第5話 浮島

「これはなんとも不思議な景色ですね!」


 今回の滋賀県大改造を担った重要人物たちとの挨拶をすませ、彼らに案内されるままびわ湖大津ぷりきゅあホテルを出た大島を待っていたのは、誰もいない大津市の街並みであった。

 朝の通勤時間帯ではあるが車どころか、人ひとり歩いてもおらず、周りはシーンと静まり返っている。それだけでも十分に不思議な光景であったが、上を見るとそこには青い空ではなく、太陽の光に照らされて白緑びゃくろくに揺らめく琵琶湖の水中が見えた。


『今はドームの天井を水深三メートルぐらいにしてるにゃん。これぐらいが一番奇麗にゃんよ』

「確かに奇麗です。ドームと言いましたが、やはり素材は強化ガラスですか?」

「アホか。そんなんやったら危ないやろ。これやこれ。これで覆っとるんや」


 そう言うと幸花は胸元から小さな小瓶を取り出して見せた。


「これは……液体に満たされた中に何やら球体が入ってますね?」

「そや、ちょっと触ってみ」


 幸花が瓶の蓋を開けたので、大島はゆっくり人差し指を中に突っ込んで球体を突いてみる。


「あれ、意外と柔らかい?」

「そやろ。でも、それめっちゃ丈夫なんやで。なんせNASAとの共同研究で生み出したものやからな」

「なるほど。しかし、いくら丈夫でも水の中で万が一にも何かあった時は大惨事になってしまいますが?」

「そんなことにはならんから心配あらへん」

「え? いや、しかし」

「ええか、よう見とけよ」


 幸花がパチンと指を鳴らすと、どこからか黒服の男が水のたっぷり入った透明な器を持って来た。その中に小瓶に入っている球体を移すと、幸花は宝石のような扱いで丁寧に掬いあげてみせる。

 幸花の掌に乗せられ、上半分が水面から顔を覗かせる球体に全員が注目することしばし。


「あ、穴が開いていきますね!」


 水面から露出した球体の頂上部分に穴が出来たかと思うと、少しずつ大きくなっていった。


「そや、この素材は表面が乾いたところから縮小し、濡れている部分に退避していく性質があるんや。ただし、淵が水に少しでも濡れると」


 幸花は球体を掴んで一気に水中に引きずり込む。


「おおっ! 一瞬にして球体に戻った!」

「どや、凄いやろ!? これでたとえ何かあってドームが破れたとしても、すぐに自動修復されるってわけや」


 しかもと、幸花は再び球体を浮上させて穴を開けると、今度はスポイトを使ってその穴から球体内に水を入れる。


「あれ? 水が入ったはずなのに、どうして?」


 大島が驚くのも無理はない。水は確かに球体内部に入った。にもかかわらず、中は依然として空っぽのままだ。


「驚いたやろ? こいつはな、外の水は一切中に入れないくせに、中の水は素早く吸収して外へ排出するんや。たとえ水深100メートルという状況下でもな」

「へえぇぇ!」

 

 なんとまぁ無茶苦茶な新素材であろう。さすがはNASAとの共同開発だ。確かにこの素材のドームならば万が一にも内部が水没といった悲劇は起きないだろう。


 となると、次に気になるのは酸素だが、こちらもまた幸花のびわこハウス株式会社が懇意にしているNASAの協力があった。

二酸化炭素を電気分解して酸素を生成する「MOXIE」と呼ばれる酸素製造機が提供されたのだ。

 さらに電気や通信系統は湖底にケーブルを這わせ、球体の下部から取り入れているという。


『これで我が滋賀県は愛する琵琶湖の中で生活することが可能になったのにゃー』

「おまけに琵琶湖の面積も広がって一石二鳥とはまさにこのことね!」


 タブレットの中のホタル・コウヨウがいえーいと上げた片手に、心もイエーイとタッチする。

 調子に乗った滋賀県民の姿がまさにここにあった。


「なるほど、よく分かりました。ですが、いくら水中での生活が可能になったからといっても、これほどまでに壮大な都市改造が実現するとは正直今も信じられません。率直に伺います。先ほど我々は滋賀県の町並みが湖中から浮上するのを目の当たりにしましたが、かと言って琵琶湖の水がどこかに抜かれているようには見えませんでした。これはどういうことなのでしょうか?」

『簡単にゃ。滋賀県全体を複数のパーツに分けて、全部浮島にしてるのにゃ!』

「浮島!? そんな馬鹿な! どうすればそんなことが可能に……」

「も、もちろん、これもNASAの協力のおかげでぇ――」


 それまでニコニコしながらも無言で成り行きを見守っていた秘書の美富士が、突然声を張り上げた。


「さすがのNASAでも無理のように思えますが?」

「いいえ、そんなことはありません! NASAの技術力は世界一、いや太陽系一ですよっー!」

「まぁ太陽系には我々地球人しか住んでないのでそうかもしれませんが、いくらなんでも……」

「これはオフレコなんやけどな」


 何やらあたふたと説明する美富士を見かねたのか、幸花がカメラマンに収録をやめるよう手振りで指示すると助け舟を出して来た。


「NASAはこの先十年間でマンハッタン島を空に浮かべる『フロートテンプル計画』ってのを水面下で進めとる」

「んな馬鹿なっ!」

「まぁ信じる信じないはそっちの勝手や。そやけどマンハッタン島を浮かべるには、まずあの堅いマンハッタン片岩を切断せなあかん。それが出来るんやったら、滋賀の地盤ぐらい簡単に切り離して、浮き沈みさせることぐらい楽勝やと思わへんか?」

「…………」


 思わへんか、と言われても仮定そのものがとても信じられるものではない。納得しろという方が無理な話だろう。

 が。


「分かりました。すごい技術ですね」


 実際問題として滋賀県の都市群が琵琶湖の中から浮かび上がってくるのを大島は見た。それを可能にするには幸花たちの話を信じるしかない。


 大島は再び浮島の部分から収録開始を告げると、浮島となった各パーツをどうやって浮き沈みさせているのかを尋ねる。


『パーツはとても細かく設定されていて、切り離された状態なら基本的にどこも沈むのにゃ。でも、いくつかをつなぎ合わせて浮力を調整してやれば浮き上がったり、今みたいにちょうどいい位置に落ち着かせることもできるんだにゃー』

「なるほど。つなぎ合わせるというのは具体的には?」

「まずつなぎ合わせたいパーツ全体を覆うドームを展開させるんや。そうすると各パーツを覆っていたドームが乾いて地面下まで縮小するさかい、そこで改めてドッキングって寸法や」

「隣接する各パーツ間の距離はどれくらいでしょうか?」

「最大で二センチってところらしいわ。この規模でそれだけしか離れていないなんて信じられないけど、そもそもドーム自体がどんなに大きなものでも厚さが変わらないそうだしね」


 心が先ほど器の中に入っている球体を指差す。

 大島は驚いてもう一度よく観察してみるが、どう見ても球体の膜そのものはシャボン玉程度しかない。


『もちろん波で揺れてドーム同士がぶつかった時や、その他様々な耐久実験でも何の問題もなかったのにゃ。それよりも大島にゃん、そろそろ行くにゃんよ』

「行く? 行くとはどこへですか?」

『決まっているにゃん。滋賀県と共に生まれ変わった、史上初のアトラクション施設「新びわ湖タワー」にゃんよ!』


 すかさず幸花が「びわ湖タワーへ行こう!」と叫んだ。

 生まれも育ちも東京の大島には、それがかつてあったびわ湖タワーのCMの一節だとはホタル・コウヨウに説明されるまで気づくはずもなかった。

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