満月の少年たち
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満月(つき)の少年(こども)たち
──美しい夢を、見た。
彼女のまるで月の光のような
陶器のように白く
小柄で
しかし彼女は
私はもはやすべての道徳観も倫理観も忘れ、その快楽と
──そう。すべての行為が終わった果てに世にも恐ろしい『
一、
「……本当にこれが、私の家なのか?」
都心でも指折りの高級住宅街の一角にそびえたつ、コンクリートうちっぱなしのモダンで
「何度もそう言ってるじゃないですか、
『先生』と言う割にはまるで子供に言い
「しかし少女小説家というのは、そんなに
「まさか。先生はたしかに我がレーベルきってのベストセラー作家ですが、残念ながら我が社ではそれほどの原稿料も印税もお支払いしてはおりません。何でも先生のご実家が、旧家の大地主であらせられるそうです」
そうなのだ。実はこの『
「しかし驚きましたよ。徹夜明けのホテルに迎えに行ったら、いきなり『記憶喪失』になっているなんて。どうせ作家お得意の
一階の吹き抜けのエントランスから透明なガラス張りのエレベーターで三階へと上がる道すがら、ほんの少しの同情心のかけらもない口ぶりで副編集長様はのたまった。
まったく。こんなやつが担当だなんて、記憶喪失にもなろうというものである。
いや、そんなことを言っている場合ではない。今の私は
「この部屋です」
まさに『勝手知ったる他人の家』といったところか。原山はわが物顔でおどおどとし続けている私を、その部屋へと招き入れた。
うわっ、何だこりゃ。一応予測はしていたつもりなのにその『私の仕事部屋』というものは、想像を上回る
これぞ『小説家の書斎』といった
「……これ全部、少女小説なのか?」
「ええ、そうです。まさしく我が『マリン文庫』の歴史そのものが、この本棚に凝縮されていると言っても過言ではないのです。ほら御覧ください。初期の名作『三重苦の
……ったく、一人で鼻高々になって。いったい誰の本棚だと思っているんだよ。
しかし、何なんだろうねえ。当然仕事の参考資料用としても使っているんだろうけど、『私』ってよくよく少女小説が好きなんだろうなあ。
「ふうん。作者ごとに背表紙の色がちがうんだ。冊数だとこの作家のが一番多いよね。私、この人のファンだったのかな」
すると原山が、さも
「何をおっしゃいますやら。それ全部、あなたの作品じゃないですか」
ええーっ!? このド派手なピンクの背表紙のやつがあ? ちょ、ちょっと待ってよ。作者名が『
「ああ、ペンネームのことですか。なあにこの世界じゃ珍しいことじゃありませんよ。やはり作者が女性の方がよりソフトな感じがして、読者に受けがいいようなんです」
……私って、いったい。何だか頭が痛くなってきた。もうこれ以上自分の過去について、知る勇気がなくなってきた。
「先生、本当に何も覚えていらっしゃらないんですねえ。まあいいじゃないですか、ここにあるご自分の著作を読んでいるうちに、何か思い出すかも知れませんし。そうそう、今日いただいた最新作もゲラを
たしかに、一般的なミステリーでは記憶を失った小説家がまず頼りにするのは、自分の著作や日記といったところであろうが、果たして『性別を
「そうだ、先生、
うっ、それはちょっと。まさか「夜空の
「いやあ、何かそっちの方も、すっかり忘れちゃってさあ。あはははは」
「……そうですか。それは残念ですなあ」
しかし相手は何といっても、作家の嘘を見抜くことの
するとまさにそのとき私の
「この家、他に誰かいるのかな?」
「四階ですな。行ってみましょう」
彼のやけに落ち着いた態度が気になったが、私にはその言葉に従う以外すべはなかった。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
最上階は仕事場や応接機能が
「この部屋が、先生の寝室になります」
そう言いながら素通りかよ。まあたしかに音がしたのは、もっと奥の方だったけど。
「ここです」
何となく気になる笑みを浮かべながら一番奥の部屋の扉を開け、入室をうながす
やだなあ、いかにも何かありそうな展開だよ。私は恐る恐るその部屋の中をのぞき込もうと──おいおい。どういうわけだ、これは!?
私は『それ』を
まるで月の光のような
そう。まさにあの夢の中の妖精のような少女が、その場に
いや、ちがった。その小柄で
……えー、何でわかったかというと、私は夢の中の『少女』の方は、
髪の毛はいわゆる『ベリー・ショート』と呼ばれる極端に短いものであり、体つきも女性らしい丸みはほとんどなくひょろひょろと
「……この子は、いったい……」
あ、原山さんたら。人のことを、そんな
「何だか私、疲れてきましたわ。いくら何でもひどすぎますよ、ご自分の息子さんのことまでお忘れになるなんて」
む、息子だと!? うっそー!
私はとても信じられず、まじまじとその少年を見つめた。
「あのう、私って、外国人だったの?」
「先生は
「それじゃ、この子の、このルックスは……」
「いくら担当編集者だからって、作家のプライバシーのすべてを知っているわけじゃないんですからね。まあ、聞くところによるとこの子は『ご養子』のようですが、もうすでにちゃんと戸籍にも入っているみたいですよ」
『私』ってば国際結婚かなんかしていて、奥さんの連れ子だったりするのだろうか。でも今現在妻がいる気配もないし、その程度のことならば原山も知っていたはずだし……。
──ええい、やめたやめた。これ以上自分の家族構成を
「まあこれで、あらかた『御説明』も終わったことですし、そろそろ私の方はおいとまさせていただきますかね」
そ、そんな、こんな状態でひとりにするつもりなの? それでも担当と言えるのか!
しかし私のその慌てようを見るなり、原山はふき出すように目を細めた。
「これは驚きました。
「な、何だよ。それじゃ普段の私は、そんなに冷酷非道な男だったとでも言うのかよ!?」
……ちょっと原山さん。何なのそのいかにも意味あり気な、毒気に満ちた
「いやあ、『記憶喪失』って、本当に便利なものですなあ」
どこかの映画解説者か、おまえは。
その皮肉っぽいコメントだけを残して原山副編集長様は、哀れな記憶喪失の作家をひとり置いて、無情にも立ち去っていったのである。
二、
まさにその少年はあたかも魂を持たない、一体の美しき人形のようであった。
とにかく一人になってから何が大変だったかというと、あの『少年』の世話であった。
五感の方は別に異状はないようなのに、何が起きようともまったく反応というものを示さず自分からも言葉すら発さず、自立的な生活能力が完全に欠けていたのだ。
まるで『ヘレン=ケラーか人形か』といったところであり、結局こっちが『サリバン先生』にならざるをえず、食事の世話からお手洗いまですべて面倒をみる
しかし、まいるよなあ。身の回りの世話をするということはずっと一緒にくっついているわけであり、しかもその相手というのが何度も夢の中で愛を
だってあれだよ、こんな神秘的な容姿に加えてまるで
けれどもそんな私の
それはまさに食事が済んだ
──こ、これは、いったい。
すべての衣服を脱ぎ捨ててあらわになったその少年の素肌は、まさに夢の中の少女そのままに白く
だがこれはどういうことなのだ。そのいたいけな若者の
その四肢、胸、腹、背中、下腹部を問わず、少年の
これっていわゆる『児童虐待』ってやつ? こんな
そうか、だからこの子は自閉症みたいになってしまっているのか。くそう、いったい誰なんだ、こんなひどいことをしやがったのは。
幸せなことにもそのときの私には、『犯人』の目星がまったくつかなかったのである。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「何だか、おかしなことになってきたなあ」
時はすでに真夜中過ぎ。私は自分の寝室のベッドの上で、一人ため息をついていた。
しかし『私』って、趣味がいいのか悪いのかよくわかんないよな。この部屋ひとつとってもそうだ。何と天井のほとんどが円形の大きなガラス窓で占められていて、こうやって寝そべって見上げていると、あたかも夜空の
ちょうど中空にはふくらみかけた
いかんいかん、月を見るたびにその気になっていたんじゃ、
私は
その刹那、思わず
何だ何だ!? 思わず毛布を引っぱがしたとたん目の前に飛びだしてきたのは、たった今妄想したばかりの、あの青い瞳であった。
「……おまえ、いったい、いつの間に……」
その一糸まとわぬ
しかし、月明かりを背に私の方を
いったい私は何をしているのだ、寝込みを襲われているんだぞ。なぜしかりつけようとも起き上がろうともしないのだ。
──そうか、あの瞳だ。あの瞳に
まるで月明かりの夜空のような、
その
すると、まさにその二つの
思わず目を閉じた瞬間私の口元は、何かにふさがれてしまう。
うわっ、何だか
その少年は、唇、舌、指、
心の中では理性が「だめだだめだ」と叫んでいる。しかし、彼の花のつぼみのような唇がすでに我慢の限界に達していた私の『最も敏感な部分』に触れた瞬間、とうとう頭の中が真っ白となり、その
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
次の日。私の気分はあたかも底なし沼のように、果てしなく深く落ち込んでいた。
『義理の息子』の方はというとまるで昨夜の出来事が夢だったかのように、いつも通りの『お人形さん』へと戻っていた。
ああ、あれが夢ならばどんなにいいであろうか。しかしその望みはけして
若いとはいえ何という体力なのか。昼間ぼんやりしているふりをしながら実は目を
いやいや、冗談を言っている場合ではない。問題は昨夜のことだけではないのである。少なくとも私たちが『肌を合わせた』のは、あれが初めてではないはずだ。それほどまでに彼の
だんだんと不吉な考えが、私の脳裏を支配していく。
──ホラ、キレイニぱずるガ、ハマッタヨ──。
ちがう、ちがう、ちがう、私じゃない。私はけして、そんな『ケダモノ』じゃない!
私はその不安を振り払うかのように書棚から自分の著作だけをつかみ出し、むさぼるように読み始めた。
そうだ、私は『少女小説家、
そこには現実社会の『
だからこれは何かの間違いなのだ。『児童虐待』? 『性的倒錯者』? 冗談じゃない。心優しき少女小説家であるこの私が、そんなことをするわけがないのだ。
『いやあ、「記憶喪失」って、本当に便利なものですなあ』
そのとき突然よみがえったのは、
──うるさい、だまれ!
私はたまらず両手で耳をふさぎ、
しかしその声は何度も頭の中でこだまして、まるで鋭利な刃物のように、私の心をえぐり続けた。
そう。たとえ性別を
なぜなら私の『背徳の
私のうつろな視線の先にはあの青い瞳の少年が、まるで人形そのものみたいな無垢な顔つきで、ただぼんやりと立ちつくしていた。
三、
「何か思い出されましたかな、先生」
相変わらずの思わせぶりな笑顔が、今日はやけに
もしやこいつには、すべてがお見通しなのではなかろうか。
この一週間の出来事も、私自身が忘れてしまっている秘められた『本性』のことさえも、本当はみんなわかっていて素知らぬふりをしながら、面白がっているのではないだろうか。
私はそんな
しかし、そこには更におぞましい『事実』が、私のことを待ちかまえていたのだ。
その、『
その昔。ロシア北方のとある王国に、『
なぜだかその数十名ほどの部族には成人は女性だけしかおらず、彼女たちは
彼女たちは人にはない『神の力』を有しており、特にそのうちの『予知能力』が時の権力者から
彼女たちが神殿に入る前に産み落とした子供たちは、これまたなぜか男の子ばかりで、神殿から離れた集落の中で、巫女
圧巻なのは物語中盤において巫女の子供たちが、十四歳の満月の夜に神殿の近くの『聖なる泉』での
美しい月明かりの
まさにその
しかし物語はこれ以降一転して、とめどもなく血なまぐさく変わり果てる。
『彼女』たちは女性化するとすぐさま集落へと立ち返り、何と自分の育ての親である他の部族の男たちと
その
それは眠り続ける育ての親の首をはね、その血を飲み干し死体を神殿の神に
こうして一夜にして、
そして、彼女たちもまた選ぶのである。自分たちの子供を育てあげその
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「……な、何なんだ、これは。こんなもの少女小説じゃない。単なる
私はもはや、わめき続けるしかなかった。
何かが変だ。自分のことを知れば知るほど記憶が戻るどころか、更に入り組んだ迷宮の深みへとはまっていくように感じられるのだ。
「そうですかな。これは見ようによってはまさに、
「『
何を言い出す気なのだろうか、この男は。私はいつしか目の前の小太りの男のことが、自分の命運をその手でもてあそんでいる『悪魔』のように思えてきた。
「巫女たちがその神託で選んだ男たちは全員が全員、
「それじゃ、なおさらおかしいだろう。なぜ巫女たちは犯罪者などという危ない男たちを、自分の子供たちの養父に選んだりするのだ? それに男たちだって、神殿で代々行われてきた『
それは私にとって、あまりにもうかつで命取りの質問であった。
「男たちの記憶を奪うんですよ。──今のあなたのようにね」
そのとき突然足下の地面が、音をたてて崩れていくような錯覚を感じた。
「だから男たちはまさに
たしかに私は最初の
しかし、現実と虚構がないまぜになった
そう。もはや『最終判決』は
「嘘だろ、嘘だと言ってくれ。こんな馬鹿げたことなんて、作り話に決まっている!」
しかしその男はまるで駄々っ子をあやすかのように、やさしく言い
「何を言っているんですか、これはあなた自身の血と汗と努力のたまものではないですか。もちろん今のロシアには『
何だって!? いったいどういうことだ? すべては私が仕組んだことなのか? 私自身の望んだことだったのか?
なぜだ、なぜなんだ? なぜ私は
しかし、そんな大混乱におちいっている私なぞ少しも気にとめずに、原山はあくまでもマイペースに言葉を続けた。
「いよいよ今夜は、待ちに待っていた満月ですなあ。まあ何事もじっくりと焦らずに、慎重に取り組むにしくはないでしょう。とにかく先生が長年の『ご悲願』を達成なされますように、心からお祈りいたしておりますよ」
そして彼はいつもながらの思わせぶりな笑みだけを残して、夕暮れ迫る街中へと立ち去って行ったのである。
「……『
私はベッドの上で
今もなお、
──もし。そう、あくまでも『もしも』という仮定の話であるが、本当に私が『性的倒錯者』で『暴力主義者』であり、これまで人知れず数々の犯罪を犯してきたとしたら、いったい何を望もうとするであろうか。
そうだ、きっと私は良心の
たとえば名前と性別を
いや、
もしそんなときに、あの『
考えるまでもない。たとえどんなに
ふふふふふ。この『馬鹿げた妄想』が仮に事実であるとしたら、今夜私を待ち受けているのは、世にも恐ろしい『
なのに私は何をのんきに寝ているのだろう。なぜ逃げ出そうともあらがおうともしないのか。相手は
いや、そうじゃない。これはこの上もなく光栄なことなのである。
私は『
──そうだ、これこそ私自身が望んでいた、この
まさにそのとき、入り口の扉が静かに開き、
その、
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