第30話以仁王、竜寿に手を出そうとする

 以仁王もちひとおうは妖狐の助けで800年の時空を超えて

平家の魔の手を逃れたが、今まで生きてきた時代とあまりに

かけ離れた世界になじめず、困惑していた。

それでも妖狐に教わって、なんとか言葉を覚えたのだった。

王にとって不倶戴天の敵である平維盛たいらのこれもり安徳天皇あんとくてんのうと同居させるのは

さすがにむごいと判断して妖狐は別な住居を手配してくれた。

 そのうち、無為徒食の生活を続けるのが苦痛になった王は

書道がずば抜けて得意なので、近所の子供たちに教えることにした。

ところが7歳くらいのわんぱくな少年を見ているうち、

自分の子供である若宮を思い出して

会いたい気持ちが募っていった。しかし

戻っても殺されると王は自分に言い聞かせて我慢していた。

 学問好きでもある王は知的好奇心を満足させようと

日本史の教科書を買い込んで読み始めた。

「800年の間に何が起きたのかぜひとも知りたいものじゃ。」

とのんきに考えていた王は、自分の名前が載っているので

目を丸くした。

「なに、まろが出した令旨りょうじをきっかけに諸国の源氏が蜂起し、

 平家滅亡につながったとな。なるほど、

 そういうわけでこの世の春を謳歌おうかしていた

 平維盛たいらのこれもり(平重盛の子で平清盛の孫)や、あの生意気な小僧(安徳天皇あんとくてんのう

 がこっちにきているのか。じゃあ、

 平家が滅んだあとの都に戻ればよいのだな。」

とどこまでも甘い見通しを立てるに至った。

 いてもいられなくなった王は

来た時と同じ噴水にやはり来た時と

同じ女房装束を着て飛び込んで、

平安京に帰ることにした。一か八かの賭けに出たのである。

 そんな目論見もくろみは見事に外れ、挙兵後、半年にも満たない

治承じしょう5年の1月の都に女装姿の

王は流れ着いたのだった。

 取り返しのつかない失敗に衝撃を受けて

気絶した以仁王もちひとおうは悪夢にうなされていた。

王が濃い霧が立ち込めた薄暗い野原をさまよっていると、

自分を守ろうとして戦死した源頼政みなもとのよりまさ

仲綱親子ら亡者もうじゃの群れが裾を引っ張って、

地の底にひきずりこもうとした。

「あんただけ生き延びるなんてずるい。

 こっちに来てわしらの仲間になれ。

 そして黄泉よみの国に一緒に来るのだ。」

と血まみれの武者たちが憎々し気にわめいた。

「助けてくれ!」

と半泣きになった王が悲鳴をあげると、

例のキツネ顔の女が現れ、

「散れ!亡者もうじゃども!」

と叫ぶとあれほど騒がしかった

亡霊たちがすべて消えてしまった。

「かたじけない。まろはこれからどうすればいいのだろう、

 教えてはくれないか。」

と王は妖狐に話しかけた。すると妖狐の顔はみるみる

うちに鬼のような形相になったので王はたじろいだ。

「せっかく800年も後の遠い未来に逃れたのに、

 なぜ勝手に戻ってきたのですか!あなたが

 戦死したことを疑う平家はいまだに

 あなたの死を疑い、お命を狙っているというのに、

 何を考えているのです?

 あなた一人を守るために何人、

 犠牲にならなければならなかったと思っているの!

 戦死者の中にはわたしの息子たちもいるのですよ。」

と妖狐は目を吊り上げて王をしかりつけた。

「悪かった。だが時空を超える旅をもう一度やり直したら

 いいのではないかね。」

とわらにもすがる思いで王は尋ねた。ところが

「時間移動は一人一往復でおしまいです。

 それ以上繰り返すと、時空にひずみが生じます。

 今まであなたが未来の世界で見聞きしたことの記憶は

 すべて消してしまいますからね。」

と妖狐は激しい調子で言い放つと、

王の額を人差し指ではじいた。その衝撃はすさまじく、

夢の中とは思えないほどの激痛と共に王は気を失った。

 翌日の昼近くになっても、以仁王は目を覚まさなかった。

「お兄様はどうして目を覚まさないのかしら。

 ひょっとしたらこのまま死んでしまうのかもしれない。」

と動揺した式子内親王しょくしないしんのうは兄の動かない体を揺さぶったが

一向に反応はなかった。

「夕べは一睡もしておられないのですから

 姫様はお休みください。あとはわたしに任せてください。」

と定家の姉、竜寿りゅうじゅは主君をなだめて寝かしつけた。

「この方は本当に妹宮にそっくりだわ。 

 性別が違うのに一瞬見間違えてしまうほど似ておられる。」

と竜寿は髪を肩に垂らしているせいでますます女性的に

みえる王の寝顔にみとれていた。30歳近い男とは

思えぬほど肌がつやつやして若々しく妖艶な顔であった。

 すると突然、王が竜寿の手を握り締めたので

竜寿は小さな悲鳴をあげた。

「かわいいおなごじゃ。今日は寒いから

 抱き合って暖まろうではないか。」

といやらしいことを言いながら、

王は竜寿の体を抱き寄せようとした。

竜寿は必死で抵抗したが、顔は女のようでも

女よりも力が強い王につかまれた竜寿は

今にも押し倒されそうになった。

 あわやという瞬間、突然

「ばかもん!」

という怒声と共に兄の守覚法親王しゅかくほうしんのう

が飛び込んできたので、王は慌てて竜寿を離した。

顔を袖でおおって泣きながら竜寿は逃げていった。

「そのようなふざけたまねをしている場合ではないだろうが!

 おまえは謀反人として追われる自分の立場を忘れたのか!

 まったくお前と来たら、都のあちこちで女に手を出して

 生まれた子供たちは今、とても肩身の狭い思いをしているのだぞ。

 もしや出家をやめたのは女遊びのためではあるまいな。

 これ以上不幸な子供が増えたらどうするのだ。

 わしはこれ以上面倒みきれん。」

と烈火のごとく怒りをぶちまけた守覚は

肩をいからして去っていった。

 あとには呆然とした以仁王が一人取り残された。

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