義理と猫情、渡世の仁義
第1話
『ミミコ! 死んじゃうからね? このまま放置されたら僕ここで凍死するからね?』
冬休み。帰省した生徒も多く、寮は昼間でも人気が少なくなっている。だからと言うわけでもないが、自分を訪ねてくる人がいるなんて私は考えても居なかった。窓の外からの悲痛な声に気付くのが遅れたのは仕方のないことだと思う。
声の主であるギスケは猫なので、訪ねてくる人がいないという点で、予想は当たっていたのかもしれない。
台詞の内容から察するに、ギスケは随分前から私を呼んでいたらしい。
慌てず騒がず携帯ゲーム機をスリープさせて、私は耳につっこんでいたイヤホンを抜いた。布団からもそもそと抜け出すと、箪笥の二段目からギスケ用バスタオルを取り出す。それからやっと、窓を半分だけ開いてあげた。
暖かい空気が一気に逃げて行く。冷たい風に撫でられた首を、思わずすくめた。
ギスケが部屋の中へ入ったのを確認して、素早く窓を閉める。
本当は茶トラであるはずのギスケが、雪のせいで白の斑になってしまっている。
「すぐ拭くから、動くな」
体についた雪を振るい落とそうとするギスケを睨みつける。
『二十分近くも無視しておいてその言いぐさ。ミミコはもうちょっと友猫を大事にするべきだと思うよ』
ぶちぶちと文句を垂れるギスケだけれど、私がバスタオルで体を拭ってやるのに大人しく従がってくれている。ここら辺、意思の疎通ができることを有難いと思わなければいけないのかもしれない。
「事前に連絡があれば、猫缶くらい用意する」
『僕は君らと違ってメールとか電話とか使えないの。それとも僕用に携帯電話を契約してくれる?』
「壊さないように気を遣って生活するつもりがあるなら」
『そりゃ無理だ』
私は小声で、ギスケは遠慮なく軽口を叩く。この寮の防音性の悪さは住人なら誰でも知っていることだ。寮生が何人残っているのかは知らないが、黒川深美子が猫と話していた、なんて噂が流れるのは勘弁願いたい。
「それで、何の用?」
『用が無いと会いに来たら駄目だったかな?』
この猫、いつか縊り殺してやろうと思う。出会った時に言っていた事を信じるなら、あと五回くらい殺してもまだ生きているはずだ。
私の発する不穏な気配に気付いたのか、ギスケは尻尾を一度大きく振って、話題を変えた。
『今日はちょっと、通訳を頼みに来たんだ』
「通訳……」
『そう。町内会に出てこない幽霊と話をつけなきゃいけないんだけど、彼女、ミミコと違って猫の言葉が分からないらしいんだよ』
どこから突っ込めば良いのかわからず、私は一瞬言葉に詰まってしまった。けれど、とりあえず一番気になったところから攻めることにする。
「いるの? 幽霊」
『猫又がいるんだから、幽霊だっているさ。他の化け物もたくさんね。それこそ、町内会が作れる程度には』
化け物とかいう割に町内会を作っているなんて、随分と平和的だ。
『ミミコなら参加資格十分だよ。入る気ない? 化け物の町内会』
「やだ」
『人間が入ってくれるといろいろ便利なんだけどねえ。ミミコなら訓練次第で動物以外の声も聞こえるようになると思うし』
今でさえ携帯音楽プレイヤーが手放せない私に、これ以上何を聞けるようになれと言うのか。どうにも、ギスケと私では価値観が違って困る。
『ま、そっちは良いよ、あんまり深く考えなくて。通訳、頼まれてくれる? たぶん一時間かからないと思うんだけど』
「幽霊の人は、近くにいるの?」
寮が併設されていることからも分かるように、この学校は交通の便が良いとは言えない立地だ。それでもおんぼろ木造寮……通称お化け屋敷で暮らすよりは、自宅通いやアパート暮らしを選ぶ人の方が多いのだけれど。
私の疑問に答えるように、ギスケは尻尾で天井を指し示した。
『近いよー。目的地はここの二階。二一〇号室だ』
訂正。通称どころか、そのものずばりお化け屋敷であったらしい。
しかし、その部屋番号は何かの間違いではないだろうか。
「二一〇号室は、小宮山春子さんの部屋」
入居者の少ない翔学寮である。どの部屋に誰がいるのか、ということくらいはさすがに覚えている。小宮山さんとは昨日お風呂で会ったから、帰省組では無いはずだ。
『ああ、同居人がいるって話は聞いてる。僕がこっちの尻尾で幽霊だけを呼び出すから、ミミコは五分ほど世間話をしてくれれば良い。本格的に交渉に入るのは、ミミコの部屋に戻って来てからだ』
ギスケは尻尾をくたりと床に下したままでそう言った。
こっちの尻尾というのは、猫又が持っている二本目の尻尾の事らしい。私には見えないけれど、今はそっちの尻尾を振り回しているのだろう。
自信満々のギスケを見る限り、幽霊を呼び出す方法については、それで問題ないのだろう。問題なのはそっちではない。
「世間話とか、苦手」
自慢ではないけれど、私は口下手なのだ。
『知ってるけど、お願い。僕を助けると思って』
ギスケがちょこんと頭を下げる。そういう態度を取られてしまうと、弱い。ギスケは私の数少ない友人――もとい友猫なのだ。
「……頑張る」
『恩に着るよ』
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