忘れ物はそこに

@shirokumasuke

読み切り

 青い大樹。

 深緑ではなく、文字のまま真っ青な厚い葉の茂る巨木。所々に、ピンクの花びらに中央が黄色の花が咲いているのが真上から照らす銀月によって見えた。花は詳しくないからわからないけれど、椿があんな感じだったような気がする。

 その木の幹に寄りかかり腰を落とす。

 目の前の金髪の少女の髪とストールが靡いた。

 彼女は眼下の、崖の下にある真っ赤な円の中心にある、葉のない枝が天に向かう大木を見ているのだろう。

 俺はその金色の背中に語りかける。

「ここは変わらないな」

 自分の住んでいる街では大型商業施設が出来て、近所の小さな電器屋がなくなったりした。よくそこで電池を買ったりしていたから寂しかったものだ。

「……うん」

 初めて会ったのは一年前。互いに二十三歳のときだ。あのときは色々とあって、気付いたらここにいた。

 森に足を踏み入れてこの青い木まで来たとき、崖の端で銀色に光る彼女が目に飛び込んで来た。全く、奇妙なものだ。何気なく立ち寄ると、名前も知らない彼女もここに来ているのだから。

「何があった」

 耳に届いたとは思うのだが、しばらく彼女は無言で髪を妖しくゆらゆらキラキラさせていた。

「……キミになら、見せてもいいかな」

 呟くように言うと、ゆっくりこちらに振り返る。

 一年振りに見る顔。少し大人っぽくなっただろうか。しかし瞳には光がない。声にも以前の優しい明るさはなく、月明かりもあって儚げな存在に見えてしまう。蝶のようにどこか遠くへ飛んでいきそうな軽やかさ。悪く言えば吹き飛ばされてしまうか弱さ。

 彼女は片方のレザー生地の手袋を外した。すぐに手の甲から肘にかけてが月光を浴びて冷たく光る。俺は言葉を失う。

「驚くよね。私、失くしちゃったの」

 口元だけが微笑む彼女に夜風が吹き抜けた。何を? と問う必要はないほどにヒシヒシと伝わってくる。気付くと俺は自分の腕を握っていた。

「妹がね、コンクリートに潰されたの。私は片腕で済んだんだけどね」

 ごくりと俺は息を呑む。とすぐに全身から汗が吹き出た。

「建設途中のビルから資材が落ちたの。手繋いでたんだけど一瞬でなくなっちゃった、ぺしゃって。高校卒業したばっかりで、大学楽しみにしてんだよ。お揃いのアクセサリー買おうって約束もしてたのに。全部潰れたの。おかしいよね、はは……はははは……アハハハハハ……!!」

 甲高い声が静かな森に響く。

 

 あの日、俺は自分の追い続けた夢に限界を感じてしまった。もう努力を、続ける気力を失ってしまっていた。それで気付けば来たこともないこの場所にいた。

 やってもやってもやってもやっても、何度諦めを振り切り心を奮い立たせても、今どこを歩いているのかわからない。……死にたくなった。

 夏の夜にがむしゃらに自転車を走らせ、なんとなしに道から外れて森の中へ入り真っ青な木を見つけたときだった。崖の下を見ていた少女に声をかけられたのは。

 「こんばんわ」だったか。幻想的な場所なのに普通の挨拶をしてこられて、頭が混乱した覚えがある。いかにもお人好しな感じで、見ず知らずの俺の悩みをしっかり聞いてくれた。いや、だからそんな自己的でどうしようもなくくだらない話をしてしまったのか。

 色々と話して落ち着いてから、彼女と一緒に七十メートルほど高さのある崖の下を見た。

 別に本当に死にたくてこんなところに来たわけではなかった。今思えば日常から離れたかったのかもしれない。人のいない場所、人の発する音や光のない場所へ。

 赤いサークルと、三十メートルほどある巨木を見つけ、そこに降りてみたくなった。彼女と歩き回って崖の下に行く道を探したけれど見つからなかった。

 気付けば空は白み始めており、俺と彼女は青い木のところで別れた。そして一年後の今日またここで出逢った。


 かける言葉がわからない。見つからない。月明かりに青白く照らし出された、狂った人形のような姿を見ていては直視すらし難い。

 肘から先は義手(バイオニックアーム)でどうにかなっているようだけれど、心はボロボロだ。もちろん代わりのものなんてないし、修復は簡単ではない。傷は相当な深さだろうけど俺では想像もつかない。一年前の自分の悩みなんて比にならないし、果てのない辛さだと思う。

 だけど、俺は……今度は俺が彼女の力になりたい。

 立ち上がり声を絞り出す。

「……俺でよければ、話を聞かせてくれないか」

「話す? なにを話したらいいって言うのよアハハハ」

「……ごめん言葉を間違えた。……心の、叫びを聞かせてほしい」

 彼女は無表情になり星空をしばらく見上げていた。後ずさり青い木の幹に当たると、俺の隣にぼたっと座り込んだので、俺もゆっくり腰を下ろす。そして彼女は、妹との小さい頃からの思い出を語り始めた。


「……ちょっと、疲れちゃった。たくさん、話し、た……ね……」

 彼女は大樹の幹に背を預けた。

 話し始めると徐々に語気は和らぎ、俺の知っている彼女に近づいた。知っているなんて、ただ一度一年前に数時間一緒にいただけのことだけれど。それでも俺の心は落ち着いた。

 ふと肩に弱い衝撃。同時に甘い香り。首だけ動かして見れば、頬にボサボサになった金色の髪の毛が当たってくすぐったい。

……なんか、俺も眠く……

「おやす、み……」



「……あれ、ここは……?」

 目を開けると違和感に襲われた。なんだか変な感覚だ。風が強い。

 隣には彼女がいる。その後ろの暗い景色が……

「……う、嘘だろ」

「ここは……? 浮いてる!?」

 森や遠くの街明かりが動いていると思ったら空中に浮いていた。

 俺たちと空の間。つまり尻の下には、布団くらいの大きさの青いものがある。

「なんか、魔法の絨毯みたいだね」

「本当だな……夢みたいだ」

 正確には、何十何百もの青い葉っぱが俺と彼女を乗せていた。すごく心地良い。

 葉っぱの絨毯は徐々に下降していく。すると馥郁(ふくいく)とした薫りがふわりと漂う。下には赤いサークルが見える。案の定その一部分に着陸した。

 崖の上から見えていた赤いものの正体は、花弁の集まりだった。一つ手にとって見ると、丸みを帯びた深紅(しんく)の小さなもので、相当な数が落ちていることに驚く。

「これは……梅の花ね」

 彼女が俺の手のひらを覗き込んで呟く。

 随分赤い桜の花弁だなと思ったけれど違い、赤いサークルの本当の正体がわかった。

 その円の中心の相当大きな木、恐らく梅の木なのだろう。俺たちは天まで伸びるような枝枝を見上げてからそれに近くに歩み寄る。

「ねぇ、あれ!」

 幹の端に、蔦(つた)が段状になって上へ、ゆるい螺旋状に伸びているのを彼女が指差した。

「登ってみよう」

 迷いなしに俺はその段に足をのせていくと、彼女も後ろを付いてきていた。

 四十段ほど登ると目の前に木の幹が来たが、半円状に穴があり、中には空間があった。もう登り始めの場所は完全に見えない。たぶんここは木の裏側だ。

 中に入ってみると、至って普通の部屋だった。勉強机に二段ベッド、ピンク色のカーペットやカーテンに小物類。幼い女の子が暮らしているような感じを受ける。同時にそんな部屋がこんな木の中にあることに対する異質さももちろんあった。

 「メルヘンな部屋だね」そう言おうとして彼女を見ると、大粒の涙を流していた。

「大丈夫!? どうしたんだい」

「ここ……わたしたちの、昔の部屋よ」

「……え?」

 全く理解できなかった。かといって彼女がテキトーなことを言っていないのはわかる。

「これは……あぁ、懐かしい! こっちも! ーー」

 彼女は部屋の物に吸い寄せられるように、一つ一つ確かめるように、慈しむように触れて歩き回る。二段ベッドの中を懐かしげに見ていたときだ。俺の横を人が通り過ぎる。全く気配を感じなかった。

 高校生くらいのその女の子は、彼女に歩み寄る。

「ぁ……うそ……アユミ、なの……!?」

「そうだよ! おねえちゃん」

 彼女とは反対に活発な声の、妹らしき少女。  

 彼女は泣きながら強く少女を抱きしめた。

 さっきの私たちというのは自分と妹のことか。……いや、待て。さっき彼女は、妹は死んでしまったと言っていた。なら、今俺が見ている少女はなんなんだ。

「おねえちゃん泣き虫だなーもう」

「だって、だってぇ……」

 少女は嗚咽混じりで涙を流す彼女をしばらく宥めていた。そのあとは二人で二段ベッドの下に座り、姉妹の思い出話などを長いこと和やかに話していた。

 その間俺は、いつの間にか入り口横に置かれていた日本酒とスルメを手に、蔦の階段に座って月を見ながら一人チビチビとやった。花見酒もいいけど、月見酒もなかなかに風情があるものであった。

 空が僅かに明るくなり、星の数が少し減ったときだ。後ろで彼女の大きな声がした。

「お別れってなんで!?」

「おねえちゃん、アユミは帰らなくちゃいけないのです」

「どこに? ずっとここで暮せばいいわ。そう、それがいいわよ!」

 少女は柔らかい笑みで首を横に振る。

「だめなの。アユミはもうおねえちゃんと違う世界にいるから。最後にこうして会えたから、あとは伝えられなかったことを伝えられれば、アユミは満足なのです」

 活発だった声は僅かに震えている。振り返らずとも背中に全て伝わってくる。

「私、もっとアユミと、一緒にしたいことあったの。二人で旅行に行ったり、二人で温泉に入ったり。二人で、お酒飲みながらいろんなこと話したり……」

「ほんと!? アユミも同じこと考えてたよ。うちら仲良しだね」

「そう、だよ。……ずっと、仲良しなんだから。お揃いのアクセサリーだってまだ買ってない……」

「……ごめんね」

 俺は二人の声を背に、どんどん薄暗くなる空と、薄くなる月を見上げる。

「おねえちゃん、アユミが伝えたかったことは話してる間にほとんどなくなっちゃった。だから……一言だけ」

「待って、私もっ」

「えー、じゃあ、せーので言おうよ」

「……うん、わかった」

 そこから僅かな静寂が流れ、二つの声が重なる。

「「大好きっ」」




「あ、また読んでる。本当に好きだな、それ」

 リビングのソファーで絵本を読む、金色の背中に声をかける。

「だって、何回読んでも感動するんだもの、あなたの書いた物語は」

「……ほら、ココア」

 ソファー前のテーブルに湯気の立つカップを二つ置いて、彼女の隣に腰掛けるとどちらからともなく手を握る。少し硬い感触にはもう慣れた。

「この物語、すごく心に残るんだもの。切ないけれど、あったかいような」

「書いたときは一心不乱だったよ」

 書き始めたのはたしか十年ほど前だと思う。しかしその当時のことはもうよく思い出せない。

「妹のことを思い出すの。突然の別れで何も伝えられなかった。でも、伝えられた気がするの。……って、よくわからないわね」

「いや、きっと伝わったし、向こうも伝えられたんじゃないかな」

「……そうね。そんな気がする」

 ニコッと笑った彼女の手の甲に自分の手を添え、大きくなったお腹を撫でる。

 遠い昔、どこかの森の中であったこと。

 彼女と一年ぶりに同じ場所で再会した。

 確かなことはこれだけ。

 たぶんあと、夢のような不思議な体験もした。でも内容なんて覚えていない。やっぱり夢だったのかもしれない。

ーーでもこうも思う。

 この絵本は、その夢から覚めてすぐの俺が何かを残したかった、その結晶なのではないかと。

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