2話 憂うつな午後

 現在は西暦二一二八年、北アメリカ、ジョージア州オーガスト陸軍基地。

 今は暑く、湿気も多い。ここではGLWグランドウォーカーの新兵操縦訓練が主に行われている。

 外縁部に近い位置にある第四格納庫内では、ラジオが国際情勢、黒いGLW襲撃問題、軌道エレベータに関するニュースを垂れ流していた。


 過去一〇〇億人に届く人口増加による食糧難は、日本が開発したプランクトンを主原料とする合成食材、それらを原材料として加工された合成食品により、一旦は歯止めがかけられた。


 だが地球はすでに死にかけの惑星だった。ごく限られた大地でしか農耕ができない。

 新たな大地を探す必要があった。人は大地の上でしか生きられない。


 希望の象徴となるはずだった軌道エレベータ、バベル。

 太平洋上メガフロートに建設された巨大浮遊大陸。

 次世代宇宙開発、進出の基盤となるべく、国家間の意志を統一してつくられるはずだった人類の英知の結晶。

 西暦二〇五四年から各国宇宙関連組織が連なり、バベルの建造が開始された。

 しかしその過程は惨憺さんたんたるありさまで、資金繰り、資材調達など難航を重ねた。


 七一年の歳月をかけ、ようやく完成したバベル。

 その頃にはGLW紛争等による被害で人口は六〇億人にまで減少した。

 そして今度は別の問題が浮上する。


 軌道エレベータの所有権である。


 当初、国連で共同管理する予定であったが、ロシアと共産党を排斥し生まれ変わった中国の急な脱退を受け、旧国連は解体を余儀なくされた。

 そしてその二国が所有権、優先使用権を主張し、武力行使も辞さない強硬姿勢に出た。


 不安定となった国際情勢はGLW紛争に更なる拍車をかけることとなり、人口は大きく減り、戦場に女子供すら兵士として駆り出されることが日常となってしまった。


 未来は暗い。それでも人は生きていき、そして死んでいくのだ。




 正午の時報。整備士達が各々仕事に区切りをつけ、休憩に入っていく。

 しがない整備士、アレックス・ボールドウィンは廃材を載せたカートを片付けるため、きしむ体を動かし格納庫外に運び出そうとしていた。


 この暑さだというのに仕立ての大きい冬物のつなぎ服を着て、襟までジッパーを上げ、おまけに厚手のタオルを首に巻いている。茶の短髪に温和な黒い双眸。その顔は、下半分がバンダナでおおわれていた。


 整備の腕は今一つ。ソフト面にも明るくない。腕力だけが自慢できる。

 そんなやつはゴミ捨てくらいしかやらせてもらえない。

 置いてもらっているだけありがたいというものだ。


「はいざーい。廃材集めてますよー。出すなら今だよー」


 暗い事情もなんのその、明るく呑気に仕事をこなす。

 生き続けたいなら、嫌でも働かなければならない。

 ならば、できるだけ明るくいく。

 それがアレックスの人生観だ。


 整備士達が、摩耗パーツや金属片をアレックスのカートに載せていく。

 結構な量になった。


「毎度毎度、どうしてこんなに破片でるの? パーツ交換するだけなんでしょ?」


 疑問に思ったアレックスは彼らに聞いてみた。


「急造ラインで組み上げた大量生産品だからな。細かい部分がかみ合わないんだよ。それで削るんだ、って前にも言ったぞこれ」

「アレックスは興味ないと記憶力さっぱりだからな」


 ほかの面々も「だよなー」と笑いながら相槌を打っていた。失礼なやつらだ。


「興味なかったけど、GLWの操縦できるんだからね!」


 GLWの操縦は、手足があれば(知能が低いという意味の)頭が無くても、たとえ初搭乗でもそれなりに操縦できる。自慢できることではない。


「そうだな。俺たちが一生懸命教えたもんな!」

「また暇なときにでも、いろいろ教えてやるよ。どうせ覚えないだろうけどな!」


 あたりが爆笑に湧く。


「へーへー! まったくありがたいお言葉ですこと!」


 悔しくて、吠える。だが図星だ。


「つーか、そのコンテナGLWで運んだっていいんだぜ? 業務改善のために使用許可も取ったことだし。怪力任せじゃ疲れるだろ?」


 ニヤついた笑みでアレックスを責める。痛いところを突かれた。


「べ、別にいいじゃん。このままでも運べるし」


 アレックスの目が泳ぐ。一通りの操縦は覚えたが、それと操縦センスは別物だ。


「……お前、あれから操縦練習してないだろ?」

「そんなことないよ? イメージトレーニングは、ばっちりさ!」

「ヒュージの前でもそれ言うのか?」

「ごめんなさい。ヒュージには言わないで……」

「これだもんなぁ」


 笑いながらあきれられてしまった。

 最後に廃材を載せた整備士が、「よろしくなー」と立ち去っていく。

 皆との仲は悪くない。

 誠実に明るく振る舞えば、それだけでも良好な集団生活を送ることができるというものだ。


 体の各部位に力をこめ、カートを押していく。

 アレックスの外観は、二メートル近い身長の大男だ。肩幅も広い。

 しかしその姿には、どこか生気が感じられない。


「よう、アレックス。お前も休憩入っていいぞ」


 声をかけたのはここの整備長、シモン・サルセドだ。

 筋骨隆々の浅黒い体を、半そでのつなぎ服になんとか押しこめている。

 服の上からではわからないが、その左足は機械化肢体マシンボディだ。


 機械化肢体とは、微細なコンピュータユニットを組み込むことで作られる義肢の総称だ。

 使用頻度の高い動作を学習し、生身と同程度までの反射動作を可能とする。

 医療機関により販売されるこれらは、GLWに使用される技術と同一であり、入手が容易な原因でもある。


 高級なものともなれば、ある程度の感覚も再現可能だという。

 保険も保証も利かない複製肢体クローンボディよりはマシだ。


 一九九七年より認可が下りてしまった未熟な再生医療並びに遺伝子治療は、一時的な成果が絶大であったため流行した。

 しかし、安易な施術により人類種遺伝子の劣化が加速度的に進むこととなった。

 そうした傷病を持つ者たちを、悪性腫瘍になぞらえて、悪性人腫キャンサーと呼び、差別した。

 だが、真の問題はここからだった。


 事態を重く見た国連は再生医療の施術、そして研究を全面禁止としてしまったのだ。

 そのため対処療法でごまかすしか手が無くなり、技術自体が衰退していった。

 複製肢体に保険も保証も利かないのはそういう理由だ。

 だから皆、足りない部分を機械で補うしかない。

 シモンも、そしてアレックスもだ。


 恵まれた体格はアレックスも同じだが、シモンにはみなぎるような自信と活力に満ち溢れている。

 カートを押す手を止め、シモンに応える。


「はーい。シモンさん。じゃ、これだけやってあがりますね」


 アレックスは手袋をはめた手で、口元のバンダナを直す。


「俺はこのあと、お偉いさんと打ち合わせがあるでよ。マニューバの確認終わらせたら上がりでいいって、みんなにも伝えておいてくれや」


 シモン整備長には、とてもお世話になっている。

 近々引退するという話があり、その話かもしれない。


「お前、体の調子はどうだ?」


 真剣な面持ちで問われた。

 普段は酒でも飲んでいるのではないかと言われるくらいの赤ら顔で、陽気な彼だが、今は違った。


「特に悪くはないですけど、これだけちょっと」


 そういってバンダナでおおわれた口元を撫でる。

 心配を掛けたくないため、嘘をつく。


「……そうか。なんか良さそうなもんがあったら、回してもらえるよう手配してやるよ」

「ほんと、いつもありがとうございます」

「なに、気にするこたぁねぇよ。……あー」


 少し言いにくそうに言葉を詰まらせる。


「……ところでヒュージが誰かと付き合ってるとか、お前、知ってるか?」


 シモンの口から色恋の話題が出るとは思わなかった。

 既婚者ではあるはずだが、そういったものとは縁遠そうな印象がある。

 アレックスはしばし、記憶の向こうをさまよう。


「……ずっと一緒に暮らしてきましたけど、そういった関係の男女はいないと思います」

「なんだ、あいつ両刀なのか?」

「わかんないですけど、女性と付き合いたいとか聞いたことないんで。もしかしたら、そういう可能性もあるかなって」

「うーん。ま、でもフリーなことには違いないか」

「そうだと思いますけど、それがどうかしましたか?」

「いや、なに。こっちの話さ。それじゃ、な」


 そういって、左足のかかとを鳴らし、去って行った。

 あれは機械化肢体が学習した癖らしい。

 自分の所感を述べただけだったが、両刀だと噂が広まったらどうしようか、とアレックスは考えた。

 その末、彼女なり彼氏なりを作ってもらえばいいかな、と結論付ける。


 もしそうなったら、自分はどうするだろうか。

 ちゃんと、祝ってあげられるのか。


 降ってわいた自由時間を何に使おうか。

 そんなことを考えながら廃材を、格納庫横のコンテナに次々と叩き込んでいく。

 これらは再利用されることが多い。払下げ品として買い取られることもある。

 ここではゴミでも、使い方次第ではお宝なのだ。

 汚れた手袋をつなぎ服ポケットにねじ込み、新しいものと取り換える。


 昼の休憩では、特にすることもないので格納庫の外壁に背を預け座り込む。

 ひざが鳴った。

 本を読むには時間が足りない。

 こういった時間で空を茫洋と眺めるのが日課になってしまった。


 吸い込まれそうな晴れた空だ。今この瞬間は平和だと思わせてくれる。

 手を伸ばせば届きそうだ。そう錯覚させる。

 もちろん手を伸ばすようなことはない。

 無駄な動きはしたくない。それはアレックスにとって命を無駄にする行為だ。


 空の晴れやかさと対照的に心は暗い。

 青い空が一瞬、モノクロに切り替わる。最近は視界にも不具合が出てきた。

 そでの上から左手首に巻いた水色の安物腕時計を確認し、皆は今ごろ食事中かなと物思いにふける。

 肩関節から異音。

 嫌になる。


 他人の食事風景なんて見ていても仕方がない。

 こんな生活をいつまでも続けられはしない。金銭面も、精神面も参ってきた。

 今までは友人の手前、生きることに執着し続けてきたが、そろそろ限界かもしれない。


 軋む体、乱れる視界が沈む心に拍車をかける。

 今はただ、死へと向かうこの命を、緩やかに押しとどめているだけに過ぎない。

 遠くなく来る死を、心は受け入れてしまっている。しょうがないのだと。

 神様がいるのなら、どうか……。


「あー、だめだめ!」


 あえて口に出し鬱屈な気分を振り払う。体の軋みには油でも差せばいい。

 視界は、そう。目薬でいいかな。今度本気でやってみようか。


 アレックスは前向きに考えようと努力した。

 頭の上に、小鳥がとまったのがわかった。

 そこにとまるのはいいけど、贈り物はいらないからね、と心に念じた。


 遠くで、車の急ブレーキ音。


 人が近づいてくる気配を感じ取ったが、そのまま空を見続けた。

 先ほどと違い、空になんの感慨も得られない。悪い傾向だ。

 小鳥が飛んで行ってしまった。立つ鳥は、後を汚さなかった。


 しまった、挨拶くらいはするべきだったと思った矢先、顔横の壁にブーツを履いた右足が叩き付けられた。


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ランナーズ・プルガトリィ ~凡才パイロットはいかにして最強の剣使いと互角に渡り合えるようになったのか~ 草場 影守 @choWWkantoku

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