十三の段 隠密のうしろには隠密?

 その日の夕方。


 土俵どひょうの屋根の破壊はかい失敗しっぱいした疾風しっぷう一郎いちろうは、まだあきらめていないようで、庄部しょうべ神社じんじゃ周辺しゅうへんをウロウロしていました。


こまったな。菰野藩士こものはんしが10人も守っていて、土俵に近づけない。完全に警戒けいかいされている。やっぱり、夜になるまで待って、こっそり放火ほうかしておけばよかった……」


 疾風の一郎がブツブツとひとごとを言っていると、子供たちが集まってわいわいと何やら話している声が聞こえてきました。


「土俵や屋根をこわされたら、大相撲ができなくなるからいややなぁ~」


大丈夫だいじょうぶやに。あの土俵と屋根は偽物にせものなんや。だから、あれが壊されてもこまらんよ」


「え? 重蔵しげぞう、それはどういうことなん?」


「おいら、偶然ぐうぜん、おさむらいさまたちの内緒話ないしょばなしを聞いたんや。大相撲おおずもう邪魔じゃましようとしている悪いヤツがいるから、そいつに気づかれないように別の場所で本物の土俵と屋根をつくっとるんやって」


(何⁉ あの土俵と屋根は、オレをあざむくための偽物だったのか! だったら、あのガキから本物がある場所を聞き出してやる)


 そう考えた疾風の一郎は、菰野藩の秘密ひみつぬすみ聞きした男の子が一人になるのを待ち、話しかけました。


「おい。さっきの話は本当か? 本物の土俵と屋根は、どこにある」


「おじさん、だれなん? 菰野藩のお侍やないみたいやけど……」


「オレが何者なにものでもおまえには関係ない。それより、本物の土俵と屋根がある場所を教えろ」


「教えてあげてもええけど、タダで教えるのは嫌やなぁ~」


 男の子はニコニコ笑いながら、右手を差し出しました。


 疾風の一郎はチッと舌打ちし、「最近さいきんのガキはしっかりしてやがる」と言いながら、さっきだん小屋ごやで買ったお団子だんごを男の子に全部あげました。


「おじさん、太っ腹ぁ~! おいらがその場所まで連れていってあげるよ。こっちやに!」


 男の子はお団子をもぐもぐ食べながら、庄部神社の近くを流れている滝川たきがわまで疾風の一郎を連れて行きました。


 読者のみなさんはもうわかっていると思いますが、この男の子は嘘重うそしげくんでござる。


「なんだ、ここは。草がぼうぼうと生えていて何もないぞ。こんなところで本当に大相撲をやるのか?」


 川原かわらにはマコモがたくさん生いしげっていて、疾風の一郎は(もしかして、このガキにだまされたのでは?)とうたがいました。


「おじさん、馬鹿ばかやなぁ。ここは背丈せたけの高い草がたくさん生えていて、大事な物をかくすのにはうってつけやんか。土俵と屋根が完成したら、草をみんなっちゃえばええだけやん」


「なるほど、たしかに一理いちりある」


「おじさん、あそこ。あそこやに。まだ土俵しかできていなくて、屋根はこれからつくるらしいよ」


(だったら、土俵だけでも破壊はかいしておいてやろう)


 ニヤリと笑った疾風の一郎は、嘘重くんが指差ゆびさした方角ほうがくに走りました。そして、


「ぎゃぁぁぁ⁉」


 あっさりと、ミヤがった落とし穴に落っこちたのでござる。

 まわりに1メートル近いマコモがぼうぼう生えていたため、落とし穴があることに気づかなかったようですな。


「う、うわわ! マムシやヒルがいる! 助けてくれー!」


 疾風の一郎の悲鳴ひめいが、夕暮ゆうぐれ空にひびわたります。


「やった! 大成功だ!」


「ここからが本番です、にんにん」


 マコモが生いしげった川原で身を隠していた義苗よしたねさまとミヤ、それにピョンピョン左衛門ざえもん、ドラぽん、ハギちゃんが飛び出し、落とし穴からはい出ようとしていた疾風の一郎を竹で作ったぼうでたたき、再び穴の中に落下させました。


「ち、血をわれている! ヒルに血を……うぎゃぁぁぁ! マムシが飛びかかって来たぁ~!」


 疾風の一郎は恐怖きょうふのあまり泣きさけびました。阿鼻叫喚あびきょうかんとはこのことでござるな。


「こ、こうなったら根性こんじょう脱出だっしゅつしてやる! 疾風の一郎奥義おうぎ……『飛びます、飛びます、飛びまーす!』」


 疾風の一郎はそう叫ぶと、人間ばなれしたジャンプ力で飛び(普通の人間の三倍は高く飛んだでござる!)、落とし穴から脱出しました。そんなの、ありかーーーい‼


「ただでは逃がしませんです! これでもくらえ!」


 ミヤもジャンプ!


 ミヤは何やら木製もくせいはこを持っていて、箱についているハンドルをグルグルと回しながらその箱を疾風の一郎の体に押しつけました。


「う、うひゃ⁉ 体がピリピリってなったぞ⁉」


 何ですか、あの箱は⁉ ちょっとだけ電気を発しましたぞ⁉


 空中でバランスをくずした疾風の一郎は、うまく着地ちゃくちできずに川原をゴロゴロ転がり、三滝川にどぼーんと落っこちてしまいました。そして、そのままどんらこ~どんぶらこ~と流されていったのでござる。







 陣屋じんやもどった義苗さまは、部屋にミヤを呼んで一緒いっしょに晩ご飯を食べました。


「ミヤ。今日はよくがんばってくれたな。毎晩まいばん、陣屋に曲者くせもの侵入しんにゅうしないように見張みはってくれているし、本当に助かっている。ありがとう」


「では、いつものようにごほうびをくださいです」


「う、うん。すーはー……。

『くノ一ミヤは伊賀いがさとで一番の美少女! 忍びの術もピカイチ! 敵の隠密をやっつけるなんて朝飯前あさめしまえ! さすがは美少女くノ一ミヤ! 君に不可能はない! 猿飛さるとびすけ服部半蔵はっとりはんぞうもビックリな忍術の腕! しかもすっごい美少女!』

 はぁはぁ……ぜぇぜぇ……。ど、どうだ。満足か?」


「むふぅ~!」


 どうやら、大満足しているようですな。


「喜んでくれるのはいいけれど……。もっと大きな大名家に仕官しかんしたら、ちゃんとした給料きゅうりょうがもらえるんだぞ? オレみたいなビンボー殿さまの忍者をやっていて、いいのか? 忍術の腕はいいんだから、目立ちたがり屋な性格せいかくさえなおしたらやとってくれる殿さまはたくさんいるはずだぞ」


 ミヤにたいしたごほうびをあげられないことを気にしているのか、義苗さまはそう言いました。

 しかし、ミヤは「わたしは、土方ひじかた義苗さまの忍びになると決めましたです」とハッキリと答えたのでござる。


「世の中の殿さまのほとんどは、忍者なんて使いての道具ぐらいにしか考えていないです。でも、義苗さまは、私みたいな忍びの者にごほうびをあげられないことを気にしてくれたり、菰野の民たちが隠密にケガをさせられていないか心配したり、とてもやさしいです。

 私は、心の冷たい殿さまからお給料をもらうよりも、優しい義苗さまに『よくがんばったな』とほめてもらえるほうがずっとずっとうれしいです」


 ミヤはそう語り、愛らしい顔でニッコリと微笑ほほえみました。


 義苗さまはミヤの笑顔にドキッとなり、「そ、そうか」と言いながら顔をそらしました。おやおや、耳が真っ赤ですな。


「お……オレも、ミヤがこのまま菰野藩にいてくれたらうれしい……」


 義苗さまがれながらもそう言った時、


 ぐ~ぎゅるるぅ~


 ミヤのお腹が鳴りました。


 もー! せっかくいいムードだったのにぃ~!


 義苗さまは思わずズッコケそうになりました。


「ご、ごめんなさいです。晩ご飯を食べたばかりなのに……」


 ミヤもずかしいのか、お腹をおさえてもじもじしています。


 まあ、ミヤのお腹が鳴るのも無理はありません。

 菰野藩は借金しゃっきんまみれなので、菰野藩士たちはとても質素しっそ食事しょくじ我慢がまんしています。義苗さまもみんなを見習い、ぜいたくな食事や服装ふくそうはやめました。

 だから、忍者のミヤに出される食事もご飯少なめ、おかずもほんのちょっとでした。食いしん坊のミヤにはぜんぜん足らないでしょうなぁ。


「オレの魚を半分やるよ」


 まだご飯を食べていた義苗さまは、魚の片身かたみをミヤの空っぽの皿に移してあげました。


「殿さまのおかずも少ないのに、私がいただいたらもうしわけないですよぉ~!」


遠慮えんりょするな。オレはそんなに食いしん坊じゃないから、平気だよ。忍者のおまえにはこの屋敷を守る役目がある。『腹が減ってはいくさができぬ』というだろう?」


「う、う、う……。ありがたき幸せですぅ~」


 ミヤは感激かんげきし、泣きながら魚をむしゃむしゃと食べました。


「……そういえば、隠密をやっつけた時に使っていたあの不思議ふしぎな箱は何なんだ? 箱からピカピカと火花ひばなみたいなのが出ていたけど」


 義苗さまは、あの電気が発生するなぞの箱のことをふと思い出し、ミヤに聞きました。


「あれは、オランダで発明された、ピリピリとしびれる光を発生させるエレキテルという道具です。平賀ひらが源内げんないという発明家はつめいかが日本に持ちこまれた故障こしょうしたエレキテルを修理しゅうりしたのです。たいした威力いりょくは出ませんが、あの隠密はピリピリしびれるという未知みち感覚かんかくにおどろき、川に落っこちたです」


「へぇ~、すごいな。でも、忍者なのに、何でそんなものをおまえが持っているんだ?」


「……平賀源内という人は、医者や作家、画家、蘭学者らんがくしゃ(オランダから伝わった西洋の学問を学ぶ人)など色々いろいろやっていて、日本中をいそがしく歩き回っていた人だったらしいのですが、伊賀いがの国に立ち寄った時、あるくノ一と偶然ぐうぜん出会って恋に落ち、ちょっとの間だけ一緒いっしょに暮らしていたことがありましたです。その二人の間にできた女の子が、私らしいです」


「えっ、そうだったのか⁉」


 なるほど。天才・平賀源内の娘だから、からくり人形の製造せいぞうやオランダ語ができたのですね。


「……でも、さっきから『らしい、らしい』と他人事ひとごとみたいに言っているのはなぜだ?」


「父は私がおさない時にっぱらって人を殺してしまい、牢屋ろうやに入れられ……そのまま牢屋の中で死んでしまったです。だから、父のことはほとんどおぼえていないです」


「……いやなことを聞いてしまって、すまない」


「気にしないでくださいです。殿さまだって5歳で両親と引きはなされているじゃないですか。うふふ、殿さまと私はた者同士ですね」


(ミヤが笑うと、暗い気分も明るくなるから不思議ふしぎだ。それに、胸がとてもポカポカする。これって、もしかして……伊賀忍者の忍術か⁉)


 そんなわけないでしょーが!

 義苗さま! 自分の気持ちぐらい、ちゃんと気づきなさいってばぁ~!







 義苗さまとミヤがそんな会話をしていた同時刻どうじこく

 三滝川に落っこちてどんどん流されていた疾風の一郎は、ある人物に助けられていました。


「川からすくいあげてくれたうえに、マムシの毒のおう急手当きゅうてあてまでしてくださり、かたじけない。あなたのお名前を教えてくだされ」


「オレさまの名は、じゃがん二郎じろう。松平定信さまの隠密だ」


 眼帯がんたいの男がそう言うと、疾風の一郎は「ええ⁉」とおどろきました。


「そんな馬鹿ばかな。定信さまの隠密はオレだぞ⁉」


「ああ、知っているさ。だが、オレさまも、おまえと同じ任務にんむを定信さまからさずけられた隠密なんだ。そして、オレさまは、『疾風の一郎がちゃんと任務をこなしているか監視かんしし、任務に失敗したら手助けするように』という命令も受けている」


「な、何だと? おまえは、ずっとオレを監視していたのか?」


「ああ。……しかし、東海道とうかいどう途中とちゅうでうっかりおまえを見失い、うっかりおまえよりも先に大井川おおいがわえ、うっかりおまえよりも数日早く菰野に着いてしまったのだ」


「ダメじゃん! ぜんぜん監視できてないじゃん!」


 老中ろうじゅうの松平定信さまは、隠密に任務をあたえる時、その隠密がちゃんと仕事をしているか監視するための隠密をつけたのでござる。慎重しんちょうというか、うたぐり深い性格というか……。


「……監視をつけられていたことには正直おどろいたが、これで助かった。一人ではとても任務はこなせないと思っていたところだったんだ。菰野藩は小さな藩だが、なかなか手強い。これからは二人で力を合わせて、菰野の大相撲を邪魔じゃましようではないか」


「ああ、いいだろう。しかし、たとえその任務に失敗しても、オレさまは菰野藩の弱みをにぎっているから安心しろ」


「菰野藩の弱み? 何だ、それは」


「それはな、菰野藩の殿さまが勝手に江戸をぬけだして、今この菰野に……ひそひそ」


 あ、あわわ……。わる~い隠密が二人もそろっちゃいましたぞ?


 義苗さまと菰野藩は大丈夫だいじょうぶなのでしょうか⁉

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