第11話 山科
京都市山科区。
京都と滋賀県の県境に位置するこの街は、古来より京都と東を結ぶ要所として栄えてきた。
現在も東海道本線山科駅、名神高速道路京都東インターチェンジなどが置かれ、京都・大阪のベッドタウンとして重用されている人口13万人を誇る地方都市だ。
しかし、そのような古い歴史と重要な役割を持つ山科ではあるが、京都府における立場は極めて弱い。
理由はその立地にある。
山科はただでさえ京都人たちが「田舎者の代表」と見下している滋賀県との県境に位置する。加えて京都人が真の京都と認める中央区、上京区、下京区とは東山で隔たれており、JR東海道線で京都から山科へ向かった際、東山トンネルを抜けて見えてくる光景は確かに京都の市街地のそれとは異なる。
ぶっちゃけ、電車の中で無垢な子供が「ここって滋賀県?」と親に尋ねるのも無理ない光景なのだ。
故に山科は周りを見下したがる京都人たちから馬鹿にされ続けてきた。
戸籍上は正真正銘の京都府民でありながら「ほとんど滋賀県民」などと陰口を叩かれ、またなまじっか距離的には離れていない為に日頃から差別を受ける山科区民。その彼らがひそかに滋賀県と内通し、京都を離れる準備を密かに進めていたとしても何らおかしなことではないだろう。
『山科区役所とは一年以上も前から話し合いを続けていたにゃん』
滋賀県大津市にある滋賀県庁知事室で、ホタル・コウヨウはタブレット越しにしれっと言い放った。
「いや、いくら区役所と合意したとは言え、他県の町との併合は無理でしょう?」
六波羅を後にするやいなやすかさずホタル・コウヨウにアポを取って乗り込んできた大島が問い詰める。
今の世の中、地域自治体の合併は珍しいことではない。が、それもふたつの異なる都道府県の間で行われるとなると話は別だ。
大島の調べたところによれば、これにはそれぞれの都道府県議会の議決が必要であり、さらには総務大臣に認定されなくてはならない。
つまりは山科区がいくら京都を見限ったとしても、京都府議会が許さなくては滋賀県への編入は不可能なのだ。
そして先の六波羅での反応を見る限り、彼らが山科の離脱を認めるとは到底考えられなかった。
「山科を貰ったって、さすがにそれは無理でしょう、ホタル知事?」
『そうでもないにゃん。大島にゃん、ホタルたち滋賀県民には何があるか忘れたかにゃん?』
「確かにあなたたちには巨大な力がある。びわこハウスの技術力、おてんてん会の資金力、さらには政界にもきっと根を張っていることでしょう」
あまり知られていないが滋賀県出身の宇田宗佑第七十五代内閣総理大臣の影響力は、30年以上経った今でも強大だと言われている。
「しかし、幾らなんでも法律を捻じ曲げてしまうほどの力はない。それでもルールを無視して山科を編入させるというのなら、それはもはや侵略行為だ。相手があの京都と言えども、世間から非難されるのは間違いありませんよ」
ましてや山科だけでなく京都まで手中に収めようとは、とても正気の沙汰には思えなかった。
「……はぁ、大島さん、あなた一番重要なものを忘れているわよ」
大島の追及に、それまで我関せずとソファに寝転がってマンガを読んでいたピース堂社長・蓮夢心が呆れて声をかけた。
「重要なもの?」
「そうです。私たちには技術力、資金力、政治力以前にもっと大きなものがあるのです」
さらにはタブレットを胸に持っていたホタル県知事の秘書・美富士美子が大きく頷く。
「大きなもの……あ、まさか!?」
大島は自分の考えに愕然とした。
しかし、仮にその考えが正しければ、今この場にもうひとりいてもおかしくない人物が不在なのも頷ける。
『分かったみたいにゃんね。明日の朝には実行に移す予定にゃから、ヘリを飛ばすのをオススメするにゃん』
美富士の胸のタブレットの中でホタル・コウヨウがにんまりと笑った。
かくして翌日。
滋賀県……もとい琵琶湖は突如として隣の京都・山科区へ流れ込んだ。
従来の琵琶湖疏水に加えて、この日の為に予め用意されていたのであろう、逢坂山トンネルに併設するようにして掘られた巨大トンネルを使って琵琶湖の水を山科区内へ引き込み、山科をあっという間に水没させていくのを人々は花の都大東京テレビの独占中継で見た。
中継後ほどなくして、ホタル・コウヨウ滋賀県知事と山科区長との共同声明が発表。
これは侵略行為ではなく、お互いの同意によって行われた事業であること。
山科は滋賀県の協力のもと、しばらくは水中都市となること(数年以内に滋賀県と同様、水陸両用都市となる計画も同時に公開された)。
水中都市となった山科は滋賀県の姉妹都市として琵琶湖に纏わる事業に従事し、今後の京都・大阪方面への放流に対して協力体制をとっていくこと。
なお、この放流に関する締結は滋賀県と山科区との間に執り行われ、京都府は一切関係ないことが公表された。
滋賀県が鎖国した時と同様、東山や伏見区との間には巨大な鉄壁がびわこハウス建設によって並べられ、打ち寄せる波の音が辺りを包み込む。
その音は時として京都の町にも届き、観光客たちは海から遠く離れた京都で波の音を聞くという風流さにしばし耳を澄ませたというが、京都人たちは皆一様に眉を顰めるのであった。
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