第02話 中途半端な才能を探しています
いつからか、物心がついたときにはもうすでにスタートを切っていた。おそらくあるのであろうゴールへ向かって。タラタラと歩いていると、周囲には同じように歩いている人たちが居て……ああこれはウォーキング大会なのだと遅まきに悟るのだ。そうしてまたタラタラと歩いていると、給水ポイントに置かれたテレビの中のアナウンサーが言うのだ。
「A選手が今、トップでゴールインしました。後続も次々とゴールしています!」
一瞬呆気にとられて、そうしてまた悟るのだ。
これはウォーキング大会などではなく、マラソン大会だったのか。一緒にスタートした人たちは皆一生懸命ゴールを目指して走っていたのだ。
知らなかった。
知らなかった?
目の前を猛スピードで通り過ぎていく人を、そういえば一人も見なかっただろうか?
いたような気がする。いや、明確に目にしていたのに、見ないふりをしていたのだ。あまりにもスピードが違うから。自分はウォーキング大会に参加しているのだから。
でも実際は違う。
同じスタート地点からなのに、もう一瞬で届かない場所まで走って行って
「僕は幸せになりました!」
と、テレビ越しにゴールしたことをお知らせしてくるのだ。自分より遅くスタートした人が、さっさと自分を追い越して、まるで遠くの世界の人みたいに、僕の知らない笑顔で語るのだ。
それを思い知ってなお、走ろうとはしなかった。なぜならもうすでに結構クタクタになってしまっていたから。
あんなに速く走れる人には、タラタラ歩いているだけの人間がなんでこんなにクタクタなのかさっぱりわからないだろうけれども、とにもかくにも疲れたのだ。
その上、周りを見てみても、走ろうという人間が誰一人として居ないのだ。
あるいは居たかも知れないが、すぐに失速してまた同じ人たちと一緒に歩いているのだ。
これ、マラソンだったんですよ、実は。とは誰も言わない。誰も言わないから自分も言わない。
だが、それに関してただ一人僕に向かって助言をする人がいた。その人は僕がスタートするよりもずっと前にスタートしていて、ヘトヘトに疲れていて、腰をさすっている50歳くらいのおじさんだった。
「君はまだ20代なんだろう? 二十歳では無いとは言え、まだまだ20代。これから走ればまだ間に合うよ。おじさんはもうダメだ。ヘトヘトで腰が痛くて、もう全く前に進めない。むしろ歩いていること自体奇跡みたいだ。ゴールまでたどり着けるかわからない。君にはそうなってほしくはないんだ。今まだ体力があるうちにさあ早く走り出すんだ」
ただならぬ善意であった。
見ず知らずの僕なんかの為にそんなことをわざわざ言って頂いてありがとうございますという社交辞令に付け足した笑顔が、ヒクヒクと引き攣ってしまうほどに耐えがたい善意。
そんな善意の塊が、容赦なくぶつけられて、受け身も取れない。痛い。
ただでさえ動きが鈍くなった心と体が、軋んで、呼吸が、乱れてしまう。
知っていた。
このままではきっとゴール叶わぬうちに今よりも歩くペースは落ちていっていつかは動けなくなる。
嫌だ嫌だと頭で嘆き、無理だ無駄だと体が呟き、終わりなど早く来てしまえと心が切望している。
でもだからと言って、自分自身を嫌いきることができないのもまた事実で、この現状を誰かのせいにしたくてしょうがない。
自分のせいにしてしまったら、自分自身がこれ以上に死んでしまう。歩けなくなってしまう。
だから思うのだ。
そもそもウォーキング大会だったのに。と。
あいつらが、先にゴールした奴らがおかしいのだ。
だってそうだ。
僕の周りにはこんなにもタラタラと歩いている人がいる。
あいつらがマイノリティだ。
いつだってこの世の中はマイノリティを淘汰してきたじゃあないか。
どうしてこういう時に限ってマジョリティが否定を受けて攻撃されるのだ。
あいつらが目立ちたいから、あいつらが風紀を乱して、あいつらが自分勝手にゴールしたのだ。
あいつらのせいで、僕たちのウォーキング大会が滅茶苦茶だ。
しかし責任を取るべきあいつらはもうとっととゴールしてしまっていて、こちらの声は届かない。
そのくせあいつらはテレビを使って次々と聞かせてくるのだ。一方的に。攻めてくる。
知っている。
彼らには敵意がないことを。それがことさらに腹立たしいのだ。
惨めになるのだ。
彼らの
「走り始めるのに“遅い”はない!」
というエールが、優しさが、より一層自分の汚い部分を、底の方に沈んでいる泥をつついて、かき混ぜて、透明に見えていたはずの水槽を茶色く、一層汚さげにしてしまうのだ。
せめて彼らから向けられるものが優しさではなく敵意であれば、堂々と敵対できるのに。
僕の水槽も彼らと同様に透明に見えるのに。
そして、敵意がない、敵じゃあないということをずっと認識し続けているせいで、彼らはいつしか目立ちたがりの自分勝手なあいつらではなく、ただの地位と名誉を獲得した尊敬すべき存在として心の中に住処を作るのだ。
自分の心なのに、他人が住処を作る違和感。でもその違和感も一瞬のことで、すぐさまそれは当たり前になってしまった。彼らがホームランを打てば、アタックを決めれば、記録を更新すれば、勝てば、一緒に喜ぶ。彼らが打てなければ、決められなければ、更新できなければ、負ければ同じくうなだれて今日のビールが少しだけ不味くなる。
そうしていつしかこう思うのが当たり前になるのだ。
そもそも彼らとは違う競技をしていたのだ。と。
彼らはマラソン大会をしていて、僕たちはウォーキング大会をしていた。
そこにはマイノリティもマジョリティもなく、彼らの走りは称賛に値し、我々の徒歩も決して悪いものじゃあないのだ。我々にはそもそもゴールなど存在しないのに、同じ方向へ向かって歩いてゆけるのだから。
ああ、そうか。
彼らが敵対してこなかったのは、初めからそれをわかっていたからなのだ。
なんて寛容な。
敵意だなんて、そんなことを思う自分が間違っていた。
浅ましかった。
あまりに不寛容だった。
これからは給水ポイント毎に見るテレビを楽しみにしていればいいのだ。
また新しくゴールする人間を。
そうやって、どこか割り切って、てい良く人生を諦めていた。何もかも嫌になって絶望して死にたいとかそういうのではなく、自分自身の才能やら可能性やらというものをしっかり見つめているのに疲れてしまって、どうせこんなものをいつまで見続けていたって、花開くことはない。ただの
もうそんな、緩い絶望を脳みそのすぐそばで飼い始めて、10年。すっかり飼いならされてしまったのは自分の方だった。
今まで何もかも中途半端な人生だったなあ。
これからもそんな人生をずうっと真面目に送るんだろうなあ。
そう思いながらも普通に毎日はトロトロと流れていく。
僕はいつも通りに仕事を終え、いつも通りのスーパーによって、いつも通り帰宅した。
また、シャワーを浴びて、テレビをつけて、お惣菜を開けて、ビールを空けるのだ。灰色に濁った幸せの中で、意識が遠のいていって、いつの間にかカーテンが明るくなっていて、寝癖を直して歯磨きをして仕事に出かけるのだ。
だがしかし、その日はいつもの当たり前の日常ではなかった。
アパートの郵便受けに一通の広告が挟まっていた。
電気代や水道代の明細も一緒に挟まっていたが、その広告だけが、スポットライトを浴びているかのように輝いて見えた。
時々、こういう現象はあった。
買い物をしているとき、本当にほしいものは、どんなに遠くからでも、見えにくい場所に置いてあるものでも、そこだけがスポットライトを当てられたように輝いて見えたのだ。
この広告はまさにそれだった。自分が必要としている広告なのだ。
僕は広告に目を通した。
「中途半端な才能を探しています……?」
なんだそれは。
逸材を探せよ、まずは。その後にその逸材が中途半端になっていくものだろう。
ともあれ、広告の内容は、こうだ。
中途半端な才能を探しています。
あなたの諦めてしまった夢、昔得意だったこと、人よりは少し上手だけどプロになるほどではないことなどはありませんか? 我が社ではその『中途半端』の方々を育成し、プロにします。4週間ほどの研修期間ののち、試験を受けて頂くだけの簡単なもので、その間の給料は保障いたします。ただし、現在就職中の方は、事前に副業が可能な企業様かどうかを調査させていただきますので、面接の際に申し出てください。副業NGの企業様の場合は、我が社に入社していただくことはできません。また本業としての就職もお奨めしません。あくまで副業としての入社をお奨め致します。
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