03_ジュークボックス
『ちょっと出歩く』
『イトマ退席だってよ』
『あいしー』
情報収集を一旦切り上げた。視界を覆うように展開した曲面モニタを待機状態に戻して畳み立ち上がる。気分転換だ。物と光源の少ない狭い部屋はすぐに押し黙るが、思考を邪魔せず手に取るものがすぐ近くにあるこの感じが気に入っている。ハンディだけをベッドから拾ってドアの認証を通した。三階の高さから黒い都市の見慣れた一区画が覗く。見上げれば堆く徒労の抜け殻。
リフレクターを狙う存在については収穫無しだった。一般人ハッカー程度に尻尾を見せるような者ではないはずだから、元々仲間たちにはさほど期待していなかったが。まあ俺も含め奴らは当事者よりも傍観者であることを好む。収集範囲の限界は自分に危険が及ばないラインまでだ。……しかしこのところ、ネットギークやアマチュアハッカーたちの間でも“無罪の厄災”はそれほど話題に上がっていなかった。古参『ハピネス』は大砂漠のゴミ捨て場、『トゥルーライター』は分厚い檻の中、遂に解析されて降格した存在もいくつかある。無理もないか。代わりに話題の中心になったのはもちろんインターネットの次段階とまで言われるあの事象——本当にあるのかどうかも分からないあの世界そのものだが、どの国でも超重要機密事項さながらの扱いで追加情報が出て来やしない。そろそろ妄想家が広めた数々の噂が飽きられる頃だろう。
「だからって何で今更リフレクターなんだ」
階段を降りながら口に出す。誰に問うでもない、ハンディに搭載のアシスタントすら不在だから、全ては自分の思考刺激のため。
「……降格と、昇格か?」
下へ下へと階段を降りる最後の数段で、思った通り自分の頭の中で転がったらしき言葉が拾えた。しかしその先が繋がらない。
——ハッカーの目的も金なんかじゃないと個人的には思うね。享楽か探求か耐久テストか路上ライブか、リフレクターの造りも厄災認定の手応えも試そうとしてるんじゃないかと、俺は思うぜ
確かに俺は自分でそう言った。言ったけれど、この言葉を並べたときの自分は何かもう一歩踏み込んでいた気がする。並んだ言葉の共通項は何か。ハッカーは“誰”か。……まず、AI教団が犯人を仕立て上げるとは考えにくい。その仮定で犯人を人間側に絞ったとして、やはりリスクに見合うメリットが描けない。単に目立ちたいだけなら? 一国家のそれなりに機能しているセキュリティ担当を相手にして犯行声明まで出す理由に成り得るか? リフレクターが無罪の厄災に認定されたとして、動くものは何か?
「……やめだ」
低層区画の地面に降りたところで斜めに光が差す。丁度夕刻のようだ。『電子宝くじ』でちょっとした額を当てて長い夏休みを手に入れてから少々時間にルーズになった自覚はある。髪も伸びたし無精髭も気にしなくなった。だがこの詰まったような気分は……そう、片っ端から真っ黒な建造物を積み上げる都市側にも問題があるはずだ。もはやこの低層区画において夕日が差し込む場所など希少になってしまった。ヒトもアンドロイドも中々出歩かないこの辺りは殆ど捨てられたような場所なのだろう。通路のすぐ横には中層区画へと繋がる建物が壁のように聳えている。黒い発電塗料ではなく灰色の耐性塗料が一様に塗られているが質感も味気なさも似たようなものだ。向こうには電動車で物資を通す太い管が通路の上を強引に蛇行していて、……まあ、風情も何も誰も気にしていない。自分を含め人間たちの興味は都市景観よりもグラフィカルに自由自在な電子の海に向いたのだから。
これから向かう小さな空き地には、きっと自分と同じことを考えていたのだろう物好きな奴が作ったはずのお気に入りの装置がある。
* * * *
20分近くアナログに歩いただろうか。生きているんだか死んでいるんだか分からない旧式の汎用認証ゲートを最後に一つ潜る。通過した後に3メートルはあろう大きな白いゲートを見やるもやはり音も光も発しない。細くて長い階段を途中まで上ればやっと目的地が見えてくる。そこには小さな広場があった。後ろはこの階段、左右二面は建物の壁だが、奥に残された一面が開けた視界になっていて空が見える。階段から分岐して、薄い金属板で繋げたような細い道を進んでから階段を5段だけ降りて、やっとその場所へ。動くものは他に無い。左手前に長方形の大きなコンテナと、右側に放置されたような角柱状の建材と、
「よ、元気か」
左の壁の真ん中に、ターミナルよりも縦に大きな古めかしい装置が佇んでいる。塗装が剥げて錆びたような珍しい外見だ。自分以外にこの場所を訪れる“物好き”からも「ジュークボックス」と呼ばれているその機械に手を触れてから、ここでしか使わなくなった旧規格の有線コネクタでハンディを繋げて起動させた。装置は寝起きの低血圧人間のようにゆっくりと稼働し始め、オレンジ色の空が見えるこの場所を懐かしい方式で飾り立てる。
小さく駆動音を立ててジュークボックスの側面から投影機構が覗いた。装置の背後、無機質な耐性塗料の壁に夕刻の田園風景のような映像が重なる。まだ陽が落ちていない上に投影機構自体の光量もイマイチで映像は半透明になってしまっているが、これが絶妙に良い。装置は次に上面の四角い蓋をスライドさせると、自慢のレパートリからランダムに音楽ファイルを選んで控えめな音量で再生し始めた。今回はジャズのようだ。映像の田園風景に風が吹いて、茂った稲穂に緑と金の波ができる。カメラの位置は人間の視線の位置と上手く合わせてあって、思い込めばそこに立っているように錯覚することができそうだ。
ジュークボックスが待つこの区画を俺は“公園”と呼んでいる。現実の夕空を少し眺めてからジュークボックスの反対側にある角柱材に座ると、その投影風景に没入するように意識を薄めた。
《プライベートネットへの侵入を検知しました》
「……ん?」
《各参照権限及び実行権限を確認してください》
沈みかけた意識が引っ張り上げられた。ジュークボックスの上に置いたハンディが滅多に聞かないアラートを上げている。だが今はどこにも繋いでいないはず。……いや、
(誰だ?)
公園の入り口、たった5段の階段の上に人間がいる。赤基調のミリタリー風ジャケット、ホットパンツだっけ、これ見よがしに足を見せて、肩にかかる金髪に青い目の……女。外人か? この辺りでは見たことが無い。ジュークボックスが流すジャズの音が少し遠くなる。
「クロイト・カズマだな?」
落ち着け、その通りだが肯定するわけがない。開口一番にハンディにどの指示を出してやろうか。
「そのハンディデバイスは既に抑えた。私はお前よりも数段上のハッカーだ。質問に答えろ」
こちらに翻訳機器は無い。女は訛りの無い日本語を扱っている。それに、ハッカーだと? まずどこで俺がハッカーだと漏れて、現実の俺と情報の俺が結び付いた?
「コールバック、1428」
なるほど確かにハンディが応答しない。ハンディが作るネットワークは一般回線に繋いでいるが前処理は通したはずだ。そもそも手も触れずにどうやって——
「……まさか」
女は青い目を僅かに細めた。
「そうだ。私は電脳化をしている」
成功例など聞いたことがない。無字符の登場で風化したとさえ思っていた。『電脳化』。MGIFとは全く別のアプローチで電子の海へ潜る技術。
「どちら様か知らないが、名乗る義理は無いな」
少し観察して相手がアンドロイドではないと見当が付いた。それならまだ強気でいられる。相手は女だ。身体は鈍ったかもしれないがいざとなれば力づくで押さえればいい。落ち着け、妙に鼓動が早まっている。
「やめておけ。見たところ格闘技の心得は無いだろう」
俺の考えも動作も見抜いたのか? 数歩足元を確かめたかもしれない、他には軽く拳を握っただけだ。
「私はミーシー・ストームチェイサー。もう一度言うがハッカーだ。お前は“エダナシ・カオル”を知っているな?」
「さあ知らないね。アンタのその名前も偽名にしか聞こえないぜ」
言い切ったものの流石に焦りを隠せない。声色にも出ていただろう。まさか現実側で誰かに問い詰められるようなことが起こるとは。だが一つ言い切れる、いつだって傍観者の俺は悪事を働いた覚えがこれっぽっちも無い。
長くて白い脚が一歩こちらに迫る。
「リフレクターの件をお前も追っているな? 情報交換ならどうだ。断っても吐かせるつもりだが」
もう一つ追加だ。ヘボハッカーでもエセギークでも、友人を売るようなことはしないんだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます