02_セキュリティ屋


「それで、ハッカーの特定は?」


 聞いてきたのは同僚の原田、さっぱりとした印象の好青年だ。けれど額に僅かな汗を浮かべている。“白い犬”はやはりこっちでも監視対象になっていた。他の懸念事項も積み重なっているのだろうが、部署内のモニタと人型の影が少々忙しそうにしている。


「まだできていない。リフレクター近辺に張り込んでる奴らからも報告無しだよ」


「本当に来るのかね。判断が下りる前に防壁が完成するんじゃ……」


 セキュリティ省は小さな白い犬の周りに高くて分厚い塀を建てる算段らしい。


「そうかも。でも堂々と犯行予告するようなハッカーだから余程腕に自信があるんだと思う。防壁が効くかな」


「俺たちがそれを言っちゃダメだ。ところで枝梨、お前今“手すき”だよな。ちょっと頼まれて欲しいことがあってさ」


 同僚はわざわざハンディを取り出してこちらに情報を共有した。周りに聞かれたくないようなことか。彼の面目とノルマのためかもしれないが、彼には多少借りがあるから余計な詮索はしない。どうやら民間のセキュリティ屋がヘマをして救援を求めてるらしい。こんな雑用はよく自分たち若手や下っ端に回ってくる。

 国が抱えるセキュリティ組織は電子世界の発展に伴って自ずと重要度を増した。面白いのは集められる人間にそれなりの幅があることだ。生まれた時から機能頭打ちの万能ハンディデバイスを与えられ、MGIFの恩恵を一部でも得られるようになった最初の世代が既に良い大人になった。ところがその一帯は年功序列ではない。電子の世界を専用言語を片手に画面の向こうから眺めるしかなかった時代のそれと違って、いや、同じような例はあったのかもしれない、MGIFには妙にそれに“適応”する者が現れた。よりデータに近い方から並べればそもそもの総称プログラム、ダビング、電脳化、MGIFの手を借りた潜行となるにも関わらず、彼らはその手で難解なオブジェクトに触れて、いとも簡単に紐解いたのだ。言語の壁はとうに言葉そのままの翻訳機が崩したし、私のように義体を使って遠隔から仕事をする人間もそれなりにいる。この建物に一度だって実体で現れたことのない人間も。

 一つ付け加えよう。こんなことを言うと両方面から睨まれるかもしれないが、正義のミカタであるらしいセキュリティ担当と、今まさに槍玉に挙がっているハッカーにはそれほど差が無い。どちらも何らかの形で電子の海に浸かっているのだ。在り方が少し違うだけで、別軸・上層から眺めればそれも些細なことになる。


「分かった。リフレクターの方で追加情報があったら転送しといてくれ」


「すまない枝梨、恩に着るよ」


 セキュリティ屋さんの仕事は旧来のそれとあまり変わらないのだろう。ウイルス駆除の他に主要な脅威からの拠点防衛。“何かが起きる前に”に比べて“何かが起きてから”が少々増えたようではあるけれど。

『枝梨カオル』なる男の名札を付けたリモート義体は席を立つとターミナル室に向かった。



* * * *


-- MGIF -- -Disconnected.


 一度義体から抜け出てスクール棟の旧式ターミナルからダイレクトに潜り直す。セキュリティ省で枝梨カオルの身体をターミナル室に置いてきたのは一応の保護をするため。“潜って仕事をしている”ことが明白になるから向こうは誰かに邪魔されにくい。それから、程々強力な設備よりも義体から潜行するノイズを気にしたのもまああるけれど、何かあったときにはこちらの先生側——『井沢アヤ』側ですぐに対処したいから。


-- MGIF -- -Connected.


「ネットから義体、義体から本体の2ステップが枷になるような事態が起こるとも考えにくいんだけどね」


『到着かい国家のセキュリティ屋さん』


「相変わらず嗅ぎ付けが速いことで」


 MGIFを介して電子の海——インターネットに潜った私は、枝梨カオルの容姿を再現した身体で緑色の地面が敷かれた大通りに立っていた。私が目を開けるのとほぼ同時に駆け寄ってきたのは最近よく付いてくる野良AI『ポチ』だ。ポチと言ってもリフレクターのような犬の姿ではなく、横に寝かせた太くて短い立体矢印に逆三角形が刺さった形をしている。これはAIたちが好んで使う汎用容姿で、彼らは逆三角形の部分に好き勝手に表情を貼ったりもする。こいつはしない。もっと言うとシリアルナンバーを貼って回る巡回ボットからも逃げ果せている。


『お仕事だね? 座標は? 相手は?』


「共有するから手を出して。相手は行ってみないと分からないけど、まあ粗末なウイルスだろうさ」


『ボクに手は無い』


「突っ込み上手になったじゃないか」


 一切の模様も明暗も無い真っ暗な背景に現実の建物をポイントで視覚化した長方形がいくつか並んでいる。間を縫って太い緑の道が何本か枝分かれしながら伸びていて、リンク先を表す青い管のようなものが丁度ヒトが通れるような大きさの口を開けて道から伸びている。MGIFはこの辺りをこんな風に見せてくれる。向こうに一般人が二人と、ボットが数機。後ろにあるのがさっきまでいたスクール付き複合棟のサーバだが、この通り複雑な機構も厄介な代物も不穏な人影も無い。平和そのものだ。

 矢印の先端を触る。野良AIに情報を与えるのはそれほど問題にならない。入り口は違えど一応“仕事”で潜っていて、これからちゃんと現場へ向かう私は国のセキュリティ屋さんの名札を付けた枝梨カオルなのだが、仕事の程度がアレという話だ。


『なーるーほーどーなー。それじゃあ行こうか!』


「行こうか」


 多重曲線で囲う程度の装飾をされた丸い踏み台へ向かう。すぐそこの道の脇で口を開けている。


『GO!』


 太い矢印はスルスルと並走、ポチもその小さな円に乗った。暗転も転送も本当は一瞬だ。わざと目を閉じてその一瞬に僅かな時間の幅を持たせる。



 目を開けると、実在の繁華街を模した空間の一角に立っていた。道路も建物も基本色は緑色だが、すぐに各人が好き勝手に飾って塗りたくった雑多極彩色が目に飛び込んできた。文化も趣もない恰好をした無数のアバターとAIがやはり繁華街の密度よろしく集まっている。これも言ってしまえばMGIFの恩恵で生まれた世界光景だ。慣れた動作で視覚フィルタを一枚読み込む。


『こっち。ついてきて』


 ポチはガイドAIでも殺虫剤持ちでもないのに時々それっぽい振る舞いを見せる。元飼い主が色々な機能を持たせてくれたか自分で拾い集めたのだろう。

 三階建て程度の建物たちや屋台を模したオブジェクトが顔を向ける大通りをなるべく避けて進んでいく。便利な転送装置はそれなりの出力機構が必要なので、ローカルの移動は徒歩に頼る場面が出てくる。直接繁華街前に潜り直さなかったのはポチのためでもあるけれど。風情を諦めて少し歩くと、妙に黒ずんだビルが見えてきた。まるで火事になって鎮火した後のようだ。


『ははーん……』


「ウイルスにしちゃ壊し方が妙だ。暫定でログイーターと見た」


『判断が速いよー』


「お国のスキャンをかけるから離れてなさい」


『えぇちょっと待って〜……』


 ポチがどこかへ退散した。『ログイーター』とは、簡単に言えば目の前のデータを手当たり次第に無意味化していくもの。ウイルスとは区別して扱われる概念だ。その辺のウイルスと同じような小スケールで存在する個体もあるけれど、重要な書類を分解するシュレッダーの電子版を一企業が造って暴走したケースでもそれがログイーターに認定された。ヒトでもAIでも思想としてデータを消し去ろうと活動すれば、その総体それ自身がログイーターの名前に当て嵌められることもある。ウイルスと共通する点を挙げるなら、それが対処すべきものであることやある程度対応策のノウハウが蓄積されたことだろうか。データの消し方なんて似通ってしまう。故に彼らは“パターン”として検知されやすい。

 原田の情報によるとこのビルは小さな商社らしい。突如出現したウイルスかハッカーと思しき何かに競り負けることを予測したビルの持ち主たちは、既に退避できるデータは退避させて、その上で二次被害を防ぐためにビルの周りに臨時防壁を展開した。中を守るためではなく外に出さないため。中々立派な対応だ。遅れてやってきたヒーローになりたくもない私がログイーターを疑ったのは偏にビルの様子から。ウイルスやハッカーがここを狙ったのならビルの見た目が崩れるような被害を作る必要が無い。認証が通って「お国のソフトウェア」が読み込まれたのを確認し、黒ずんだビルを囲う青い色をした薄い壁に近付く。


『オプション項目としてアンチログイーターを設定しました。パターンスキャニングを開始します』


 粒子が集まるように出現したのは白い装甲に身を包んだ銃口付きの四角い機械。これがMGIFを通して見たお国のソフトウェアだ。大きな目のパーツが一つ。これでビルの区画を上から下まで貫くように見通して、定義済みのパターンを見つければ“照射”する。


「正解かな」


 白い機械の警報ランプが黄色く灯った。アラート音が流れて検出を知らせる。


『ログイーターを検知しました。駆除します』


『どーぞ』


「あれ、ここにいたら危ないじゃないか」


 いつの間に戻ってきたのかポチが代わりに答えた。もちろんポチのGOサインは認証されないけれど。


『危なくないよ。こっちに向けてないじゃん』


「まあ……ね」


 海に潜った人間と同じスケールのビルの入り口から何かが這うように出てきた。今回のそれはあろうことか“犬”を模していた。いや、顔が無い代わりに頭部全体が大きな獣の口のようになっている。お国の執行人はアームを二本伸ばして先端の銃口をそれに向けた。無慈悲に容赦無く定義通りに。双方から正確に赤いレーザー光線が撃ち込まれる。


「目を閉じた方がいい」


『ボクには瞼が無い。ってカオルも絵で見てるじゃないかー』


 一瞬言葉に詰まった。気の利いた返しをしてやるつもりが妙に……いや、勝手に言葉を拾ったのはこちらか。

 ログイーターは耳障りな悲鳴を上げて消滅した。お国のソフトウェアに駆除されるような個体だ、どうせ長生きもできなかっただろう。


『カオル、なんか怖い顔してない?』


「全然」


『そう……?』


「表情の関連付けが微妙にズレたのかもしれないな。後で見ておくよ」


『そう……』


 さて、原田宛てに個別報告だ。向こうには何か動きがあっただろうか。

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