第15話 スパイ

 県内の全てを琵琶湖に沈め、隣の京都は山科まで攻め入った滋賀県。

 その勢いは圧倒的かと思われたが、ここにきて風向きが変わってきたのを大島は感じていた。


 ひとつは京都による巨大テーマパーク・任京堂ランド建設の発表。

 依然として新びわ湖タワーは大人気だが、任京堂ランドが開園したらそれも分からない。なまじっか距離が近いだけに客の取り合いは必至であり、コンテンツ規模から見ても新びわ湖タワー側の不利は否めなかった。


 そしてもうひとつは島田島介が華の都大東京テレビに持ち込んだ企画だ。

 現在水面下で静かに、しかし確実に進められているこの企画が成功すれば、滋賀県の野望は瓦解とまではいかないまでも、相当に抑制されるのは間違いないだろう。


 大島は生粋の関東人である。

 だから滋賀県民が京都や大阪を征服しようとする気持ちや、京都や大阪人が滋賀県の支配を受け入れがたいと反発する気持ちがイマイチ理解出来ない。

 正直、心のどこかで「どーでもいい」と思ってさえもいる。

 島田島介が持ち込んだ、必要予算も規模も莫大な企画をどうして自分たちがやらなくてはならないのかと疑問も持ってはいる。


 しかし、もしここで滋賀県に釘を刺さなければどうなる? 

 滋賀県が関西の征服だけで満足しなければどうなる? 

 彼らがいつ目標を東に向けるかもしれないのだ。西日本と東日本との間には険しい日本アルプスが立ち塞がるとはいえ、あの滋賀県のことだ、思いもよらぬ方法で東京まで琵琶湖を拡大してきてもおかしくはない。


 大島は見慣れた日常風景が水没する姿を想像してぞっとした。

 やはり滋賀県を、ホタル・コウヨウたちを止めなければならない。


 そしてそのために大島には、いや、大島にだけが出来ることがあった。

 どういうわけかホタル・コウヨウたちは大島に心を許している。

 それを利用して出来る限り情報を集めるのだ。


 つまりはスパイである。





「やぁ。美富士さん、お久しぶり」


 お昼時の滋賀県庁から出てきた美富士に、駐車場で待ち受けていた大島は声をかけた。

 

「あれ? 大島、さん?」


 ウキウキご機嫌な様子で出てきた美富士は、思わぬ人物に呼び止められて戸惑いを隠しきれない。つい両手で胸を抑えるような仕草を取って、いつもはあるはずのものがないのに気付いてはっとした表情を浮かべる。

 

「すみません、私、今からお昼でぇ。ホタル知事との会見なら……」

「あ、違うんですよ。今日は美富士さんにお願いがありまして」

「私に、ですかぁ?」

「はい。美富士さんが行きつけっていう定食屋、もとい三ツ星レストランを紹介してほしいなと思いまして」


 キランッ。

 それまで小動物のようにオドオドしていた美富士の目つきが、突如獲物を狩るハンターのそれに変わった。

 

「あ、行かれますぅ? デカ盛りで有名なお店なんですけど?」

「ははっ。その為にお腹を空かしてきました」

「分かりました。じゃあ行きましょう!」


 先ほどまでの戸惑った様子はどこへやら。美富士は意気揚々と先頭に立って歩き始める。

 その少し後ろを歩きながら大島は島田島介から言われたことを思い出していた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「この秘書の子や」


 未公開の分も含めて取材の映像を見せたところ、島介はいつも画面に映りながらもほとんど話すことのない美富士を指さした。

 

「この子、天然で口も軽そうや。そやからあまりしゃべらんよう知事たちからも言われてるんやろ」


 そう言われて、周りの空気も読まず、かつての琵琶湖の汚さをあっけらかんと話した美富士の様子を大島は思い出す。

 

「この子と知事たちがいないところで接触して話を聞きだすんや。頼んだで、大島はん」


 ☆ ☆ ☆


 大島はマスコミの人間である。

 しかもレポーターだ。インタビューでこちらが聞きたい話にうまく誘導するのはお手の物である。

 ましてや相手は天然の美富士美子。朝飯前とはまさにこのことかっ!


「へい、かつ丼お待ち!」


 しかし、その大島の前に滋賀県が誇る三ツ星レストランのデカ盛りかつ丼が立ち塞がる。

 その量たるや、あたかもカツを纏った伊吹山。大人の頭ほどもありそうなご飯の上に、ジューシーな豚肉のカツが幾重にも重ねられている。

 体重やコレステロールを考えて日頃から小食な大島にはあまりにヘビーな量だ。


 美富士行きつけの店がこの手の料理を出すのは、事前の調べで分かっていた。

 だから予定では一番軽そうなメニューを注文するつもりだったのだ。

 が、店に入るなり美富士が「おばちゃん、デカ盛りかつ丼ふたつお願いー」と勝手に注文してしまった。

 曰く、ここのデカ盛りかつ丼は絶品、凄い量でも最後まで残さず食べられる、だとか。

 

 おまけに「食事中は食べることに集中することにしてるんですぅ」と、やんわり会話まで拒否されてしまった。

 さすがの大島といえど、かつ丼が来るまでに交わせる会話はたかが知れている。情報を得るためにはこの肉の暴力に自ら飛び込み、ねじ伏せなければならない!

 

「い、いただきます」


 腹を括って箸を握る大島。戦いが今、始まる。

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