第6話Make you Feel My Love

「デートしよっ。」


校舎の屋上で、私と彼女が二人、真っ白な日差しを浴びながら、暖かい視線を合わせる。

華奢で、端麗な少女は、どこか自慢げに、そして私に対し頼りなさそうな表情を浮かべた。


2018年 7月13日


「全部、既に思い出しているのでしょう。」


「ああ。驚いたよ。まるで他人の夢を見ているような感覚さ。学校ではさ、凄く明るい悠里が、暗くて、地味で、自分を卑下して、不安げに私と接しているのだもの。」


彼女は、恥ずかし気に、苦々しい表情を浮かべる。


「それは昔の話だよ。君に、助けられたのだし。これが理想形でしょう?」


「それもそうかもな。俺も君を励まそうと、試行錯誤してたしな。報われた気分だね。」


彼女は腕を組み、顎を上げ、私を見つめる。


「これからは、私がリードするわ。」


その言葉に、一層どこか救われた気分になった。今の調子の悪い私からすれば、どこか自身の身を任せられるような、そんな包容力のある存在を求めていたのかもしれない。


「ああ。任せたよ。悠里。」


「いっぱい遊ぶからね。人生、楽しまなくっちゃ。」


悠里は、そういって、私に向かってまっすぐと人差し指を指した。


「日程はあした!鎌倉高校前駅に集合!横浜へ行くわよ。」


悠里はそういって、屋上から降りて駆け抜けた。

僕はスマートフォン片手に、”横浜 デート”と検索をかける。便利な世の中になったものだ。1回目の高校時代には、そんな便利なもの存在しなかった。今は贅沢な世の中だ。数千円かかるものが、学生ですら平然と手にし、生活費にへと組み込まれている。私も利用しているため、偉そうには言えないが。

私は、数分間、液晶を滑らしながら試行錯誤し続けたが、デートのプランなど考えつかなかった。経験をしたことをあるものの、実感は湧かなかった。

チャイムによって、昼休みの仕舞を告げられると、私は教室へと駆けた。考え事をしていた所為で、珍しく遅刻をする。


「遅いじゃないか。織部。珍しいな。」


私は謝罪の意を伝え、忙しない様子で着席する。

悠里は私の方へ振り向いてにやりと笑う。5時間目の倫理の授業は、彼女の視線と、興味のない起源や本質が混じりあって、複雑な心情が生まれてだけで終わった。

授業が終わり、HRを黙々と進め、リュックサックを背負う。


「徹!一緒に帰ろうぜ!」


芦田の声である。生駒などの他2人のクラスメイトを引き連れて私に声をかけた。その中には、悠里の姿があった。

帰路にて、僕と悠里は、ぎこちない視線を交わす中、彼らは他愛もない話をする。


「徹は、もう、記憶戻ったんだよな。俺たち、ずっと待ってたんだぜ。とはいっても、急にどんな話をしようか迷うけどな。」


「いつも通りでいいよ。いつも通りのみんなが、一番楽しい。」


芦田に向かってそういうと、彼は安堵した表情をする。


「日曜日、徹は予定空いてるかな?」


芦田がそう問い、俺が答えようとすると、悠里が、大胆に代弁する。


「私と徹は、日曜日デートの約束があるから空いてないでーす。」


芦田や生駒は、動揺した表情を浮かべる。


「徹と悠里が、そんな関係だなんて、考えにも及ばなかったよ。」


生駒がそういうと、俺は慌てて誤解を解こうとする。釈然としない私のおどおどとした私に対し、彼女は堂々と話を歪んだ方向へ進める。


「いや、付き合ってるとか、そういうんじゃないんだ。」


「夫婦だもんね。私たち。」


悠里がそうからかう。次々と生まれる誤解を私は整理出来なくなりそうだ。


「夫婦でもない。ただの友達さ。」


「じゃ、俺たちもデートついていっていい?」


咄嗟に悠里は答える。


「だーめ。私たちだけのデートなんだから。そっちはそっちでかってにやってちょうだい。」


「怪しいなぁ。」


疑念と不満が残りつつも、生駒と芦田らとは、帰り道が分かれ、俺と悠里は二人で通学路を歩いた。

悠里は、安堵したような表情を浮かべ、声色を変え話した。


「もうデートプランとか考えてたりする?私はバッチリ考えてるよ。」


「調べてはみたものの、よくわからなくて。」


「安心してね。私はあなたを誘う前から計画してたから。」


「なんか申し訳ないな。」


「いいよ。そんな。あなたに対する感謝の気持ちとかも十分あるから。」


「そんな大したことしてないさ。」


彼女の言葉は力強かった。どこか不安げな私に対し、強い包容力を見せ、安心感を感じさせた。彼女は、嬉しそうに話を進める。


「横浜といったら、中華街とか、赤レンガ倉庫とかいろいろあるよね。」


「ああ。とってもおしゃれだ。」


横浜市とか、東京都とか、そのような都会に顔を出す機会は少ない。自分の持つ限りの想像力を振り絞って、会話に合わせる。悠里の眼は輝いていた。普通の女子高生だ。これが普通なのであろう。こんな青春らしい空間に、地味な僕が存在していいのだろうかと、若干の不安感もあった。しかし、悠里は構わず会話を続ける。


「昼にパンケーキとか、遊園地で遊んだりとか、大通りでおしゃれな買い物したりとか、楽しそう。」


「そうだな。色々な場所に行きたい。」


こうやって、悠里と並んで歩くのは、楽しい。自分が彼女に見合わないのは十分わかっているが、それでも懸命に私を励ましてくれる彼女といると、強い安心感が湧くのだ。


「思いきり遊ぼうね。徹。」


「ああ。たまには、楽しむのもいいかもな。」


2つ目の分かれ道。私と悠里は、違う帰路を進み帰った。悠里とともに過ごした今日は、16年前のあの日の出来事を私に反省させる。彼女の私に対して笑顔は、どこか私を気遣い、今までとは違うように感じた。気のせいなのか、ただの疑心暗鬼になっているのかもしれないが。同時に、自分に対しての不信感、一層自分が何者なのかもわからなくなった。記憶を取り戻したとはいえ、性格が統合されるわけではない。私らしい行動とは、なにか。わからなくなった。皆は私に何を求めているのだろうか。私が過去の私を知ったところで、それは、過去の価値観を理解するだけである。2回目のままである。世界に取り残された気がした。私には、皆には時間がないのはわかっている。デートは明後日である。悠里が感謝したいのは、2回目の私ではない。1回目の私である。私は、1回目の私になれるように、努力をしなければならない。私は自分を欺いた。考えるのをやめた。

家に帰り、機嫌の悪い両親に迎えられ、居心地の悪い中、黙々と夕食を食べ、手際よく歯磨きを済ませ、風呂へ入った。曇った浴室扉越しに、両親の怒鳴り声が聞こえる。割と聞こえるものだ。自分は、一家の中和剤のような、邪魔者のような、もしかしたら最初から居ないのか。自分がわからない。居心地が悪かった。私は風呂から上がり、寝間着に着替えて、ベットに横たわった。今日は壁側を向いて寝た。


~If you search for tenderness


聞きなれない洋楽の歌が耳に入る。どうやら携帯電話の着信音らしい。しばらく電話機能を利用していなかったので、通りで聞きなれない音だ。昔はまっていた歌の冒頭だったと思い出した。気がつくと朝になっていた。眩しい朝日が強く私の眼に刺す。携帯を手に取り、発信者は誰なのかと確かめる。そこには、”斎川雪乃”という文字が表示されていた。そういえば最近彼女の声を聴いていない。私は、そっと着信を受けた。


「もしもし、徹?明日、悠里とデートするの?」


またその話題か。もうその問いには答え飽きた。私は、適当に返事をする。こんな早い朝に彼女はなぜハキハキとした口調で彼女は話せるのか。


「ああ。そうだが。なんでそんな元気なんだよ。」


「そりゃ、部活の朝練で鍛えられてたから。」


そうだった。彼女が中学時代所属していたバドミントン部は、強豪で、その分練習も厳しかった。彼女は3年間それらをこなしていきた。勉強しかやらず、適当に過ごしてきた私とは違った。


「雪乃は頑張ってきたよな。本当、俺とは大違いだ。尊敬する。俺のこともそう矯正してくれればよかったのに。」


「もう過ぎたことは仕方ないよ。してみる?スパルタトレーニング。」


「遠慮しておきます。で、何の用があって俺に電話してきたんだ?」


電話越しに彼女が笑っているのが聞こえる。楽しそうでなにより。


「いや~。徹君は、まだまだ初心者ではないかと思って。だから私がレクチャーしようと。」


「お節介だな。こっちはこっちで考えているというのに。だいたい、雪乃は上級者というのかよ。雪乃がまだ一度も彼氏作ったことがないことは知ってるぞ。」


暫く沈黙が続く。何かまずいことを言ったのではないかと不安を煽られる。


「う、うるさい。女の子にはとにかく誉め讃えるべきだから。さあ、私を誉めなさい。」


「可愛いよ。雪乃。」


「冗談で言ったのに。徹ってそういうことすぐいうよね。自意識過剰なんだから。」


「勝手に罵倒すればいいさ。」


「悠里ちゃんのどんな所がいい?スタイル抜群で綺麗だよね。」


「別に、付き合いたいとか、そんな気持ちはないさ。だけど、楽しみたいじゃないか。彼女の気持ちに応えたい。時間は無いんだし。」


「優しいよね。徹は。友達でよかった。」


「普通だよ。別に大そうな性格じゃない。」


「そんな徹が好きだけどね。」


「どうも。いい友達ですね。」


「まあ、デート頑張ってね。徹は、優柔不断で、頼りないから、悠里ちゃんにリードされるのが目に見えてますけど。」


「うるさいなあ。ほっておいてくれ。」


結局話は進まなかった。いつもと変わらない他愛もない話をして、電話を切った。

デジタル時計の文字を読むと、6:00とあった。昔なら、この時間、両親は既に活発になっていたが、今は、7:00頃に起きる場合が殆どである。私は、歯を磨きながら、トースターに食パンをセットし、生卵をフライパンの上に落とす。パチッパチッと空手家が演技を始るような音が聞こえる。痛快なものだ。ターナーで目玉焼きをすくって、皿の上に乗せる。レタスを適当に手で切って、トースターが仕事を終えた合図を確認すると、こんがりと焼けたパンを半分に切って、レタスを挟み、間に目玉焼きを入れる。歯磨きを終え、食卓に戻る。私はトーストを黙々と食べ終え、歯を磨き顔を洗って、食器や調理器具を洗うと、自室に向かった。


暇だ。何もすることがない。私は、反射的にスマートフォンを手に取る。いい暇つぶしが思い浮かばない。私は画面をスライドさせていくと、電話というアイコンを見つけ、開いた。先頭に、斎川雪乃という名前があった。彼女の声が聴きたい。私は雪乃に着信をかけた。携帯の着信音が私に緊張感を与える。今ならまだ引き返せるではないかと。普段、私は雪乃に自ら着信をかけることはない。


「もしもし、雪乃?」


「なに?徹。珍しいね。徹からかけてくるなんて。」


「雪乃の声が聴きたくなって。」


少し沈黙が続く。しかしこの沈黙は、別に悪いものではなかった。


「なにそれ。もしかすると。」


「雪乃の声を聴くと安心する。」


「好きなの?悠里ちゃんがいるのに。」


「悠里は彼女じゃない。安心するものは安心するんだ。よくわからない。」


「ふーん。はっきりしないね。」


「すみませんね。」


「これから会わない?徹に会いたいな。」


「僕も雪乃に会いたかった。最近目を見てあまり話していない。」


「”あの公園”で待ち合わせしようか。」


「わかった。すぐ向かう?」


「すぐ行こう。」


”あの公園”とは、光ノ森公園のことだ。幼いころから、雪乃とはよく遊んだ。今の時代、大半の子供は屋内や学校のグラウンドとかで遊ぶらしい。公園には人が少なく、ほぼ過疎状態である。そのうえ、現在の時刻は6時42分である。誰一人公園にはいないだろう。私は寝間着から、普段着に着替え、ショルダーバックを背負い、公園へ向かった。公園への距離は短い。2分で到着するだろう。坂を上り、公園への階段を上る。ベンチに雪乃が座っていた。


「おはよう!徹!元気?」


三度目の雪乃だ。可愛かった。午前6時半ばの雪乃を見る機会は少ない。私は恵まれている。黒いTシャツとデニムにおおらかな格好であったが、似合っていた。


「元気だよ。朝早く呼び出してごめん。早朝の雪乃も可愛いよ。」


「変わらないね。」


嘲笑していた。いつも通りの会話である。


「どういうデートしたらいいか教えてくれよ。」


「わからないよ。デートしたことなんてない。」


「なんて言われたら、女子は嬉しいんだ?」


「可愛いとか、着てる服が似合ってるとか、一緒にいると、楽しいとか」


彼女は少し顔を赤らめていた。こういうことをいうのは、恥ずかしいのか。


「それって、彼氏面じゃないか。」


「徹がよく私に言うじゃない。」


彼女は少し怒った表情を浮かべる。


「嬉しいのか?」


彼女の顔は真っ赤になった。こういう雪乃も可愛い。雪乃たんよ。先ほどの発言は少々失言であったな。


「べ、別に嬉しくない。そういうことじゃない。」


「嬉しいっていったじゃないか。」


「ネットに書いてあったのよ。」


少し疑惑の疑惑の眼を彼女に向けながらも、問題なく会話を進めた。


「本題はここからなのだが、悠里とどう接すればいいのかな。」


彼女は、まごうかた無き様子で、彼女はどこか自慢げに、嬉しそう様子で、はっきりと答えた。


「普通に接すればいいんじゃない。いつも通りの感じ。徹が思ってることって、”多分、悠里ちゃんが話したいのは、16年前のほうの徹で、今の徹には興味ないだろう。私は彼女の私にどうなればいいのだろうか”とかそういう内容じゃない?」


「ああ、その通りだ。雪乃にはなんでもお見通しなんだな。」


「図星だったんだね。私は徹の気持ちわかるもん。」


「ありがとう。頼れるよ。それに対して、俺って情けないな。」


「そんなことないよ。誰だってそんな心境に陥るよ。」


雪乃はいつも優しかった。私の気持ちを捉えて、アドバイスをしてくれる。私は、いつも雪乃に頼っていた。

雪乃は沈黙を切り出した。


「ちょっと街歩いてみようか。」


「ああ。たまにはいいかもな。」


俺たちは、街に繰り出した。人々は少ない。何せ土曜日の7時である。悠然と歩く二人。何も考えていなかった。悩みはもう打ち明けた。青空が青く見えた。当たり前のことであろう。私は、少し前からの疑問を彼女に問う。


「なあ。月の森高校への転入の話、なぜ最初から言わなかったんだよ。」


「だって、徹、頑固じゃない。頑張って勉強して入ったの知ってるから、絶対行くの拒否するだろうなって思って。4月あたりから、体調が悪くなるのを予想してたから、抵抗しづらいかなって。姑息な真似をしてごめんね。」


「大丈夫さ。そうだったのか。今は楽しいから大丈夫だよ。」


「それが一番いい。楽しめればいいのさ。」


私たちは気が付くと路地を一周していた。自宅が目に見えてくる。雪乃説いた時間はあっという間であった。雪乃は私に向かって手を振った。


「バイバイ。徹。また相談してよね。」


「ああ。頼れるよ。ありがとう。」


「デート、頑張って!」


いつかしたいな。雪乃とも。


「頑張るよ。バイバイ。雪乃。」


雪乃の背中は小さくなっていった。孤独となった路地には空虚感が流れる。もっとずっと、雪乃と共にいたいと思った。

ミシミシという扉の音とともに、私は家に入る。居心地の悪い世界があった。私は無言で自室に入った。私はベットに身を投げ、壁を向いて寝た。雪乃。雪乃。雪乃。雪乃と一緒にいたい。雪乃の顔だけが脳裏に浮かんだ。孤独な心を癒した存在は、雪乃だけであった。


気が付くと、時計の針は20時を回っていた。無駄な時間であったのか。私にとっての今日という日にて、有意義な時間は早朝の、雪乃の声を聴いた時間だけであった。私は、13時間ぶりに足を床に置いた。どこか冷たい床であった。私は、明日の服装を決め、目覚まし時計を設定し、バックの荷物整理をして、再び枕元に頭を置いた。


時計の針は7時を回っていた。朝日に包まれて、私は顔を洗い、歯を磨いた。寝間着を脱ぎ、着替えた。赤のシャツとチノパンという普通の服装であった。待ち合わせ時刻は10時半。場所は鎌倉高校前駅だ。私は暇を持て余した。特に特別なことはしなかった。@chまとめサイトを巡回するだけ。


時計の針は10時ちょうどを指す。私は、家を出て、駅へと向かった。眩しい光が目を刺す。下を向いて携帯をずっと見ていた反動が、この刺激に慣れない。駅につくと、悠里の姿があった。全身が、スラッと細長く伸び、抹茶色のブラウスと、紺色のガウチョパンツを穿いていた。どこかで見たことある光景。

周囲の潮の香りと美少女の姿。青春のかおりがする。


「おはよう。徹。」


「綺麗だよ。悠里。」


彼女は照れた表情をする。


「またチャラいこと言って。行くよ。」


緑色の江ノ電の車両が私たちの前に止まる。ガランというドアの開く音に誘導されて、私たちは車両に入った。


「徹は女子とよくデートする?」


「雪乃とよく出掛けることはあるよ。」


彼女はにやりとした顔をする。


「もしかしてさ。」


「うん。」


「病院で言ってた、徹が好きな子って雪乃のことでしょ」


とても動揺した。今まで、あまり恋愛感情というものを意識することはなかった。


「いや、そんな意識したことないけど、多分あの時はそういったのかな。」


「絶対今も好きだよね。」


「よくわからないな。親友って感じ。」


「雪乃ちゃん、可愛いし、好きになるのもわかるよ。」


「全然聞いてないね。」


「雪乃ちゃんも徹のこと好きだと思うよ。徹は優しいし。」


「僕なんかのこと好きになるはずがないさ。びみょうとか言いそう。」


「攻めてみるしかないね。」


「ゆっくりと、進展していけばいいさ。時間は限られてるけれど。」


恐らく、女性とのデートで他の女性との恋話をするのは、僕たちだけだろう。


車両は藤沢駅に止まった。私たちは乗り換えをするために降りる。東海道本線に乗り換え、元町中華街駅に向かった。元町中華街駅で車両がで止まると、俺たちは車両から降りた。


私たちはしばらく路地を歩いた。朝陽門という青色の神秘的な10m以上ある門が私たちを出迎える。時計の針は正午を回っていた。私たちは予定していたイタリア料理店へと向かう。ソリトゥーディネという店であった。中華街なのに、イタリア料理を食べるのは、多少ナンセンスかもしれないが、二人ともイタリア料理のほうが好きであった。


胃が収縮しているのが聞こえる。私は昨日からあまり食べていない。店内へと入ると、いらっしゃいませという声と共に迎えられる。”予約していた織部です”と言うと、予約席へと案内され、席へとついた。

水をもらい、悠里はリゾット、私はバジルソースのパスタを注文する。副菜のサラダをついばんでから、それぞれの料理が運ばれた。黒い高級感のある皿に、料理が盛り付けられている。パスタを見ると、その光景はまるで、真夜中の闇に佇む面妖な樹海のようであった。彼女のリゾットは、中心のチーズの周囲に緋色のトマトソースが泳いでいた。パスタを一口食べる。すると、バジルの爽快な臭みが私の嗅覚を包み込む。同時に、私の視線は、リゾット方へとも向かった。


「食べる?」


悠里の言葉であった。私は思わず、”食べる”と返事をする。すると、悠里は、前のめりになり、スプーンをこちらに近づけてくる。


「はい、あーん。」


「え、いや、自分で食べるよ。」


「遠慮しない。折角の機会なんだから。」


周りの視線を気にする。どうやら誰も見ていないようだ。そっと顔を近づけ、パクリと食べる。味はわからなかった。緊張と興奮で、味覚に気を向けなかった。


「悠里にもそれ食べさせてよ。」


彼女も先ほどと同様に顔を近づける。私は無言で、パスタをフォークに巻き付け、彼女の開いた口に差し出した。


「うん。おいしい。」


彼女の濁りのない笑顔は、美しかった。そんな中、時間は過ぎていき、時計の針は午後1時を回っていた。


「じゃあ、そろそろ行こうか。」


「ああ。美味しかったな。」


綺麗に間食し終え、ショルダーバッグを背負う。私たちは店内から出ると、美粧湖という場所へ向かった。ミニクルーズで有名ならしい。私たちは、クルーズ乗り場へ到着する。


船のモーター音と共に出発する。湖の綺麗な湿気が心地よい。


「綺麗だね。徹。」


「ああ。爽快だ。」


「本当は雪乃と一緒に行きたいでしょう。」


「君とのクルーズも楽しいよ。」


「そっか。ありがとう。結婚式とかでは、こういうの海でするんだよね。」


「そう聞くよな。」


「海っていうと、あまりいい思い出しないな。」


「なぜだ?」


「バレー部の時さ、浜辺でよく練習したんだけど、きつくてさ。端から端まで走ったりとか。」


「それは疲れそうだね。でも、それは青春のかおりがとてもするよ。」


「疲れてそれどころじゃなかったよ。」


「ご苦労様です。」


「徹は、部活とかあまりやってなかったよね。」


「うん。帰宅部だった。俺も何かすればよかったよ。今になって後悔してる。」


「部活は楽しかったよ。試合をして汗を流す。終わった後には、タオルを纏いながら、部室で褒めあった。女子だけだったから、恋バナとか、いろいろな話をしたよ。」


「余計羨ましくなるからやめてよ。俺は体力があまりないから、部活とかにはついていけないだろうなって、断念したから、嫌いじゃないんだよ。」


「体力はあとからついてくるのに。勿体ないことしたねー。」


「全くだ。」


そうやって、他愛もない話をしながら、あっという間にクルーズは終わった。船から降りた後、俺たちは赤レンガ倉庫へ向かった。

赤レンガ倉庫へ着くと、予定していたスイーツ店へと足を運ぶ。コンパーニョという店だった。私と悠里はクレープを注文し、受け取った。


私が頼んだのは、メイプルバター。ほんのり香るバターに、甘いメイプルシロップ、王道を征く組み合わせである。彼女が頼んだのは、キャラメル生クリーム。キャラメルと生クリームが何とも言えないまろやか相性で新鮮なソフトクリームを食べているような味わいである。

俺と彼女は、無言で黙々と食べ進め、赤レンガ倉庫から出た。気が付けば、時計の針は午後4時半を回っていた。俺たちは予定していた観覧車へと向かった。


スタッフの誘導に従って、俺と悠里は観覧車に乗った。その頃には時計の針は午後5時を回っていた。少し沈黙が続いた。悠里が先に言葉を放つ。彼女はどこか自慢げに言った。


「今日、実は徹、私との接し方に戸惑っていたでしょう。」


「なんでわかったんだ。」


「なんとなく。私も記憶を取り戻したときはそんな感じだったから。」


「察してくれていたなら、こっちも助かるよ。」


「どういたしまして。」


「悠里は、何を求めているのだろう。きっと、求めているのは16年前の僕だ。とずっと不安げになってた。」


「そうだよね。でもね。心配することない。君という存在が、16年前、私を助けてくれたのを知っているのなら、それでいいの。」


「なぜだ。記憶はあっても、考えは異なる。」


「異なっていていいじゃない。私だって16年前の私とは別物だよ。だけど、君には、16年前の私とリンクして会話を出来ているでしょう。だからそれでいいじゃない。価値観は理解しているはず。」


「それはそうだな。」


「感謝しきれなかったことはたくさんある。君は不安げに、存在価値もわからず苦悩していた私を助けてくれた。君は私の個性を着飾ってくれた。」


「そんな大したことをしてないさ。君の気持ちをわかっていただけ。」


「16年前と同じこといってる。」


「奇遇だね。16年前と私。」


「君は立派だよ。気さくに、弱く彷徨ってる私に、一筋の道を作ってくれた。希望のようなものだね。」


「そんな褒められたら、こっちが恥ずかしいじゃないか。」


「好きだよ。徹。」


咄嗟に悠里は私の頬に口をつけた。柔らかかった。同時に胸の鼓動も伝わった。とても激しかった。私は悠里の手を取った。


「ありがとう。悠里。君は不安げに、存在価値もわからず苦悩していた私を助けてくれた。」


悠里は微笑む。


「さっきの私と同じこと言ってるじゃない。」


「これからの人間関係はうまくやってけそうだ。」


「それはよかった。」


照り輝く夕日が赤く見えた。私はまた、世界をひとつ知った。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

32回目の夏 鍵雨 @Satori_Right

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ