第04話 引きずって来たウールみたいな夢

 水、木、金、土曜日の18時半から21時半まで。それが僕のこの会社、CTHP株式会社での就業時間であった。


 本業の会社は現在残業がなく、会社からCTHPまで電車で片道30分だった為、この時間を選んだ。研修期間後は、さらに時間の自由度が増し、本業が忙しくなっても対応が効くという至れり尽くせりのシステムになっていた。


「皆さんお久しぶりです」


 会社の一室に10数名の新入社員が集められていた。その中で口を開いたのは、前回面接してくれた人だった。皆さんお久しぶりということは、全員の面接をあの人が一人でやったのか。素直に仕事ができるすごい人だなと思った。


「早速ですが、今回採用となった皆さんには、それぞれ部門ごとに分かれて、研修にあたっていただきます」


 面接官の横には4人のスーツ姿の人が直立不動で立っている。ビシッと背筋が伸びたその恰好にはこの仕事に対しての熱意と真摯さが見て取れた。


「今、私の横に並んでいる人たちは、皆さんの先輩にあたる方々です。4週間という短い期間の中で、皆さんが立派なプロになれるよう、真剣に仕事をしてもらいますので、くれぐれもふざけないよう、真面目に研修にあたってください」


 そのあと4人の短い自己紹介があり、僕たちはそれぞれの先輩について、まずは社内を案内してもらうことになった。

 僕は歌と文章の二つを選択していた為、先に文章の部署を見学したのち、歌の部署に行くことになった。


「あまり、緊張しないで、リラックスしてね」


 先程までビシッと立って顔に氷が張っていた先輩が、先ほどとは打って変わって柔和な表情で、後に続く僕とあともう一人の同期に声をかけた。


「もちろん真剣に教えるけれど、緊張しすぎて肩の力が抜けないのはよくないからね。なにか質問があれば気軽にしてね」


 優しそうな人が先輩でよかった。この後もこの先輩が僕を案内してくれるらしいので、ことさらよかった。


「たくさんの部屋があるんですね」

「そうだね。囲碁、将棋、オセロ、チェスといったテーブルゲーム類はこの大部屋に」


 指した方の窓には、真剣な眼差しで盤上を見つめる人々がいた。十数名ほどであろうか。テーブルを挟んでお互い手を進めながら専用の時計のボタンを押し合う。テレビで見たことがある風景だった。


「間仕切りをして競技ごとにブースを作っているんだけど、これももっとこの会社が良い成績を収めれば、ビルの中のレンタルできる部屋数も増えて、各競技が専用の部屋を持てるようになるんだ」


 にこやかな先輩の表情がこの会社の未来を示唆しているように思えた。


「この会社はまだまだ若いけれど、右肩上がりで急成長しているんだ。今までにない取り組みをする会社だからか、国からの認定という応援もある。そうなっているのも、すべて君たちのように仕事の傍らで会社に貢献してくれる人たちのおかげだよ」

「先輩はこの会社の正社員なんですか?」

「そうだね。最初は君たちと同じようにパートとして入ったんだけど、教える立場に興味を持っていて、そんな折会社側から社員としての正規雇用の話があった。もちろん単刀直入に正社員になれというのはヘッドハンティングになってしまうから、それとなく仄めかした言い方だったけど。当時働いていた職場は正直妥協で生活の為にやっていたところがあったから、ちょうどいい機会だったんだよね」


 まるで過去の先輩は今の自分ではないか。


 ただ、だとすれば先輩は自分の夢を諦めてこの立場に就いたということになる。果たしてそれが先輩にとって良いことなのか悪いことなのかは他人の僕には知ることができない。とはいえこれほどまばゆい微笑みを湛えた先輩が不幸ではないことは確かだった。


「あの……」


 後ろで僕と先輩の話を聞いていた同期のメガネを掛けた女性が控えめに手を挙げた。年齢は僕より年上か同い年くらい。背中まで伸びた艶やかな黒髪とほわりとした柔らかそうな白いニットのコントラストが見事だった。


「なんだい?」

「履歴書には書いてないんですけど、実は私、昔囲碁をやっていたことがあって、できればやってみたいのですが、あとから、その、増やすというのは可能なのでしょうか」


 彼女は恐る恐るといった感じで進言する。メガネの奥で大きな瞳が左右に忙しなく動く。


「あとから増やすことは可能だよ。でも」


 ふぅっと肩を落とし、ため息ひとつ。


「履歴書にすら書けない、もしくは書き忘れてしまうような特技や夢だから、結局その程度のものなのでは?」


 先程までほがらか一遍通りだった場の空気が変わった。暖かだった空気に少し汗ばんでいた体に氷のような冷ややかなものがまとわりついてきて、背中がビタビタに濡れたまま凍っていくのがわかった。その冷たさの原因は先輩の、同期に向けられた眼光によるものであった。


「あ、アマチュア初段です」


 絞り出すように、また、反論するような口調で言う。


 囲碁の世界はよくわからないが、初段というのはすごいことなのではないか。僕の特技や夢なんかよりも、彼女の夢の方が才能を開花させる確率が高いのではないか。なぜなら僕の夢には段位がない。明確にこのくらい凄いという目安がない。だから夢も腐らせたままぶら下げて引き摺ってきたのだ。ズリズリと引きずられてきた夢を見下げて思う。この夢はこんなにも土にまみれた汚い色をしていたか。こんなにも傷付いてガサガサとささくれ立っていたか。ローゲージのウールニットのようにチクチクして、手で持っていることさえもが嫌になるものだったか。たまに手にしてまじまじ見ても、見た目にグロテスクで、手が痒くなってしまって、やはりそこらへんに転がしてしまう。


 もしも僕の夢にも段位があれば諦めずに続けられたかもしれない。初段なら来年までには二段になろう。そのまた来年には三段になって……頑張って夢を諦めなければいつか叶うんじゃあないかと。


 この彼女は同じように考えられなかったのかもしれないが、とはいえ初段になる為に頑張ってきたのだ。大いに賞賛に値する誉れ高き努力によって研磨されてきた夢なのではないだろうか。

 だがしかし、先輩の表情は一向に緩まず、相も変らぬ冷たさで同期を見つめている。


「この部屋で囲碁を打っている方々は、全員元院もといんだよ」

「え!?」


 彼女は心底驚いたように大きな瞳をしばたたかせ、半歩引いた。のみではその衝撃を受けきれなかったのか、よろめいて壁に手をついた。


 僕はと言えばモトインの意味が分からず、ずっとビジネスホテルからわらわらと出てくる棋士たちを想像していた。


「少なくともプロを決める、もしくはそれに関わりのある大会に出て結果を残せるレベルの人じゃないと、4週間での研修期間ではとても間に合わない。確かにここには中途半端な人が集まってくるけれど、低レベルである事と中途半端であることは同義ではないよ。ここにいるのが全員元院と聞けば、わかってくれるね」

「はい。もちろんです。私が勘違いしていました。すみませんでした」

「いや、君に謝らせたかったわけじゃあないからね。わかってくれればいいんだ。その分、自分の得意分野に力を発揮してくれればね」


 とても割って入る状況にないことは容易に認識できたが、なんだかよくわけのわからないうちにこの二人の会話が収束点に到達してしまうのが納得できなかった。


「あの」


 口を挟んだ僕に二人が振り返る。


「モトインってなんですか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る