第11話 四面楚歌フルハウス
あれからというもの、香川とは交流の機会が増えた。それは授業の合間の休憩時間のたび、というほどしょっちゅうではないけども、他に女子の友人はいないのかと不安になるくらいにはよく顔を合わせるようになった。ピカレスクの話題のためではなく、暇なら自然と積極的に世間話をするような間柄になったのだった。
ある時とは、あれから3日後のことだ。香川が「はい」と挙手をして藪から棒に言い出した。
「あだ名を決めようと思います」
わざわざ昼休憩中に俺たちを集めてまで決めることだろうか?
「いくら情報集めが難航してるからって、それはどうよ」
俺は今日はコンビニで買ってきた豚焼きおにぎりを頬張りながら言った。
「あら、せっかくトラウマを持つもの同士が巡り合ったんだから、これも何かの縁と思って仲良くしたいと思うのは不思議じゃないと思うけど」
「そりゃそうだ。わざわざ隣のクラスから足を運ぶくらいなんだものな」
俺が言いたいのは、それがどうしてあだ名をつけることにつながるのか、ということだ。しかし俺の不信をよそに、阿古丸は香川の申し出には肯定的なようだった。
「まあまあ。いいんじゃない?」
阿古丸が言うや否や、香川は真っ先に俺に命名した。
「寂蓮くんは『ジャック』で」
「安直だなぁ」
続けて残る3人を次々指名して言った。
「阿古丸くんは『アコちゃん』」
「僕、なんだか一気に女の子っぽくなっちゃうね」
「灯庵くんは『アンサー』」
「
「円興くんは・・・・援交・・・・?」
その瞬間、ニックネームプロジェクトは永久凍結となった。
「せめて『
元気出せよと俺が気遣う反面、ケラケラと笑いながら灯庵は椅子を傾けていた。
「センス以前の問題だったなァ」
円興はしかし、特に気に留めない様子でバナナを齧っていた。そしてものを食べながら大口を開けて欠伸をした。咀嚼されてぐちゃぐちゃになったものを見せびらかすようなその行為に、その場にいた全員がオエッと眉をひそめた。香川は手のひらで目を覆いながら言った。
「
猿猴とはカッパような猿のような妖怪のことである。日本は広島県、および中国地方各所に伝説があるとかなんとか。
そう呼ばれたことには流石にムッとしたようで、ゴクリと黄色い果実を飲み込んでから円興は久々に声を発した。
「妖怪呼ばわりとは失敬な。エテ公に格上げしてくれ」
それでもかなり謙虚だった。円興や、おまえは本当にそれで満足なのか?
俺は安直でも、フィッシュボーン藤原とか言う売れない芸人みたいな芸号を襲名するよりはよっぽどましであったが、円興のそれには同情を禁じ得ない。
香川だって讃岐うどんとか貯水池という言うあだ名をつけられたらもう、男か女かわからないし由来も知れない。津村くんにバスロマンと言うあだ名をつけるくらいにはいじめっぽいし、そもそもバスロマンはツムラじゃなくてアース製薬だ。
一応断っておくが、讃岐うどんに罪はないし大好きだ。
ふと、俺は聞いてみた
「そう言う香川には、何かあだ名はあったのか?」
「中学の頃は『セッちゃん』て呼ばれてたよ」
「そんなもんだよな」
特に面白くもない回答なので、返すのはほぼ生返事である。こんな会話を交わしていても、その実俺たちはまだ見知って3日の初対面同士である。互いのことを知らないのでまだ会話というのは長続きしなかった。そうなると、結局共通の話題であるピカレスクの話が持ち上がるほかなかった。
とは言っても、情報の共有だけなら十分されている。情報そのものは全く十分でないのが皮肉だが、そんなことを言っても進捗は良くならないのだから口を閉じるよりすべがない。口を動かすより足を動かすべきなのだが、無闇という言葉がこれほど似合う状況もなく、手分けして暗中模索するのが精一杯というのが途方にくれそうになるのだった。
俺がやったのは、せいぜい校内の図書館に行って心理学の本を借りてきたくらいだった。中身にざっと目を通してみたが、もとよりそれほど興味のない内容だったのを勉強するというのは気が乗らないもので序盤の内容を頭に入れることすら骨の折れる作業だった。
「おまえは何か見つけたか、灯庵」
「いンや、香川のトラウマの原因になった場所にも行ってみたけど、これといって手がかりはなかったぜ。阿古丸は?」
「8年前だからね。そういえば、一応僕らが襲われたときのことを思い返してみたら、カラスの中にちょっと特徴があるのに気がついたよ」
灯庵は腰を浮かせて、興奮気味に「手がかりか?」と叫んだ。阿古丸は難しそうな顔で答えた。
「ううん、正直、確証はないんだけど・・・・・一番最近襲ってきたカラスの中に何羽か翼が折れ曲がってる個体がいたんだよね。あれ、ひょっとして僕らが防火扉で挟んじゃったやつかも知れないと思ってさ」
「香川の能力で凶暴化するカラスは同一ってことか?」
「あれだけ沢山のカラスが押し寄せるのだから、たまたまってこともあるかもしれない。けど、今はその仮説にすがるしかないかな」
阿古丸の言い分はきわめて慎重で賢明だと思った。下手に憶測で情報を開示するのは混乱を招く恐れもあるのを、阿古丸はよく理解していた。一度こうかもしれないと信じ込むと、前提を崩すのにはかなり抵抗を生むものだ。現在は情報を選り好みできる状況じゃないから、みな藁にもすがる思いだったろう。
「その仮説を前提にするとどうなる?」
「香川の能力の効果範囲がわかるぐらいか、けどカラスは集団で行動する習性もある。能力そのものの効果範囲は狭くても、他のカラスに伝播して連鎖的に凶暴化する説も上がるから、この線はナシだ。考えるだけ無駄だ」
「他には?」
「強いて言うなら、翼が折れ曲がってでも強引に呼び寄せるってことくらいか。それほどカラスに執着されるなんて、香川はマジで何をやらかしたんだろうな?」
香川の表情が曇る。無理もないことだと俺は思った。
香川のトラウマは小学生時代に刻まれたものらしい。小学生の頃の香川は、しかし動物に危害を加えるような性格でもなかったらしい。
だというのに、なぜあれほどカラスは凶暴化するのか?
なぜカラスは香川に執着するのか?
それがカラスの雛と何の関係があるのか?
思惑を巡らすと、円興が不思議なことを言った。
「なあ、そもそもピカレスクって何だと思う?」
その言葉に、全員が円興に視線を注いだ。俺はその言葉の真意を測りきれないでいたが、思ったままを口にした。
「それは・・・トラウマ能力だろ?心に巣食う恐怖心が、特殊能力として発動するんだろう?」
「俺はさ、時々思うんだよな。もしも俺にピカレスクがあったら、どんな能力になるんだろうって。はっきり言うよ。実は、俺にもトラウマがある。」
すっかり、食事をする手は止まっていた。そのかわり、皆が円興の次の言葉を、固唾を飲んで待った。周りの声も気にならなくなるくらい、集中していた。ひょっとしたら、ぽかんと口を開いていたかもしれない。風でおにぎりの包装紙がどこかへ飛んでいったのにも気づかなかった。
「地震が怖いんだ。俺、中学の頃は違う地域に住んでてさ。地震で元の家は全壊しちまったんだ。それから、少しの揺れも全部怖い。足がすくんで動けなくなる。もしも、こんな俺にピカレスクが使えるようになったら、どうなると思う?」
俺は香川や生徒会の由理先輩の能力のような前例から、おおよその予想をつけて言った。
「大規模な地震を発生させる能力・・・・か・・・?」
ひやりとした、嫌な汗が流れた。一個家屋を全壊させるほどの地震を任意で引き起こせるかもしれない。そう思うとゾッとしなかった。今こそ円興はピカレスクを発現していないが、もしこれが事実ならば、円興は大変な爆弾を抱えていると言うことになる。それはおそらく皆が想像したことだろう。
いつもヘラヘラしている灯庵は真剣な表情をしているし、阿古丸はカラカラに喉が渇いたようにしきりに喉を動かしている。香川は口に両手を当てて、目を見開いている。
しかし、円興は首を振って否定した。
「いや、それもあるかもしれないけど、多分違うと思うんだ。」
「と言うと?」
「確かに地震は怖い。けど俺にとって本当に怖いのは地震で
円興がいうのは、つまるところこうだ。ピカレスクとは本質的恐怖心の具現化である。
俺は慌てて学校カバンの中を漁り、この前借りてきた心理学の本を取り出して、感情のページを見開いた。それを机の上に大きく広げ、みんなに聞かせるようにして読み上げた。
人間の心とは非常に複雑な構造になっている。
と思われがちであるが、精神医学的には感情とは大きく8つに大別される。
『喜び』『信頼』『心配』『驚き』『悲しみ』『嫌悪』『怒り』『予測』
これらを『基本感情』と呼び、前半の4つと後半の4つは対をなしている。喜びの反対は悲しみ、信頼の反対は嫌悪、と言った具合にだ。
それ以上の、例えば恐怖といった感情は『応用感情』と呼称され、基本感情の組み合わせにより表現される。
例えば、『喜び+信頼=楽観』という式で感情が成り立つように、『心配+驚き』で『畏怖』が表せる。
逆に言えば、俺たち人間が普段感じている恐怖心というのは、分解してしまえば非常に単純な構造であると言える。
円興の本質的に感じている恐怖の正体とは「振動+破壊」の恐怖だ。この場合破壊とは結果であるので、円興のピカレスクのタネとは振動になるだろう、という話である。
これが由理先輩の場合は「刃物+怪我」の恐怖といった構造になるのだろう。怪我をしたというのは結果にあたるので、怪我の原因となる刃物の具現化が、由理先輩の能力となったのだ。
「そうか!」と俺は思わず握った拳を振り下ろした。
これが、ピカレスクの正体だ。
つまり・・・・
これらの話をまとめて、灯庵が言った。
「今までの情報を照らし合わせれば、香川のトラウマの根幹が発覚するってことか!」
勢い立って俺たちは円興の頭を交代で叩いた。めちゃくちゃ痛いポコペンだ。
「でかした!」と口々に言った。「やるじゃない!」とその流れには、香川も乗っていた。周囲の生徒の視線が一挙に集まるが、そんなのはどうでもよかった。
「いてえ!いてえよ!」と嫌がる円興の頭は茹でたタコのように真っ赤になっていた。
照れ屋さんめ、このやろう。
嬉々として俺は香川に問いかけた。
「じゃあ、香川の恐怖の本質って何だ?」
「え?」
その瞬間、時が止まったように思われた。そういえばそうだった。
それがわからないから、困っているんだった。
*
ある夜、俺はまた不可解な出来事を体験した。
それは自宅での出来事だった。夕飯のことを知らせる母の呼び声はいつも決まって6時半にかかるもので、その日も例によって、約それくらいの刻限に台所への招集指令を下された。
我が家は父、母、祖父、祖母、俺、妹の6人によって形成された核家族である。訓練された俺は真っ先に台所へ向かい、家族全員分の皿と箸を並べて、ほかの家族員の到着を待たずして食卓に並べられた惣菜に手を出し始めた。真っ先に食に至ったのは、母の自慢の肉じゃがだった。言うに及ばず、母の手料理とは人間誰しもDNAに染み付いた代え難い逸品である。
その直後だ。俺の喉に異変があったのは。
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