勇気をください
────リンカーンコンチネンタル
田園調布のお屋敷街、噂には聞いていたけど実際に足を踏み入れてみるとその異様な程の豪華さと洒落にならない広さにはあきれるばかり。
お城にしか見えない石垣造りの土塀や雑誌でしか見たことのない、まるでビバリーヒルズにあるような豪邸が立ち並ぶ
「本当にこんなとこにあるんですか、その・・」
「東邦企画プロモーション」
「そうその、プロモーション」
住所からすると確かにこの辺りで間違いない。
駅から歩いて5分ほど、田園調布4丁目、いわゆる超お屋敷街の中心に来ていた。
高い塀が何処までも続き、そこに居並ぶ家々はどう見ても美術館や博物館にしか見えない。
「璃子さん、見て。あれじゃない、もしかして」
「まさか・・」
それはテレビのニュースで良く見る建物だった。周りを見上げるような石垣で囲い、外からはその屋敷の外観を推し量ることはできない。屋敷というよりも要塞といったほうがしっくりくる。
大きな、畳何十畳分もあるような鉄製の扉が開くと、黒塗りの欧州車が出入りを繰り返す、前にはそれを見張るように数台のパトカー。
そんな光景を私達はドキュメント番組や報道番組の類で良く目にしていた。
「これって?」
「そう、広域暴力ほにゃらら、その一番大きいやつ」
その大きな扉の真ん中にはあの有名なマーク?家紋?詳しいことは知らない。
下にはいくつもの事務所や子会社の文字が並ぶ。そこに小さく刻まれた東邦企画プロモーションの文字。
玄関前にはいつものようにパトカーが一台、なかからは近寄るんじゃないよとでもいいたげに、二人の警官が訝しそうにこちらを睨んでいた。
「で、どうするんですか、璃子さん?」
「とりあえず、入れないと話になんないからね」
「でもなんかあるんでしょ、まゆさんのときみたいに」
「何もないよ、これといったのは」
「えーっ、じゃあ何で来たんですか?」
「それなりにいろいろあんのよ、大人の事情が。
それより何であんたついて来てんの、途中までって言ったよね、私」
「いいじゃないですかぁ、これでも私ちいさいころ剣道やってたんですよ、いざとなったら、わたしだって・・
「シッ・・ちょっと黙って!」
ガラガラと軋むような音を立てながら鉄製の扉が開く。中から出てくる数台の車。
数十台はゆうに止めれそうな駐車場には三台ほどの外車が並ぶ。
黒塗りのベンツが二台。そしてほぼこの国ではお目にかかりそうもない真っ白なリンカーンコンチネンタルのリムジンが見えた。
「行くよ、まっこじ」
「えっ、何もないのに・・」
「ないわけないでしょ。ほら早く」
「ハイッ!」
───はーちゃん
その三日前
「でどうしようと言うのよ、あんた達、私の白咲遥を」
おそらく私達の大学の数ある椅子のなかでは最も豪華で高価であろう学長のアンティーク調のデスクチェア。
そこに白咲百合はこちらに背を向けるようにして座っていた。
彼女が大学に来るときだけこの学長室が彼女の控室になる、
それは以前から遥に聞いていた。
傍らの窓際に置かれた小さな一人用ソファにはその白崎百合。
私と綾部まゆはといえば、入り口の入ったところで奥の白咲百合との距離をまだ詰めれずにいた。
どこのブランドかはわからないけどいつもは仄かに遥から香るローズの香りがこの部屋には鼻をつく程に漂っていた。
「どうしようって。。どうもしないですよ。ただ好きな歌をみんなで歌う、それ以外はなにも望まないし遥もそうだと思う 」
「歌って?・・ 歌で何ができんの?こんな山奥の大学で。それにもう来年卒業でしょ、あんたたち。」
「なにができる? そう聞かれたんなら、何でもできる、そう答えるしかないですよね。
初めから自分を疑ってかかってたら、それこそ、なんにもできないんだし。。」
「ふっ、それはあんたは何でもできるでしょうよ、ゲバ棒持って徒党を組んで、場合によっては人も殺すんでしょ、あんた達は」
「ママ!」
白咲遥を軽く手で制しながら、
それほど高くはないが形の良い整った鼻先と鮮やかなピンクルージュの唇の片方だけをこちらに向ける。
目を合わさずに喋る、それがどうもこの人のプライドを支えているらしい。
「あたしはね、あんたみたいな人間は嫌いじゃないよ、ただし、昔ならね。
世間なんてどんなものかも知らなかったし、生きていくためにはあんたみたいな人間が必要、だった。特に戦争の中で生きぬいていくには周りにいろんなタイプがいて知恵を寄せ合っていかなきゃ生きられない。だからその為には何でもやった。それに比べたら、赤軍派や革丸派なんて私に言わせればひよっこもいいところ。
あんたたち、人には地獄を見せても自分では見たことないんだろ、本当の地獄?」
「・・・」
「見てきたんだよ、私は。。」
踏み込めない。一歩踏み込むとなにか得体の知れないものがとぐろを巻いて飛びかかって来そうで次の一言が出ない。佐々木小次郎が巌流島で武蔵に刀を抜けず睨み合ったまま時を悪戯に過ごしたのはこれと同じやつかもしれない。
「なにやってんのよ、いつものやつは?
何か言うんでしょ、こんな時あんたは・・」
後ろから耳元で綾部まゆが囁く。
「ちょっと待ってよ、私はいま、佐々木小次郎やってんだからぁ」
「なにそれ?」
白咲遥の微かな吐息のようなため息が聞こえた。
構わず続ける白咲百合。
「この子はね、これからどこまでも昇っていく子だよ
はっきり言ってあんた達とは違う。色んな人が色んなこと言って若者に夢を語らせろってほざいてるけど、私はそうは思わない。
ちゃんと初めから道を分けてあげる、それが幸せの確率をあげることになるし傷つくことがない最良の方法だと思う。
ねぇ、そうは思わない?
鞘師璃子さん 」
「・・・」
この人もやっぱり極論を言う人だった。
人生に成功した人はみんなこんな言い方をする。
自分がみんなに幸せを分け与えている、税金一つとってもこの人にとってはみんなへの施し。イエス様やマリア様、どこそこのナンチャラ教、そんなものを崇め奉る気持ちは毛頭ないけど、おそらくこの人にはそんな慈悲の精神なんてこれっぽちもない
「このおばさん、顔は綺麗だけど、お腹の中は腐ってる、なんて
まさか思ってないでしょうね、
私の前に現れた限りは私にはきちんと敬意を示して貰う
いいわね鞘師璃子さん?」
そう言いながら、白咲百合は初めてこちらを向いた。
思ったよりも優しい笑顔がそこにはあった。その目は毒づく口ほどには尖ってはいない
むしろ見ているものに安心感を与えるような不思議な輝きがあった。
これが女優白咲百合。政財界、芸能界に至るまで数々の男を手玉に取ってきた魔性の瞳。
「こんな言い方していいのか分からないけど・・」
何かが私の背中を押しているようだった。
ここで喋らないと何にもならない、そんな想いがあったのかもしれない。
「ほんとは自信ないんだと思う、あんた。
香水まき散らして、踏ん反り返って、業と敷居を高く見せて
自分のなかでは男と運とその美貌だけで勝ち上がってきた、そう思ってる。
だから大事な大切な宝物も人に盗られないか気になる。
盗らないよ、誰も。獲れる分けない。
遥香はあんたが思ってるほど軟じゃない、あんたの血、しっかり引き継いでるよ。
それがなんでわかんないの?」
言ってしまった。
天下の白咲百合に。もうしっちゃかめっちゃか。
何が何だか分からない。
こんなことを言うために来たんじゃないのに
さやかを取り戻しに来たのに・・
見れば綾部まゆはもう後ずさりを始めてる、あんた何言ってんのよ、口元でそう言っているのが分かった。どちらにしても、今日のまゆは悪魔のまゆ、天使のまゆじゃない。
「あんたいくつ?」
「・・・」
「22・・らしいです」
すかさず後ろから今日初めてのまゆの声が飛ぶ。
「そう。。。あんたがどんな生き方をしてきたか私は知らない。
でも22年間そんなに楽しい思いをして来たんじゃないってことは分かる。
もしかしたら出発点は私とそんなに変わらないんだろうね。
それに確かに遥の言う通り人の心に何かを残す目も持ってる。
けど、ただそれだけのことだよ。
あんたに何ができんの?今?
じゃあ、やってみなさいよ。
今から私はここの学長さんにこの電話を掛ける
そしてこう言う、ここの大学の鞘師璃子という学生を退学処分にしてください。
それですべては終わるわ。辞めさせる材料はあんたも分かってるように腐るほどある。
ふふっ。できるんでしょ、何でも。
じゃあ残ってみなさいよ!あんたたちの歌とやらで、この大学に!」
「ママ!」
「あんたは黙ってな、はるか。」
「黙んない!もう黙んないっ!」
「はーちゃん?・・」
「だってそうでしょ、何でママは私の前ばっかり走んの?
一人で走りたいのに、一人で走れるのに、何でいつもいるのよっ、
私の前に!」
「なんて目をするの、はーちゃん?
ママに・・ママに、そんな目をするのはやめなさい」
抱きかかえようとする島崎百合の腕をすり抜けて倒れ込むようにして
私の胸に飛び込んでくる遥。
「勇気をください・・・」
私に言ったのか神様に言ったのかそれは分からない。
でも確かに聞こえた白咲遥の心の叫び・・・
「・・・ここの大学にも私は来たかったわけじゃないよ
ママの目の届くところがいいって
だから都心の大学、自分で決めてきたのに
なのに、ここがいいって・・
授業だって、ほとんど出てないのに全部A。
私、みんなからなんて言われてるか知ってる、ママ?」
「・・・ 」
「 A様・・・
A様いいねって。
成績お金で買えていいねって。。。
そんなA様は、ボーイフレンドもママに買って貰うのって。
だから、だからもういいよ、ママ。。 」
「ぱるちゃん、ほんとにもういいから、その辺で。。」
遥の涙に誘われるように気が付けばまゆがもう前に出てきていた。
けれど彼女が差し出すそんな天使のハンカチも今日の白咲遥の眼には映らない。
「・・・花だって、あの花だってそう 」
「花?・・なんの?」
「アルベッロベッロの周りに咲いてたカトレアやパンジー、
みんなで摘んでみんなが摘んでくれて、舞台の周りに一杯飾って。
ぱるるに似合ってるって、はじめてぱるるってみんな呼んでくれて。
それがなんかすごく嬉しくて。
お金もかからなくて良かったねって。
だから余ったお金でみんなで売店であんパンと牛乳買おうって。
あんなおいしいパン初めてだった
あんなおいしい牛乳初めて飲んだ
なのに・・・それを汚いって言ったのは誰?
遥に恥かかす気って、みんなをなじったのは誰?
あんな綺麗な花をゴミって言ったのは誰なのよっ!
なんで・・・・ 」
あとはもう言葉にならなかった。体は耐え切れず崩れ落ちる。でもその眼だけは母を捉えて離さなかった。ポロポロと床へ落ちる涙の音が聞こえるようだった
「何なのよ、あんた達。こんな子じゃなかったのよ、この子は。
こんな目を私に返す子じゃなかったのよ、私の白咲遥は!」
確かに今まで見たことのないような遥の眼。
行き場のない、言いようのない怒りと抑えきれない母、白咲百合への思慕が彼女の中で交差する。これまで携えて来てくれたその手を白咲遥は懸命に振りほどこうとしているように見えた。
自分の為に、
そして母、白咲百合の為に。
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