第11話 これからも、わたしと でも、実は
1.
2日後。翔一はぐっと伸びをすると、病院を出た。
今日は平日なので、なんでもやる課の面々は業務中。兄弟姉妹――ああ、ユンがいるけど、学校だ――はおらず、両親というか父親は例のトラウマの元凶である。つまり付き添いもお迎えも無しということで、身軽と言えば身軽だな、と自嘲した。
向かう先は職場である。明日田からもヴィッサリオからも、午後を休んだらどうかと勧められたのだが、出勤することにしたのだ。
入院でなまった身体をリハビリがてら、職場まで歩く。生温い風と排気ガスが頬をなぶる中、30分ほどで到着した。
「あ……! マルくん!」
外の水道で作業用具を洗っていた津美零が勢いよく立ち上がって、それでも律儀に水道を止めてからこちらに駆け寄ってきた。
「お帰り。ちょっと、話があるんだけど」
「おう。まあ入ろうぜ」
「う、いや、その……ちょっとそこで」
とか言いながら、器具庫の中まで連れてこられた。
「なに? どしたの?」
モジモジする女子というのは、可愛いものだ。津美零は普段さっぱりした言動なだけに、なおさら。こういうのをギャップ萌えというのだろうか。
「あ、あのね……お願いがあって……」
「うん?」
「ミルは、翔一さんって呼んでるじゃん?」
……なんの話を始める気だろう?
「イリューシュは、呼び捨て」
「はあ」
「きょ、共通して、ほら、下の名前なわけで……」
ああ、そうか。翔一は微笑んだ。
「そうだな。ユンは家ではショーちゃんだしな」
「嘘?!」
「ウソ」
蹴るなよ同期よ。太もも見えたぞ。訴えられるから言わないけど。
「んで?」
「だから、翔一君って、呼んでいいかな?」
「いいよ。そんなの断らなくても」
「でも、嫌だったら……」
しようがねぇなあ。翔一はとりすました表情を作った。
「オホン。では、特別に差し許しましょうぞ」
「……どこの姫君よあんた」
調子が戻ってきたようだ。と思ったらすぐ、またモジモジしだした。
(今日はどうしたんだ? 様子がおかしいぞ?)
翔一が黙って首を傾げているのを催促と判断したのだろう、津美零はやや慌て気味にしゃべり始めた。本当にかつて見たことのない早口で。
「で、でね、ミルはミルだし、イリューシュはイリューシュだし、ユンもだし」
「……そりゃそうだな」
「ああいやそういう意味じゃなくて、あの、わたしも……」
皆まで言うなと手で制し、翔一はにっこり笑った。
「分かった」
「う、うん」
「菱って呼べばいいんだろ?」
「チッガーウ!!」
だから蹴るなよ。太も(略)
「どこ見てるんだぁこら!」
「太もも」
「この……この……」
がっくりうなだれて、津美零は背を向けた。
「もういいよ……」
「津美零さん」
ピタッと止まり、クルッと振り向く。流れるような仕草に思わず笑ってしまい、にらまれた。でも、津美零の眼も笑っている。
「ありがとな。俺がやられた時、敵に踊りかかったんでしょ?」
「なななんで知ってるの?!」
ユンが教えてくれたとチクる。
「お礼に缶コーヒーでよかったら、おごるけど」
津美零の機嫌はたちまち回復したのであった。
作業用具の手入れに戻ると言う彼女に手を挙げて、後ろ姿を見送る。
(なんか、疲れてんな……大丈夫かな?)
そう考えながら庁舎内に踏み込むと、今度はイリューシュと遭遇した。見るからに旅支度を着込んでいる。
「どうしたんだそんな格好で」
「あ! ああ、戻ったのか。ちょっと魔界に修行に行ってくる」
「そうか。お前のことは忘れないぞ」
「永遠の別れみたいに言うな!」
聞けば、治癒魔法の習得に行って来るらしい。
「なんでだ? ユンがいるじゃん」
「1回戦闘をしたら神通力切れしてる奴を頼るな。それに、ユンは魔族を治せない」
「ふーん……イリューシュらしくないな。治癒魔法なんていらんとか言ってなかったか?」
そう言ってみたら、なぜか動転し始めた。
「そ、それはその……ミル、そうミルが怪我したら困るしだな、それに、その……」
「なんだよ」
なぜにらむ?
「お前は大事な装甲なんだから、怪我をされると手柄が挙げられないではないか!」
「そっか、それもそうだな」
治癒してもらえる選択肢が増えるのはいいことだしな。そう言ったのに、今度はモジモジしだした。
(こいつもかよ)
なんだか翔一に対して見せる態度が、先日までと違う気がする。そう考える間もなく、イリューシュのモジモジがやっと止んで、
「そういえば、このあいだはありがとう」
「? なんかしたっけ?」
「え? いや、その……わたしが奴に蹴られた時、怒ってくれたから」
「ああ、当然だよ」
翔一はなんてことなさを前面に出して、即答した。
「だってお前、魔界で婿探しするんだろ? 傷物になったら大変じゃん?」
「えっ?」
「えっ?」
問い返されてそのままお返しすると、イリューシュはまた動転し始めた。
「そ、そうか……そうだよな。ははは……」
どことなく気落ちしたようにも見えたがすぐに持ち直して、イリューシュは右手を差し出した。
「ま、これからもよろしく頼むぞ。装甲君」
その手を握り返して、
「そういやさ、さっき菱……じゃない、津美零さんから名前のことめっちゃ言われたんだけど、お前らなんか言ったの?」
――なんだねその目つきは?
「ほう……あいつ……」
その目が出入り口の彼方を見越している気がして振り向くと、見込みどおりだった。すると突然、脇に鋭い痛みが!
「うぉっ!? なんだよ!」
「なんでもない。まあ精々刺されんようにな」
「誰にだよ」
「そこにいる挙動不審な首長族にだ」
イリューシュが親指で指し示す背後には、執務室出入り口からちょろちょろ顔を出すミルがいた。確かに首が伸びてこっちを凝視しているように見えなくもない。
「じゃあな。行ってくる」
「おう、気をつけてな」
そういえば、魔界ってどうやって行くんだ?
ヴィッサリオにでも訊いてみるかと考えて、執務室に向かう。その前に、
「ただいま」
「お帰りなさい、翔一さん」
笑顔のミルと当たり障りの無い会話を交わしながら執務室に入るが、ヴィッサリオも明日田もいなかった。いつの間に淹れたのやら、ちょうど飲み頃のお茶を一口すすった時、翔一は違和感を覚えて小首を傾げた。
「どうかしましたか?」
と目ざとく気付いて問いかけてくるミルに、ちょっと申しわけなさそうに頭を掻く。
「いやなんていうかさ、ミルさん、ちょっと感じが変わったなって思ってさ」
「そうですか?」
そう微笑むミルは、端的に言えば『妖しく』なった気がする。丁寧な言葉遣いも、さっき一緒に歩いていただけの仕草も。
そう率直に告げたら、柔らかく笑われた。
「父にも言われました。『潤いがあるのは良いことだ』って」
「潤い……?」
なんだろう、それ。
でもそれを問う前に、機先を制せられた。
「わたし、この世界で暮らしていく以外に、もう一つ目的ができたんですよ」
「へえ、なに?」
また笑う。大輪の花が開いたような、艶やかな笑みだ。
「ふふ、いずれお教えしますね」
というわけで、と継がれた言葉とともに、突然翔一の両手を握られた。
「また、その……」
「うん?」
なんか既視感のある表情から、かつて聞いた始まりの声が放たれた。
「これからも、わたしとケッコンしてくださいッ!」
「お、おう。よろしく」
津美零のお茶を淹れると言って、ミルは水屋に戻って行った。
(そこは吹っ切れたのか。だから雰囲気が変わったのかな?)
まあいいや、理由を教えてもらえるみたいだし。
2.
ミルは湯船の中で、溜息をついていた。
翔一には気付かれなかったようだ。だが鈍いようで意外に勘の鋭い彼のことだから、いずればれてしまうだろう。
サキュバスの血。彼女の中で、それに対する好感が嫌悪を上回りつつあることを。
「だめよ……ダメ……」
思わず身を揉んでしまうのは、夕方の帰り道に見かけた男性に食指が蠢くのを必死に抑えているからだ。
なかなかにいい男だった。精力もありそうだ。つまり、いっぱい搾り取れる――
「だからダメだってば!」
そう自分に向かって叫んで、思わず鼻まで沈んでしまった。誰が見ているわけでもないのに。
もちろん、不特定多数なんてとんでもない。向けるべき好意――いや、狙うべき獲物はただ一人。
午後に翔一に話した父の言葉には、続きがあった。
『狙いを定めたら、制御しなければいけません。さもなくば私のように、失敗してしまうでしょう』
思い返しながら、自らの肢体をゆっくりと撫で回す。熱を帯びている部分を確かめるように、そっと。
「魅了は、効かないのよね」
ならば、別の方法……といっても、専門学校に再入学する気はないけど。
いっそのこと、媚薬でも混ぜようか? 翔一に供する食事に。彼なら何も気付かず食べてくれるだろう。
「ああでも、効き目が遅れてユンちゃんに発情しても困るかな……」
やっぱり、薬ではなく自分自身を使う方向で行こう。まずは津美零との差を埋めないと。
方針を定めたミルは身体を洗うべく、湯船を出た。
幸い、イリューシュはしばらくいない。一人で考える時間ができたのだから。
相談ができることでもないし。ミルはくすりと笑った。
3.
イリューシュは一路、修行の地である病院へ向かって歩を進めていた。治癒魔法の効果を試すには、『修行』というイメージとは違って人口密集地でせねばならない。
道往く人々の注目をそれなりに浴びているようだが、気にしない、いや、気にならない。
わたしは、この世界を守るために戦っているんだ。
その高揚感のまま病院へ行き、明日田が書いてくれた紹介状を事務員に手渡す。胡散臭げな目つきのまま事務員が奥に下がったので、待合室で病人に混ざって待つことにした。
ふと、壁取り付けのブックスタンドに目が行く。そこには、例の元許婚が表紙を飾る雑誌が置いてあった。
営業スマイルバリバリの彼の横には、これまたいかにも作りました感がぬぐえない笑顔の女。噂のお相手だろう。
手に取るのもばかばかしい。イリューシュは鼻息を一つ鳴らすと、背もたれに背を預けた。
そうだ。もっと功績を挙げて、婿を探すんだ。
意気揚々とした思考は、異物によって邪魔された。今の彼女と同じことを言った、あの真変態の顔だ。
「……ふん。そうだ。お前は装甲だ。わたしを護るために存在するんだ」
そうつぶやいてみても、あの時のドキドキまで消えない。
オーガナイザーを斃して一息ついた時に来たフラッシュバック。彼女への狼藉に彼が怒ったあの声を思い出した時の胸の鼓動が、今またじんわりと彼女を息苦しくした。
「お前は装甲だ……お前は装甲だ……」
傍から見れば意味不明なつぶやきをブツブツと繰り返す青髪の不審者は、幸いにも通報されずに済んだ。病院の理事長がすっ飛んできたのだ。
顔に見覚えがある。かなり高位の貴族のはずだが、額にうっすらと汗を滲ませ、しかし理事長としての威厳は取り繕おうと努力するさまは、正直なところ小物感溢れている。
(さすが明日田殿、すごい威光だな……)
応接室に案内されながら、思考を切り換えた。
やることはやらねばならない。明日のために。
4.
自宅に戻ってぐったりと、津美零はベッドに倒れこんでいた。
翔一に2つもお願いをしてしまった。その難行で精神が磨耗しきってしまい、彼女のライフはゼロに近い。
「よかった……嫌われなくて……」
大学の時の苦い思い出が蘇ってきて、彼女を責め苛む。
このままでは本当に衰弱死してしまう。彼女はアルコールという逃避を遂行するため、ズルズルとベッドから滑り落ち、床をのったりと這った。
とても彼には見せられない。そんなことも考えながら冷蔵庫にたどり着き、無事にサワー缶を開ける。ぐっと一飲みして落ち着き、冷蔵庫の扉にもたれて天井を仰いだ。
「今日も美味しかったな、ミルのご飯……」
それは、警戒警報とともに彼女の脳裏に記憶されていた。
彼女は他人の動向に敏感である。声色も仕草もしっかりキャッチして意味を読み取ることは、もはや息をするように彼女の生活に根付いている。
そのセンサーは、ミルの変化を捕捉していた。翔一を見る目や声色が変化したのだ。明らかに、恋する女のそれだ。
負けたくない。そう思った時、津美零は愕然とした。なぜなら、ミルの料理が美味しかったから。彼女が同じものを作っても、勝てないから。
そして悟らされたのだ。自分がいかに無難な女なのかを。
顔は(やや自惚れ込みで)互角だと思う。
スタイルはボロ負け。今までの情報収集で、翔一は胸やお尻が大きいほうが好みと判明している。津美零もミルの登場までは密かに自信があっただけに、でも埋めようがない現実に諦めしか沸かない。
家事は料理以外ならなんとか。
「でも、胃袋を握られるのはなぁ……」
そういえば、イリューシュも様子がおかしかった。翔一のお見舞いに行った時だ。何かを言い出しかねているような仕草と赤らんだ頬が津美零の警戒レベルを引き上げていた。
治癒魔法の修行だって、ミルや自分のためだとか早口でまくし立てて、ミルやヴィッサリオから温かい目で見られていたし。
「ユンちゃんだって……」
『兄妹ごっこ』がいつの間にやら『兄妹の許されない過ちごっこ』にならないとは断言できない。
「翔一君、あんなだしなぁ……」
際どいトークが苦手な彼女としては、フルオープンなユンはまさに異世界人だ。正直、あの明るさがうらやましい。
「あたしは、どうしたらいいんだろう……」
そう、彼女には、他の3人に逆立ちしても追い付けない事柄が1つあった。
彼女は翔一と一緒に戦えないのだ。
格闘技なんて習ってない。
魔法はおろか、剣術も使えない。
空を飛ぶ? またまた御冗談を。
このままでは、とうてい勝ち目がない……でも、どうしたら……
サワーをチビチビ飲みながら、津美零の思考は渦を巻いた。
5.
また、明日から通常の業務が始まる。翔一は布団の中で、まどろみながらこれからのことを考えていた。
もう一人くらい実働部隊が欲しい。できれば男性を。明日田とヴィッサリオにそう要望して、検討事項に加えてもらった。女性陣に力仕事を任せるには無理があり、翔一不在時の業務に支障が生じたのだ。
魔族でもヒトでもいい。事情を理解して、魅了が効かなくて、業務と戦闘もこなして……
(いねーよなぁ、なかなか)
不在時といえば、敵はオーガナイザーの新手を繰り出してきてはいないようだ。街は平穏そのものだった。
またいずれ装甲として、彼女たちとともに戦う日々がくるのだろうが、
(つかなんで、うちの街だけ襲うんだ?)
敵に尋ねてみたいことはもう一つある。
なぜ、あんな程度なのか。
顕獣人がやっていることといえば、通行人を襲うか器物損壊。怪我人こそ出ているが、はっきり言って迷惑犯罪でしかない。
世界の混乱と体制の転覆を狙っていると明日田は言っていた。その彼をしても、敵の出方には首をかしげているのだ。
(オーガナイザーは殺しちまったしな……)
あの念波を防ぐ手立てを研究するとヴィッサリオは請け合ってくれた。実際あれさえ防げれば、ミルとイリューシュでオーガナイザーを捕縛できるだろう。
このあたりでいい加減考えるのも飽きてきて、眠りの中に引き込まれようとしたのだが――
(重い。なんだこれ?)
身体の自由が利かない。翔一は先日ミルの姉妹から受けた行為を思い出した。
(重い。けど、あの時の香りと違う。だからあの人たちじゃない。まさか……ミルさん?)
ゆっくりと眼を開けたら、掛け布団の縁を両膝で押さえ込むようにして翔一にまたがっていたのは――ユンだった。こちらが開眼したのに気付いて、手を布団についてきた。見るつもりはなくても、Tシャツの襟ぐりからのぞく胸に視線が吸い寄せられる。
(んー、中学生相応だな……いや問題はそこじゃなくて)
何をしてるんだ。そう問いかけようとしたが、妹のほうが速かった。
遮光カーテンの隙間から入ってくる街灯の光を反射して、きらめく瞳。その興味津々と言わんばかりの顔についた唇が動く。
「お兄ちゃん」
「なに?」
ユンの唇は、ゆっくりと横に広がった。
「実は女の子、嫌いでしょ?」
(続く)
わたしと兵殻外装してくださいッ!! タオ・タシ @tao_tashi
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