第21話 勝正 ラスト

 僕には弟がいた。

 高校一年生の時に急死してしまったけれど、弟は僕らに大切な事を幾つも教えてくれた。

 名前は南篠雄太。雄太が教えてくれた大切な事は、人によって違う。今を生きる事の大切さだったり、人は心の血肉となって生き続ける事だったり。

 それだけじゃない、中には雄太の死がきっかけで、人生を変えた人間だっている。兄である僕もその一人だ。



「貸し切りの看板、出しましたよ」

「ありがとう、座ってて良いよ、後は僕が準備するから」

 妻である春香に言う。

 彼女と僕のキッカケは、雄太だった。雄太の死で傷心した僕を、彼女は励ましてくれて、僕が問題を起こし、職を変える事になった時も、彼女は僕の傍にいてくれた。



 雄太の死は春香との出会いでもあったのだ。

 死は心を傷つける。だけどそれと同時に心の糧になり、救いになる。

 死は豊穣だ。少なくとも雄太の死は僕にとって豊穣だったのだと、今では思える。



「じゃあ遠慮なく……って言っても、お母さんは二十四時間お仕事なんだけどね」

 春香はそう言うと、僕のすぐ隣にあるベビーカーへ近寄り、

「ふふ、よく寝てるわ。あなたに似て寝起きは良いのよね、優紫って」

「寝相は悪いけどね」

 今の所僕の寝相の悪さを引き継いでいる様には見えないけれど、油断は禁物だ。特に子供の頃は酷くて、コウと雄太とキャンプで泊まった時は、気付かない内に寝袋から抜け出したりしていた。



 優紫は、僕と春香の間に生まれた子供だ。名前は二人で考えて、納得のいく字を使い『ユウシ』と名付けた。優紫が大きくなった時に理由を聞かれても、自信をもって伝えられる名前にした。

 優紫はすやすやと眠っている。夜泣きもあまりせず、良い子だ。それでも泣くときは泣くので、しばしば春香の目の下にはクマが出来ている。

 僕も何度か夜泣きをあやそうとしたことはあったのだけれど、結局春香に頼る展開が続いて、育児の事は春香に任せっぱなしだ。だからこそ休めそうな時は、ゆっくりして欲しい。



「起きそうもないし、コウたちが来るまでカウンターに座ってて大丈夫。待ってて、今コーヒー淹れるから」

「ふふ、ありがとう。じゃあオリジナルブレンドを一つ下さいな」

「お任せあれ」と言って、予め各種コーヒー豆を一定割合で配合した当店のオリジナルブレンドの豆を、ミルに入れて挽き、嗅ぎ慣れたコーヒーの香りが鼻腔に流れ込んでくる。



 僕は介護職を辞めてから、喫茶店の経営を始めた。といっても、この店を構えてからはまだ二年も経っていない。

 最初は春香とよく通っていた喫茶店でアルバイトからのスタート。時給は七百八十円、田舎にしてはそれなりに高い金額。三年前に自分の店を持ちたいとマスターに伝えると、以前経営していたらしい物件を教えてくれた。

 話を聞くと、もっと田舎が良かったからこっちに来たとのこと。

 マスターの伝手でこの喫茶店を経営し始めてしばらく経ったが、正直、家族を養えるだけの利益は出せておらず、毎日を生きるだけで精一杯なのが現状だ。



「お待たせ、熱いから気を付けてね」

「はぁい。うーん、良い香り! 流石マスター秘伝のブレンドね」

 余ったコーヒーは自分のマグに入れ、数回息を吹いた後、少し飲む。

 しばらく優紫を起こさない様談笑をしている最中、春香が言う。

「そういえば、買い出しの途中でお母さまに会ったわよ」

「どこ? イオンとか?」

「当たり」

 と言っても、この辺りで買い物できる場所はイオンくらいしかないので、当たり前なのだけれど。



 母さんは今、じいちゃんとばあちゃん達とで暮らしている。雄太が死んでから、僕が実家に帰るという話ももちろん出た。喫茶店でバイトを始める前だったので、僕はそれでも構わなかったのだけれど、母さんがこの話を断った。

『お母さんは強いんだから大丈夫よ、それに折角コウ君が立派に一人で頑張ってるんだもの、邪魔したくないし、私もコウ君に甘えてばかりじゃユウ君に申し訳ないわ』

 それ以降、母さんはあまり連絡を寄こさなくなり、僕も話をするのは最低限にする事に決めた。母さんも母さんで、雄太の死を糧にして強い母であろうとしているのだろう。



 きっといつかはお互いに頼る時が来る。子として、親として。

 けどそれは、今じゃない。だからお互いを信じて、別々に生きている。

「――頑張らなきゃな」

 ふと言葉が漏れる。たまに、雄太が死なず、あのまま介護職を続けていたらと思う時がある。きっと多少の不満はあれど、酷い人生では無かっただろう。

 だけども僕は、今の人生に後悔はしていない。

 雄太の死によって僕は春香と出会い、恋をして、愛し合って、新たな命が生まれた。



 これを豊穣と言わずして、なんと言おうか。雄太が亡くならなければ、この命が、優紫が生まれる事は無かっただろう。



 だから僕は、この人生に後悔しない。

 雄太の死が糧となった人生を、僕は誇りに思う。そして、雄太という多くの人間の人生の糧となった自慢の弟を、誇りに思う。

 今日はそんな弟の、二十歳の誕生日だ。



『雄太は心の中で生きている』



 雄太の友達、賢治君が言っていた言葉。

 この言葉は、生きている僕等が死の悲しみを和らげる為に生まれたのかもしれない。只の綺麗ごとの言葉なのかもしれない。

 だけど僕はこの言葉を信じて、今日も雄太と一緒に生きていく。



 ――おい雄太、元気か。


 今日は二十歳の誕生日だな。


 誕生日プレゼントも、ちゃんと用意してるよ。


 コウや賢治君、牧田さんもお祝いに来るから、楽しみにしてろよ。


 これからも、僕の心をよろしくな。


 自慢の弟なんだから、頼んだぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おい雄太、元気か。 折内光哉 @setsunai_koya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ