夜風がそよぐ中、美桜に握られた右手の手首だけが熱い。

 彼女が一拍置くように、つばを飲んだのが分かった。

「わたし、もう一度春樹くんと話したい」

 美桜の声音には必死さが垣間見え、それを受けた僕は、自らの言葉を失ってしまった。

 そんな僕を前に、美桜は勇気を振り絞るように先を続けた。

「もし、百合香たちにこんな事されなくても、明日の夜までにわたしから呼び出して、ふたりになりたいって思ってた」

 美桜の手にぎゅっと力が入る。

 お願い、行かないで! と、暗に言われた気がした。

 僕の心音が外まで聞こえるかのごとく大きく、そして速くなる。鼻の奥は詰まり、胸には熱いものが込み上げてくる。

「それって……」

 振り向いて見た美桜の姿に、僕はまた言葉を失った。

 美桜は必死な表情で握った手を離さず、まるで最後の希望に縋り付くように力を込める。そして。どんな些細な動きさえ見逃さまいといった瞳を僕に向け、彼女は言った。

「ねぇ、本当にわたしたちはこれで終わりになっちゃうの?」

 美桜の言った、“終わり”という言葉が僕の胸の奥底を深く抉った。

『それは嫌だ!』

 胸がズキズキと痛む。息は詰まり呼吸すら苦しい。

 だが美桜にとって、僕の存在とは一体何だ?

 僕は本当に美桜に必要な人間なのだろうか?

 たとえ隣に居れないとしても、影から美桜の幸せを願うだけの存在で十分ではないか?

 内に秘めたネガティブな思考が阻害して本心を上手く伝える事が出来ない。

「……僕はその方が君の為だと思ってた。藤堂さんたちとも、うまく仲直り出来たんだし、僕なんかもうお払い箱だろうって……」

 自分で口にした言葉が自らの胸に刺さった。もう美桜には必要がない僕という存在はただ虚しく悲しいだけだ。

 最近になって僕は分かった事がある。

 僕は他人から必要とされる事を求めているのだ。誰かが喜んでくれる事に自分も喜びを覚え、誰にも必要とされない事が一番悲しい。

 美桜と出会った日、僕は俯き涙する美桜を支えたいと思った。それは同情とかそういったものではなく、元の輝きに満ち溢れた彼女を見たいという自分の願いだった。そして、その気持ちが次第に美桜への恋心と変わっていったのだ。

 僕の言葉にしばらく俯いていた美桜は、やがてボソリと呟いた。

「また言った……」

「えっ?」

「春樹くん、また“僕なんか”って言った!」

 美桜は僕の目をもう一度見据えて。急に怒ったような声をあげる。

「だって、やっぱり僕は“なんか”でしかないんだ……」

「じゃあなんで春樹くんはいま泣いているの?」

 すぐ美桜に言い返され、はっ、となって目元に手をやる。自らの濡れた指先を見て、自分が涙している事に気付かされた。

「春樹くんは勝手すぎるよ。わたしの為だって言うけれど、いまの春樹くんの言葉には、わたしの気持ちなんかこれっぽっちも入ってないじゃない!」

 美桜の悲鳴の様な反論に、僕は言葉がつっかえたままで、何も言い返す事が出来ない。

 美桜は感情を顕にしたまま、自らが抱えていた想いを吐露し始めた。

「事故で意識失ったって聞いて慌てて駆け付けたら、いきなり別れるとか言われるし、もう一度話したくってLINE送っても既読すら付かないし、電話しても無視されるし、やっと掛け直して来てくれたってドキドキしながら電話に出たら、どちら様? なんて言葉が返ってくるし! 」

「それはスマホが壊れてたからって……」

「そんな理由なんかどうでもいい! もっと、もっとわたしの気持ちを考えてよ!」

 今までで一番大きな声をあげ、泣き叫ぶ様に言った美桜の瞳は、もうかなり濡れそぼっていた。美桜はそれを振り払うかのように首を左右に振ると、勢いよく僕に抱きついた。そのまま痛いくらいの力で僕の事を抱きしめる。

「わたしはあなたが好き、だから一緒に居たい。ただそれだけなの……」

 縋り付くようにして泣きじゃくる美桜に言われた瞬間、世界からすべての音が消えさった。

 そして、気が付けば僕も美桜の事をきつく抱き締めていた。

 今はただ、互いの熱い息遣いと、自らの心臓の早鐘だけが聞こえている。

 ずっと僕から身を引いて、美桜から離れるべきと考えていた。それでも一緒に居たいという想いを僕自身が捨てられずにいた。

 今、涙を流しながら僕の胸元に額を押し付ける美桜を前にして、自分の考えがちっぽけな物に変わっていた。下手な考え休みに似たりと言うやつだろうか。

 僕は体面や他人の反応ばかり気にして、肝心な自分の気持ちを押し込めていた。美桜の気持ちにも向き合ってこなかった。

 けれど今、美桜に抱き着かれて、僕の一番望む言葉をストレートに伝えられて……

 あれだけ悩んでいたのに、反射的に彼女を抱き締め返しているのだから、身体は正直なものだ。

 美桜よりも強く、それこそふたりの間に隙間など作らせないとばかりに、治りたての腕に力を込める。ぴったりと触れ合う素肌はますます熱を持ち、いっそこの熱で溶け合ってしまいたいくらいだ。永遠に時が止まればいいとすら思う。

 華奢な美桜の腰と肩に両手を回したまま、僕はごめん、と呟いた。胸元の美桜は首を振って、嫌だ、と言った。

 ごめん、またギュッと力を込めてからもう一度言うと、もう離さないで、と言われた。

 うん、もう離さないよ、と伝えてから、背中をとんとんと優しく叩いて、そっと撫でてやる。

 薄着越しの肌からも感じられる美桜の体温が温かくて、そして彼女の匂いが懐かしくて。なにより僕の腕の中にいてくれる事が嬉しくて。

 ずっと掻き乱されていた心がゆっくりと凪いでいく。結局、他には何も要らない。答えはとっくにここにあったのだ。

 この温もりから離れるなんて、どれだけ僕は愚かな事を考えていたのだろう。

「わたし、ずっと楽しみにしてたんだから……」

 やがて、胸元から涙混じりのくぐもった声がした。

「せっかく修学旅行の前に大好きな彼氏が出来たんだよ? 自由時間はずっと一緒に回ってお土産買ったり、絶対忘れられない思い出を作りたいって思ってた。それが終わっても、文化祭は同じ係になって一緒に準備して。当日は校内を一緒に回るの。屋台で食べ物買って半分こにするのもいいよね。テストに期間入ったら図書室で一緒に勉強して、問題出し合ったりもしたいな。あ、ファミレスではわたしの胸元ばっかり見てたの、あれ気づいてたからね? エッチな春樹くんがちゃんと集中出来るかちょっと不安だなぁ……クリスマスは絶対にバイト休んで一緒にデートするんだ。プレゼントは何がいいんだろう? バイト代貯めてちょっと贅沢なお食事とかに行くのもいいよね? 大晦日は寒川神社に初詣に行って、一緒に年明けを迎えて、誰よりも早く『あけましておめでとう』って言い合うんだ。春になったらお花見かな? 飛鳥くんや美雪さんを誘うのも良いよね。ダブルデートって楽しそう。先輩カップルだから、色々と教えてくれそうだし。でもその頃にはもう受験生だから、卒業するまでは大変かもしれないよね。一緒の予備校に通えるといいなぁ。とにかくその先もずっと、ずっと一緒に思い出を積み重ねて行きたいって。そう思ってた……」

 時々鼻を啜りながらも、美桜は自らの思いを一気に語りきった。

 僕の知り得ない、美桜の描く未来予想図には、常に僕が隣に居た。

 こんな告白をされて、嬉しくないわけがない。僕だってどれだけそんな未来を夢みたかことか。

 しかし依然として、美桜に何かあった時に僕はどうしたらいいか分からないままだ。

 彼女はどこにいたって目を引くだけの容姿を持っているのだから、彼氏としては心配が尽きない。

 隆哉の話していた、美桜を狙っている男子達の動きも気になるし、何より僕を脅してきた上に、事故まで起こさせた迫田の事もだ。

 旅行中はまだ大人しくしているが、また僕らが一緒に居るのを見れば、何をしてくるか分かったものではない。

 なんとしても彼奴の魔の手から美桜を守らねばならない。

「僕は怖かったんだ……僕がそばにいるせいで、もし美桜に危害を加えられたらって」

 一番の本音を吐露した所で美桜が胸元から顔を上げて僕の目を見た。

「わたし、もうだいたい知ってるんだよ?」

「えっ…………」

 驚きの声を出した僕に向かって、美桜は静かに頷いた。

「事故の後、病院で別れようって告げられた時は、一度、世界が真っ暗になった。美雪さんにも、こんなことになるなら、春樹くんの事好きになりたくなんか無かった! っておもいっきり感情をぶつけちゃってさ……」

 どうやら美桜も僕と同じ様なことを考えていたようだ。その気持ちは痛いほど理解出来る。

「姉ちゃんが口も聞いてくれなくなったのはそのせいか……」

「あっ、そうだったんだ。なんかごめんね、わたしのせいで」

「いや、この際悪いのは僕だから、別にいいけど……」

「自覚はあるんだね……」

 じとーっとした目で僕を見つめた美桜は、一拍置いてから先を続けた。

「まぁ、その後もひとりで色々考えていたの。そしたらやっぱりおかしいんじゃないかって。春樹くんが突然別れるって言ったのには、なにかしら理由が何かあるんじゃないかって。そのうちに百合香に説得されて、学校に行ってみたら、アイツが停学になったって知って、それの原因がバイク絡みだって聞いたから、春樹くんの事故となんか関係あるんじゃないか? って思ったの」

「なんか美桜が探偵みたいだなぁ……」

「これも愛のなせる力かなっ!? って言ったら笑う?」

 胸元の美桜がやっとイタズラっぽく笑った。そうだ、僕の見たかった彼女の顔はこういうものだ。僕は首を横に振って、笑わないよ、と告げた。

「それでも結局、何があったかまでは分からなかったけど、アイツが春樹くんのバイト先にまで乗り込んでやる、って言ってたって話までは分かったの。だから、事故にもアイツが関係してて、春樹くんは脅迫まがいの事されたんじゃないか? って想像してた……違う?」

 全くもって美桜の想像通りだった。それに僕の思っていた以上に美桜はしたたかな女の子だ。

 責任を感じて縮こまってしまうどころか、あの状況から自力でこの答えを導き出して、それに立ち向かった上で今ここにいる。僕ならとっくにメンタルが折れて、ひしゃげていただろう。

「今はまだ、何があったかは言えない。けれど、ほとんど美桜が想像した通りであってるよ。ただね、僕は君のためなら何をされても構わない。けれど僕のせいで美桜の身に何かあったら、それだけは居た堪れないんだ。だからそうなる前に身を引こうとした。美桜が僕なんかの事で責任を感じて悲しむ姿を見たくなかったんだ……」

「バカ春樹……」

 美桜がポツリと言った。

「春樹はやっぱりバカだよ! やっぱりわたしの事ちっとも分かってないじゃない!」

 美桜がまた感情を顕にして言った。

「あなたの為ならわたしはどれだけ涙を流しても構わないわ。どれほど悲しくてもあなたがいれば耐えられる。いや、あなたとだから、悲しい時は一緒に悲しみを半分に分かち合いたいの。その分、あなたが嬉しいときはそれをわたしにも分けて欲しい。ふたりで喜んだら嬉しさは倍になるでしょ? そうやっていつもあなたのそばにいて、一緒に同じ時間を重ねて行くのがわたしの望み。ねぇ春樹、仮にあなたに何があったとしても、わたしが味方になる。何があっても絶対そばにいるから。だからわたしに何かあったときは、隣でわたしを護って欲しい、支えて欲しい、時にはこうやって抱き締めて欲しい」

 美桜がまた僕を抱く腕に力を込めた。

「お願い、その相手はあなたがいいの。あなたじゃなきゃダメなの。だから、わたしのそばに居て。わたしから離れて行かないで。わたしをひとりにしないでよ!」

 美桜の瞳からまた大粒の涙が溢れ出す。

「わたしの世界に鮮やかな色を付けてくれたのはあなたなの。だからあなたとずっと同じ世界を見て行きたい。いいえ、一緒に見せて……お願い。こんなわたしだけど、春樹の事は絶対に裏切らないから……」

 僕はなんてバカな奴なんだろう。こんな情けない自分に、美桜は想いのたけをありったけの言葉に込めて伝えてくれた。それは嬉しくて、なにより愛おしくて、これ以上無いくらい胸が締め付けられて。もはや目の前の美桜の顔さえ分からない程、視界がぐちゃぐちゃだった。

「本当に、僕は、美桜の隣に居ても、いいの?」

 涙でしゃくりあげながら、何とかそれだけを口にする。

「春樹じゃなきゃ、嫌、もう他の人なんか、考えられるわけ、ないじゃん……もう、何度言えば分かってくれるの?」

 美桜も涙声になりながら必死に伝えてくれた。僕の瞳から止めどない涙が溢れ出す。

「ねぇ、春樹……」

 互いに幾らか涙や鼻水が落ち着いた頃、いまだ滲んだ朧気な視界の中で、美桜は僕の頬に手を当ててきた。

「これだけは覚えていて欲しいの」

 僕が頷いて先を促す。美桜は泣きながらもうっとりとした表情をしていた。

「桜の花は、春と一緒に咲いて微笑むの。だからわたしもね、春樹と一緒に笑いたい。春樹が居ないと、わたしはもう咲けないんだから……」

 感極まった僕も、美桜の頬に手を添える。

 いくらぐしゃぐしゃな視界でもわかる程の至近距離まで互いに顔を近付けて、しばらく見つめ合ってから唇が重なり合った。

 きっと今までで一番長いキスだった。

 もうさっきから、どれだけ今のまま時が止まれば良いのにと願ったか分からない。

 願ったところで、僕らの息も長くは続かなかった。

 美桜が、ぷはっ、とばかりに唇を離して苦しそうに息を吸う。

 唇の代わりに今度はおでこと鼻先を重ね合わせて、互いに熱くて荒い息を整えた。

「美桜……」

「春樹……」

 互いに愛しい名前を呼び合うと、いまさら美桜が僕を呼び捨てするようになった事に気が付いた。美桜との距離がまた近付いた気がして、ものすごく嬉しい。

 もう一度、今度は互いに息継ぎをしながら、もっと長い長いキスを交わした。

 まだお互い下手くそかもしれないけどそんなのは構わなかった。

 美桜の恍惚とした表情に僕はますます興奮し、より激しく彼女を求める。それをまるまる受け容れてくれた美桜は、やがてキスだけで腰が砕けてしまったようで、崩れる様にして、力なく僕の肩にもたれ掛かってきた。

「もうダメ、苦しい……」

 息も絶え絶えな美桜の身体を、腰に手を回すことで支えて、先程のベンチに腰掛けさせる。隣に僕が座ると、美桜は身体ごと横に倒して僕の膝にこてんと頭を預けてきた。

 まだ息は荒いが、再び心が通い合った事で安心しきっているのか、美桜はどこか虚ろ気な中にも満足感を含んだ表情をしている。これもきっと他人には見せない美桜の一面だろう。

 僕は美桜の頭を撫でながら、サラサラとしたその髪を手ぐしで梳いた。気持ち良さそう相好を崩した美桜にまた愛しさが込み上げる。

 膝枕をやってもらうのは大好きだが、してあげるのも悪くないなと思った僕は、もう一度美桜の頬に軽い口付けを落とした。

 美桜はくすぐったそうにしていたが、嫌がる様子などは微塵も感じない。

 やがて息も整った美桜はゆっくりと身体を起こすと、改めて僕の膝の上に座り直した。

 突然の行動に虚をつかれたものの、僕はすぐに美桜を背中から包み込むようにして抱き締める。

「膝枕も良いけれど、わたしはこっちの方が好きかも」

「一ヶ月近く辛い思いさせちゃったけど、これからはいつでもやってあげるよ?」

「うん、ありがと。昨日もね、こうされてるみたいで、実は嬉しかったんだ」

「何のこと?」

 僕が尋ねると、美桜は電車の中でパーカーを貸した時だと言った。襟元を顔まで持ってきて覆っていたのは僕に包まれているみたいに感じたからだ、と言われて一気に顔が熱くなる。

 お返しとばかりに、気恥ずかしさを誤魔化すごとく、美桜の首筋に唇をあてがい、軽く吸い上げた。

「ふぇえ? ちょっと、もしかして春樹、そんな場所に!?」

 美桜には僕のした事の意図がすぐ伝わったらしい。もちろんこんな事をするのは初めてだから、上手くいくかなんて分からなかったけれど、美桜の首筋にはきちんと僕の唇の跡が残っていた。

「今日のおまじないが、明日まで解けないように……って、ちょっと臭かった?」

「それってどう言う意味?」

 腕の中で美桜が僕を振り返る。

「もし、修学旅行の間に、誰かが美桜に告白しようとしてたら、御守りになるかなって?」

「へぇー、春樹はそんな事心配してるんだ……あれだけ好きだって、あなただけって伝えたのに、絶対裏切らないとまで言ったのに、信用ないなぁー、わたし」

 不貞腐れた態度をした美桜が、可愛らしくぷいっとそっぽを向いた。

「隆哉からさ、美桜を狙ってる輩が何人もいるって聞いているんだ。そりゃ心配にもなるよ。やっと美桜とまたこうしていられる様になったんだから、他人に水を差されたく無いじゃないか」

 もぅ、と不機嫌を装って言った美桜がこちらをジト目で見てくる。

「そう言えば、春樹、あなたも夏希に褒められて鼻の下伸ばしてたわよね?」

「え……あ、あれは違う!」

「どうだか?」

 これ以上いらぬ誤解を招いては困るので、僕は半ばやけっぱちに本音を伝える事にした。

「あー、もう! あれは美桜が僕の事を自慢げに話していたのが嬉しかったの!」

 ふぇぇ!? と変な声を上げて、美桜は目を点にして驚いていた。

「この際だから言っておくけど、僕も自分がこんなに独占欲の強い人間だとは思っていなかった。けど、それもこれも美桜のせいだからね?」

「わ、わたしが悪いの!? なら、わたしをこんなにめんどくさい女の子にしたのも春樹のせいだよ! こんな嫉妬深いタイプじゃなかったはずなのに……」

「美桜はめんどくさくなんかないよ。美桜の強さのお陰で僕は救われた。美桜が勇気を出して一歩踏み込んできてくれたから、今こうして君を抱きしめていられるんだよ……」

 僕はもっと君が欲しいと言わんばかりに、反対側の首筋にも、もうひとつキスマークを残した。

「ちょっ、えぇ!? そんな、両方に付けられたら、めっちゃ目立つじゃん! てか、部屋に戻ったら百合香たちに何言われるかわかんないよ!」

「なら、誰にも見えない所にも付ける?」

「もぅ、何言ってるのよ! 春樹のエッチ!」

 美桜が自分の体を守るように、胸の前で自らの腕を交差させる。

 可愛らしい抵抗に、少しだけ悪戯心をくすぐられるが、これ以上は本気で怒られかねないのでやめておくことにした。


 後から抱き抱えたままの美桜の肩に頭を預けて、ありがとう、と言うと、それはわたしのセリフ、という言葉が返って来た。

「そう言えば、飛鳥君から聞いたんだけど、春樹は明日一日何も出来なくなっちゃったんでしょ?」

 美桜の言葉で現実に引き戻された僕がため息を吐く。

「あぁ、スキューバダイビングは、いくらギプスは外れてても、まだリハビリ中で腕が自由に動かないうちにやるなって言われてさ」

 正直、美ら海水族館と並んで楽しみにしていた体験学習だったのでガッカリしていたのだ。

「わたしは琉球ガラスの体験だから、昼過ぎにはこっちに戻ってこれるみたい。だからその後の自由時間はここで待ち合わせて、海で遊ぼうよ。せっかく新しい水着買ったのに、春樹に見せなきゃ損だしね!」

 なんともありがたい提案に僕は心が踊った。

「美桜の水着姿かぁー、きっと超可愛いんだろうなぁ!!!」

 頭の中に。海辺ではしゃぐ美桜の姿が浮かんだ。

 美桜の水着はビキニだろうか? 彼女のスタイルは抜群だし、着やせするタイプの美桜のだけに、たわわな胸元を見てマンガみたく鼻血を吹いたりしないか今から心配になる。

 僕がトリップしている事に気が付いたのか、そこは楽しみにしててね、と美桜が耳元でささやいた。そして僕の耳たぶをかるくは口先に含む。

 あまりにエロチックな行為と美桜の表情の色っぽさに背筋がぞくりとした。こんな事をしていたら変な所に血が集まってしまう。

 慌てて彼女を促し、僕は誤魔化す様にベンチから立ち上がった。

「さ、さぁ、もうすぐ消灯時間になるし戻ろうか」

 僕のあれがどうなっているか、気付いていたのかいないのか?

 うん、と言った美桜は僕の腕にギュッと抱き着いた。

 少なくとも、今右腕に当たっている豊かな柔肉の感触を楽しんでいるのはきっとバレているだろう。

 ひとりで来た道を、帰りはふたりで引き返す。

「このひと月は寂しくて辛かったね……」

 美桜は僕を見上げながら言った。

「辛い思いをさせてごめん」

 首を横に振った美桜が、いいの、と言ってから先を続ける。

「ううん、だからこそ、分かった事もあるし……」

 僕は首を傾げた。

「自分がどれだけ春樹を好きで、離れたくないと思ってるか……」

「なるほど。それは僕も一緒だ」

 美桜が、うん、と頷く。

「きっと、少し離れている時間も必要だったのかもね? だってこんな思いは二度としたくないって、ハッキリ分かったんだもん」

 確かに美桜の話にも一理ある。互いに辛かったのは事実だが、今回の事を乗り越えたことで、もう離れたくないという思いは強くなった。だから僕はこの一言に決意を込める。

「これからはずっと美桜と一緒にいる、だって僕は君との未来が知りたいんだ」

「わたしも春樹との未来が知りたい」

 別々の部屋に戻るのを躊躇うように、僕らはもう一度目を閉じて、優しく口付けを交わした。

 きっとこれからも、いろんな辛い事、悲しい事があるかも知れない。けれど僕たちなら全て乗り越えられるはずだ。

 一緒にいられない事ほど辛いものは、他に無いと知ったのだから……

 確かめあった決意は交わる唇にたっぷりと込めて……一生かけて美桜を愛すると神様に誓う。

 互いに精一杯の愛の込め合った口付けを終え、僕が再び目を開いたとき、世界で一番愛しい美桜の笑顔がそこにはあった。


※本編完結 後日談に続く……

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僕は君との未来を知りたいんだ 鮎川周喜 @basia

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