白雲の遺跡 1
白雲の遺跡、と呼ばれる場所がある。
冒険者たちが集う始まりの町、ライゼンデから数時間歩いた先にある古い遺跡だ。
崖の上に建てられたその遺跡は、長い間放置されている事もあって、あちこち崩れかけている。
遺跡の回廊など、天井がほとんど朽ちてしまい、石材の柱が骨のように残っているだけだ。見事なまでの吹きざらしである。
回廊の床など雨風のせいでひび割れ、草花と土が顔を覗かせている。
そんな回廊を歩いて行けば、奥の方に大きな大樹が生えているのが見える。
あそこは中庭だろうか。回廊より一、二階ほど低い位置に根を張っているようだ。
セイルが覗き込んでみれば、大樹の回りには、サラサラと澄んだ水が川のように流れていた。
(――長閑ですねぇ)
横目でそれを見ながら、セイルはそう思った。
この遺跡は、一目で分かるほどに朽ちている。朽ちた遺跡特有の物寂しさも感じられる。
だが、哀愁というものは、セイルはさほど感じなかった。その理由は遺跡内にいる生き物だ。
この遺跡内には小鳥や小動物の姿が多く見られる。
危険な遺跡であったり、凶暴な魔獣が生息していると、こうはいかないのだが、この遺跡にはそういったものがいないようだ。
ついでにあたりの風景も良いため、明るく、長閑な印象を受けたのだ。
そんな長閑な遺跡の回廊を、セイルは同行者と連れ立って歩いていた。
一人はセイルことセイル・ヴェルス。歳は十五、六くらいの少女だ。
ふわりと柔らかそうな薄茶のショートヘアに、空色の目をした見習い冒険者である。
体格は小柄で、地味だが、どこか愛嬌のある顔立ちをしている。
彼女の体を包むのは、柔らかなベージュのブラウスとベスト、そしてズボン。そして緑色のグラデーションが綺麗なマントだ。手には音叉のような形をした白い杖を持っていた。
杖こそ特徴的だが、全体的に素朴な雰囲気がセイルには良く似合っている。
そんなセイルのとなりには、二十代前半くらいの青年が歩いている。
肩までの長さの薄い翡翠色の髪と、黒色の三白眼が特徴の、長身痩躯の眼鏡の青年である。
整った顔立ちをしており、雰囲気はどこか知的そうな印象を持っている。
そのひょろりとした体を包むのは、足首まである長い緑色の服とズボン。その上に、茶色のコートと横掛けの鞄だ。
彼の名前はハイネル・ギュンターと言い、セイルと同じ見習いの冒険者である。
「冒険者ギルドから依頼のあった、白雲の花が咲く場所って、この奥から行ける場所でしたよね」
「ええ、そうですよ。回廊に添って歩いていけば、到着できるはずです。一応、地図で場所を確認しておきましょうか」
「そうですね」
セイルが頷くと、ハイネルは鞄の中から地図を一枚取り出した。
地図の端には白雲の遺跡、と綴られている。描かれているのは遺跡内の地図と、その周辺だ。
地図には『冒険者ギルド発行、新人試験用』とも記載されている。
その言葉の通りこの地図は、冒険者になるための試験用に、冒険者ギルドで発行されているものだった。
冒険者とは、その名前の通り、あちこちを冒険をする旅人たちの組織だ。
ただの旅人と違うのは、彼らは冒険者という職業に就いている、という事だろうか。
冒険者は冒険者ギルドという支援組織に登録し、そこを経由して、魔獣の討伐や遺跡の調査、その他もろもろの困りごとを依頼という形で請け負っている。もちろん依頼を完遂すれば報酬を得る事も出来る。
冒険者になるメリットとしては、相応の支援をギルドから受けられること。デメリットとしては、一定期間ごとに冒険者の資格を更新しなければならない手間と、その際の費用くらいだろう。
まぁ、そんなこんなで、ただの旅人でいるよりは、小遣い稼ぎも出来る冒険者になりたがる者は一定数いた。
だが、そうは言っても、申請すれば誰でもなれるわけではない。
冒険者ギルドもおかしな――と言っては色々憚られるらしいが――者を在籍させて、悪さを働かれるのは困るので、簡単な筆記テストと実技テストを設けている。冒険者として最低限度の知識と、力量を測るためだ。
さて、そこでこのセイルとハイネルだが。前述の通り、二人は見習い冒険者だ。
何故見習いなのかと言うと、今現在進行形で、その実技テストを受けている最中だからである。
実技テストの内容は至ってシンプル。冒険者ギルドから出された依頼を完遂する事、がお題である。
依頼と言っても最初から魔獣を討伐しろ、というものではない。二人に提示された依頼は『白雲の花の採取』という簡単なものだった。
白雲の花とは、名前の通り雲みたいな、ふわふわとした見た目の花だ。
小さな花弁がたくさん集まった様子が、空に浮かんだ雲と似ている事から、その名前がつけられた。
見た目が良いので花束にしても喜ばれるし、手先が器用な者ならば花冠を作る事も出来るだろう。
そんな可愛らしい白雲の花だが、見た目が良いだけではなく薬にもなる。
花弁をそのまま煎じれば解毒薬になり、そこから様々な薬の材料にもなる便利な植物なのだ。
その花の群生地が、ちょうどこの遺跡の奥――白雲の丘なのである。
この遺跡と白雲の丘には、危険な魔獣は生息していない。魔獣が出たとしても小型で、攻撃をされても多少怪我をする程度で済む。
なので、新人用の実技テストとして重宝されていた。
ついでに言えば白雲の花の確保も出来るので、冒険者ギルドとしては一石二鳥なのである。
最初に考えたついたのは誰かは知らないが、上手い事を考えた物である、とセイルは思った。
「それにしても地図まで頂けるなんて、ギルドも太っ腹ですね」
セイルがそう言うと、ハイネルは「ええ」と頷く。
「でも、最初の頃は、自分でマッピングしながら試験に向かったらしいですよ」
「おや。そうなんですか」
「ええ。でも、何時だったかな。どこぞの金持ちのボンボンが、テスト中に迷子になってしまったそうで。その事でイチャモンつけられたらしいですよ」
「うわぁ」
ハイネルの話にセイルは半眼になった。
いわゆるクレーマーというアレである。
冒険者を目指すならば、自分の行動は自分の責任である、というのが常識だ。
もちろん冒険者でなくてもそうではあるが、最初のそこで躓けば、後々厄介な事になるのは目に見えている。
「……その人、どうなったんですか?」
「まぁ試験は落ちたらしいですけど。何ですっけ、お前たちなんか潰してやるーみたいな事を言っていたらしいですよ」
「典型的なアレですねぇ」
「ええ、アレです。まぁ、今も冒険者ギルドが残っているのを見れば、潰せなかったみたいですけどね」
ハイネルが肩をすくめて見せる。
どういうやりとりが行われていたかは分からないが、当時の冒険者ギルドの職員たちは大変だったろうな、とセイルは思った。
(そういう人にはなりたくない)
反面教師にしようと、セイルは小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
地図を仕舞うと、セイルたちは再び歩き出す。
こつこつと靴の音が、川のせせらぎの音と混ざって、不思議な音色を奏でていた。
「私、こういう遺跡は初めてなので、ちょっとドキドキしますねぇ」
「ほうほう。私は遺跡には何度か入った事はありますねぇ」
「おお、では先輩と」
「先輩、良い響きですね! ……ああ、そう言えば」
「はい」
「セイル、知っていますか? ここにはゴーレムがいるんですよ」
「ゴーレムですか?」
思い出したように言うハイネルに、セイルはきょとんとした表情になる。
ゴーレムとは、魔法使いが作った魔力で動く人形の事だ。
素材によって名称や、耐久度は変わるが、多いのは土や石材、それと木材で作られたゴーレムである。
(と、言うような事を、前に師匠から聞いたような)
セイルはゴーレムを実際に見た事はなかったが、知識としては知っている。知っていると言っても、踏み込んだ内容とは言えないものだが。顔見知りですかと聞かれて、そうですねと答える程度のものである。
「ええ、この遺跡の守護者です。この遺跡に危険な魔獣が入って来ても、ゴーレムが排除してくれるらしいですよ。しかも我々に対しては害もなく、とても安全なのだそうです」
「ほほう、それは良いゴーレムですね!」
「ええ、良いゴーレムです」
ハイネルはセイルの言葉に力強く頷いた。セイルはそんなハイネルに、
(ハイネルは物知りだなぁ)
と感心していたが、実の所、ハイネルのそれは全て、冒険者ギルドのギルドマスターの受け売りである。
だがハイネルは言わない。セイルからの尊敬に近い眼差しに、ちょっとご機嫌だった。
そしてついでに、と言わんばかりに受け売り知識を披露しようとした時。
――――不意に、遺跡全体を震わせるような振動が響いた。
「おっと、噂をすれば」
呟いたハイネルの顔は少しワクワクしている。
笑顔で辺りを見回すハイネルを見て、セイルはその音の正体がゴーレムである事を察した。
初めてのゴーレム。そして何より良いゴーレム。そう聞いてしまえば、否が応にもセイルの期待は高まる。
セイルは目を輝かせながら、どこにゴーレムがいるのかと、ハイネルと同じように周囲を見回す。
そして、それから間もなくして、音の主を発見した。
「……あ!」
セイルが嬉しそうな声を上げる。
音の主――ゴーレムは、セイルたちの後方、今まで歩いてきた回廊の向こうにいた。
大きな焦げ茶色のゴーレムだ。遠目なので素材は分からないが、あの色は木材で出来たウッドゴーレムだろう。
セイルは歓喜の声を上げた。
「うわあ! ゴーレム! かわいい!」
「かわ……いい?」
喜ぶセイルの言葉に、ハイネルは思わず首を傾げた。そしてまじまじとゴーレムを見る。
二人の視線の先にいるゴーレムは、四角形を繋ぎ合わせて作られた、最もシンプルでオーソドックスな形をしている。
大きさは回廊の屋根につくか、つかないかくらい。ハイネルの身長の1.5倍くらいはあるだろう。
さて、そんなゴーレムだが。
かわいい、と表現できるかどうかは、ハイネルはいささか首を傾げる。まぁ見ようによっては、かわいいと言えなくもない。
かわいい、どうか。ハイネルは顎に手を当てて、じっくりとゴーレムを観察し始めた。
まずは手だ。あの大きな手には、ハイネルたちと同じく、指が5本ついている。丸くて太いその指は、赤子のふくよかな手を彷彿とさせるところがある――かもしれない。
(うむ、かわいい)
次はあの歩き方だ。ゴーレムは体が大きく、使っている材料にもよるが基本的に重量級である。そのため走ったりは出来ないのだが、あののそのそとした歩き方は、動物が恐る恐る近づいてくる時のそれと似ている気がする。
(うむ、それもまたかわいい)
一つ一つ判断していくハイネル。その隣でセイルは、
「やあ、目の色も綺麗ですね」
と言って笑った。それにはハイネルも同意する。
ハイネルがゴーレムの中でかわいいのではない、と思ったのは、あの顔だ。
ハイネルが知るゴーレムは、大体素朴でつぶらな丸い目であある。
中には人の顔に近づけて妙に凝ったゴーレムもいるが、あれは怖かった。のっそりとした巨体に精巧な人の顔がくっついているのだ。どんなホラーだ。
思い出して少し気分を悪くしながら、それを追い払うかのようにハイネルは首を振ってゴーレムを見た。
ほら、どうだ、あのつぶらな目。あの可愛らしい丸い目は、赤く爛々と輝いて――――。
「赤ッ!?」
そこまで考えて、ハイネルは目を剥いた。
ゴーレムの目が赤い。
その事実に、ハイネルの額からだらだらと嫌な汗が流れる。
「ハイネル? 突然叫んで、どうしたんですか?」
セイルはハイネルの声に驚いて、目を丸くする。だがハイネルは答えない。眼鏡の奥にある目で、ゴーレムの顔を凝視していた。
「…………赤」
「え? ええ、はい。赤いですね」
ハイネルの言葉にセイルもゴーレムを見る。
ゴーレムの目は赤色をしている。光の具合でも、錆び具合でもなく、赤色だ。
ゴーレムの目は確かに赤色に光っている。
セイルが首を傾げていると、ハイネルはすい、とゴーレムから視線を逸らした。
そしてセイルに向かってにこりと微笑みかける。
何故微笑まれたのか良く分からなかったが、セイルもつられてにこりと笑う。
笑った瞬間、ハイネルはセイルの腕を掴んで一目散に駆け出した。
「ぐえ!?」
急に引っ張られたものだから、セイルは舌を噛んだ。
痛い、とセイルが涙目になっているが、ハイネルはお構いなしにぐいぐいと腕を引っ張り、走っている
「マズイマズイマズイマズイ!」
ハイネルはそう繰り返しながら走っている。
その顔からは、先ほどまでの済ました表情は消えていた。
目を剥き、だらだらと冷や汗を流しながら、ハイネルは本気で焦っている。
何があったというのかと、セイルは困惑しながらも、ひとまず聞いた。
「ハイネル、ちょっと、いきなりどうしたんですか!?」
「ゴーレムの目! 目です!」
「目?」
ハイネルの言葉に、セイルはゴーレムを振り返る。
ゴーレムの目の色、と言われて見た目は、やはり赤色に光っていた。
だがそれが何だと言うのだろうか。セイルは首を傾げながら、顔を戻した。
「赤ですね?」
「あの赤色! あれは警戒色と言って! 攻撃行動に出る時のもので!」
「つまり?」
「襲い掛かって来ます! もう、めっちゃ襲い掛かって来ます!」
セイルはぎょっとして、再度ゴーレムを振り返った。
ゴーレムの目は赤く爛々と輝いている。先ほどまではかわいいな、と思っていたそれが、急に不気味に映った。
心情とは、感情とは、便利なものである。
セイルの視線の先でゴーレムはおもむろに両手を振り上げ―――――――吼えた。
「うわー! うわー! 何ですかあれ! ちょう怖い! 安全なのではー!?」
「いやはやびっくりですね!」
空気がビリビリと震えるほどの咆哮に、セイルは思わず空いている手で耳を塞いだ。
ゴーレムは遺跡を震わせる重い音と振動を立てながら、セイルたちを目がけて追ってくる。
速度的には、人で言うところの急ぎ足程度だ。
――――だが、近づく速さが何だと言うのだ。
感情の読めないほぼ無表情のゴーレムが、目に赤く不気味な光を灯し、まっすぐにこちらへ向かってくる様子は恐怖以外の何者でもなかった。
「ど、どうしましょうか!? 逃げます!? 隠れます!? 倒すのは……あ、無理だこれ」
セイルは手に持った杖を見た。
殴ったら折れる。そもそも殴りに行ったら自分が折られる。
ふっと、師匠やハイネルが、合掌している姿がセイルの脳裏に浮かんだ。
(――いや、それはまだ早いですけれども!)
自分に自分でツッコミを入れつつ。
だがどのみち、厳しい未来が待っている事が容易に想像できた。
セイルの脳内がちょっとした
「奥の手があります!」
ずいぶんと早い奥の手の登場だった。
ハイネルはセイルを掴んでいた手を離すと、鞄に手を突っ込む。
そして中から赤い玉ねぎくらいの大きさをした赤色のボールを取りだした。
「行きますよ!」
ドン、と足に力を入れて地面を踏みしめたハイネルは、走ていた勢いそのままに振り向く。
そしてその赤いボールを、思い切りゴーレムへ投げつけた。
見事なフォームであった。赤色のボールは真っ直ぐにゴーレムへと向かい、ぶつかる。
その瞬間、腹に響くようなけたたましい音が鳴った。
赤色のボールが火柱を上げて爆発したのだ。
思わずセイルが目を見張る。ハイネルはニヤリと口元を上げた。
「すごい……!」
「フッそうでしょうそうでしょう。何せあれ、は僕が全財産をはたいて購入した――――」
ハイネルが自慢げに笑う向こうで、ゆっくりと煙が晴れてくる。
そこには。
その爆発の向こうには、焦げ目―――――の一つもいてない、実に元気そうなゴーレムが姿があった。
「あれ?」
ハイネルは首を傾げる。思ったのと違う、とその顔に書いてあった。
ハイネルが投げた赤いボールによる攻撃は、石畳の床にひびや焦げた跡がついている事から、効果自体は大きかったはずだ。
だが。
それにも関わらず、ゴーレムはピンピンとしていた。
そして何事もなかったかのように動き出し、セイルたちに向かってくる。
セイルはハイネルを見た。その横顔には哀愁が漂っていた。
「……ハイネル」
「……ええ、セイル」
重々しく頷いた二人は、
「ゴーレムには効果がないようだ!」
「解説しなくてよろしい!」
などと涙目になりながら、地図の事も忘れて、回廊のあちこちへと逃げ惑った。
逃げる二人が、偶然見つけた崩れかけの部屋に飛び込んで身を隠したのは、それから数十分の追いかけっこの後だった。
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