第3話 ホタル・コウヨウ

 びわ湖大津ぷりきゅあホテルは滋賀県で一番高いビルである。

 開業は一九八九年、平成元年の四月二十二日。全ての客室が琵琶湖に面しており、雄大な景色が楽しめる人気のホテルだ。ちなみに同名のアニメとは何の関係もない。ただ、ぷりてぃできゅあきゅあな琵琶湖の魅力を知って欲しいという純粋な願いから付けられただけである。


 その屋上のヘリポートに今、大島らを乗せた華の都大東京テレビのヘリが降り立った。


「取材の許可、ありがとうございます。私は華の都大東京テレビの大島と申します。ええっと、あなたは確かホタル知事の秘書をしている――」

「あ、はい、秘書の美富士美子みふじ・みこと申しますぅー」

 

 美富士と名乗った女性は細身な身体に不釣合いな大きい胸へタブレットPCを抱えたまま、ぺこりと会釈をした。

 年齢は二十代半ばのはずだが艶々と黒光りする長い髪をツインテールにして胸元に降ろし、さらには薄い化粧の童顔や語尾を甘ったるく伸ばす話し方からも、スーツ姿ながら学生のような印象を受ける。

 それでもホタル・コウヨウが滋賀県知事に就任して以来、ずっと秘書を務めているキレ者だ。見た目で判断してはいけないなと大島は気を引き締めた。


『やっほー、華の都大東京テレビさん、滋賀県へようこそなのにゃー』


 美富士が抱えたタブレットの中でホタル・コウヨウが諸手を上げて歓迎していた。

 ホタル・コウヨウはVtuberであり、その正体はいまだもって不明である。人と会う時はもちろんのこと、県議会においてもこのように画面越しが常であった。


「お招きありがとうございます、ホタル知事。ところでまず最初にお尋ねしたいのですが、どうして私たちを選んでくれたのです? 上空うえには私たち以外にも多くのテレビ局が殺到していますが?」

『簡単な話だにゃ。全部のテレビ局の取材を受け入れるには、このヘリポートは狭すぎるにゃん。だったらホタルの好きな番組がいっぱいある華の都大東京テレビさんがいいにゃー』

「あはは。それはどうも」

『「開運お笑い鑑定団」は毎週欠かさず見てるにゃ。「Youはなんの仕事を?」にはホタルも取材してほしいぐらいだにゃあ』

「ホントですか? じゃあ番組スタッフに伝えておきます」

『やったー。絶対にゃよ?』


 タブレットの中でホタル・コウヨウがやったーやったーと大喜びし、秘書の美富士も「良かったですねー、知事」と無邪気な笑顔を浮かべている。微笑ましい光景に大島の頬も自然と綻ぶが、もちろん先ほどの返事に納得したわけではなかった。


 これが普通の県知事ならば話はまだ分かる。

 が、ホタル・コウヨウはVtuberだ。

 しかも世界初のVtuber県知事であり、そのテーマソング『滋賀県知事ホタル・コウヨウのテーマ』はサビの「滋賀のけんちーじ(チャカチャカ♪) ホタル・コウゥゥヨゥゥゥ」が最高にエモいと世界中のファンを魅了。ホタル・コウヨウが滋賀県内を練り歩いて紹介する『知事散歩』(注:実際に歩くのはタブレットを抱えている秘書の美富士です)や、その他アニメやゲーム関連の人気番組も持っている。

 そこに例の滋賀県鎖国である。巨大な鉄壁で滋賀県を覆い隠した動画は世界に衝撃を与え、ついに登録者数は五千万人を越えた。

 これは日本では圧倒的一位、世界でもトップを狙える数だ。


 そして今回のニュースは、ホタル・コウヨウをついにYouTuber世界一に押し上げる格好のチャンスだったはずだ。

 にもかかわらず、ホタル・コウヨウはその貴重な情報を自分たちで独占するのではなく、華の都大東京テレビに与えた。その理由が華の都大東京テレビが制作している番組のファンだからだなんていうのは、到底信じられる話ではない。


「では、早速新生滋賀県の取材をさせていただきますが、どうしてこのようなことを実行されたのでしょうか?」


 とは言え、ここで下手に深く追求した結果、へそを曲げられては困る。何を考えているのかは知らないが、独占取材は確かにオイシイ。ここは敢えて深入りせず、大島は目の前の特ダネに飛びつくことにした。

 

『YouTubeの生放送で言った通りだにゃ。これが滋賀県民の野望だからだにゃ』

「琵琶湖を拡大させることがですか?」

『その通りにゃ。琵琶湖は滋賀県民のアイデンティティ、心のふるさと。ホタルたち滋賀県民は昔から琵琶湖を広くしたくてたまらなかったのにゃ』


 しかし、実際に広げるのは難しかった。

 なんせ滋賀県は中央に琵琶湖、周囲を山々に囲まれている。可住地面積たるや実は大阪よりも狭い。おまけに日本の中心に位置する大都会……ではないが、京都・大阪に近い南部はベッドタウンとして人気があり、年々増える人口に琵琶湖を大きくするよりもまずは居住地の確保が問題とされていた。


『琵琶湖拡大の為に滋賀県民は昔から色々とやっていたにゃ。大津の住人は比叡山で山伏生活を送ったり、甲賀地区に住む忍者の末裔たちは水遁の術で水の中でも日常生活をしたり、長浜や彦根の住民は空に居場所を求めて毎年鳥人間コンテストを開催したり』

「え? 鳥人間コンテストにはそのような目的が!?」

『他にも滋賀県では小学五年生を対象に「びわ湖フローティングスクール」を昭和の頃から開催していたにゃ。これは「うみのこ」って呼ばれる船で一年間琵琶湖での船上生活を送り、来るべき時に備えていたにゃ』


 ちなみに言うと『びわ湖フローティングスクール』で子供たちが船上生活を送るのは二日間だけである……と


『しかし、これまではどうしても野望実行に移せなかったにゃ』

「そうですね。いくらなんでも滋賀県を沈めて琵琶湖を拡大させるなんてそんな――」 


 と、そこで大島は何者かがヘリポートへの階段を登ってくる靴音に気付いた。

 カツンカツンと乾いた靴音が次第に大きくなっていく。またそれに混じってもうひとつ控えめな足音も聞こえてきた。


「なんや、テレビ局のおっちゃん、急に黙り込んで。『そんなアホなこと』って正直に言えばええやん?」


 しかして現れたのは大柄な身体を、まるでお笑い芸人みたいな原色ばりばりの青いスーツに包んだ四十代半ばほどの男であった。

 短く切り揃えた髪形。スーツの上からでも分かる筋肉質な体型。美富士と同じサイズのタブレットPCを片手に持ちながらも、彼女のが単行本ならば男が持つそれは文庫本かと錯覚するほど大きな身体をしている。もし彼を知らない者が見れば柔道やアメフトの選手だと勘違いすることだろう。


「やはりあなたが絡んでおられましたか、幸花さちばな社長!」


 大島の言葉に、幸花と呼ばれた男は「当たり前やん」と言うが如く、にっと口角をあげた。

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