~Longing End 切望の果て~

くさかみのる

第1話

 目に映るすべては白だった。

 吐き出した息が白く染まると、風に浚われ掻き消える。

 見上げる空からはやむことなく降り注ぐ雪。スキーに来たのだから嬉しいと喜べばいいのだが、いまそれはできなかった。

 ざくざくと道なき道を、足を踏みしめ歩く。

 スキーを楽しみ、下山している途中だったのだ。

 確かに他のスキーヤーの残した跡を辿ってきたと思ったのだが、いつの間にか道を外れたらしい。それに気づいたときには、既に自分がどこにいるのか分からない状態だった。

 円はかじかむ手を擦り合わせる。分厚いグローブ越しなので効果はない。それでも少しでも温かくなるならと指を動かす。

 歯は冷気に負けてガチガチと鳴るし、鼻も凍りそうだ。

 身体は芯から冷えており、このままでは危ないことも分かった。

 前を行く睦を見やり、声を出す。

「ぜーったい、さっきの道、左だったんだって。標識出てなかったけど、それっぽいかったし」

 円の声に振り向かず、睦は歩みを進める。

「なら、戻れば?」

「むっちゃんが、こっちであってるって言ったんだよ!?」

「だから、嫌なら戻ればいいでしょ。ついて来てほしいなんて言ってないから」

「いやいや一人で戻るとかナイから。雪山なんだよ? 遭難しかけてるんだよ? もう少し焦ろうよ!」

 睦に並ぶと言い募る。

 この道が間違いであることはもう分かっているのだ。だというのに引き返さない理由はなんだろう。ゴーグルの上に溜まった雪の量が、自分たちが歩いてきた時間の長さを物語っている。

 一人で帰るか。そうも考えるけれど一人で帰りきる自信はない。それに、友人である睦を放って帰ることなどできなかった。

 言い出したら融通が利かないところを持つ幼馴染の隣を陣取るのは優越だが、頑固もここまでくると問題だ。

 きっと睦は自分が先頭を歩いて道を間違えたから、戻ろうと言い出せないのだろう。意地っ張りで素直でない。可愛くない。

「焦っても仕方ないでしょ」

「ならせめて引き返そうよ~」

 腕を引き、提案してみるが睦が首を縦に振ることはない。

「あたしはこのまま行くから」

「なんでそんなところで頑固かなぁ」

「帰るなら一人でどうぞ」

 ざくり、ざくりと雪を踏み鳴らし歩いていってしまう。

 円はずびっと鼻をすする。涙が出そうだ。だって寒い。

 二人しかいない雪山で、誰にも頼ることなどできないのに、唯一の友である睦はいうことを聞いてくれない。

 温かいものが食べたい。お風呂に入りたい。ここで死ぬならせめて、カッコいい男の人とデートしておけばよかった。

 出会いなどないに等しかったけれど、ホストとかに行ってみればよかった。そうすればきっと、甘く囁いてくれる素敵な香りのホステスさんが優しく微笑んでくれたのに。

 お気に入りのバンドのライブだって、まだまだ行きたいし、美味しい物だっていっぱい食べたい。享年は80、布団の上と決めていたのに、こんなにはやく己の生が終焉を迎えるなんて。

「ヴァ~、このまま遭難するんだぁ~。誰にも発見してもらえないんだぁ~。明日の朝刊で、女子大学生、雪山で死亡! とかいう大きな一面を飾ったりするんだ~」

 自分が明日の朝刊を飾る。

 華々しく大きい一面だろう。親は泣くに違いない。

「そんなにすぐ新聞に乗ったりしな――円。なにかある」

「うえ!? な、ななな、なに!?」

 睦の鋭い言葉に円は彼女へと抱きついた。睦が見つめる先を同じように見ると、降り注ぐ雪の隙間から大きな館が見えた。

 見間違えかと瞼を何度か閉じてみるが、館が消えることはない。

 大きな館だ。雪山の中にポツリと建っているその姿は、とても幻想的に見える。

「……館」

「ホントだ……」

 睦が呟いた声に、円も呟き返した。

 数歩足を動かし、更に近くで見ようと館へ近づく。

 勇みそうになる。けれど冷えの為か、上手く身体が動かない。

 明かりがついている。人影は見えないけれど、誰かがあそこに住んでいるのだ。

「やった、やったやった! むっちゃんあそこ行こう!」

「こんな処に館?」

「細かいことはいいから。ほらはやく! このままじゃ凍えて死んじゃうから!」

「うん」

 睦の手を取り走ろうとする。けれどやはり、冷えた身体は上手く動かなかった。

 足元の雪をどうにか踏んで、一歩、一歩と歩いていく。

 眼を逸らした瞬間に消えてはならないと、必至に目を開けていた。




 館の前まで来ると、その大きさが分かった。

 どこの貴人の館だろうか、見上げていくと背中から後ろに倒れそうだ。

 いつもなら大手を振って喜びを表したいところだが、寒くてできない。

 館の玄関口には表札がある。――本間――と書かれている。その横には鳴月館とある。この館の名前だろうか。

「ここ鳴月館っていうんだって。おっと、チャイムチャイムー」

 名のある館を訪れたことも感激だが、いまはその感激に浸っていれない。感極まってじっとしていると凍死してしまう。

 呼び鈴を鳴らすと数秒後、応答する声が返ってくる。

『はい』

「あ、あの~、わたしたち、遭難しちゃってー」

 事情を話すと開けられる扉。暖かい空気。心配げな執事の顔。

 背中には降りしきる雪。白く染まる雪の化粧。

 雲は、晴れそうになかった。

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