ミズトリ

以星 大悟(旧・咖喱家)

ミズトリ

 村の最年長の爺さんが夏休みになると村の子供に話して聞かせていた昔話だ。

 今は雑木林になっている場所には井戸がある。

 その古井戸の水は枯れている。

 しかし夏の一番暑い時期にだけ突然、水が湧きだす。

 その理由はミズトリの所為だ。

 だから絶対に夏の一番暑い時期に古井戸に近付くな。

 爺さんはそう言っていた。


♦♦♦♦


「それでは栄えあるO商業学校超人類学研究会の第一回夏季遠征を行う!」

「おお!」

「おお……」


 何で俺はこのクソ暑い中、その中でも最もクソ暑い時間帯に外を出歩かないといけないんだ?ああ分かってるよ、自業自得だ。

 うっかり会長にそういう話をした俺が悪い!分かっている、これは360度どの方向から見ても完全無欠な自業自得だ。

 分かっている、分かっているが場所を俺から聞いて自分達だけで行くという選択肢はなかったのか、もしくは適当な理由を作って逃げるという選択肢はなかったのか?無かった、こいつ等が何か仕出かせばその責任は何故か教師共からこいつ等の監督役を任されている俺の責任になる。

 つまり俺の選択肢は「一緒について行く」の一択だけだ。


「気が乗らないのか?名誉会員の迫田君!君は我らが栄えある超人類学研究会の名誉会員なんだぞ!」

「ああ、そうっすね……」


 はっきりと言えば三年生が卒業して会員が二人だけになり研究会が取り潰されると泣きつかれ、軽い人助けのつもりで一時的に会員になったのが運の尽き。

 今では先輩である会長で3年生の都先輩と副会長で2年生の唐沢先輩の後輩兼保護者だ。


「それではいざ行かん!ミズトリの古井戸に!」

「おお!出発!」

「待て待て待て!先輩方、もしかしてその恰好で行く気ですか?」

「そうだが?」

「そだよ」


 今から雑木林の中に入ると言うのにこの二人の先輩はスカートだった。

 そうスカートだ。

 つまり制服だ。

 俺一人が靴底に鉄板が入った長靴、軍手、長袖と長ズボンという格好だった。


「今から雑木林に入るんですよ?その恰好だと怪我しますから」

「スパッツ穿いてるから大丈夫さ!」


 俺の指摘に唐沢先輩はスカートをめくって穿いているスパッツを見せて来る。


「何やってんですが!」

「スパッツだから恥ずかしくないよ?」

「俺が恥ずかしいです!それと都先輩は!?」

「私は自分という素材を生かす方向で―――」

「何も考えてないんですね!家に俺が中学の頃に使っていたジャージとかあるから、それに着替えてもらいます!」

「「ぶー!ぶー!」」

「連れて行きませんよ」

「「……」」

 

 先輩達は黙っていた。


♦♦♦♦


 雑木林があるのは高速道路の近く、一番古いと言われている旧道よりももっと古い御先祖様が生きていた頃に使われ今では雑木林の中に消えた街道跡の近くに、古井戸はある。

 元々は自然に出来た池がありそこなら水が湧くだろうと思った地主が作った井戸で、周りに雑木林が出来た理由もその地主が井戸を隠す為に地主が成長の早い木や竹を植えた作った人工の雑木林だ。

 

 そして今では地主の一族は途絶え誰が土地の所有者なのか分からず、件のミズトリ伝承だけが残っている。

 ミズトリ。

 この古井戸を巡って起きた些細な争いが原因で生まれた存在だ。


 まだ水道が通る前、戦前かそれともその後か分からないがこの辺り一帯は深刻な水不足に悩んでいた。

 水道を通して欲しいと何度も嘆願書を出しても役所は「その一帯の為だけに水道を通す程の余裕は無い」と断り続け、そこで村人は力を合わせて水が出そうな場所に井戸を掘り共同で大切に使っていた。


 そしてある日、裕福な地主がここなら水が出るかもしれないと思い件の古井戸を掘り、見事に水が湧いたのだが地主はその事を隠してしまった。

 地主の古井戸に対する執着心は強く古井戸の存在を隠す為なら平気で人を殺める程だった。

 だが結局、古井戸の存在は村人に知られる。

 地主一族は村人から制裁を受けその古井戸以外の使用を禁じられた。

 それは水道が通った後も続いた。


 ミズトリが生まれたのは水道が通る前、何か月も雨が降らない夏場に生まれた。

 

 雨は降らなかったが村人達が協力し合って作った井戸は枯れる事はなく、ただ地主の古井戸だけ枯れてしまった。

 渇きから地主は離れた場所に作られた井戸から水を汲み上げて運んでいる子供を襲って水を奪うという悪事を働き、最後は自分が執着していた古井戸に落ちて死んだのだった。

 で、ここで終わらない。

 爺さんはこう言った。


『それから何故か夏の一番暑い時期に古井戸に水が湧くと水盗りが現れる様になった。水盗りといっても別に水を盗る訳じゃない、子供を襲って水を盗んでいた地主が現れて古井戸に近付いた者を憑りついて殺す様になった、まあ古井戸は何時も枯れおるから法螺話じょろうて』


 とまあこれが俺の知っている古井戸の話だが呆けた爺さんの戯言だと思っている、実際に起こった事なのか調べてみたがそんな事件は起こっていなかった。

 夏場に何度もこの古井戸を見に来たが何時も枯れていて、それこそ夏の一番暑い時期に来たがそれでも古井戸は何時も枯れていた。

 つまりやはり爺さんの戯言だったという事だ。


「ふむ、これは!唐沢隊員、水があるぞ!」

「はい隊長!たっぷりと水があります、枯れ井戸ではなかったみたいですね!」

「おおい何で探検隊始めてんだ?先輩方は研究会ですよね?」

「はっはっはっは!名誉会員よ、これはあれだその場の空気だよ!」

「はいはい、それと枯れ井戸なんで落ちたら怪我じゃすまないから近付き過ぎないでください」

「いや、本当に水が湧いているんだが……」

「は?そんわ―――」


 湧いて…いる?どういう事だ、俺が小学生の頃に夏になると必ず来て確かめていたが6年間一度も水は湧いて来た事が無い。

 何時だって枯れ井戸だった。

 どういう事だ?

 その時だ、バシャっ!という何かが水から上がる音が聞こえた。

 古井戸の水面は鏡の様に揺らぎなく俺を映しているのに、どこから水の音が聞こえた。


「な、何故か分からんが、一旦帰ろう名誉会員」

「そう、ですね…帰りましょう」



♦♦♦♦♦



 それから俺達は真っ直ぐ家に帰った。

 結局、あの不気味な水音は何だったのか分からなかったが都先輩が顔を真っ青にして怯えていて、唐沢先輩に至っては上の空だった。

 俺は不安になり布団に入ったはいいが全く眠れず気が付けば夜が明け始めていた。


「んだよ、クソ……一睡もできなかった」


 都先輩のあの怯えた顔が脳裏から離れず俺は気になって一睡もできなかった。

 耳を澄ませば蜩の鳴き声が響いている。

 蜩と言えば晩夏に鳴き始めるという印象がある、実際はこの辺りだと普通に梅雨明けから泣き始める。


 割と蜩の鳴き声は好きだ。

 ただこういう時の蜩の鳴き声は嫌いだ、不安になる。

 そう思ってスマホを取った時だ、スマホから着信音が流れて俺は画面を見て絶句した。

 唐沢先輩からだった。


『迫田君!朝早くにごめんね、そっちに都先輩は行ってない?』

「都先輩ですか、いえ来ていないですが…何かあったんですか?」

『それが都先輩のお母さんから電話があって、いきなりミズトリが来たって叫んで出て行ったみたいで、私も探してみたんだけど……』

「なっ!?クソ!俺も探してみます!」

『ごめん!お願い!』


 俺は自転車に跨って全速力でこぎ始めた。

 ふと思い出したのは俺にこの話をしてくれた爺さんの最後だった。

 爺さんは古井戸に落ちて死んでいた。


「クソ!ああ、クソ!ちくしょう!!」


 これは自業自得だ。

 俺が口走った所為だ。

 俺は全速力で漕いだ。

 古井戸に向かって。



♦♦♦♦



 古井戸の近くにはまだ誰もいなかった。

 都先輩はまだ来ていないのか、それとももう……いや、そんな訳がない。

 それに昨日、古井戸には水が湧いていた。

 落ちたても平気な筈だ。

 俺は意を決して古井戸に近付いた時だった。

 再びスマホから着信音が流れ始めた。

 そこに表示されていたのは都先輩の名前だった。


「都先輩ですか!?今どこにいるんですか?すぐにた―――」

『迫田君すぐに逃げて!唐沢からの―――』

「都先輩?都先輩!?」


 突然、電話が切れて俺は何度も都先輩の名前を呼んだ。

 画面には圏外という表示が出ていた。

 どういう事だ?何でミズトリに襲われた先輩から逃げろと電話が来たんだ?

 待てよ、もしかしてミズトリに襲われたのは都先輩じゃなくて―――。


 その瞬間だった。

 俺は何かに突き飛ばされた。



♦♦♦♦



「目、覚めた?」

「都先輩…ここは?」

「病院だよ、あの後すぐに古井戸に行ったら迫田君が頭から血を流して倒れていてね、すぐに救急車を呼んだんだ。軽い軽傷らしいけど頭を打っているから入院だそうだ」

「そう…ですか……そう言えば唐沢先輩は?」

「唐沢君かい?彼女なら家にいるよ、君のご両親から君が唐沢君に言われて私を探しに行ったと聞かされ、そして君が怪我をしていたと知ってね塞ぎこんでいるよ、ただ何ともない」

「……」

 

 そうか、ならあの電話は一体何だったんだ?

 唐沢先輩だと思っていた、でも違うと言うなら、誰からの電話だったんだ。

 それに俺はあの時、水音に怯えていた都先輩が脳裏に浮かんで何も考えずにあそこに向かったんだがそう言えば都先輩はあの水音を聞いたんだろうか。


「都先輩、一つ聞いても良いですか?」

「ん、何だい?」

「先輩はあの時、古井戸に初めて行った日に何かが水の中から這い上がって来る水音を聞きましたか?」

「水音?いや聞いていない、ただ何故か急に吐き気がしてね。あと唐沢君は眩暈がしていたそうだ」

「……そうですか」


 聞いていたのは、俺だけ?

 ならあの電話は、ミズトリに襲われたのは都先輩じゃなくて―――。


――――バシャっ―――

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