第37話 P

 琵琶湖の水を全部抜こうと盛り上がり、それを阻止したダイダラボッチに日本中が騒然となったあの日から半年が経った。

 

 あの時は大ブームとなったダイちゃんも、今となってはほとんど話題にあがることはない。世間は常に新たな刺激に飢えているし、実際、その後に日本を襲った前代未聞の大寒波に人々の関心はすんなり移っていった。


 ちなみにその大寒波は東京でマイナス10℃、沖縄ですら観測史上初のマイナス2℃をもたらし、各地の積雪量はどこも過去の記録をあっさり塗り替えている。

 この事態に世間は自然界のバランスが大きく崩れ始めているだの、ついに地球が氷河期に入ったのだと騒ぎ立てたが、大島の考えは違う。

 

 大島は、この大寒波もまた滋賀県の仕業ではないかと疑っていた。

 

 何故なら冬に降った大量の雪のおかげで、春には琵琶湖の水位が新野洲川の出来る以前のレベルにまで回復したからだ。

 新野洲川からの流出により、琵琶湖の再進撃には五年以上はかかると思われていた。それがまさかたった半年で回復してしまったのである。

おまけに滋賀県は琵琶湖の水量が減っても、水の都・京都計画を延期しなかった。それはまさに気候を操るのも可能だからなのではないかと大島が疑うのも無理ない話だろう。

 

『いやいやいや、さすがのホタルたちでもそんなことは出来ないにゃー』


が、完成したばかりの水の都・京都を小舟で遊覧しながら、ホタル・コウヨウは美富士の抱えるタブレットPCの中からあっさり否定してきた。


「そうですか。でも、だったら何故、京都の水の都計画を延期しなかったのです? 大雪が降ったから良かったものの、例年通りなら延期せざるをえなかったはずですが?」

『だって仕方なかったのにゃー。咲と心が京都をぎゃふんと言わせるこの絶好のチャンスを不意にしたらあかん、ここで延期なんぞしたら逆に笑われるって言って聞かなかったのにゃー』


そんな困ったふたりは大島たちは別の小舟に乗って「ザマァ見さらせ京都!」「ずっとバカにしてきた琵琶湖に沈んでいい気味だわ」と仲良く高笑いをしている。

まさに京都にコンプレックスを持つ滋賀県民の代表なふたりであった。


「なるほど。ではこれはあくまで天が味方してくれたから、としておきましょう。で、ホタル県知事、これからどうするのです?」

『どうするとは、どういう意味にゃ?』

「とぼけないでください。PK計画ですよ。やはり神戸ポートピアを目指すのですか?」


 大島としては至極真面目に尋ねたつもりだ。

 が、美富士とホタル・コウヨウは一瞬不思議そうな顔をすると、やがて大声で笑い始めてしまった。

 

「ちょ、ちょっと。どうして笑うんです?」

「えー、だってぇ大島さん、いきなり神戸ポートピアとか言い出すんですもん」

「え? いや、あれ……もしかしてPK計画のPって神戸ポートピアではないんですか?」

『全然違うにゃー。いやーさすが大島にゃん、笑わせてくれるにゃー』

「いやいやいや、違いますよ。これは島介さんが言っていたことで――」


 大島は必死になって弁明する。なんてこった。島田島介の言うことを信じてあんな番組までやったというのに、実は全然的外れだったなんて! しかもこうして余計な赤っ恥までかく羽目になるとは……島田島介マジ許さん!

 

『うにゃー、笑ったにゃー。とにかく大島にゃん、ホタルたちは神戸はおろか大阪も狙ってないから安心するがいいにゃ』


 大島が言葉を重ねば重ねるほど笑い転げるふたりだったが、やがて笑い疲れたのかホタル・コウヨウが労うように言った。

 

「そうなのですか? ではPK計画は?」

『あれはもう無事成功で終わっているにゃんよ』

「え?」


 PK計画が成功で終わっている? 

 ホタル・コウヨウの言葉に、ふと大島の脳裏に『琵琶湖の水を全部抜いてみた! 初回生放送スペシャル』の収録直前に交わした会話が蘇った。

あの時は気が動転していて、何と言われたのか今の今まで思い出すことが出来なかったが、改めて考えるにあの時、ホタル・コウヨウはこう言っていたのではないだろうか。

 

 ここまでほんとにありがとにゃん。   

これでようやくPK計画も終わりを迎えることが出来るにゃん。

     

「……ホタル知事、PK計画とは一体なんだったのですか? Pは一体何を示していたのですか?」

『うーん、まぁ大島にゃんなら上手く誤魔化してくれそうだから教えてあげるにゃ。美子、今はどのあたりにゃ?』


 大島の質問に、ホタル・コウヨウはおかしなことを美富士に尋ねた。

 今はどのあたり……とは何か、Pは動くものなのか? 移動する謎の点Pなのか?

 

「そうですねぇ、多分、湘南あたりじゃないですかねぇ」


 しかも滋賀県からは遠く離れた、神奈川県は湘南と来た。

 

『だそうにゃ。大島にゃん、明日は湘南に行ってみるといいにゃよ。そうすれば自ずとPK計画がどういうものだったのか分かるはずにゃん』


 ホタル・コウヨウがタブレットPCの中で猫耳をぴこぴこ動かせにんまりと笑った。

 


 

 

 翌日。

 言われた通り、大島は神奈川県の茅ケ崎にやってきていた。

 湘南と言われてもエリアは広い。が、その中でも一番有名なのは、やはり茅ケ崎だろう。まだ海開きには早いものの、海には何人ものサーファたちがぷかぷかと浮かび、良い波が来るのを待っているのが見える。

 

 湘南に行けばPK計画が何だったのか分かる。

 

 確かに昨日、ホタル・コウヨウはそう言った。が、実際に来たものの、なんのことだかさっぱりだ。滋賀県と湘南が一体どう結びつくのか、まるで分らない。

 

「きゃー!」


 考えを巡らしつつ海を眺めていると、女の子のサーファーがボードから落ちて波に飲み込まれるのが見えた。

 まだ初心者なのだろう。一緒にいた男性が笑いながら、女の子に手を貸して起き上がらせる。

 ここではよく見かける光景だ。キャッキャッと笑い声が絶えない会話も、わざわざ聞き耳を立てるようなものではない。

 

「そういえばー、湘南の海は青春が溶け込んでいて甘酸っぱいって聞いてたんですけどー、本当に塩辛くないんですねー」

「だろー。俺とミィちゃんも青春しようぜー」

 

 それでも勝手に耳に飛び込んでくるアホっぽい会話。ホント、アホか。海が甘酸っぱいわけが……。

 

 と、この時大島の脳裏に電流が走った。

 

 さっき、女の子は海の味を何と表現した?

 甘酸っぱい、とは言ってない。それは噂で聞いていただけだ。そうではなく実際に海に放り出され、飲み込んだ海の味を彼女は確かにこう言った。

 

 塩辛くない、と。

 

海の水が塩辛く無いわけがない。もしそんなことがあるとしたら、それはもしや……。


 大島は自身の考えに身体中が震えるのを感じながら、海辺へと近づいた。

 打ち寄せる波に、このままでは靴が濡れてしまう。しかし、大島は靴を脱ぐのももどかしいとばかりにさらに近づき、足元の波を両手で掬い上げて舐めてみた。

 

そして大島はついにPK計画が何だったのかを理解する。


「……なんてことだ。PK計画のPとはこれのことだったのか……」


 こんなの、常識ある人間なら分かるはずがない。考えることすら馬鹿らしくてしない。

 しかし、琵琶湖を何よりも愛し、大きくしたいと願う滋賀県民たちの野望は、そんな常識などあっさりと飛び越えてしまった。

 PK計画……そのPが示すものは大阪のぴちぴちビーチでも、神戸ポートピアでもなく――。

 

太平洋Pacific Ocean! ホタル知事、あなたは海をも琵琶湖化しようというのか!」


そう、どろり濃厚琵琶湖水で強化した琵琶湖の水を、瀬田川は途中で名称が変わって効力を失ってしまったが、新野洲川はそのまま

直接海へ送り込むことが出来る。そして、その強力な洗浄力は、太平洋の海水すらも淡水へと変化させてしまうのだ。

それはすなわち、太平洋の琵琶湖化!

これが京都水没の次に滋賀県が目指したもの、PK計画の全貌であった。

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