十一の段 山高きがゆえに貴からず

 菰野こもの陣屋じんやから西に歩いてすぐの場所に、中菰野村なかこものむらという村があります。よしたねさまたちは、まずその村にやって来ました。


「あまり人がいないな。みんなどこに行ったんだ?」


「今の時間は、みんな田畑で働いているころだ。百姓ひゃくしょうたちはいそがしい。夜明け前から起きて草をり、昼間には汗水あせみずたらして田畑をたがやしている。夜にも家の中で農具のうぐの手入れをしなければならない」


(江戸の屋敷で食っちゃ寝していたオレとはおおちがいだな……)


 義苗さまがそんなことを考えていると、馬公子まこうしさまが「中菰野村の庄屋しょうやの家をたずねよう。ちょっと心配な村の夫婦ふうふがいるんだ」と言いました。


 庄屋とは、今風いまふうに言うと村長そんちょうのことでござる。

 中菰野村の庄屋は、武田たけだ忠治ちゅうじという40代半ばの人がよさそうなおっさんでした。


「忠治、邪魔じゃまするぞ」


「これは馬公子さん。よくぞおいでくださいました。……おや? そちらのお子さんは馬公子さまにどことなくていませんか?」


 忠治がたずねると、馬公子さまは「そりゃあ、オレのおいっ子だからな。似ていて当たり前だ」と答えました。


「甥っ子? も……もしかして、わ、若殿さまですか⁉」


「そうだ。菰野の領地がどんなところか見せてやりたくて、江戸からこっそり連れてきた」


(そんなあっさりと教えちゃって大丈夫だいじょうぶか⁉ この庄屋が幕府ばくふの役人にチクるかも知れないのに……)


 義苗さまはあせりましたが、どうやらそんな心配はいらないみたいですぞ?


「若殿さまぁぁぁ! お会いしとうございましたぁぁぁ!」


 庄屋の忠治はぶわっと大粒おおつぶの涙を流し、義苗さまにすがりつきました。


「うわわ! な、何だ⁉ 何でそんなに喜んでいるんだ⁉」


「江戸の若殿さまのうわさはこちらにも届いています! 文武両道ぶんぶりょうどうひいで、そのお顔は戦国最強の武将・織田おだ信長のぶながこうにそっくり! 信長公の生まれ変わりというべき超天才のお殿さまだと! きっと、信長公の血を濃厚のうこうに受けがれたのでしょう!」


「ちょ、ちょっと待て! 信長公の顔なんて、だれも知らないよね⁉ それに、土方家ひじかたけは信長公の血がちょっとだけざってはいるけど、200年ぐらい前の戦国武将の血がそんなにくオレに受け継がれているわけが……」


われら菰野のたみは、信長公の生まれ変わりの若殿さまが、貧乏びんぼうな菰野の村々を救ってくださると信じておりまする~!」


(ど、どうしよう。最初からこんなにも期待値きたいちが高いと、失望しつぼうされた時の反動はんどうが恐い)


 義苗さまは助けを求めようと馬公子さまを見ましたが、馬公子さまは横を向いて口笛くちぶえを吹いています。


(さては、オレのうわさをモリモリにって民たちに伝えたのは、馬公子さまだな!)


 でも、ご隠居いんきょ雄年かつながさまが領内りょうないでも評判ひょうばんが悪い分、民たちが新しい藩主はんしゅ・義苗さまに期待を持ってくれないと、菰野藩としてはこまりますからねぇ。支持率しじりつアップのためには仕方ないでしょう。あの世で信長公が「オレの名前を勝手に使うな!」と怒っていそうですが……。


「忠治、そろそろ義苗どのをはなしてやりなさい」


「あっ、これはとんだご無礼を。取り乱してしまい、もうしわけありません」


「ところで、多助たすけとおよねの夫婦はその後どうなった?」


「多助とお米でしたら、ついさっきわが家を訪ねて来たばかりです。今、わたしの部屋にいますので、どうぞこちらへ」


 義苗さまたちが忠治の部屋に行くと、20代半ばぐらいの若い夫婦がいました。奥さんのお米は可愛い赤ちゃんを抱いています。


 馬公子さまはお米の赤ちゃんを見るとホッとため息をつき、「ちゃんと生まれたか。子を育てていく決心がついたのだな」と言いました。


「はい。おかげさまで、妻と力を合わせてこの子を育てていく決心がつきました。本当、馬公子さんのおかげやわ。ありがとうございます」


 多助がそう答えると、義苗さまは「いったい何の話をしているんだ?」と忠治に聞きました。子供の話でなぜこんなにも深刻しんこくそうに話し合っているのか、わからなかったのです。


「ここ数年ほど米の不作ふさくつづき、このままでは菰野藩におさめる年貢ねんぐの米どころか、私たち百姓が食べる作物さくもつすら不足する恐れがあるのです。こんな苦しい生活が続いたのでは、とても子供なんて育てられない。そう考えた多助夫婦は、泣く泣く子供を間引まびきしようとしていたのです」


「間引きってなんだ?」


「生まれてきた子供を殺すことです」


「ええ⁉ そ、そんな……ひどい!」


 義苗さまはショックのあまり大声を出しました。馬公子さまは悲しそうな顔で、


まずしい農村のうそんではよくあることなんだ。みんな、やりたくてやっているわけじゃない。子供を殺さないと、自分たちが食っていけないぐらい生活に余裕よゆうがないんだ」


 と言い、義苗さまのかたをたたきました。


「しかし、馬公子さんが、菰野の村々で子供を間引く親が続出ぞくしゅつするのではと心配してくださり、『米の収穫量しゅうかくりょう極端きょくたんに少なかった村は今年の年貢を免除めんじょする』と約束してくださったのです。だから、多助夫婦は生まれてきた子供を殺さずにすみました」


 江戸時代は小氷期しょうひょうき(プチ氷河期ひょうがきみたいなもの)といい、世界的に平均気温へいきんきおんが低く、冬はものすごく寒かったのです。

 だから、作物がとれなくて人々が苦しむ飢饉ききん頻繁ひんぱんに発生しました。農民たちはえ死にしそうになると一揆いっき(農民の反乱)を起こし、殿さまたちに「年貢を免除してくれ!」とうったえたのです。


 しかし、菰野藩は年貢のとりたてがあまりきびしくなく、江戸時代の250年の間に一度も農民の一揆がなかったというレアケースな藩だったのでござる。


 きっと、馬公子さまや歴代れきだいの殿さまたちが農民たちの生活を守ろうと努力をしてきたのでしょうなぁ……。


「おいらの家には親の代からの借金しゃっきんがあるから米が不作じゃなくても生活が苦しくて……。でも、家財かざい道具どうぐをいくつか売って、何とか親子三人で暮らしていけるようにしたんや。せっかく馬公子さんに助けてもらったのに、借金のせいで子供を間引いたら馬公子さんに合わせる顔がないでなぁ」


 多助は、わが子の寝顔ねがおいとおしそうに見つめながら、そう言いました。


「本当にありがとうございます、馬公子さん」


 お米が涙を流しながらお礼を言うと、馬公子さまは「やめてくれ」と言いながら手をりました。


「菰野藩が貧乏びんぼうなせいで、おまえたちにはいつも迷惑をかけてしまっている。本当はもっといい暮らしをさせてやりたいんだが……許してくれ」


 義苗さまは、馬公子さまと多助夫婦の会話をぼうぜんと聞いていました。


(生まれてきた命を泣きながら殺さなければならない人間がいたなんて……。そんな菰野の民たちの苦労くろうを知らず、オレは今まで何をしてきたんだ。民たちを守らねばならない殿さまのオレが「何も知らなかったのだから仕方ない」ではすまされないじゃないか)


 何も考えずにぼんやりと生きてきた自分よりも、一生懸命いっしょうけんめいに民たちの暮らしを守ろうとしている馬公子さまのほうが殿さまにふさわしいのでは……。


 義苗さまはそう思い、目の前が真っ暗になるのでした。







 中菰野村を後にした義苗さまご一行は、その後も菰野の村々を見回りました。


 馬公子さまは、農作業中にケガをした農夫、動物に田畑をらされた老夫婦、重い病気で寝こんでいる子供など、気になっている領民りょうみんのもとをたずね歩き、親身しんみ相談そうだんに乗ったのです。


 義苗さまが一番おどろいたのは、お百姓さんたちが白米はくまいを食べていなかったことです。


 将軍しょうぐんさまのお膝元ひざもとである江戸では庶民しょみんたちもほかほかの白米を食べていますが、地方の貧しい農村で白米が食べられるのはお正月や祭り、結婚など特別なことがあった日ぐらいでした。

 人々は、わずかな米にむぎ、ヒエやアワなどの雑穀ざっこく、または大根だいこん、イモをぜた、いわゆる混ぜご飯を食べていました。これらの混ぜご飯は白米にくらべたらおいしくありません。


(オレは彼らのおかげでおいしい白米を食べることができていたんだ。白米を食べずに汗水たらして田畑をたがやす民たちの顔を知らないまま、朝から晩まで食っちゃ寝の生活をしていたことがずかしい。こんなオレが『人を愛し、人に愛される、立派な殿さま』になることなんてできるはずがない。オレは殿さま失格だ)


 おやおや。義苗さま、すっかり自信をなくしてしまいましたね。そんなネガティブ思考しこうになってほしくて、馬公子さまは領内を義苗さまに見せて回っているわけではないはずですが……。


「義苗どの。ここらへんでちょっと休もう」


 義苗さまがどんよりとした気持ちになっていると、馬公子さまがそう言い、近くにあった石にこしかけました。


「え? オレは別につかれていないので、大丈夫だいじょうぶですが……」


「殿さま、ちょっとお顔が青いです。休んだほうがいいと思いますです」


「平気だよ。民たちが大変な思いをして働いているのに、これぐらいで疲れたとか言ったらバチがあたる」


 本当は一日中歩き回ってくたくただった義苗さまでしたが、めずらしく強がりを言いました。

 自分がいかに甘ったれだったか痛感つうかんし、ぶったおれても歩かなきゃという強迫きょうはく観念かんねんにかられていたのです。


「ワシは疲れたから休もうと言っているわけではないよ。ほら、あそこを見なさい」


 馬公子さまが指差ゆびさしたほうを見ると、農夫たちが田んぼでせっせと働いていました。かなり集中しているようで、少しはなれた場所にいる馬公子さまたちに気づいていません。


「彼らは熱心ねっしんに働いている最中さいちゅうだ。今、ワシたちが通りかかったら、どうなると思う? 仕事の手を止め、農具をほうりてて、ワシたちにお辞儀じぎしようとするだろう。ワシは一生懸命いっしょうけんめいに働いている彼らの仕事の邪魔じゃまをしたくないんだ」


 馬公子さまのその言葉を聞いた義苗さまは、かみなりに打たれたような衝撃しょうげきを受けました。


 そんな民たちを気づかうような発想はっそう、義苗さまは考えもつかなかったのです。


 この人こそが、父上・としなおさまが言っていた「人を愛し、人に愛される、立派な殿さま」ではないか。どうして馬公子さまが菰野藩の殿さまではないのだ、と強く思ったのでした。


「馬公子さま!」


 義苗さまは、石に腰かけている馬公子さまの前で手をつき、ひざまずきました。ミヤが「わ、わ、わ⁉ 殿さま、どうしちゃったですか⁉」とおどろいています。


「オレみたいなダメダメな殿さまじゃ、菰野の人々を幸せになんてできない。オレは今すぐ殿さまをやめるから、馬公子さまが菰野藩主こものはんしゅになってください!」


「殿さま、何てことを言うのですか!」


 ミヤが怒ったように言いましたが、義苗さまは本気のようです。


 ち、ちょっと待ってください! 『オレは殿さま!』というタイトルなのに主人公が殿さまをやめちゃったら拙者せっしゃこまります!


「義苗どの。それは無理な話さ。義苗どのがその若さで隠居して、ワシが殿さまになるには、ワシが義苗どのの養子ようしにならなければいけない。でも、幕府は、大名が年上の養子をむかえることをみとめてはいないんだ」


「あっ……」


 たしかに、13歳の義苗さまが義理のお父さんで、親子ほど年がはなれたおっさんの馬公子さまが義理の息子になったら、ちょっとおかしいですもんね。


 先代藩主・かつさださまが病死した時、馬公子さまが菰野藩のお殿さまになれなかったのも、同じ理由です。馬公子さまは雄貞さまよりも年上だったので、雄貞さまの養子にはなれなかったのです。


 そして、雄貞さまよりも年下で他に家をぐ予定がない男子が、5歳の義苗さましかいなかったから、義苗さまがお殿さまに選ばれたのでござる。


「義苗どのは菰野藩の大名になる運命だった。その運命から逃げようとするのは、武士ではないぞ」


「で、でも、オレは立派な殿さまになんかなれそうにありません」


「なれるさ。人間、努力してできないことなんてない。どんな困難こんなんなことでも、そう信じてがんばれば、道は開けるものだ。……義苗どのも、いつか必ず、あの美しい山々のように人々に愛される立派な殿さまになれるとワシは信じている」


 馬公子さまは、夕日をのみこもうとしている山々をながめながら、義苗さまをはげましました。

 菰野の西には雄々おおしくそびえ立つ鈴鹿すずか山脈さんみゃくが広がり、人々はこの美しい山々を見上げながら日々の生活を送っているのでござる。


「オレはちっぽけな人間です。あの山々のように高くそびえて立派な、かっこいい男にはなれません」


 義苗さまがすっかりネガティブになってそう言うと、馬公子さまは首をり、少し強めの口調くちょうでこう語るのでした。


「山は高いからとうといのではない。人間も同じだ。見た目のかっこよさばかり気にしていたら、ご隠居さまのようになってしまうぞ」


「…………?」


 義苗さまにはその言葉の意味がわからず、首をかしげましたが、馬公子さまは「陣屋じんやに帰るまでにワシの言葉の意味がわからなかったら、南川みなみかわに聞きなさい」と言うだけでした。







 義苗さまは、陣屋に帰るまでの間、馬公子さまの言葉の意味を必死に考えましたが、結局けっきょくわかりませんでした。仕方しかたなく南川先生に聞くと、


「『山高きがゆえにたっとからず、あるをもってたっとしとなす』という言葉があります」


 という答えが返ってきて、義苗さまは「え? え? どーいう意味?」と余計よけいにわからなくなりました。


「山はただ高いからとうといのではない、たくさんの木があるからこそ尊い……という意味です。

 どんなに山が高くそびえていても、そこに木がなかったら山の生き物たちは生きていけないし、人間も木の実などをとることができません。だから、はげ山をありがたがる人なんていません」


「ああ、たしかにそうだ」


「それと同じように、人間もどれだけ見た目が立派でも、中身なかみのない人はすぐれた人物とは言えません。ただの見かけだおしです。

 それゆえ、人間は見かけだけで判断はんだんしてはいけない。正しい心を持ち、たくさん努力して実力をつけた者こそが、本当に立派な人間なのだ。……そういう教えですよ」


 南川先生の話を聞いているうちに、義苗さまは馬公子さまに今朝けさ言われた言葉を思い出しました。


 ――義苗どの。自分をかっこよく見せることが、武士の仕事ではないぞ?


 ご隠居さまのかつながさまは豪華ごうかな服で自分をかっこよく見せていますが、菰野の民や家来けらいのためにがんばっているとは言えません。


 それに対して、馬公子さまは民を幸せにしようと必死にがんばり、鞍のない馬に乗って村々を見回っています。農民たちも一生懸命いっしょうけんめいに働き、菰野藩をささえてくれています。

 そんな馬公子さまや菰野の民たちこそが、尊い存在そんざいなのだ。そのことに、義苗さまは今気づきました。


「見た目だけかっこつけていても、本当はぜんぜんかっこよくない……そういうことか?」


「そうです。そのことに気づいてほしくて、馬公子さまは殿さまを領地の見回りに連れて行ったのですよ。

 それなのに、ぜーんぜんそのことに気づかなくて、自信じしん喪失そうしつしていじけているのですからこまったものです。ミヤどのがすごく心配していましたよ? 女の子を無駄むだに心配させたダメダメな殿さまには、特大のバッテンをあげましょう」


 南川先生はそう言うと、本当にふでで義苗さまのほっぺたに大きな×印ばつじるしを書きました。


「う、う、う……。そうだった。昨日、菰野でいろんなことを勉強するって南川先生と約束したばかりなのに、面目めんぼくない……」


「誰だって、最初は未熟みじゅくなのが当たり前なんです。途中とちゅうでいじけず、最後まであきらめずにがんばった人間が夢をつかむことができるんです。

 殿さまの夢は、お父上と約束した『人を愛し、人に愛される、立派な殿さまになる』ことでしょう? 私たち家来やくノ一のミヤどのが必死に殿さまをささえていきますから、もういじけたりしないでくださいね」


「わかった。立派な殿さまに……木々が生いしげる山になれるように、がんばるよ」


 ホッ……。義苗さま、何とか元気を取りもどしてくれたみたいです。これでひと安心。


 庭の木の上から義苗さまを見守っていたミヤも、「殿さまが笑ってます! よかったですぅ~!」と喜んでいます。


 ……というか、ミヤはどうして木の上にいるのでしょうか? しかも、忍び装束しょうぞくを着てお仕事モードになっていますよ?


 おーい、ミヤ。何か変わったことがありましたか?


「ちょっと静かにするです。陣屋に侵入しんにゅうしようとしているヤツがいるから、追いはらうです」


 シュババババ!


 ミヤは、目にも止まらなぬ早業はやわざ手裏剣しゅりけんを投げました。すると、土塀どべいの外で「うぎゃ! し、尻にさったぁ~!」という悲鳴ひめいが……。


「無事、追いはらったです。どうやら、まつ平定だいらさだのぶ隠密おんみつ本格的ほんかくてきに動き出したようですね。にんにん」


 むむむ! それは油断ゆだんできませんな!


 次回もお楽しみに!

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