第12話 感情炸裂エンゲージ

 カラスの住処は、本来なら山や森の中である。それが街の方へ推移してきたのは森よりも街中の方が食料にありつけるから、という説が濃厚である。カラスの習性はビル群の世界へと立ち代わっても変化はない。カラスは餌を縄張りに隠す習性があるのだそうだが、街の中でも同じことをする。高くそびえるコンクリートの塊さえ彼らには森に見えているのだそうだ。


 カラスの習性も、香川の能力に関係があるのだろうか。


「もう一度確認するけど、私がカラスの何を怖がってるのかって言うのが鍵なわけね」


 香川は歩きながら言った。


 土曜日。それは学校がなく、学生が羽を休めるのにはもってこいの貴重な休日だ。自室で涼むもよし、買い物に出かけるもよし、筋トレとかに精を出すもよし。全ての権利を自由に行使することが許された一日だ。


 ただし、貧困な発想力の俺にはやりたいことというのに想像が及ばず、結局は同盟軍の皆々とともにあてのない散歩を楽しんでいた。



 海藍はいらん町という街を、俺たちは訪れていた。この街は大正時代の風景画を丸ごとコピー&ペーストしたかのような街並みが広がっていた。




 大正時代とは現在の日本の基盤とも言える、「世界と日本が交わった時代」である。第一次世界大戦を過ぎ、第二次世界大戦を控えた合間のたったの15年間だが、日本で最も歴史的変遷を遂げた時代でもあると思う。


 この街はそんな雰囲気や、大正時代へタイムスリップしたかのような独特の空気感や匂いというのが伝わる。風が吹けばどこかの店の軒下にぶら下がっているのであろうか、風鈴のチリンチリンとなる音が、耳に小気味良く通って行くし、道の中央はかたかたとブリキのおもちゃみたいな派手な赤色の路面電車が行き交う。顎を持ち上げれば幅も高さもある壁のような赤煉瓦の建物が視界に映る。


 夜遅くまで明るい街ではあるけれど、街灯の形もカンテラのような味のある形状をしており、温かみのあるだいだいを呈して、世界観に妥協のなさが伺える。


 海藍町とはそういった浪漫を敷き詰めた、一つの大通りに沿って色々な店が立ち並ぶ繁華街である。


 時に軽快なリズムを刻むレトロな音楽が聞こえてきた。ちょうどすぐ隣の店の二階がダンス教室になっているようで、スカートや袖にフリルのたくさんついたドレスで踊っているのが大ガラス越しに見て取れた。


「それにしても、目がちかちかする」


 阿古丸が目を細めて言った。街はハイカラ、空は雲ひとつない青天。色の特売バーゲンセールで、照らし出す日光が反射してそれらをいっそう際立たせる。


「じき慣れるさ」


 灯庵はそんなことをサングラス越しに言った。そう言わず、そのサングラスを貸してやったらどうだろう。



「今日はどうしよっか」


 香川は楽しそうに足を踊らせた。


「お前は良いのか?最近ずっと男に囲まれてるわけだけど」


「あら。アコちゃんが居るから平気よ」


 ねえ?と押し付けがましい同意を求めたうえで、香川は阿古丸の後ろから抱きついた。阿古丸は「わっ、わっ」とよろめいて倒れそうになるのを必死で堪える。その耳は少し赤くなっていた。


「なっ...ふざけんな!アコちゃんは俺んだぞ!」


 咄嗟に香川から阿古丸を取り上げると、全員から冷ややかな視線を送られた。


「あーはいはい、お熱いこって」


「寂蓮くん、独り占めは良くないと思います!」


「ええと、お幸せに?」


「ちょっと、誰か一人くらい僕が男ってことに突っ込んでくれてもいいでしょ!?」


 なんでさ。阿古丸かわいいじゃん。


 誰にも共感は得られなかったものの、阿古丸をぎゅうと抱きしめる大義名分ができただけでも、俺は大変満足であった。阿古丸を渋々開放すると、さっさとどこへともなく歩き出してしまった。「お前が怒らすからだぞ」なんて灯庵にブーイングを飛ばされたのは心外だが、俺たちは阿古丸に引っ張られるようにして足早に歩みを続けた。


 あれこれ店に目移りを繰り返すのは思いの外楽しいものだった。俺は香嵐町を訪れることは初めてではない。けどじっくりとウィンドウショッピングをするのは今までそうそうしてこなかった体験だ。中学の頃はあまり親しい友人に恵まれなかった。


 というのも、俺には日澄ニッチョウくんという友人がいたのだが、彼は「俺も寺生まれの何某なにがしさんみたく『破ァーッ!』の一声で除霊とかできねーかなぁ」と休日はもっぱら山籠りするタイプの人間で、彼に付き合っているとなぜか人が離れて行ってしまうのでだいたい孤独だったのだ。


 しかし流石の日澄くんもたまに寂しくなることもある。なので度々クラスメートに白羽の矢を立てて「お前も一緒にお経読もうZE☆」と般若心経の朗読を混じえながら超フレンドリーに話しかけて見たりしたこともあった。今思えば、あれはよろしくなかった。


 あの時俺のクラスメートはひどく怯えた顔をしていた。その反応に対して日澄くんは「般若心経を唱える俺様のカリスマ霊媒オーラが隠しきれていなかったのだろう。きっと敵わないと思い込ませてしまったのだ」と自信満々に説いていたが、なぜあれで友達が増えると思ったのか甚だ疑問である。フレンドリーに怯えさせるとか存在そのものが矛盾してた。


 時おり何もないところに向かって友達になろうとか言い出すこともあったので、彼の中二病は末期だったのかもしれない。「すげえだろ、俺最近背中にいっぱい半透明な友達背負えるようになったんだぜ」と最後に言葉を残して行方不明になった彼は今、元気にしているだろうか?


「・・・・寂蓮?どうした、遠いところを見て?」


「いや、友達っていいものだなって思ってさ」


 不思議そうに問いかける円興に、俺はしみじみとしながら答えた。


 しばらくトコトコと話しながら歩いていると、香川が突然立ち止まって指差した。


「あ、私あのお店気になる!」


 香川の示す方向を見ると、向かいの道路のその先には緑豊かな装飾があしらわれた輸入雑貨店あるのが見つかった。店の名前は木板に『mariage de renard』と彫り込まれた看板が立っていた。


「マリエージ デ レナード?」


「マリアージュ・デ・ルナールでしょ。フランス語だよ。意訳すると......狐の嫁入り?」


「流石、アコは博識だなあ」


「その呼び方気に入ったの?」


 何とも言えない店名だが、外観は周辺の店舗とそれほど差異はない。内装は遠目に見てもとても和モダンな印象で、入り口のオークの扉が木のぬくもりと重厚感を同時に伝えてくる。香川はどうしても中が気になるようなので、連れられるようにしてぞろぞろと向かっていった。


「ん?」


「どうした?寂蓮」


「この植物、ほんとにただの装飾か?ところどころ苔むしてたり、まるで店からほんとに生えてるみたいなんだけど・・・」


 疑問に思う俺を、何いってんだと軽くあしらって連中は店内に進んでいってしまった。俺はその後を追った。


 最初に感じたのはやはりと言うかなんというか、森のなかの少し湿ったような木々の香りだった。少し暗めの店内に優しい木漏れ日のような照明が天井から降り注ぐ。床に視線を移せば、木床の境目から、これまたところどころ、何故か雑草が生えているところがあった。


 そして中は所狭しと、骨董品のようなくすんだ色合いの陶器やら何から、ビードロ細工やとんぼ玉のような美しい彩色を輝かせる小物が並べられていた。積み上げられるようにして展示されていたり、大きな水タバコの機材が置いてあったりして、入口付近から店全体を一望することは出来なかった。


「やあ、いらっしゃい」


 商品の数々に目を奪われていると、店の奥のレジカウンターの向かいから声が聞こえた。覗き込むようにしてそちらを見ると、頭に白い三角巾を巻いた女性が、文庫本を読みながら座っていた。


 歳は20代前半だろうか、スラッとした細い四肢やしなやかな指が印象的で、顔立ちはどこか眠たげな眼が官能的ですらある。なのにものすごい老年の人のような、達観した雰囲気を醸し出していた。


 俺はその人を見た瞬間すうっと思考がクリアになっていき、ひょっとしてここいらの商品よりも、この人が一番綺麗なのでは?なんてことを思ってしまった。


「寂蓮、何見惚れてんだよ」


阿古丸に小突かれて、俺は我に返った。


「大丈夫。いや、大丈夫。俺はアコ一筋だから」


「まーたそういうこと言って」


 そういうやり取りをしていると店の奥の階段からドタドタと慌ただしい足音で降りてくる人影があった。その人はヒト一人入ってしまいそうな大きなダンボールを抱えていた。ダンボールに隠れて顔は見えずにいたが、その人は背が高くないので、なんとなく女性だろうと思った。レジ近くにダンボールをゆっくりと置くと、幼い顔立ちが見えた。俺たちと殆ど歳の変わらなそうな女の子だった。その人も頭に三角巾を巻いていたが、頭の天辺が不自然に盛り上がっていた。しかしそんなのが気にも留められなくなるほど、盛り上がった胸に目が吸い寄せられた。


「おうこれ、ここに置いとくぜ」


「さんきゅー」


 女の子の方はやけに粗暴な口の聞き方をするようだったが、店の中より店の人にばかり注意を向けているのも失礼だろうと思って、俺たちは店内のものを物色し始めた。


 灯庵はどうやら水タバコに興味津々なようで、その周辺をぐるぐると回っているし、香川は阿古丸と一緒にアクセサリを見ている。円興は特に目的もなさそうだが、小物入れなどの小さな収納ケースに興味があるようだった。


 そう言えば、妹がこの前マグカップを割ってしまったのを思い出したので、いいのがあれば買っていってあげようと思った。俺はあたりを見回して壁際の棚にいくらか並べられているのを発見した。動物のイラストがプリントされたものや、シンプルな色彩のマグが多くあった。俺は色んな種類の鳥のプリントがされたものを選んで、それを木の皮で編まれた買い物かごの中に入れた。


 ふと、視線を横に向けると、一つだけ他にはないようなカップがあるのが見て取れた。ティーカップなのだが、不思議な幾何学模様が描かれていて、どうにも人前に出せるような見た目ではないように思われた。しかし、不思議なことに俺はそのなんとも言えない魅力に心を奪われた。値段を見ると980円とある。やや高いが、俺はソーサーとセットで、自分用にと思ってかごに入れた。


各々が自分の欲しいものを見つけると、自然と集合した。


「いいもの見つけた?」


「バッチリ。いいねこのお店。毎月来ちゃおうかな」


「あと4年したら、あの水タバコが買えるんだがなァ。ちゃんと材料も置いてくれてるのに」


「からだに悪いよ。やめときなよ」


レジに行くとお姉さんが会計をしてくれた。手際よく進むが、しかし俺のときだけ一瞬手を止めた。ふふ、とまるで慈母のように笑うと、ララバイを聞かせる吟遊詩人のように言った。


「おや君、これに目をつけたか」


「え?」


「いや、これはね。実はある職人が作ったまじない具でもあってね。これで茶を飲むと、夢を見るそうだよ。とても不思議な夢を。・・・と言うと、買う気が失せちゃうかな?」


「このお店には、他にもそういう物が売ってるんですか?」


「あるよ。それはもうたくさんある。例えばおばけが見える眼鏡とか、宙を漂うクラゲの卵とか、植えると水が湧き出す種とか。」


「それは面白いですね。お姉さんは使ったことがあるんですか?」


「まだないなあ。でも使ってるところを見たことはある」


占い師みたいな裏稼業でもやてるんじゃなかろうか、言葉の一つ一つに魔力が籠もってるような、直感でしか語れない根も葉もなさだがそういった妖艶さが煙のごとく包みに来る。全然信じられない話であったけど、なぜかこの人が言うとホントなんじゃないだろうかと信じ込みそうになった。俺はうなずくと、お姉さんはティーカップのシールのバーコードにピッとやった。


「1830円です。・・・・丁度お預かりします。どうもありがとう。奥にはカフェスペースもあるよ。良ければ一服どうだい?」


それは良い。と思ったが、周りがもう少し歩きたそうにしているので、俺はお姉さんに「また来ます」と言って店を後にすることにした。入り口のところまで出ていってからお姉さんに手を振られた。


「またのご来店を。ああ、もしまた来てくれるなら、次からは俺のことお兄さんって呼んでくれると嬉しいな」


「へ?」


問い返そうとする頃には扉を締めてしまったので、その意味を確認するのは若干はばかられた。俺たちはお互いの顔を見合わせると、最後には阿古丸の方へ視線が集まった。阿古丸はブンブンと一生懸命に顔を横に振った。


「いろいろな意味で、不思議なお店だったね・・・」


香川の言葉が、ずっと頭に残る。マリアージュ・デ・ルナールという不思議な店に後目を引かれながら、俺たちは再び歩き出した。狐の嫁入りと取れるらしいが、狐につままれるような体験をしたように思うのだった。

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構造化心象のペリ・プシュケース 水屋七宝 @mizumari

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