第6話 水中湖西線

 ホタル・コウヨウが見せたいという『新びわ湖タワー』なるアトラクション施設は、びわ湖大津ぷりきゃあホテルが建つ大津から少し北に上がった堅田に位置するという。

 距離にして十数キロ。てっきり自動車で移動するものばかりだと思っていた大島は、しかし、ホタルたちがJR西日本湖西線・大津京駅に向かったので面食らった。


「電車で行くのですか?」

『そうにゃ。実はこの電車も見てもらいたいにゃ』


 見てもらいたいと言われても、ゴトゴトとやってきたのはごく普通の古臭い113系。変わった所があるとしたら、車体にホタル・コウヨウの顔がでかでかとプリントされたラッピング車両であることぐらいだが、これ自体は一年ほど前から運用されていて別に珍しいものでもない。


『では出発進行にゃ!』


 ホタル・コウヨウの掛け声に応じるかのようにゆっくり動き始める113系。やはり何の変哲もない……と思いきや。


「おおっ! これはすごい!」


 次の瞬間、大島は感嘆せずにはいられなかった。

 大津京駅を離れた電車が百メートルほど進んだところで突然ドームを離れ、水中の中を走り始めたのだ。

 いや、正確には水中に配されたチューブの中を進んでいる。


「どや! 滋賀の新名物・水中電車や! すごいやろ!?」

「ええ、これは驚きました」

『電車の線路や高速道路は地面みたく頻繁に浮き沈みさせたらダメにゃろ? なので独立させてあるのにゃ』


 もっとも今回のように水中の景色を楽しむには、周りも沈んでいる状態でなくてはならない。陸地を常に水没させるわけにもいかないから、近年中に滋賀県を走る湖西線、琵琶湖線、東海道新幹線、さらには高速道路をすべて水中を楽しめる理想的な位置に移動する予定だと言う。


「なるほど。これはいいですね。あれ、でも失礼ですが琵琶湖の水ってこんなに……」


 奇麗だったでしょうか? と言いそうになって慌てて大島は口を噤んだ。

 ここは滋賀県、琵琶湖を貶すような発言をしては殺されても文句は言えない。


「あはは。ですよねー、琵琶湖って北はともなく南は汚かったですもん」


 ところが大島がやっとのことで飲み込んだ言葉を、美富士がこともなげにさらっと言ってのけた。


「私、縁あってこっちの大学に推薦で入って初めて琵琶湖を生で見たんですよぅ。で、その大学では四月に新入生歓迎のレガッタ大会が湖岸で開かれるんですけどー、琵琶湖に落とした真っ白いタオルが緑色に染まっちゃってびっくりしましたー」


 ホタル・コウヨウがタブレットの中で白目を剥く。

 幸花の頬がひくひくと轢きつく。

 そして一番年下の心は苛立ちを抑えきれず、かといって美富士を攻撃するわけにもいかないから変わりに幸花の足をがしがし蹴っていた。

 それでも彼らの様子に気付かず「遠くから見る限りは湖面がキラキラ輝いて奇麗なんですけどねぇ」と続ける美富士は天然さんなのだろう、きっと。


「あれ、美富士さんは滋賀県出身じゃないんですか?」


 もっとも大島が気になったのはこっちの方だった。

 今回の琵琶湖拡大プロジェクトは確かに凄いが、正直言って滋賀県民の狂気による産物である。故にその中核には根っからの滋賀県民だけが集まっているものだとばかり思っていた。


『美富士は他県出身にゃ。でも、その琵琶湖を愛する心はホンモノなのにゃ!』

「琵琶湖を愛する心、ですか?」


 先ほどまでの辛辣な物言いからは到底感じられないが?


「はい。私、大学ではどうすれば琵琶湖の水を奇麗にすることができるかを研究してたんですぅ」


 そしてその研究の末、美富士は琵琶湖の自浄効果を高めるのに成功した。

 琵琶湖を琵琶湖たらしめている、言わば『琵琶湖エキス』とでも呼ぶべきものを抽出、培養したものを大量に散布した結果、琵琶湖はたちまち本来の澄み切った水質を取り戻したのだという。


「もちろん人体には無害ですよー。いえ、むしろ身体にいいかもしれません。だって食の細かった私もこの琵琶湖の水を飲み続けることで胃腸が強化され、今では滋賀県が誇る三ツ星レストランのデカ盛りカツ丼もぺろりですからー」


 そう言って美富士はスマホに映し出したカツ丼の映像を大島に見せた。

 とんでもない量だ。これをとても胸以外ほっそりとした美富士が平らげるとはとても思えない。

 あと、三ツ星レストランでこんなものが出るのもちょっと信じられなかった。


『とにかく、その研究成果を認めてホタルは美富士を秘書に抜擢したのにゃ』


 滋賀県出身ではないものの、県民が愛してやまない琵琶湖の美しさを取り戻した。その功績はなるほど今回のプロジェクトへ参加するに相応しい。


「水が汚かったら、幾ら技術があっても街を水の中に沈めるなんて気持ち悪くて出来ねぇからな。美富士の嬢ちゃんには感謝してるぜ」

「そうね。滋賀県の発展に纏わる琵琶湖の汚染問題は、ずっと滋賀県民の悩みの種だったわ。それをこうして解消出来たのはとても素晴らしいことよ。これで私達は自信を持って琵琶湖を拡大することが出来るもの」


 幸花も、心も、美富士の偉業を褒め称えるのを厭わない。

 ただ。


「ありがとうございますぅ。ですが、いくら『どろり濃厚琵琶湖エキス』があっても、県民の皆さんの意識を変えなくては、いつかまたかつてのように汚れてしまいますよー。それを防ぐためには水質悪化の一番の原因である生活排水をどれだけ改善できるかって、常に意識してもらうのが大切ですぅ。その為にもこうして水の中に街を沈めて、日々の生活の中で自然と水質を見ることが出来る今回の試みはとても素晴らしいと思いますぅ」


 賛辞に受けて答える美富士の言葉は『琵琶湖を大きくしたい』というホタルたちの主張よりもよっぽどまともで、ようやく大島は今回のプロジェクトで自分でも理解出来る意義を見い出したような気がした。

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