鬼の花嫁様
エノコモモ
鬼の花嫁様
別に、自分が必ずしも幸せな結婚ができると信じていたわけではない。
庶民の間では離婚話なんてしょっちゅう聞く上、例え既婚者でも幸せかどうかは別の話。
女中として勤めていた時は旦那様が帰ってこないと枕を濡らす女主人に心を痛めたし、逆に不義の子を偽って育てさせる奥様には恐怖の念を抱いたものだ。
小さい頃は近所の男の子と「いつか結婚しようね」なんて可愛らしい約束ごとをしたものだが、この世に生を受けて20年、この地獄が現実だということも理解している。
「この度はおめでとうございます」
「ヒィッ…!」
でもさすがにこれは酷すぎる、なんて
「若様はいつ恋人を作られるのかと首を長くして待っておりましたが…まさか結婚されるとは」
千代の目の前でそう話す彼女は晴れ着が良く似合う艶やかな美人なのだが、その台詞の通り首が長い。
首が長い女性は顔が小さく見えるなんてそういう話じゃなく、明らかに長い、長すぎる。
「心配かけて悪かった。だがこの通りだから安心してくれ」
その首を呆然と見ていたせいで、突然斜め上から降って湧いた野太い声に心臓が止まりかけた。
「っ…!」
「ほほ…このろくろ首、ふたりの門出に立ち会うことができ幸せにございます」
そう微笑んで、彼女はその長い長い首をにょろにょろ動かしながら去っていった。
今見たものが信じられず放心状態でいる千代に、今度は下から声がかかる。
「坊!目出度え日だなあ」
今度は子供のような体躯の老人に声をかけられた。
気持ち良く笑う彼には深い皺が刻まれており、頭は磨きあげられたようにつるつる。
小柄な千代より小さいとは明らかにおかしいが、先程より幾分かマシだと見ていると、ふたつの目の上、その額に第3の目が開いた。
「!?」
「嫁さん娶るほど大きくなったとはなあ。ついこの間まで俺より小さかったろ!」
「止めてくださいよ。俺は5才の時には御大を抜かしてました」
「死んじまった親父殿も喜ぶだろうなあ。アイツのぶんまで孫を抱いてやんなきゃな。楽しみにしてるぜ!」
彼は3つの瞳から涙を流してこの場を後にした。
空は高く良く晴れた吉日。
千代は結婚式の場にいた。
大きな庭付きのお屋敷にこれだけ立派な御披露目、おそらくは相当な権力者の婚礼なのだと察する。
いくら結婚に良い印象の無い千代だって、婚儀は好きだ。
新しい家庭が作られる瞬間とはいかんともしがたい幸福に満ちていると思う。
ただ今この状況を心の底から祝福できない理由が彼女にはあるのだ。
なんと3つも。
「若ぁ。おめでとうございます!ひゃあ。本当に人間なんスね」
深々と頭を下げた彼は全身緑色で、頭に皿がついていた。
あまりにも人間離れしたその容姿に千代がびくりと体を震わせるが、それに気付かず彼らは話を始める。
(本当に…人間って私だけなんだ…)
祝福できない理由、そのひとつは今この場にいる者が全員人間ではないこと。
家の者や参列客、親族に至るまで明らかに人間ではない。
妖怪である。
「今度から尻子玉抜くときゃあ、若の嫁さんじゃないことを確認してからにしねえとなあ」
「当たり前だ。千代に手を出したらぶっ殺すからな」
自分の名前が出てきてまたびくりと反応する。
そうなのだ。
ふたつ目の問題は、その妖怪まみれの結婚式の花嫁が千代だということ。
女中をしていた際の女主人の持ち物の中でさえ見ることのなかった高級そうな白粉と紅を塗り、これまた細やかな刺繍の施された白無垢に身を纏った千代はまさに理想の花嫁の姿ではあるのだが。
おそらく河童なのであろう彼は、頭の皿をぺしりと叩いて笑った。
「おっかねえおっかねえ。花嫁さんもお幸せですねえ。良い旦那さんなことで。鬼なのに」
「余計なこと言ってる暇があるなら早く行けよ」
言葉はきついが場は和やかな雰囲気で、相当仲が良いのだと察する。
(や、やっぱり…そうなんだ…)
ところが千代はそれどころじゃない。
先ほどの河童の彼の一言で確信を持ち、隣の紋付羽織袴姿の彼にゆっくり視線を上げる。
高い背丈にがっしりとした体躯、鼻筋の通った精悍な顔つき。
「?どうした」
「っ!」
そして、真っ赤な瞳と額の際の部分から生えた大きな角。
そう。
最後の問題は何故か彼女の結婚相手が、鬼であることだ。
暴力的とか冷血漢とかそういう個人の性質を表す意味じゃなくて、本物の。
(な、なんでこんなことに…?)
それからすぐに次の挨拶に来た今度はあまりにも巨大すぎる男性に、千代は思考を停止させた。
「私…すっごい怖がりなのにーっ!」
その夜、月は美しく輝きりんりんと鈴虫が鳴く秋めいた情景の中。
室内にあった壺に頭を突っ込んで千代は叫んだ。
(ちょ、ちょっとだけすっきりした…)
彼女は怖がりである。
幽霊話が出た場所には絶対に近付かないし、夜に歩き回ることなんてもっての他、便所だって朝まで我慢する。
そんな彼女がこんな異質な世界に放り込まれて、負担に思わない筈がないのだ。
(うう…今朝からずっと震えてたから体のあちこちが痛い…)
呻く千代の背後で、がらりと障子が開いた。
「支度はよろしいですか?」
「はっはいい!」
先に言っておけば、この事態を引き起こした原因に千代には全く心当たりがない。
彼女は陰陽師とか神職とも一切関係がない、ごくごく普通の女中でしかなかった。
先日20歳を迎え、そろそろ見合いでもと職場の主人に声をかけられた直後の話である。
いきなり妖怪、複数の鬼が千代を“迎えに来た”のだ。
「その女を寄越さなきゃ暴れるぞ」なんて物騒なことを口走った彼らが指定したのは何故か千代。
怖れおののいた人間にそのままさくっと捧げられてしまい、顔と火がついた巨大な牛車に乗せられた。
ただただ恐怖で凍る中ここに連れてこられ、あれよあれよという間に身支度が進み今に至る。
(で、でも、このまま流されたら絶対良くない方向に行く気がする…)
千代の世話係りをしてくれた目の前の女性、目は異様に細く獣の尻尾が生えているが、まだ怖くない出で立ちの彼女を覚悟を決めて見つめる。
「それではどうぞ、お楽しみに…」
「あ、あの…」
聞きたいことはひとつだけ。
「私…食べられるんでしょうか…?」
彼女が幼少の時読んだ本の中には、鬼にむしゃりむしゃりと人間が食べられる挿し絵があったのだ。
あれが記憶にこびりつき、今でも夢に出てくる。
今も念入りに清められた上になんだか良くわからない油を塗られた体には脱がせやすそうな薄着を着せられ。
挿し絵の、体を半分鬼の口に入れられた人間が千代となって再生される。
そんな生死を賭けた質問をされた狐顔の彼女は言葉に迷い、やがて微笑んだ。
「まあ、そうですね」
「っ…!?」
「大丈夫。若様にお任せすれば全て上手くいきますよ」
ぱたんと閉められた障子を前に、千代はがくがく震えていた。
敷かれた布団だとか、雰囲気を出すために絶妙な暗さに調節された灯りなんかは彼女の目には入っていない。
(私…鬼に食べられて死ぬんだ…!)
「若。奥様の支度ができたそうで」
「おう」
一方、
鬼の一族、坊城一門の若頭であり大量の妖怪を傘下に置く彼の結婚を喜ぶ者は多い。
人間の花嫁を迎えると言った時は軽い騒動になったものの、なんとか彼の努力によりここまで辿り着けたのだ。
「若様。嬉しそうですね」
「ここまで…長かったからよ…」
月明かりに照らされた廊下を歩きながら、紅丸が感慨深げに溜め息をつく。
さて、何故それほどの努力をしたのかと言われれば、彼が千代と結婚したかったからに他ならない。
『15年後に結婚しよう。迎えに来るから待ってろ』
そう、15年前に彼らはそう約束したのだ。
紅丸は10才、当時5才の千代の記憶と認識とは大いに相違があったのだが、彼は本気だった。
「まさかあいつもあの時の約束…覚えていてくれたとはな…」
別に彼だって、本気で彼女と結婚できると思っていたわけではない。
あれから先代が急逝したことで忙しくなり、千代に会うことはなかった。
なにせ約束をした時の彼女はあまりにも小さすぎたし、成長し社会を見れば種族の壁を明確に感じるだろう、他に男ができる可能性だってある。
拒否をされても仕方がないと思っていたのだが、予想外に貞操を守り抜き千代は嫁に来てくれた。
実際は彼女が誰よりも種族の壁を明確に感じていた上、貞操の話もただ恋人ができなかっただけの話である。
さらに言えば少し荒っぽくてそしてだいぶ頭が足りない彼の部下のせいで、ここへ来たのも無理矢理誘拐されただけなのだ。
(やっと迎えに来られたぜ…。千代…)
そう微笑んで襖を開ける彼は、彼女が思い出す以前の問題で恐怖のあまりまともに紅丸の顔を確認できていないとは思いもしてない。
「千代…」
その小さな背に話しかけると、びくりと肩が動いて、彼女がこちらをゆっくり振り向いた。
潤んだ大きな瞳につるんとしたおでこ。
紅丸が恋をしたあの時からほとんど変わってない千代の姿に思わず手先が震える。
今日この日の為に生きてきたのだと、極端すぎる物言いだが心の底から彼はそう思った。
手を伸ばしてその細い顎を掴んで、ゆっくり引き寄せる。
「っ…!」
さて、この時千代の精神状態は限界だった。
彼女の目には口づけなんて素敵なものではなく、今まさに直接的に食べられようとしているようにしか映らない。
人間を動かすものは恐怖だなんて言葉もあるが、実際、度を超えた怖れは普段ビビリな千代の性格を変えた。
「はぁあっ!!」
近づいてくる彼の額に、首を反らして勢い付けた自身の額を打ち付ける。
「がっ…!」
完全に油断していた彼の脳を、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃が襲った。
白目を剥いて紅丸の大きな体が畳に沈む。
そしてそれを見送った千代も糸が切れたようにその場にひっくり返って、気絶した。
「乾杯~!」
そこから離れた屋敷の縁側で、紅丸の部下たちは大役を果たしたことを祝って酒を飲み交わしていた。
頭領の重要な式典で彼らが担った重大な任務は、花嫁を迎えに行くこと。
それを無事に終え、そしてこの惨劇の元凶ともなった彼らは、顔を真っ赤にさせて機嫌良く話を進める。
「いやあ、若様はすげえよな」
「どんな妖怪の色仕掛けも無視してたもんな」
「そんなにあの人間の女が良いんだねえ」
「今頃楽しんでいらっしゃるんだろうなあ」
まさか両者とも額から煙を出して気絶しているだけという衝撃的な初夜を送っているとは、誰も夢にも思わない。
こうしてふたりの、どうしようもないほど恐ろしくてとびきり幸福な新婚生活は幕を開けたのだ。
鬼の花嫁様 エノコモモ @enoko0303
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