神子は世界の中心点

皐月乃 彩月

第1話神子は世界の中心点

 


人々を苦しめていた魔王を倒した勇者は、世界の端荒廃した土地で神の娘と国を作った。

娘を愛した神は、娘が幸福になれるよう荒れた土地に祝福を与え豊かな土地へと変えた。

その後、国は貧する事なく、常に富み続け、小国から神の加護を受けし世界随一の大国へと進歩を遂げた──


これは国の幼子から老婆も皆知っている有名な国の伝承。

そしてその名残は、今もこの地に残っている。



「ユリシア・ルピナス、お前とは婚約破棄する!! お前の悪行はここまでだっ!」


そう宣言するのは、この国の王太子。

横には近頃いくつもの政策を成功させ、才女と称される公爵令嬢。

彼等は今怒りで肩を奮わせ、目の前の王太子の婚約者である少女のを糾弾した。


「悪行? 何の事かしら?」


少女、ユリシア・ルピナスは本気で心当たりがなかった。

真っ白なドレスを身に纏い、ベールで顔を隠しているが、声でキョトンしてるであろう事が端から見ても分かるだろう。

そしてその態度は、対峙する2人に余計に油を注いだ。


「何の事って、神納税の事ですっ!! 民からの貴重な血税を、胡散臭い世迷い言を言って国から巻き上げて! 国家予算の7割ですよ、7割!! それが貴方達神殿に費やされてるなんて、おかしいでしょうっ!? 莫大な資金を得ても贅沢三昧な生活をするばかりで、施しをする訳でも事業をする訳でもない! これを悪行と言わないで、何と言うのですかっ!?」


公爵令嬢は歯に衣着せぬ物言いで、ユリシアを怒鳴り付ける。

それはユリシアにとって、少し新鮮な事であった。

ユリシアは神が愛した娘の子孫だ。

神子たるを持った本物の愛し子。

そんなユリシアに、口答えする者など今まで誰もいなかった。


そして公爵令嬢が激昂している神納税とは、毎年神殿に納められる莫大な資金の事。

ユリシアは神殿に暮らしており、神への感謝の印として国から納められている。


「おかしいって……何故? 元々この国の富はおじい様が私へと与えたもの。本来は全て私のものであるのに、何故貴方はそんな事を言うのかしら?」


寧ろその3割を国へと分けているのだから、寛大な対応だとユリシアは思っている。


この国は本来枯れた土地。

何も得る事など出来ない土地なのだ。

けれど、この国の民は世界のどの国より豊かな生活を送っている。

毎年豊作で、不作の年などあった事はない。

毎年採掘される鉱石は、掘っても掘っても尽きる事がない。

水は清んでいて、国中に行き渡っている。


つまり、国の民は飢える事なく、十分過ぎる程豊かな暮らしを送っているのだ。

それなのに、更なる豊かさを求めるというのか。


「悪いが私は、彼女と出会って目が覚めたんだ。これからは人の時代だ。何時までも神の加護などという迷信に、付き合うつもりは無い。だから、ユリシア・ルピナス。私はお前を断罪する。神子などと国中を謀り、私腹を肥やした罪、万死に値する!」


王太子は自信満々に言うが、その意味を、重さを全く理解していない。

現在、他国を訪れる国王がこの場に居たら、例え溺愛している王太子であろうと廃嫡は免れなかっただろう。

これは神との決別を意味する。

今までの加護を失うことを意味する。


あぁ、愚かな。

愚かな王太子。

珍しいと思ったけれど、ただ畏れを知らない、物を知らないだけの子供か。

国王は、愛故に教育を間違えたらしい。

一番大事な事を教えていない。


ユリシアはガッカリした。

詰まらない。

ユリシアは守られ愛されているが故に、いつも退屈を感じていた。


王太子も……翡翠のような眼が気に入っていただけですし……もう、いらないわ。


元々、王太子との婚約は長年の慣習のようなものだ。

歴代の神子が王太子に嫁いだから、ユリシアも同じように婚約させられただけ

加護を他の一族に渡さない為の婚姻であり、ユリシアにとって別にどちらでも良いものであった。


「……それは、今の豊かさを捨てる事よ?」


これが最後通告だ。

ユリシアは別に善でない。

国の安寧に興味はないが、長年過ごしたが故に多少の情はある。

婚姻を結ぶつもりは更々ないが、最後の猶予を彼等に与えた。


「私の進めた政策は、既に軌道に乗っています。万が一、神の加護というものがあったとしても、この国はやっていけます!」


公爵令嬢は自信満々に決別を口にした。


それが貴方達の答えならば、私が気にする必要はもうありはしない。


「そう、ならさようなら。愚かな人間達……でも、安心して。私は貴方達の不敬に対し、罰は望まない・・・・。けれど、この国への加護の一切は失われるでしょう」


その言葉を最後にユリシアは光に包まれ、その場から姿を消した。


「ま、待ちなさい!! 逃げるのっ!!?」


公爵令嬢がそう叫ぶも、その声に答えるものは誰もいなかった。





何もかもを己の力で成し遂げたと信じている、愚かな少女。

神への信仰を持たない貴方は、全てを失ったとき神を憎むでしょう。

良い事は自分の力で、悪い事は神の力──けれど、そんな不敬は赦されないのよ?

私は貴方達に罰は望まない。

私が望まぬ限り、おじい様も罰をお与えにはならないでしょう。

けれど、この国は近い未来に滅びる。

貴方は神の罰ではなく、自身の業によりその身を焼かれる事になるのよ。



「──やぁ、待っていたよ。ユリシア様、俺の愛しい人」


瞬きの光の後、ユリシアの前には見知った少年が立っていた。

神が愛し子たるユリシアを、安全な場所に移動させたのだ。


「あら、貴方にはこの結末が分かっていたの?」


それは驚きだ。

ユリシアは確かに近年増長しつつあったのを知ってはいたが、彼等がここまで愚かだとは思ってもいなかった。


「えぇ、あの女の正体については思い当たる節があったので……詳しくお知りになりたいですか?」


少年はユリシアの手をまるで壊れ物かのように、手に取り椅子までエスコートした。


「そう……でも、もうあの国に興味ないからいいわ」


もう彼等の事はユリシアにとって、終わった事であった。

始まりである神の娘と違い、ユリシアは王太子に恋をしていない。

執着など一切無い。

寧ろ、興味を持っているのは──


「そんな事より、貴方は今嬉しい? 私の事が好きなんでしょう?」


この少年、あの国より北に幾つかの国を挟んだ位置にあるこの皇国の皇太子、ルピスはユリシアに恋をしているのをよく知っていた。


「えぇ、愛しております。俺はその為に、この10年間生きてきましたから」


ルピスは膝まづいて、ユリシアの手の甲に口付けを落とした。


「そう……」


ユリシアとルピスの視線が絡む。

ルピスの瞳はまるで夜空のようだと、ユリシアは思う。

王太子のような派手な色彩ではないが、漆黒の中で無数の星のような光が瞬いている。

ユリシアは、この瞳を一等気に入っていた。


「俺はあの女やあの馬鹿王子と違って、神への敬意を忘れたりはしない。貴方だけに、永遠の愛を誓います」


だから、ルピスの傍で見ていることを決めたのだ。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆








初めてその姿を見た時、一瞬で心を奪われた───





俺は所謂転生者と呼ばれる人間で、前世は地球で会社を幾つも経営していた。

前世では40年間日本人として生きていたので、見た目は幼児でも精神年齢は高い筈だった。

結婚はしていなかったが、女に困った事はなくそれなりに経験はあった。

けれど、俺は初めて父に連れられて訪れた国で、ユリシア・ルピナスに一目惚れをした。

当時、ユリシアは同い年の幼い少女であったにも関わらず、だ。


俺は住んでいた国の土地柄か、神を信じていなかった。

だから、不敬にも一目見てみたいと思ったのだ、神に愛された神子に。

俺は子供の見た目を利用して、迷子の振りをして神殿に侵入した。

その時に、ベールを外したユリシアに出会ったのだ。

ユリシアは誰よりも美しかった。

俺がその時に感じたのは、歓喜と絶望。

恋に浮かれる前に、俺はその場で失恋した。

彼女には婚約者が居たからだ。

相手は大国であるこの国の王太子、国力で劣る我が国では太刀打ち出来ない。

だから、俺は持てる全てを使って国を強く豊かにした。

時間はかかったし、大きな失敗もした。

結果、大陸で2番目の力を持つまでに成長した。


「ようやくだな、葵。つか、1人でニヤニヤしてんの、流石にキモいぞ」


ユリシアの為に用意した部屋に彼女を置いて部屋を出ると、悪い笑顔を浮かべた腐れ縁の親友に出くわした。


「こんな時位、別にいいだろう。長年の夢が叶ったんだ東矢」


親友の前世の名前は東矢。

そして、葵というのは俺の前世の名前だ。

俺達は前世からの親友で、異世界転生を果たしてからも友好関係を続けている1人だ。


「うわ、開き直りかよ。自分が美人の嫁さん貰うからってっ、リア充爆発しろっ!!」


何かムカつくと、頭に手を置かれボサボサにされる。

ムカつくと言いながらも、表情は嬉しそうなので心から祝福はしてくれているみたいだ。


「お前は詩音がいるだろうが……いい加減、告白の1つでもしろよ、このヘタレが」


俺が知っている転生者は東矢1人ではない。

寧ろ、知っている転生者は、前世からよく知る人間だ。

東矢はそのうちの1人である、詩音という少女に前世から片思いをしている。


「ぐ、……告白ってお前なぁ。長年親友やってると、今更関係を変えるって中々勇気がいるんだよ!」


「そうか? 脈有りだと思うんだが……」


詩音も決まった相手はこれまでいないし、東矢を意識している様に端から見える。

所謂、両片思いというやつだ。


「ま、マジでっ!? よし、じゃぁプロポーズの指輪を用意して」


「いや、告白が先だろう。いきなり指輪かよ!」


東矢は大学で農業関係の研究をしており、その分野では若くして名が知れた天才児だった。

この国の発展にも、東矢は大きく貢献してくれた。

東矢や他の友人達がいなければ、ここまで来るのに後数十年はかかっただろう。


こいつ、頭いいのに不器用というか……恋愛方面ではちょっと馬鹿だよな。


「あ、……そうか、まずは告白、告白……うわー、何て言おうっ!? 葵はっ!? 葵は、何て言ったんだっ!!?」


「言うか馬鹿っ! それくらい自分で考えろっっ!!」


流石に、それをこいつに言うのは恥ずかしい。

俺は照れ隠しに、東矢の頭を思い切り叩いた。


「いててっ! そう、照れんなよ。いいじゃねぇか、別に減るもんでもないしっ!」


東矢は叩かれた頭を押さえて、不満そうに唇を尖らせる。


いや、男がそれやっても可愛くねぇし。


「ごほんっ……そんな事より今は王国への対処だろ。王国は今から下り坂だろうから、移民も多くなるだろうし、神の加護が失われた事に気付いたらユリシア様を死にもの狂いで取り返しに来るだろう」


あのアホ王子や公爵令嬢も、すぐに気付くだろう。

何せ、あの土地には元々何もない。

ユリシアが神に頼んだので罰は下されないようだが、神の加護を失えばすぐに崩れ去る富と財だ。

元々神殿に仕えていた神官達は、神殿と共にこの国に転移してきているようだが、信仰にあつい民も万単位で入ってくる筈だ。


「あぁ、そうだな。つか、姫さんを追い出すとかアホだよなー、俺も前世では神とか信じてなかったけど、あの杜撰な政策や開発で国がどんどん潤っていくんだもんな。真面目にやってる俺らが、たまにアホらしく思えるレベルだったからな」


公爵令嬢は、俺達と同じ転生者だ。

だが、何か専門的な分野を習ったものでなく、普通の高校生ではないかというのが詩音の見立てだ。


詩音曰く、

「漫画やラノベの読みすぎ。高校生レベルの聞きかじった知識程度なのに、神の加護で成功して調子に乗ったアホ」

だそうだ。


「普通に考えれば、何か別の力が働いてる事に気付いてる筈なんだけどな……」


神は神子たるユリシアを、溺愛している。

だから、ユリシアの為に国を富ませている。

民の為ではない。

神が愛しているのは、ユリシアただ1人だ。


「それに気付かないからアホ何だよなー。ま、じゃあ俺は他の奴等に声かけてくるわ」


東矢はそう言うと、すぐに行動に移した。


「あぁ、任せた」


神が愛しているのは、ユリシアただ1人。

だから、ユリシアを欲する俺にも当然試練が課せられた。

それは神の加護なしに、国を富ませる事。

俺は東矢達の協力を持って、たった10年で達成させた。

けれど、その全てを自分達の力だけによるものだと、俺は過信したりはしない。

ユリシアは、俺の事を気にかけてくれていた。

だから、その分採点は甘くなっていた可能性もあるのだ。


「あの国も立場を弁えさえすれば、何千年と栄華が続いただろうに……」


だが、俺は善人ではない。

だから、愛しい人ユリシアを誰かに譲ったりはしない。










「あの女を、あの女を出しなさいよっ!! あの女のせいで、あの女のせいで私はっ!!」


1ヶ月経つ事なく俺の前に現れたのは、かの国の元公爵令嬢。

かつて、才色兼備と謳われた美貌も知性も感じられないボロボロの姿で、国の兵士に引きずられてきた。

かつては手を触れる事すら叶わない雲の上の存在の筈だったのに、兵士は元公爵令嬢を乱雑に扱い憎悪の視線すら向けている。

公爵令嬢は、あれからすぐに立場を失った。

水が枯れ、大地もまた急激に痩せて作物が全て枯れたのだ。

公爵令嬢が行ったというお粗末な政策も、神の加護を失えば上手くいく筈もない。

これは神の怒りだと、何とか静める為に王族の首が差し出された。

けれど、何の効果も得られず、今度はユリシアの気を静め国に戻ってもらおうと、元公爵令嬢の首を差し出しに来たのだ。


「……立場を弁えろ。お前のような者をユリシア様に会わせるわけないだろう。お前達も去れ。ユリシア様は、お前達の事は既に見限った。元々あの土地には実りはない。直ぐに別の土地へ移住でも、何でもするんだな」


元公爵令嬢の事を憐れに思わない事もないが、自業自得だ。

俺達の世界とこの世界は違う。

この女はそれを理解しようとしなかった。

傲慢だった。


「何が実りがないよっ! 全部、あの魔女がいけないんでしょっ!? 自分が追い出されたからって、私達の国を呪ったのよっ!! そのせいで、王子は、あの人はっ」


けれど、それに元公爵令嬢は納得しなかった。

この滅びが、自分の責任だという自覚もないのだろう。


「黙れ。お前の言うことは聞くに耐えない。善き事は自分の力で、災いは神のせいなどと……不敬にも程がある」


この女だけでない。

あの国では長年神が近くにありすぎて、そのもたらす恩恵や富を当たり前と思っている風潮があった。

だから、王子や公爵令嬢がアホをやっても止めるものが居なかった。


「神、神って、何なのよ……なら、何で神の血を引く王族の王子が、あんな目に合うのよっ!!?」


血走った目で、元公爵令嬢は叫ぶ。

どうやら、此方の言葉は何一つ理解していないどころか、自ら国の王族の系譜すら知らないらしい。

それには流石の俺も少し驚いた。


「自国の王族の系譜すら知らないのか……? 神の血を引くのは、ユリシア様ただ1人。王族には、一滴もその血は流れていない」


かつて魔王を倒した勇者は、荒廃した土地で国をつくった。

──神の娘を妻の1人・・・・として迎えて。


「幸いと言っていいのか分からないが、神の娘を含め代々の神子達は子を1人しか身籠る事はなかった。だから、代々の王は常に別の妻の腹から生まれた子で、神の血は一滴たりとも流れていない。ついでに言うと、神は娘をたぶらかしたばかりか、重婚などという冒涜とも取れる行為に酷くお怒りだ。王族である勇者の末裔など、態々助けるなどあり得ない。お前達の国の民もそれをしっていたから、死刑にしたんだろう。いいか、お前の・・・世界では信仰が薄かったのかも知れないが、この・・世界は違う。神はおられるし、この世界に加護や罰を与える事もある。お前達は神の怒りに触れた。神からの罰を受ける事はないが、救いを与えられる事もない」


この話を聞いた時、勇者は怖いもの知らずにも程があると思ったものだ。

神の娘を貰っておきながら、他の女とも情を交わすなど……それで、神の娘が愛想を尽かしていたら首が飛んでいた。

代々1人しか子供が生まれないのも、恐らくは神の意向が関係しているのだろう。


「そ、そんな、……でも、でも私は悪くない。だって、おかしいもの、そんなの知らない、知らない……」


俺の話を聞いた元公爵令嬢は、自分の立場、自分が何をしたのかようやく理解したらしい。

憎悪から恐怖へとその目に宿る感情を変えた。


まぁ、もう手遅れだけど。

俺もユリシアを害した者を許すつもりはない。


「下がれ。もう2度と俺達の目の前に現れるな。次は即座にその首を斬る」


俺は冷酷にそう告げたのであった。










◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


神子であるユリシア・ルピナスを失った王国は、その後数ヶ月で滅びを迎えた。

幸いにも、一般の市民は早い段階で国を見限ったので、前より生活を苦しくした者はいたものの、飢饉による死者は出なかった。

対して、ユリシアを迎えた皇国は栄華を極めた。

神子を娶ったルピスも、生涯ユリシア1人を愛し多くの子宝に恵まれた。

皇族の血筋は、真に神の血を引く一族になった。

大事な神子を奪われる事になった神も、たまにルピスに嫌がらせを仕掛けながらも愛しい末裔達を永く見守り続けた。

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