十の段 菰野の馬公子さん

 ご隠居いんきょかつながさまには三人の弟がいました。


 普通ふつう、お殿さまにならない他の男子は他家たけ養子ようしに行きます。だから、よしたねさまの父上・としなおさまと一番下のおとうとぎみも養子に行きました。


 しかし、馬公子まこうしというあだ名で呼び親しまれている義法よしのりさまは、どこの家の養子にもならず、菰野藩こものはんにとどまっていたのでござる。


 晩ご飯の後、そこらへんのくわしい事情じじょうを馬公子さまから聞いた義苗さまは、


(あれ? オレは、土方家に後継あとつぎの男子がいなくなったから、両親と引きはなされて菰野の殿さまになったんじゃなかったっけ? 義法伯父上おじうえは土方家の男子なのに、どうして後継ぎ候補こうほにならなかったんだろう……?)


 そう疑問ぎもんに思いましたが、それを口にしたら「ああ、なるへそ。だったら、ワシが今日から殿さまになろうかな♪」と言われたらこまるので、だまっていました。


「ワシの話はこれぐらいでいいかな。それで、ここからが本題ほんだいだ。南川みなみかわたのんで義苗どのを菰野まで連れて来させたのは、実はワシなんだよ」


「え⁉ そ、そうなのか?」


 おどろいた義苗さまが南川先生を見ると、南川先生はコクリとうなずきました。


「義苗どのが大人になる前に、菰野の領地がどんなところか、民たちがどんな生活をしているのか、その目で見ておいてほしかったんだ。

 子供は、空に浮かぶ雲が自由自在じゆうじざいに形を変えるように、やわらかい頭で物事ものごとを考えることができる。まちがっていることはまちがっていると言える勇気を大人よりも持っている。しかし、大人になってしまったら、人間は頭でっかちになりやすい。新しいことを学んでも、簡単かんたんには自分の考えを変えられなくなるんだ。

 だから、子供の今のうちに、自分の領地を自分の目で見て、自分はどんな殿さまになりたいかじっくりと考えてほしいとワシは願っているんだ」


 馬公子さまがおだやかに微笑ほほえんでそう語ると、南川先生が「少年しょうねんやすがくがたし、ですね」と言いました。


「少年老い……?」


「人間は、若いころはまだまだ人生先は長いと思いがちですが、あっと言う間に年をとってしまう。うかうかしていたら何も学べないままおじいさん、おばあさんになってしまうので、若いうちから一生懸命いっしょうけんめいに学びましょう。そういう意味です」


 子供でいられる時間なんて、長い人生の中でほんの一瞬いっしゅんですからな。馬公子さまは、義苗さまが子供時代の貴重きちょうな時間を江戸の屋敷やしきのぐーたら生活でムダに使ってほしくなくて、ご隠居いんきょ雄年かつながさまから引きはなしたのでしょう。


「そうか……。そういうことだったのか。伯父上の言う通り、菰野で色んなことを勉強するよ」


「その心意気こころいき、花まるです! ……ただ、ひとつ問題があります。幕府ばくふの息がかかった隠密おんみつらしき男が、菰野の領内りょうないにひそんでいる可能性かのうせいが高いのです。しかも、その男……じゃがん二郎じろうとかいう変てこな名前でしたが、そいつに義苗さまが幕府の許可きょかなく江戸をぬけだして菰野に来ていることを知られてしまいました。ヤツが幕府にこのことを報告ほうこくしたら、一大事いちだいじです」


 南川先生が顔をくもらせると、馬公子さまは「それは、おそらく老中ろうじゅうまつだいら定信さだのぶさまがはなった隠密にちがいない」と断定だんていしました。


 やっぱり、疾風しっぷう一郎いちろうだけでなく、あの邪眼の二郎も定信さまの隠密でしたか……。


「どうして、老中さまが菰野藩みたいな小大名をおとしいれようとしているんだ……?」


 義苗さまが首をかしげると、馬公子さまが「それはな……」と深刻しんこくそうな声で言い、定信さまが前の老中・田沼たぬま意次おきつぐさまをにくんでいること、菰野藩がその田沼意次さまと仲良しだったこと、「敵の味方は敵!」という理論りろんで定信さまは菰野藩のことも憎んでいることを説明しました。


「え? 何それ、めっちゃ迷惑めいわくなんだけど……」


「迷惑な話だが、仕方しかたがないさ。憎んでくる相手あいてに、『憎まないでちょうだい☆』とお願いしても、簡単かんたんにはいかないものだ。……ただ、こんなこともあろうかと、定信さまの対策たいさくはワシがちゃんと考えてあるから、安心しなさい」


「どんな対策ですか?」


「それは、いずれわかることさ」


 馬公子さまはそう言うと、イタズラっぽい笑みを浮かべるのでした。







 翌日。義苗さまは、馬公子さまの領内りょうないの見回りについていくことになりました。


 ボディーガードのはずのピョンピョン左衛門ざえもん寝坊ねぼうをしたため、おともはミヤだけです。


「今回はお弁当べんとうを持って行くので、途中とちゅうで腹ペコになる心配もありませんです。にんにん」


 村娘むらむすめ姿すがたに化けているミヤがドヤ顔でそう言いました。


「じゃあ、三人で見回りに行こう。義苗どの、準備じゅんびはできたかい?」


「はい。でも、義法伯父上……」


「ワシのことは気安きやすく馬公子と呼んでくれ。このあだ名、気に入っているんだ」


「ええと……馬公子さま。その服装ふくそうとその馬で出かけるんですか?」


 義苗さまは、馬公子さまの衣服いふくはだかうまをじっと見つめながら、遠慮えんりょぎみに言いました。


 馬公子さまは、昨日の農夫のうふのかっこうと大差たいさない木綿もめんの服を着ています。木綿は、前にも言いましたが、庶民しょみん普段ふだんです。ご隠居の雄年さまの豪華ごうかきぬの服を見慣みなれている義苗さまには、ずいぶんとみずぼらしく見えたのです。


 そして、裸の馬。「いや、馬はいつだって裸じゃん?」と思ったあなた。ちがいますよ、そういう意味ではありません。


 馬に乗る時は、今でも馬の背中にくらを置きますよね? 馬公子さまの馬には鞍がなかったのです。これもまた武士としてかっこうがつかないし、長時間乗っていたらおしりが痛くなりそう……と義苗さまは思ったのでした。


「この服のことか? ワシは木綿の服しか持っていないよ。ご隠居さまが豪華ごうかな服を着ているのに、ワシまで絹の服を着ていたら、借金しゃっきんまみれの菰野藩があっという間に破産はさんしてしまうからな。鞍は、別になくても馬に乗れるじゃないか。鞍を買う金がもったいない」


「でも、それでは菰野のたみたちにかっこうがつかないんじゃ……。せめて駕籠かごに乗って見回りをしたらどうですか? そうしたら、木綿の服を見られないし、ちょっとはかっこうがつきますよ。鞍のない馬で見回りなんかしたら、民たちに馬鹿にされますよ」


「義苗どの。自分をかっこよく見せることが、武士ぶしの仕事ではないぞ?」


「え?」


「とにかく、出発しよう。見回らなければいけない村がたくさんあるんだ」


「は、はあ……」


 というわけで、義苗さま、馬公子さま、ミヤは領地の見回りに出かけたのでござる。







 義苗さまは、馬公子さまに背中をあずけ、馬の二人乗りで陣屋じんやを出ました。ミヤはお腹さえかなかったら一日中歩き回ってもへっちゃらなので、徒歩とほです。


早速さっそく、お尻が痛い……)


 早くもつらくなってきた義苗さまは、周辺しゅうへん景色けしきを見て痛みをわすれようと思い、キョロキョロとあたりを見回しました。


「馬公子さま。昨日も陣屋じんやまでの道中どうちゅうで見かけましたが、あのぼうぼうと生えている背の高い草はなんですか?」


 義苗さまは、1メートルほどの高さの青々とした植物を指差ゆびさし、そうたずねました。


「あれはマコモだ。川の岸辺きしべ沼地ぬまちによく生えている。成長したら、人間の背丈せたけぐらいの大きさになるぞ」


「え⁉ そんなにでかくなるの⁉ うっとうしいから切っちゃえばいいのに……」


「村の長老ちょうろうの話によると、マコモは水をキレイにしてくれる力があるらしい。だから、切ったらいけないんだ」


「へぇー、そうなんだ」


「それに、菰野は大昔からマコモがたくさん生えていた土地だから、コモノという地名になったそうだ。この土地の名前の由来ゆらいとなった植物をうっとうしいと言ったら、かわいそうだぞ」


 マがいっぱいのだからコモノ、というわけですな。単純たんじゅんだけどわかりやすい地名の由来です。


(菰野の殿さまなのに、オレは菰野の名前の由来さえ知らなかったんだなぁ……)


 マコモをうっとうしいと言ってしまい、義苗さまはちょっとしょんぼりしました。


「ああ、暑い。今日はすごく暑いわぁ~」


 しばらく行くと、かさをかぶった男の人が重たそうな荷物にもつ背負せおい、道の反対側はんたいがわからやって来ました。しきりに暑い、暑いとつぶやいています。


 うつむいて歩いているので、義苗さまご一行にまだ気づいていないようです。


 旧暦きゅうれきの4月は、今の4月下旬げじゅんから6月上旬じょうじゅんにあたるので、そろそろ日差しがきびしくなってくるころでござる。重たい荷物を背負って歩くのは、たしかに大変でしょうな。


「そこのお百姓ひゃくしょうさん。ちゃんと笠をとってあいさつをしなきゃ、ダメですよ?」


 ミヤが親切しんせつしんでそう注意ちゅういすると、お百姓ひゃくしょうさんはあわてて笠をとり、荷物を下におろそうとしました。


 身分みぶん制度せいどきびしかったこの時代、お百姓や町人がうっかり武士に失礼しつれい態度たいどをとったら、「無礼者ぶれいものぉー!」と怒られ、場合によっては切りてられることもありました。だから、ミヤは注意してあげたのです。


 しかし、馬公子さまは「よいよい。笠はとるな。荷物もおろすな」と止めたのでござる。


「ワシもこの暑さじゃ笠をとりたくない。暑いのはだれでも同じさ。かまうな、かまうな。あははは」


「あっ、なんや。馬公子さんやったんか。本当に今日は暑いなぁ~」


 お百姓さんは、相手が馬公子さまだったと知ると、友達と会話するように親しげな口調くちょうであいさつをしました。


 ちょっと、ちょっと! さすがにタメ口はまずいのでは……⁉


「そうだな、暑くてかなわないな。あははは」


 ……馬公子さま、ぜんぜん気にしていないでござる。


 どんだけ領民りょうみんにフレンドリーやねん!


(ご……ご隠居さまとは、ぜんぜんちがう……)


 家来けらいがちょっと失敗すると「腹を切れー!」と激怒げきどする雄年さまと馬公子さまは、本当に兄弟なのだろうか……。義苗さまはおどろきのあまり、口をあんぐりと開けるのでした。


「馬公子さまのあだ名の由来がわかったです。こうやって馬に乗って領地を見て回り、お百姓さんたちからお友達みたいに親しまれているから、そう呼ばれているのですね」


 ミヤがそう言うと、馬公子さまはちょっとくさそうにニヤリと笑いました。


 馬公子とは、今風いまふうに言うと、「馬に乗った貴公子きこうし」という意味です。お百姓さんたちからしてみたら、30代後半のおっさんでも、フレンドリーで優しい土方ひじかた義法よしのりさまは「みんなの貴公子」なのでしょうな。


 それに、馬公子さまも南川先生とはまたちがったイケメンですしね。

 ほら、テレビで農業とかやっているあのアイドルみたいにたくましい感じの……。

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