最終話 正体

 思えば滋賀県には最初から驚かされ続けてきた。

 いきなりの鎖国。水陸両用都市。ニンニンドーランド。水の都・京都。ダイダラボッチ。


 そしてPK計画だ。

 

 太平洋を琵琶湖化しようという滋賀県の野望を、しかし、大島はそのまま公表するのを避けた。

 俄かには信じられない話な上に、ただでさえ大騒ぎ必至の大事件を、さらに陰謀説まで取り上げては世間が大混乱に陥ってしまう。それはなんとかして避けたいところだ。

 だから新野洲川からどろり濃厚琵琶湖水によって強化された琵琶湖の水が太平洋に流れ込んだことにより、驚くべきことに海水が淡水化していると、あくまで偶然の結果であるかのように語ってみせた。

 

 この大島の報道に世間は当然のごとく騒然となり、一時は新野洲川からの放流が政府によって止められる事態となる。

 が、一度太平洋に流出した琵琶湖の水は放流が止められても黒潮に乗って日本列島を東に進み、やがて本格的に太平洋へと進出してその勢力を拡大し続けた。

 

 そして太平洋がどんどん琵琶湖化していく中、驚くべき研究結果が発表される。

 それによると淡水となった海域でも従来通りの生態系は維持されており、むしろその個数は増加傾向を見せたというのだ。

 中でも絶滅が危惧されていた鰻が著しい回復を見せたことは、世間の考えを百八十度転換させた。


 あれ、だったら別に淡水になってもいいのでは?

 むしろ淡水化バンザイじゃん!

 

 かくして例の如く日本人お得意の熱い掌返しが起こり、ついには新野洲川の放流が再開するに至った。 

 

 また、その時流に乗ってホタル・コウヨウは淡水化した太平洋の部分を「大琵琶湖」と命名。世界的にはまだ認めていない国もあるが、かくして琵琶湖は実質的に世界一の湖となったのだった。

 

 本当に、ここまで滋賀県にやられっぱなしである。

 が、大島は真実を追求するマスコミの人間だ。最後にこれまで隠されてきたある謎を解き明かすことで一矢報いてやろうと企んでいた。


 

 

「こんにちは」


 その初老の男は、事前の調査の通り、湖畔のベンチに座って琵琶湖を眺めていた。

 

「なるほど、確かにここはいい眺めですね。湖面がキラキラ輝いてとても綺麗です」

「ああ。ドームの天井で揺らめく水面を見上げるのも悪くないが、やはり俺みたいな年寄りにはこうして子供の頃から見慣れた景色の方がいい」


 琵琶湖を褒められて気を良くしたのか、男は返事をすると大島を見て「はて?」と頭を捻る。

 

「悪いがどなただったかな? 見た覚えのある顔だが、どうもこの歳になると物忘れが酷くていけない」

「申し遅れました、私、華の都大東京テレビで記者をしている大島と申します」

「ああ、どこかで見たと思っていたがテレビだったか。で、そのマスコミさんが俺に何の用だ? 言っておくが何度聞かれても同じだぞ。あの時、大臣たちからの命令はなかった。全ては」

「あなたの独断でやったことなのですよね、牧野さん。いや」


 マスコミと知って口調が固くなった男に、大島はまず伊吹山でダイダラボッチにむけて威嚇射撃をし、即日辞職願を出して受理された老パイロットの名前で呼んだ。

そして改めて、この数年間で慣れ親しんだ名前で呼び直した。

 

「滋賀県知事ホタル・コウヨウさん、ですね?」


 牧野の目が一瞬大きく見開かれた。が、すぐにふっと笑みを浮かべると、懐からタバコを取り出して

 

「ほう。大島さん、と言ったね。なかなか面白いことを言う。よかったらここに座りたまえ」


 大島に隣に座るよう促した。

一礼して座る大島に対し、牧野は咥えた煙草に火をつけ、美味しそうに一服し始める。


「大島さんもやるかい?」

「いえ、煙草はやめたんです」

「そうかい。じゃあ早速だが、どうしてそう思ったのか理由を聞こう」


 静謐な琵琶湖を眺めながら牧野が問うた。

 

「簡単ですよ。そもそもあのダイダラボッチへの攻撃自体、疑問だらけだった」


 大島の調べでは、牧野はとても優秀なパイロットだった。年齢もあって一度は現場から退いたものの、ホタル・コウヨウが今津駐屯地に攻撃ヘリを一台寄付すると、専属パイロットに選ばれたほどだった。

 そんな優秀なパイロットが、いくら非現実的な化け物を前に気が動転したからと言って、偵察という命令を無視し勝手に攻撃したりするものだろうか?

 

「最初はやはり私もあなたがウソをついているのだと思っていました。本当は大臣たちから威嚇射撃の命令があったのではないか、と」


 しかし、ホタル・コウヨウがPK計画に則り、最初からダイダラボッチによる新野洲川の建造を企んでいたのならば話は違ってくる。

 

「ホタル・コウヨウの計画では、どうしてもダイダラボッチを暴走させなければいけなかった。暴走したダイダラボッチだからこそ新野洲川建造も、その後の太平洋の琵琶湖化も世間から非難されずに出来たのです」

「なるほどねぇ。だからダイダラボッチを暴走させるスイッチを唯一押すことの出来た俺こそが、ホタル・コウヨウだと思ったわけかい」

「違いますか?」


 大島は問い質すも、このように追い詰められるも落ち着いている牧野の態度に、むしろ自信を深めていた。

 ホタル・コウヨウはその見た目に反して、相当に肝が据わり、そして人間的な魅力のある人物だ。そうでなくてはあのダイダラボッチが暴走するシーンで、美富士の命を賭けるなんて真似は出来ない。いくらNASAと協力開発したシーツがあり、幸花と大島の筋力ならば受け止めるのが可能で、上手くそこへ美富士を落下させることが出来るとは言っても、そんな無謀な作戦を普通は敢行出来ないし、賛同も得られないだろう。

 だが、今目の前で話している牧野ならばそれも可能なのではないかと感じさせるものが……。

 

「残念だが全くの見当違いだよ、大島さん」

「え?」

「なかなか面白い話だが、よくよく考えてみるといい。このオレがいくら正体を隠すためとはいえ語尾に『にゃん』なんてつけると思うかい?」

「うっ! そ、それは……」


 うん、さすがにそんな姿は想像も出来ない。

 

「で、ですが、だったらあなたは何故あんなことを?」


 しかし、同時に牧野が動転してダイダラボッチを攻撃する姿も考えられなかった。

 

「ふっ、いいだろう。あんた、ただのマスコミにしては知りすぎている。どうやら相当にホタル知事から信頼されているようだな」


 そう言って牧野は大島から一度視線を外して、琵琶湖を愛しそうに見つめると


「俺も滋賀県民だぜ。この美しい琵琶湖が世界一になるというのなら、汚名のひとつやふたつなんということもない」


 両腕を広げさも当然とばかりに言い放った。

 

「そんな、バカな……」

「ふっ。不思議なもんだ。これまでずっと自衛隊一筋でやってきたのに、ホタル知事から話を聞かされた途端、これは職を辞することになってでもやらなきゃいけないって思ったのさ」


 なんということだ。確かにそれならば別にヘリのパイロットがホタル・コウヨウである必要はなくなる。

 繰り返すが牧野は優れた自衛隊パイロットだ。が、それ以前に彼もまた琵琶湖を何よりも愛する滋賀県民なのである。

 

「……まいったな、絶対にあなたがホタル・コウヨウだと思ってやってきたのに」

「ははは、残念だったな。まぁ、せっかくだからここから見える琵琶湖を楽しんでいくといい。琵琶湖は最高だぞ」


 ああ、ホントどれだけ琵琶湖が好きなんだよ滋賀県民は、と大島は乾いた笑いが出そうになった。

 

「まぁ、でもそうだな、ひとつ俺の推測を聞かせてやろう」

「推測? 何の推測ですか?」  

「決まってるだろう、ホタル知事の正体だよ」


 驚く大島に、牧野はさらに続ける。

 牧野によると威嚇射撃をする瞬間、ダイダラボッチと目があったらしい。そしてその時、どこからともなくホタル・コウヨウの声が聞こえたような気がしたのだそうだ。

 

「『撃つんだにゃ!』って聞こえたように思う。だが、あの時、ホタル知事との回線なんて当然繋がっていなかった。だから聞こえたのは気のせいだと考えていたんだが、最近になってあれはダイダラボッチが直接俺の脳に送り込んできたんじゃないかと思うんだよ」

「てことはまさか……」

「そう、ホタル知事の正体はダイダラボッチ……なんてな」


 そう言って牧野は笑った。どうやら本人は気の利いた冗談のつもりらしい。

 が、大島の頭は猛スピードで回り始め、過去の事象を検証し始める。

 

 確かにダイダラボッチもホタル・コウヨウも猫語を使う。

 

 おまけにどちらもパートナーは美富士だ。

 

 そしてもし、滋賀の地に召還されたダイダラボッチが実は頭脳が抜け落ちていて、その頭脳がホタル・コウヨウだったとしたら……。

 そして脳無しダイダラボッチを召喚出来るのは美富士だけで、そのシンクロが切れて初めてホタル・コウヨウその体を操れるようになるとしたら!

 

 あの無茶な作戦も、その後にダイダラボッチが人類への被害を抑えながら太平洋目指して掘り進んだのも、そしてそうなることを見越した立案されたPK計画も、全てが辻褄が合う!

 

「……牧野さん、もしかしたらそれ当たってるかもしれませんよ」

「ははは。そんな馬鹿な。じゃあ仮にホタル知事がダイダラボッチだったとして、どうして彼女はここまで滋賀県に尽くしてくれるんだ? ダイダラボッチが滋賀県民だとでも?」

「それは分かりません。が、琵琶湖を愛しているのは間違いありません。何故なら琵琶湖はダイダラボッチが作った自信作だからです。しかし、日本という島国しか知らなかった昔ならいざしらず、世界を知った今、その自信作が実は世界と比べたらたいしたことを知った。だから」

「おいおい。だからダイダラボッチはホタル知事というVtuberになって、琵琶湖を世界一にしようとあれこれ策略したというのかい?」


 とんでもない真実に、大島も牧野も一瞬息を飲み込む。そして、

 

「そんなわけないですよね!」

「あはは、当たり前じゃないか! 大島さん、あんた本当に面白いことをいうね!」


 ふたりして大笑いした。笑うしかなかった。笑ってそんな馬鹿げた妄想を少しでも早く頭の中から忘れ去りたかった。


 だってねぇ、ダイダラボッチが人間に扮して世界に干渉しているだなんて、そんな安っぽいSF小説じゃあるまいし。

 

 もちろん、この数年後、滋賀県知事を辞めたホタル・コウヨウが突如静岡県知事選に出馬し、今度は富士山を世界一の山にするという公約を掲げるなんてことは……多分ない。

 

 

 滋賀県民の野望WithPK 完

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滋賀県民の野望withPK タカテン @takaten

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