Reflector
01_センセイとギーク
『図のように、水の入ったコップが二つあります。コップ同士をこんな風に管で繋ぐと、こんな風に中の水がお互いを行き来できるようになりますね。これが最初の通信でした。そのうちコップの数はどんどん増えて、一つのコップに繋がる管の数も二本、三本と増えていきます。管自体もどんどん太く長くなって大量の水が流れるようになります。たくさんの水を貯められるようにコップはタンクになって、貯水槽になって、大きく大きくなっていきます。こうやって無数に繋がれた容器と管たち。その中を自由に流動する水がつまりは“データ”でした。この巨大な構造を上空から眺めたら、器同士を繋ぐように張り巡らされた網の目、密で不規則な蜘蛛の巣のように見えたことでしょう。だから——』
「……インターネットなのです」
なんとも自信の無い説明文だ。それに回りくどい。そもそも生徒たちは賢いからこんな平易な例えを持ち出さなくてもいい気がしてきた。もう少し推敲が要る……か。
《メッセージを受信しました》
ハンディが律義に気怠そうに喋った。差出人は一旦読み上げないように設定してある。モニタを占領する駄文を綴った授業用の資料を少し移動させて、隅でぴょこぴょこしている角丸の枠をジェスチャーで引っ張り出した。
『ようセンセイ』
イトマだ。ネットギークの。
「『センセイは次の授業の準備をしています』っと」
《メッセージを送信しました》
『そろそろ集中力が切れただろ』
図星。
『耳寄りな情報がある。アンタ、“無罪の厄災”って知ってるよな?』
イトマからその言葉が出るか。
『すごいウイルスみたいなものですよね』
時間を空けて返そうか少し迷ったが、すぐに当たり障りのない反応を返す。
『間違っちゃいないが、あいつらは悪者じゃない。でな、リフレクターっていただろ』
『あー、あの可愛らしい……。確かおじいさんの発明品とかなんとかで一昔前に話題になりましたね』
『そう。何でも跳ね返す白い犬。どっかのすごいハッカーがさ、国の防衛装置をハッキングしてありったけのミサイルをリフレクターに打ち込んで、無罪の厄災に昇格させるとか言っているらしい』
なんてことを考える。昇格? 目的が分からない。——いや、
『ミサイルが国の設備に跳ね返って損害を受けるから、嫌ならお金を出せってことでしょうか』
『それだけじゃないし、そんなんじゃない。跳ね返った後のミサイルを転移か参照で他のところに叩き込めるらしい。ハッカーの目的も金なんかじゃないと個人的には思うね。享楽か探求か耐久テストか路上ライブか、リフレクターの造りも厄災認定の手応えも試そうとしてるんじゃないかと、俺は思うぜ』
「……だろうね。イトマも良い線行くじゃないか」
『すごい人の考えることは良く分かりません』
『センセイ、気持ち悪いのでその口調やめてください』
「文字だけでもこうやっておかないと生徒相手に素が出るんだってば」
調温グラスを持ち上げて水を一口だけ飲んだ。適当な返事をしてイトマからもう少し情報を得なくては。
——リフレクターは何年か前に話題になったネット上の存在だ。イトマの言った“何でも跳ね返す白い犬”がまさにその通りで、それを移動させようと手で押せば見えない手でこちらが押し返される。撤去しようと重機を持ち出せば力込めたはずの重機側がズレる。それを消去しようした消しゴムは自身が消え去り、それにミサイルを打ち込めば砲台側が爆発大破する。昔どこかの企業が領土を広げるために、ネット上のあるエリア一帯を丸ごと地均ししようとした。すると古家の前に……土の下にか、ひっそりとお座りの姿勢をしていた白い犬が掘り当てられた。企業側のボット一機が得体の知れない犬を解析しようとアームで突いたら突き返されたので、ボット側はこれを『攻撃』と認定。セキュリティソフトを呼んでターゲットを隔離しようとしたらそっちが隔離されたのでさあ大変。仮定驚異レベルがひとつ上がり今度は物騒な武装兵たちが小さな白い犬をぐるりと囲んでバズーカ砲を向ける。連続多段咆哮、壊滅した兵団、中心には無傷の白い犬。硝煙の彼方で対装甲砲搭載重装戦車が緊急支援要請コールを受信した。
もちろんすべては電子世界でのやり取り、並べた単語は比喩表現なのだけど、我ながら上手く言い表せたと思うね。私も以前実際にリフレクターを見に行ったことがある。噂通り白い犬の恰好をしていた。でもそこにじっとしているだけで、こちらが何もしなければ何もしてこないのだ。一個人の、ただのおじいさんのローカルサーバ跡地で、いつまでも飼い主を待っているかのような姿勢で。
リフレクターの周りに囲いが作られて『手を出すな』の状態にしてある認識だった。ハッカーたちが民間の攻撃装置を乗っ取って攻撃させたら危ない、攻撃側が破壊されるからと。政府も関わり公式に。今更まさにその通りになろうとしているのだろうか。何度か失敗事例があったはずだし、一番発生しそうな攻撃パターンとして挙げられてもいるのに?
『そろそろ寝ないのか。明日も授業だろ』
『時々心配してくれるよね』
イトマが照れたのが分かった。
* * * *
今日の授業は生徒三人、うち遠隔参加が一人。元々このクラスには全部で四人しか生徒がいない。もう一人は欠席だ。髪を後ろで一つにまとめて真面目な瞳でしっかりとこちらを見て聴いているのが小泉アリサ、少しやる気のなさそうな目で個人モニタに視線を落としているけれど話を聞いてくれてはいる霧島ケイスケ、染めた長髪から覗く真面目そうに見えるように作った顔の写真を表示したまま音声だけを教室側に投げているのが須藤ミホ。
「……というのがいわゆる黎明記のインターネットです。ここから、さっきのコップを上手く改良して無限に近い水を貯められるようになったことが一つの契機と言えますね。もう一つの契機は、大気圏外まで含めた地球の直径とほぼ同じ大きさの三本の輪を造って……これです、コップとコップを繋ぐ管たちの親玉というか、メインの超高性能大型道路というか、それを完成させました」
メインモニタに並べた図形たちに動きを付けてなるべく生徒たちの注意を惹く。デフォルメ地球儀に輪が三つ均等角度に巻き付いた。実体は少々異なるが視覚的にはこれでいい。
「この二つを併せて『第二次ネット革命』とするのが一般的です」
説明に一区切り。そっと生徒たちの反応を窺う。小泉が「なるほど」と返してくれなかったら少々落ち込んでいたと思う。ふと、高層の小さな窓から元気な黒塗り都市の景色が見えた。
「MGIFはいつ頃出てくるの?」
聞いてきたのは霧島だ。MGIFを“エムジーアイエフ”と発音した彼は好奇心があって頭も良い。もしかしたらいくつかの別称も知っているのかもしれない。
「これよりもずっと後です。50年とは行きませんが20年とかそのくらいは経ってからですね」
「MGIFは人間が作ったんじゃないんだよね。機械というか、初期だとしてAIに作らせても20年掛かったのか。いや……偶然に……。ごめん先生、今のは忘れて」
「はい。でも鋭くて良い質問ですよ」
考察の糸口を掴んだ霧島は熱が入ったように個人端末から何かを探し始めた。
『あれってアタシらも使ってるんだよね』
「先生、須藤さんの質問は私が一旦受けますね」
「ありがとう小泉さん。お願いします」
「ミホちゃん、私たちのは簡易版とも呼べないようなものでね——」
MGIFとは『Master Graphical InterFace』の略だ。何かと何かの仲介を担うのがインターフェース。変換をして相手が受け取れるような形に。こちらの母国語を吹き込めば相手の母国語を吐き出す。相手の水筒に大きな氷が入らないならば小さく砕いてしまう。相手の衣装棚が3ミリの隙間しかないのならば服を薄紙に印刷して滑り込ませる。
電子の世界と会話しようと随分な遠回りをしていた人間たちは偶然にも奇跡的性能の翻訳装置を手に入れた。あるAI——人工知能が、ある日突然それを作り出した(と一般には言われている)のだ。『0』と『1』しか無いはずの電子の海で私たち人間はあまりにも人間に寄り添った視界光景を獲得した。宙に浮いた数字の『1』と『1』とを“手で動かしてくっつければ”すぐに10進数数字の『2』ができた。裏では演算がその通りに行われた。信頼を置いていたセキュリティーソフトたちは鉄壁の城塞と鋼鉄の兵士団で王様を出迎え、仮想ケージの小鳥たちは嬉しそうに飼い主の肩に乗って歌った。
今やヒトが電子空間に潜るのに欠かせない奇跡の翻訳装置は、後にMGIF(エムジーアイエフ)と呼ばれるようになる。イトマたち日本のギークやハッカーはそれに“旧来の対機械文字を無くす割符”という意味を込めた漢字を充てて、“無字符(ムジフ)”と表記呼称する。
『すっごいじゃん! まだ謎が多いってこと!?』
「ミホちゃん、ちょっとだけ音量下げて……」
小さな教室に響いた須藤の音声の言う通り、無字符……MGIFの仕組みを解明し切らないまま、人間たちは“次の契機境界”に直面しようとしている。
* * * *
黒塗りにされた積層都市夜景を眺めていると手応えのない物思いに沈みかける。電子の世界ではないこちらを多くの人が「現実」と呼んでいたのはいつまでだったのだろう。あちらを支える土台を成すために進むべくして技術は進んだ。例えばこれまでになく軽くて丈夫で大量生産が可能な汎用建材。塗布して内側にちょっとした装置を埋め込むだけで一定の電力を生み出し続ける夢のような極小素材。運悪くどちらも黒っぽい色味をしていたこと以外は実に大発明だと思う。空間を目いっぱい使った構造が各国に似たような密景観を生んでいった。“衣食住”の観点から語るならばメタカーボ、メタミート、メタベージなる三食材も大概だ。こちらの革新は不自由の無い辺りまで私たちを昇華させ、やがて定着して当然のように消費されるようになる。運良く安定した私たちはあちらに、電子の世界に手を伸ばす。
「ここに水の入ったコップがあります」
少し冷えた夜の空気にヒトの声が溶ける。
一つ説明が足りていなかった箇所があった。コップ同士をつなぐ管には水が保持できないと思うべき、という補足だ。あくまで水はコップやらタンクやらダムにしか存在せず、実際には光の速度を借りて水を相手側に渡す。何かの事故で管で繋がったコップ同士が二つとも割れたとしよう。長い管に水を留めるように逃がすことはできず、つまりデータは失われる。同じデータを複数のコップに複製維持するか何かして損失を防ごうとするのだけど、まあ、結論から言うと電子の海に逃げた“元”人間も、もちろんAIも、この消滅への恐怖を少なからず抱えている。今でも、変わらずに。
『ポート遮断完了しました。セキュリティレベルを維持しています』
ターミナルが合成音声で告げた。私が遠くにチラチラと光る車両群のライトにピントを合わせようとしている間に潜行可能になったようだ。この棟は一区画にスクールとしての指定を貰っているものの、元は雑多で巨大な建造物。よく考えずに過剰付加した当時の設備が放置されている場所は多いので、屋外に見つけた端末を改造して“入り口”を作るのは容易かった。少しでも違和感を拾えるカタコトの喋り方をする古い可愛らしい端末だが、無字符を食べさせるだけの処理能力と出力は十分に備えている。
「さて」
スクールの先生は星の見えない夜空に向けて説明を続ける。
ある時、夢想家が考えた。ではどうにかして空中に水滴を浮かべられないかと。そうすればあらゆる空間が“本当の意味での多面世界”になるのに、と。もちろん四方八方から強い風を当てて水滴を宙に浮かべることはできた。でもそうじゃない、水が覚えてるのは『0』と『1』だけ。では、水以外の何かにそれを覚えさせることはできないのか。例えば空気のように、どこにでも存在する何かに。
屋外の小スペースを守るドアに自前のロックがかかっているのを確認してからターミナルの揺り籠に身を委ねた。瞼を閉じる直前、何かを期待して何かを諦めるような感覚が時々胸の奥に小さく湧き上がる。生身の体でスクールの“なんちゃってセキュリティ担当”を兼務しながら電子の海の先生を演じる私も私だが、
-- MGIF -- -Boot -Connected.
『読み込みが完了しました』
この国の“セキュリティの要”で律儀に悪巧みをする私もまた、私だ。
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