白咲百合は敵じゃない



──────ぱるからのラブレター




もうすっかり目は覚めていた。私の左肩の上に置かれた異様に白く輝くその手の主はすやすやといまだ深い寝息を立てたまま。春まだ浅い早朝の陽ざしはその中に身体を埋めると驚くほど暖かそうに見えたけど、実際のところは身を切られるほどの寒さが部屋全体を覆っていた。

吐く息が白い。身体を竦めてもう一度布団のなかに潜り込む。体温が伝わる。私にはない匂い。布団の中の心地好い温もりが何故か罪に感じられた。



昨夜のこと、


「私はこっちのソファーで寝るから」


「なんでよ、こっちでいいじゃん、一緒に寝よ」


パイプ製のシングルベッド。洗いざらしのピンクのタオルケットからは石鹸の香りがした。大柄な男の人なら大の字にもなれないぐらいのスペース。寄り添って寝なければ、どちらかが床に転げ落ちてしまう。


「さやかは女の匂いがしない」

璃子のしたり顔が目に浮かんだ。



「ええから、私はこっちで」


「なんで?」


「なんっでって・・」


言い返せなかった。なぜか分からない。ただ、狭いとか窮屈だとかそんな物理的な理由でないことだけは確かだった。


「じゃあいいよ、私がそっちで寝るからさやかさんはこっちで寝て」


さくらの口角が明らかに下がる。嫌なんだ、小さくつぶやいた声が口の動きで分かった。別に嫌な訳じゃない。たださくらとは一緒に寝るのは何か違う、そう思っただけだった。



「あんたみたいにええ匂いせえへんけど、それでもええんやったら・・」



「うん!」表情が一気に綻ぶ。分かりやすい子だと思う。なんでもストレートで思ったことをそのまま口にしてしまう。18歳を過ぎた今でも幼子のように直情的に生きれてる。

エンターテイメントの世界って、やっぱりこういう子の方が生きやすいのかもしれない。



「赤ちゃんと思えばええんやから」


「さやかさん!」


私はバージンじゃない、聞きもしないのにさくらはそう言ったことがある。

だから子供扱いしないで、そうも言った。

男を知ってる知らないが、大人なのかどうなのかは別として、その形容し難い美貌を持つこの子は、もうはちきれんばかりに少女から大人へとその殻を破ろうとしていた、眩しいほどに。。




明るくなってしばらく経つというのに早春の太陽はまだ上には上がって来ない。さくらの腕はというと、もう私の肩から滑り落ちて首に巻き付いている。ほぼほぼ向かい合って抱き着いているような状態。

鼻と鼻を突き合わす距離にさくらの顔。

どんな素敵な夢を見てるんだろう。自分の才能と美貌とその天から与えれた運までをも信じて疑わないこの人。。その寝息と鼓動までが弾んでいるように思える。


こういう子もいる、自分の想いを真っすぐにまるで写し絵に描くようにそのまま投影できるこんな子もいるのに。


「分かってくれる人だけが分かってくれればいい、私の事なんて」

ぱるを想った。

枕元に置かれた一通の手紙。 桜色の封筒、裏には遥とだけ書かれていた。


ぱるが呼んでいるようだった。




───みんな私を知らないんだ


ベークドポテトはレーズンバターを塗らないと食べれない、そんな私を知らない

寝る前に幸せのおまじないを三回唱えないと一人で寝れない私も知らない


笑みを浮かべた時の悲しみが瞳の潤んだ時の悲しみよりずっと不幸なんだということを分かったのはつい最近の事。


喜びや悲しみや切なさや愛おしさや憎しみを素直に言葉にして感じたままを表情に出す、

そんな普通の人には何でもないことも私にとっては苦痛


鏡のなかの私はいつも笑っているのに

ひとりで口ずさむ"太陽がくれた季節"のメロディーはいつも心弾むものなのに


愛おしくて抱き着きたいほどなのに手は後ろで組んでピクリとも動けない。

心のなかで悲しみが音を立てて崩れ出しても私の仮面はまだ薄笑いを浮かべている。


「はるかってさぁ、一人でも生きれるよね」


みんながそう言う。


んな訳はないのに。。


分からないの、私の小さく握り締めた拳がどこに向かっているのか


聞えないの、YESって言えない私の声が。。。








「で、ぱるって誰?」

布団の隙間からさくらが口を尖らせながらそう言った。


「あんたとは真逆の道を選んでる子や」


「ふ~ん、なんでもいいけど、それってラブレターですよね?」



ぱるからのラブレター?それもいいかもしれない。いやそういうことにしておこう。

そんなものは生きているうちは絶対書かない人、それをいくら説明しても分かってくれる人はいないんだから。



その三日後、璃子からプロダクション宛てに電報が届く。




カタハツイタ モドッテコイサヤカ アンタハモウアルイテドコヘモイケル 

モウ・・ツバサハイラナインダ・・・









─────────白咲百合は敵じゃない





「なんの誇りも希望ひとつ持てなかった、この大学、

もう少しここにいてみよう、そう思うようにになったのは璃子さんとさやかさんの二人のあの出来事を知ったから


大学って勉強だけをするとこじゃあないんだって、そう思えた

璃子さんとさやかさんが泣きながら丸の内のビルに向かって雄叫びをあげた。二人のその場面を思い描くだけで心が躍った。

自分もいつかはそんなシーンに巡り合えるかもしれない

泣いて叫び合うだけで心が通じあえる


そんな中に自分も入れるかもしれない

ここに居れば・・こんな私でも


そう思ったから・・・」



後はもう言葉にならなかった。襲ってくる言いようもない脱力感、なにもかも忘れてその場にへなへなと膝から崩れ落ちる白咲遙。

でも思っていることをちゃんと言えた。素直に自分と向き合えたら胸の中につかえていたものが嘘のように自分の言葉にできた。



「ふぅ~~。ほんとにあんたちは」




白咲百合は乱れた呼吸を整えるように大きく息を吸い、その息を天井に向かって大きく吐く。

そして手に持っていた受話器をテーブルの上に静かに置いた。


「何も私は私と同じ景色を見せたいとは思わないのよ、はーちゃんに。

自分が歩んだのと同じ、そのいい部分だけを見せたい、

そんな何処にでもいるような親バカみたいな事は言わない。



ただできうることならずっと笑っていてほしい。

涙は見たくはない。



涙は心の汗 人の心を強くするって、何処かの安っぽい青春ドラマが言ってたけど。そんなの大嘘。

無用な涙は人の心をボロボロにする。

笑ってるほうがいい、笑えてる事に越したことはないのよ。」




そこには先ほどまでのまるで妖気漂うような瞳の色はもうなかった。

もう分かったよ、小さな小さな声だったけど良く通る声だった。

優しくて透き通っていて私達がいつも耳にする白咲百合の声だった。



その声に押し出されるように如月あゆが今一度ぱるに問いかける。



「はるかちゃんはね、おそらく白咲ママが思ってるほど、弱くもないし

ママが思ってるほど子供じゃないと思う。

大丈夫、笑って生きれてる。勉強もお芝居もそれに恋愛も。

言い方はどうかとも思うけど、男との付き合い方も知ってるし

当然バージンじゃない。

だよね?はるかちゃん」



ふんか、うんか分からないほどの小さな声がはるかの喉の奥を鳴らす。。



「はーちゃん・・・」



「ダメ。だめだよ、怒っちゃあ、白咲ママ」



「もーっ、なに告白させちゃってんのよ、あゆさん」



「ふふっ」


白咲百合が笑っていた。ブラウン管の中でスクリーンの上で躍っていた国民の母、白咲百合のあの笑顔は演技でも作り物でも私達の幻影でもなく、ぱるのママとして笑ってくれていた。




「不思議な人よね、璃子さんといい、貴女といい。

それで。。。あゆさん、結局は貴女達、何しに来たのよ、ここへ?」



「それは・・・・」






「ふっ、そんなこと。勘違いもいいとこよね、はーちゃんも」


そう言って、便箋に何かを二三行書いて、封筒に入れたものを紙飛行機のように投げてよこした。。


「これ見せたら三分で終わるから・・・なんでもよ。


ただ・・白いリンカーンコンチネンタル、それが有るときだけだよ。

そうじゃないと命の保証はできないから。 」







何が書いてあったかは今でもわからない。見ようとも思わなかった。


けど何事もなくその要塞のような東邦企画プロモーションから出られたこと。そしてまっこじの手にはしっかりとさやかの契約書が握られているところを見るとどうも白咲百合は私達プロレタリアートの真の敵ではなさそうだ。



「今度会ったらハグでもしてあげようか」



「えっ、何?、誰と?さしこさん」



「ううん、なんにも。


ただ私もあんなお母さん欲しかったなぁって、そう思うだけ。。」



そのお屋敷から出てくると当然のように怖いお巡りさん達が待ち受けていた。女の子が二人だけで、泣く子も黙る暴力団の事務所に入って行った、それも日本一の勢力を誇る今話題の最強の砦。

騒ぎにならないはずはない。入る前は一台しかいなかったパトカーが通りの端を埋め尽くしていた。

そしてブルジョアジーしか守ることのできない資本主義の番人が口だけの正義を私達に振りかざす。



「待て待て、ここを何処だか分かってるのかお前ら」


「東邦企画プロモーションでしょ、書いてあるし」


「違う、暴力団だよ、暴力団」



「えーっ、そうなんですかぁ、知らなかったぁ、怖い~」


「璃子さん、白々しいですよ、それに全然似合ってないし、ぶりっ子」


「えっ、そおぉ。これでも天池真理に似てるって言われ時あったんだだけどなぁ」


「誰が?何処で?」


「大分で、自分で。。。」




「こらっ、なに勝手にくっちゃべってるんだおまえら!

だいたい何のようがあったんだこんなとこに!」



「お友達を助けに。」



「友達?」



「そうまぶだち。」



「で何処にいるんだ、そのまぶだち、いや友達というのは。」




「何処に?さぁ。知ってる、まっこじ?」



「さぁ、何処だろう?」




「おい!ふざけてたらほんとに署まで来てもらうぞ!

何処にいるんだと聞いてるんだ!」



「ふふっ。今ですか?」




「・・・?」




「そうだなぁ。。

ちょうど夢の扉の前で足踏みしてるころかな、今頃。

痺れ切らして。。」




「なんだって!?」



「行くよ、まっこじ!」



「うん!」




「こ、こらっ、待ちなさい!こらぁ!」




早く行かなくちゃあ、さやかが待ってるんだよ、

あの楡の木ノ下で。。

ぱるも雪もあゆさんも。


そしてこれからの鞘師璃子も。。。

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翼はいらない1972 マナ @sakuran48

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