七の段 GO!GO!東海道

 さて、江戸を脱出したよしたねさまたちがどうなったのか見ていきましょう。


 江戸から菰野こものまでは、だいたい100里の道のりでござる。1里が約3・927キロメートルですので、100里はおよそ392・7キロメートルですな。


 現在なら電車でひとっ飛び、3時間前後で三重県みえけんの菰野に着きます。


 しかし、この時代の移動はほぼ歩き。急いで歩いて8日、普通ふつうに歩いたら9日から10日ほどかかりました。


 屋敷やしきで食っちゃ寝していた義苗よしたねさまの体力は、果たしてもつのでしょうか?







「はぁはぁ……。も、もうダメだ。旅がこんなにもきついだなんて、知らなかった……」


 江戸を出発してから2日目――ご隠居いんきょかつながさまが江戸城に呼び出しをくらっていた日。義苗さまは、すでにへとへとになっていました。


ひこきちさん、大丈夫だいじょうぶですか?」


 ミヤが心配してそう聞きましたが、義苗さまは「平気だ!」と強がる元気すらないご様子。


 ちなみに、この旅の間は、ミヤと南川みなみかわ先生は義苗さまのことを「彦吉さん」と幼名ようみょうで呼ぶことになっています。「お殿さま」と呼んでいるところを旅人に聞かれたらまずいですからね。


「がんばってくださいです。酒匂さかわ川を川越かわごえしたら、小田原おだわら(現在の神奈川県かながわけん小田原市おだわらし)の宿場しゅくばまりましょう」


 ミヤがはげましましたが、義苗さまは「もう一歩も動けない……」と完全にグロッキー。


「おやおや。この程度ていど弱音よわねくとは、武士失格ですね。バッテンがいくらあっても足りません」


「な……何だと⁉」


 あっ、また南川先生がさわやかスマイルで義苗さまをあおり始めましたぞ?


「屋敷で食っちゃ寝していたから、そのような醜態しゅうたいをさらすのですよ。そんなにつらかったら、江戸に帰りましょうか? そして、ご隠居さまに『たった2日歩いただけで死にかけたので、帰って来ました。もう二度と家出なんてしません。一生、屋敷でぐーたらしています。ごめんなさい』とあやまったらどうですか?」


「ぐ……ぐぬぬぅ~! 江戸に帰ってたまるか! オレはまだ歩ける!」

 

 怒りMAXの義苗さまは、がにまた歩きで再び歩き出しました。


(ふっふっふっ~。計画どおりぃ~♪)


 南川先生、策士さくしですな……。めっちゃ悪そうな笑顔でござる!







「はぁはぁ、ぜぇぜぇ……。よし、酒匂川に着いたぞ! 早く川を渡ろ……あれ? 橋がない⁉ わたし舟もない! ちっくしょう、ここは徒歩かち渡しか‼」


 大きな川を目の前にして、義苗さまは汗だくのひたいをふきながら、そうさけびました。


 この時代、大きな川にはほとんど橋がかかっていませんでした。

 東海道とうかいどうで橋があったのは、矢作やはぎがわ豊川とよかわぐらいで、他は舟で渡るか、「徒歩渡し」といって人足にんそくさんに肩車かたぐるまをしてもらったり、蓮台れんだいで運んでもらったりしました。蓮台とは、数人の人足さんがお客さんを運ぶための乗り物でござる。


「知らない人間にかつがれて川を渡るなんて、何かいやだなぁ……」


 ずっとぼっちだったせいか、人見知りぎみな義苗さま。


 しっかりしてくださいよぉ~。あなた、殿さまなんですからね?


「ようこそ、酒匂川へ! 川越えなら、われ川越かわごし人足におまかせあれ!」


 人足さんたちが、営業スマイルで歯をキラーンと輝かせ、自慢じまん筋肉きんにくを見せつけるようにマッスルポーズをとっています。

 義苗さまが嫌そうな顔をしていたので、なごませようとしてくれているみたいです。


 いい人たちじゃありませんか、義苗さま。嫌がったりしたら、ダメですよ!


「すみません。川の向こうがわまでかついでいってくださいです」


「喜んで! では、肩車させていただきますぜ‼」


 人足さんたちは威勢いせいよく返事をすると、義苗さまたちを肩車して、川を徒歩で渡り始めました。急な流れだというのに、ビクともしないあしりで前へ前へと進んで行きます。


 さすがは川越し人足、足腰あしこしのきたえかたがちがいますなぁ~。

 普通ふつうの人が自力じりきで渡ろうとしたら、力つきて溺死できしするか、うっかり川の深いところに入ってやっぱり溺死しちゃうでしょう。


「えっほ! えっほ! ぼっちゃん、どうだい。オレの肩車は快適かいてきかい?」


「お、おお! 快適だ! 肩車してもらって川を渡るのって、意外と面白いんだな! あははは!」


 義苗さまもまだまだ子供ですな。さっきまで嫌がっていたのに、すっかりご機嫌きげんです。


(ふぅ~。あともうちょっとで旅籠はたご(宿屋)でゆっくりできるんだな。今日はくたくただから、ご飯を食べたらすぐに寝ちゃおうっと)


 義苗さま、まだ日が暮れてもいないのに、もう寝ることを考えています。よほどおつかれなのでしょう。


 しかーし! 世の中はそんなに甘くはなかったのでござる!







「旅籠に泊まるのはやめましょう。今日は宿場の近くの森で野宿のじゅくです」


「なんでやねーーーん‼」


 小田原の宿場に着くと、南川先生がとんでもないことを言い出したため、義苗さまは思いきりツッコミを入れました。


「落ち着いてください、彦吉さん。どうやら、旅をする時期じきが悪かったようです。あちこちの旅籠に行って調べたところ、参勤さんきん交代こうたいで江戸に向かう途中とちゅうの大名家の家来たちが団体で宿泊していました」


 実は4月は、江戸にいた大名が領地へ帰り、領地にいた大名が江戸へやって来る参勤交代の入れわりの時期なのです。

 つまり、3月末~4月はまさに参勤交代のシーズン。どこの宿場も参勤交代中の大名ご一行でごったがえしていたのでござる。


「どこも宿泊客がいっぱいで泊まれないってことか? とほほ……」


「いえ、小田原は東海道で一番大きな宿場なので、まだ部屋に空きがある旅籠はあるみたいです。問題はそこではなくて、宿泊客の多くが津藩つはん藤堂家とうどうけ藩士はんしたちだということなんですよ」


「津藩の藤堂家? 菰野藩と同じ伊勢の国の大名か」


「はい。菰野藩と津藩は領地が近いので、藩士たちの間で交流こうりゅうがあり、わたしにも顔見知りの津藩士がたくさんいます。

 万が一、知り合いの津藩士に話しかけられて、

『南川どのが連れている、やたらと態度たいどがでかくて軟弱なんじゃくそうな、殿さまっぽいその少年はだれだ?』

 と聞かれたら、非常ひじょうにまずいです」


 あ~、たしかに。

 義苗さまは幕府の許可もなく江戸をぬけ出てきたので、他の藩の家来たちに正体がばれたら大変なことになるかも知れません。

 幕府に報告ほうこくされて、菰野藩がお取りつぶしになる可能性かのうせいも……!


「……それで、旅籠に泊まるのをさけて野宿というわけか。くそっ、なんて運が悪いんだ、オレは」


「彦吉さん、私にお任せくださいです! 野宿なら何度もしたことがある私が、彦吉さんに快適かいてきな野宿体験をさせてあげますです!」


 ミヤがそう言ってはげましましたが、義苗さまは「野宿が快適なわけないだろ……」とげんなりとした顔をするのでした。







 というわけで、義苗さま人生初の野宿でござる。


「お腹がいてきたので、ご飯をきましょう」


「こんな何もない真っ暗な森の中で、どうやって炊くんだ?」


「私にお任せあれ、にんにん」


 ミヤはそう言うと、あらかじめ水に長時間ひたしていた米を手ぬぐいでつつみ、地面の中にうめました。そして、その上でボーボーたき火を始めたのです。


「これで、しばらくしたらお米が炊けますです」


「米ってこんな炊きかたもあるのか……。たき火って便利べんりなんだな。体もあたたまるし」


 義苗さまが感心していると、ミヤはドヤ顔で「私は優秀で可愛いくノ一ですから、これぐらい朝飯前あさめしまえです。今は晩ご飯前ですが」と言いました。


「野宿ではたき火が欠かせませんです。森にはおおかみたちがいますからね。たき火の炎がけものよけになってくれますです」


「お、狼だって⁉ めちゃくちゃ物騒ぶっそうじゃん‼」


 そうです。現代では絶滅ぜつめつしてしまった日本にほんおおかみも、この時代には山や森に生息せいそくしていて、時には人をおそうこともありました。だから、森で野宿なんて、かな~り危険だったのでござる。


「獣は火を恐がるので、たき火をしていたら大丈夫ですよ」


 南川先生にそう言われても、旅に慣れていない義苗さまはそんな簡単かんたんに安心なんてできません。


(狼におそわれないか不安で、今夜はねむれそうにないな……)


 あらら。義苗さま、疲れているのに寝不足ねぶそくになっちゃいそうですね。お気の毒ですなぁ~。







 そして、次の日。旅の3日目でござる。


「ぐ……ぐえぇぇ……。な、なんてけわしい峠道とうげみちなんだ……」


 義苗さまはふらふらになりながら、山道を歩いていました。息もたえだえで、今にもたおれそうです。


 ここは、東海道にふたつある大きな難所なんしょのひとつ、箱根はこねとうげでござる。現在の神奈川県と静岡県しずおかけんさかいにあり、非常ひじょうに険しい峠道として有名でした。


「彦吉さん。お水を飲んで元気を出してくださいです」


 義苗さまは、水が入った竹筒たけづつをミヤから受け取り、ぐびぐびと飲みました。


 ミヤは屋敷のくら爆破ばくはするなど、ちょーっと過激かげきなところがある忍者ですが、弱っている義苗さまをお世話せわする優しい一面もあるようですな。感心かんしん、感心。


「ありがとう、ミヤ。少し気分が楽になったよ。……ところで、おまえ、いつのまに男のかっこうになったんだ? なんで変装へんそうなんかしている?」


 義苗さまは、ミヤに竹筒を返しながら、そうたずねました。


 ミヤは、なぜか男物おとこものの着物を着て、少年の姿すがたに化けていたのでござる。


「そろそろ箱根の関所せきしょに着くので、男に化けましたです。『入り鉄砲に出女でおんな』といって、幕府は『江戸に持ちこまれる鉄砲と江戸から出て行こうとする女』を関所できびしく取りしまるのですよ。だから、関所を通るのなら、男にけていたほうがいいと思いまして。にんにん」


 江戸幕府は、大名たちが反乱を起こさないように細心さいしんの注意をはらっていました。


 鉄砲が江戸に持ちこまれて反乱が起きたら大変なので、これはもちろん取りしまらなければいけません。


 そして、幕府は、大名たちの奥さんを人質として江戸の大名だいみょう屋敷やしきに住まわせるように命令していました。だから、大名の奥さんたちが江戸からこっそり逃げ出さないように、関所を通る女たちを厳しく取りしまったのでござる。


「へぇ~。関所を通るのって、そんなに面倒めんどうなのか」


「ええ。ミヤどのの言う通り、けっこう面倒くさいんですよ。あやしいヤツだと思われたら、ねちねちと取り調べをされちゃうので、気をつけてくださいね」


(ボロを出さないように、オレはなるべくしゃべらないようにしておこう……)


 義苗さまは5歳の時からお殿さまなので、しゃべりかたが自然とえらそうになっちゃいますもんねぇ。

「殿さまみたいな話しかたをする怪しいヤツ!」とうたがわれないように、お口にチャックをしておいたほうがいいかも知れませんな。


「ここは箱根の関所である。そのほうたち、通行つうこう手形てがた(通行許可書きょかしょ)は持っておるか」


 関所に着くと、早速、しかめっつらの役人たちにそうたずねられました。


(え? 通行手形? オレ、そんなの持っていないぞ⁉)


 義苗さまはドキッとしました。


 通行手形には、旅人の名前や住所、職業しょくぎょう、どこから来てどこへ行くのかなど、プライバシーが色々と書かれているのです。


「オレは菰野藩の殿さまだぜ!」と書かれた通行手形なんて義苗さまは持っていませんし、もしもそんな物を持っていても、役人に見せたら大変なことになります。


「私は医者で、この子たちは私の弟です。私たちの通行手形なら、ほら、これです」


 南川先生はさわやかスマイルでそう言い、役人たちに通行手形を見せました。

 実は、この通行手形、くノ一ミヤが作ったにせの通行手形です。忍者だから通行手形の偽造ぎぞうなんてお手のもの、ということですな。


「ふむふむ。尾張藩おわりはん藩医はんい(大名家に仕えたお医者さん)、名古屋なごやこうちんどの……ですか。これはこれは、尾張徳川家にお仕えするお医者さまでしたか。とんだご無礼をいたしました」


「はい。そして、私の弟たちの名前は、尾張藩が渡してくれた通行手形に書いてある通り、名古屋なごや初郎ういろう名古屋なごやきしめんです」


「名古屋初郎でーす!」


「な、名古屋岸麺だ……」


 名古屋こーちん……名古屋ういろう……名古屋きしめん……。

 何だかおいしそうな名前ばかりですなぁ~……。


「どうぞお通りください。道中お気をつけて」


 おやおや? 関所の役人さんたち、意外とあっさり通してくれましたね。


 まあ、たしかに、尾張徳川家の名前を出されたら、役人さんたちもこしが低くなるのはわかります。


 尾張徳川家といえば、紀州きしゅう徳川家、水戸みと徳川家とともに「御三家ごさんけ」と呼ばれている徳川一族の大名。徳川将軍家の次に地位ちいが高く、


「もしも将軍家に何かあったら、尾張徳川家か紀州徳川家の出身者が将軍になる」


 という取り決めまであったぐらいなのです。そんなえら~い尾張徳川家に仕えている人だったら信用できる、と関所の役人さんたちは思ったのでしょう。


(ふっふっふっ~。計画どおり~♪)


 南川先生、またまた悪そうな笑顔になっていますぞ……。







 無事に箱根峠を越えた義苗さまご一行は、伊豆いずの国(今の静岡県伊豆半島いずはんとうおよび東京都伊豆諸島)をぬけ、旅の5日目には駿河するがの国(今の静岡県の中央部ちゅうおうぶ)と遠江とおとうみの国(今の静岡県の西部せいぶ)の国境こっきょうまで来ていました。


 なかなか順調じゅんちょうでござるな。義苗さまも少しは旅に慣れて……。


つらすぎてきそう……。足はタコだらけで痛いし、最悪だ……」


 ぜんぜん慣れていなかったでござる。吐いたら女の子の読者に嫌われちゃいますよ⁉ 我慢がまん、我慢!


「南川先生。雨がすごいいきおいで降ってきたし、今日はもう旅籠で休もうよ。遠江の国には明日入ればいいじゃん」


却下きゃっかです。今から全力ぜんりょく疾走しっそうするので、死ぬ気でがんばってください」


「はぁ~⁉ この大雨の中を全力疾走しろだって⁉ 無茶むちゃを言うな! おまえは、殿さまのオレになんでいちいち上から目線めせんで命令するんだよ‼」


 ついにプッツン切れちゃった義苗さまが、南川先生に食ってかかりました。

 ミヤがあわてて「ケンカはダメですよぉ~!」と止めに入ります。


「南川先生がそうおっしゃるのには、ちゃんとワケがあるのです!」


「なんだよ、そのワケっていうのは」


「遠江の国に入るためには、駿河と遠江の国境にある大井川おおいがわを渡らないといけないのです。でも、その大井川は大雨が降るたびにしょっちゅう洪水こうずいになっちゃうあばれ川なんです。大井川が氾濫はんらんしちゃったら、川越えするのが禁止されて、長いと10日から20日ぐらい足止めをくらっちゃうのですよ」


 そうなんですよねぇ~。大井川こそが、箱根峠とならんで「東海道最大の難所」とされる川なのです。


箱根八里はこねはちりは馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」


 といううたがあったぐらい、東海道を行く旅人をこまらせた難所でしてねぇ。「川を渡る前に宿をとるな。川を渡ってから宿をとれ」というのが、この時代の旅の常識じょうしきでした。


「むぅ~……。そういう理由があるのなら、早く言えよ」


「私が理由を言うひまもなく彦吉さんがプッツンしたのですよ? 人の話を最後まで聞かずに怒るなんて、人の上に立つ人間が一番やったらいけないことです。バッテンですね」


「む、むきぃーーーっ‼」


「二人ともケンカしている場合じゃないですぅー! 早く大井川を渡りましょう! 川止めになったら大変ですよ⁉」


 やれやれ……。今のところ、義苗さまと南川先生の相性あいしょうは最悪ですなぁ~。

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