第2話
来るだろうと予想していた、もう一人の妨害者が現れた。
冬原は今年度唯一の女子入寮者だ。やはり今時の高校生にこの環境はハードルが高いらしい。男子寮の方は五人ばかり入ったという話だが、そのうち二人はすでに退寮したそうだ。
私だって、古いくせに悪いものが一匹も憑いていないというかなり範囲の限定された好条件が無ければ、とっくにアパートへ鞍替えしているところだ。
まあ、害の無いものは秋さん含めて結構棲み憑いているけれど。何しろ、私から見ればこの寮に空き部屋は一つも無い。生身の人間が四割を切っていることを除けば満員御礼である。
「春子先輩」
夏希の登場から遅れること十数分。冬原は何故か私と同じように学校指定のジャージを着ていた。手伝ってくれるのだろうか。
いやまさか、それはない。何しろ冬原は、ゴールデンウィーク前の攻防戦で、私にコタツを片付けることを諦めさせた張本人だ。
「頼みがあって来ました」
ほらやっぱり。
冬原は手ごわい。夏希が感情と体で攻めてくるのに対して、冬原は論理で押してくる。そして私は性格的に、相手の言葉に筋が通っていると、弱い。
室内スリッパを脱いだ冬原は、コタツ導入のために運び込んだ四畳半分の畳に正座する。そして、立ちっぱなしだった私に向かって、頭を下げた。それは美しい土下座だった。
「秋絵先輩を私にください」
「いや意味わかんないからね」
視界の端で、赤くなった顔を両手で隠した秋さんが首を振って悶えている。半透明の体なので、あんまり隠せていない。
「あ、失礼しました。つい気が急いてしまいして。コタツを、貸してください。冬までとは言いません。寒くなってきて、春子先輩がコタツを使いたくなったらいつでもお返しします」
少しも慌てたそぶりを見せずに冬原は言い直し、もう一度頭を下げた。
私は冬原の隣に腰を下ろして、肩を叩いてやった。小動物のように首だけを持ち上げた冬原と視線が合う。
「頭を上げなさい、話しづらい。来るのが遅かったのは、部屋にスペースを作っていたから?」
私の要求に応えて体を起こした冬原は、こくりと頷いた。
「はい。久しぶりに床が見えました」
床が見えたというのは、言葉どおりの意味だ。冬原の部屋は魔窟と言って良い。読み終わった本も脱いだ部屋着も出しっぱなし。かろうじて秩序を保っているのは制服や外出着がかかっているクローゼットの中くらいだろう。
こんな短時間でどうにかなるような部屋ではないので、とりあえずコタツを置くスペースを確保するために、邪魔なものをベッドの上に積み上げたと言ったところか。
「厚かましいこととは分かっていますが、どうかよろしくお願いします。鍵は開けておきますので、秋絵さんに会いたくなったら昼でも夜でも訪ねていただいて構いません」
冬原はプライベート捨てます宣言をして、もう一度頭を下げた。コタツの向こうで、秋さんも一緒に頭を下げている。
「流石に冬原は夏ちゃんよりも妥協点を心得てるね」
私の言葉に、二人が思わずと言う風に頭を上げる。秋さんは顔が輝いているし、冬原もどことなく嬉しそうだ。
「でも却下」
がくりとうなだれる二人。
「なんでですか」
「部屋が汚いから」
ぐっと言葉に詰まる冬原。整理整頓という言葉をどこかに置き忘れてきたことを十分に自覚しているのだろう。
「今日からは、ちゃんと掃除します」
「梅雨入り前に掃除を手伝って上げた時にも、同じ台詞を聞いたわね」
あの時はその言葉を心強く聞いたものだけど、今となっては全然信用できない。一週間ともたずに冬原の部屋は惨状という言葉がふさわしい空間になったのだ。
「それに、もしも冬原がこまめに掃除をする子だったとしても断るわよ。一年中コタツを出しっぱなしにして、カビたりしたら困るでしょ」
ゴールデンウィークの時は冬原の説得に折れたとはいえ、梅雨を越えたのだって相当に冒険だったのだ。
「でも、コタツを片付けたら秋絵さんは消えちゃうんでしょう」
「寒くなってコタツを出せばまた会えるわよ」
冬原にしては珍しいことに、鋭い視線を私に投げてきた。
「夏の間は消えてろって言うんですか」
「コタツ布団まで含めて秋さんが憑いてたらどうするの」
はっとしたように、冬原は目を見開いた。
例えば、何か悪いものが憑いていると噂の事故車があるとする。タイヤを替えれば出なくなるのか。シートを替えれば、エンジンを替えれば良いのか。別の車体に中身をそっくり移植した場合は。五、六回に分けて車を構成する全ての部品を交換してしまえばどうなるのか。やってみたことがないから、私には分からない。
「布団を買い替えたら二度と秋さんに会えませんでした、なんて話。私は嫌」
そして、その可能性は低くないと思っている。秋さんは初めて見たときからずっと、コタツ布団に脚を突っ込んでいるのだ。たまに肩まで潜って眠っていることもある。幽霊って寝るのかと、新事実に驚いたりもした。
秋さんは、しゅんとしたように目を伏せた。一回目、春休み前に片付けようとした時、秋さんにこのことは話してある。ただ、夏ちゃんには秘密にしてほしいと頭を下げた。そこは、私のワガママだ。
冬原が呟くようにして言った。
「すみません、考えが足りませんでした」
「まあ、私も理由を言わなかったし」
ぽんぽんと肩を叩いてやると、冬原は小さく笑ったようだった。
「そうですよ。最初からそう言ってくれれば、私だって納得したんです」
「渋々ながら?」
「はい。渋々ながら」
冬原は大真面目な顔で頷く。
「だって、夏ちゃんの耳に入ったら『それでも私は両方取るぜ!』とか言い出すに決まってるもの」
そうして、もしも失敗して秋さんが本当に消えてしまったら、夏ちゃんはその責任を一人で背負い込もうとするに違いない。
「ああ、それは――」
実に言いそうですね、と続いた冬原の声は、別の台詞に押し流された。
「話は聞かせてもらった! それでも私は両方取るぜ!」
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