第一話「理由」その1


   *

 人の波。同じ制服を着た若者達が、同じ方を向き、同じように歩いていく。あるのは男女の違いと、徒歩か自転車かという移動手段、それだけの差だ。

 全国どこを探しても高校の登校時間とは、さして代わり映えのしないものだろう。それはこの私立西加茂高校とて同じだ。生徒が同じように次々と校門へと吸い込まれ、校舎に消えていく。

 そんな風景に飽きたと言える資格がある者は、通う側の生徒にはいない。そもそも高校生活を謳歌するのが学生というもので、彼らは彼らでそんな代わり映えのしない学生生活がどうにか面白おかしくならないかと、彼らなりに悩んで彼らなりの結論を下す。それがいつの世でも、学校が、一つの閉じた世界として完成する所以である。

 だからこそ、彼ら学生にはその学校という世界そのものをぶち壊すことは出来ず、我知らず学校というルールに従い振る舞ってしまうのだ。

 そんな登校する騒がしい生徒の波を、遅刻寸前でもないのに駆け抜ける女生徒が一人。肩ほどの髪を一つにまとめ、特徴的なテールヘアがその駆け足のリズムに揺れ動く。

 軽快な小走りの少女。両の手には鮮やかな橙のリストバンドをはめ、制服として指定されたはずのネクタイも付けずに胸元が緩んだラフな制服の着流しは、スポーティで活発な印象を受けるものだった。

 その少女はうねるように登校する生徒の列を颯爽と駆け抜け、きょろきょろと誰かを探していた。そしてその目が大きく見開いて、口元が緩む。それはターゲット発見の合図だ。

「あ~。いたいた」

 毎日のように繰り返されているその行動はもはやパターン化したもので、通学する生徒の誰も不審に思う者はおらず、少女の声は生徒達の雑踏に自然と溶け込んでいく。

 声を上げた少女は、一人の男子生徒を追い越して急ブレーキで振り返る。

 駆け足で現れた少女に、本来なら多少は驚いてみせるのが朝の挨拶の礼儀というものであろうに、声をかけられた側の男子生徒は黙々と手にした新書の小説を読んでいた。左手をズボンのポケットに入れたまま、右手に持つ本から視線を外さず歩いているその姿は、何とも言えない静黙の空気をまとっていた。少女の登場に何一つ反応すらしない。いわゆるひとつの完全無視というやつである。

正明まさあきってよく飽きもせず本ばっかり読めるよね」

 声をかけたのに返事がないのなど、まったく気にせず、少女は本を読みながら登校する男子と並んで歩き始める。その少女の足並みは、何やら浮き足だって落ち着かない。つまりは彼女が小走りに走っていたのは、まさに彼に追い付く為だったわけだが、それを取り立てて気に留める者は誰もいない。

菖蒲あやめ。朝の挨拶は『おはよう』じゃないか?」

 声をかけられた男子生徒は手にした本から目を離すこともなく冷めた声で答えた。そんな言葉を返された女生徒、妃藤ひとう菖蒲あやめは頬を膨らませ不満を隠さない。

「お・は・よ・う。正明」

「ああ、おはよう。菖蒲」

 菖蒲に挨拶を促しておいて、それでも自分は本から目を離さない男子生徒。名を木城きじょう正明まさあきという。通学中に本を読んでいる以外はどこにでもいる極々平凡な男子学生にしか見えない風貌で、多少小柄で平凡な顔立ちとしか言い様がない。

「そんなにその本、面白い?」

 本を読むばかりで相手にされてない菖蒲は、まるで言いがかりを付けるような口調だった。

「いや別に。特に目新しいこともない古典的な隔離系ミステリだよ。多分、全ての事件を起こしたのがヒロインで、更にそれを裏で操っていたのが主人公の先生。それで主人公当人は単なる狂言回し、ってのがオチかな? まさにパターン通りだよ。まだ、ラストの謎解きが残ってるけど、恐らくそんなところだよ。この感じなら一限が始まるまでに読み終わるかな」

「ふ~ん」

 さして本の中身に興味があったわけでもない菖蒲。そんな内容説明を受けても、落胆もなければ失望もない。ちらりと覗き見た表紙絵には可愛らしいメイド服のイラスト。どうやら、今回は珍しくライトノベル系小説のようだ。

 木城正明は極度の推理小説狂だ。レーベルやハードカバー、文庫を問わず、推理小説に分類されるものなら古今東西、何でも読む下手物食いで、空いている時間は全て読書に注ぎ込む変わり者だ。むしろ空いてなくても小説に時間を注ぎ込むのが木城正明という人間だ。無論、登校時間も今のように読書に明け暮れるのは毎日のこと。

「それでさ、正明はあれ、どう思う?」

「何を?」

 急に「あれ」と言われても、何だと言うのだ。正明が聞き返すのももっともだった。

 本来なら読書に集中したいのだろうが、それでも嫌々ながら返事をするあたりが正明らしいところ。どれだけ本を読もうが、本だけに集中することもない。普通に生活を送っているのに、いつ見ても小説を構えてその文章に黙々と視線を這わせている。それは見る人が見れば変わった読書スタイルに思えるものだろう。当然学内では変わり者に分類されていて、彼にまともに話しかける人間は妃藤菖蒲を含め数人しか存在しない。

「何をって、そんなの決まってるじゃん。有頼町の密室首切り殺人! 昨日からニュースはそればっかだって~。ローカル局以外、どのチャンネル回しても同じ内容の放送ばかりだもん。何せ密室で、首切りだよ~。みんな知ってるって」

 菖蒲が大声でそんなことを言うものだから、同じく登校途中の生徒達から視線が集まった。さすがにこんな爽やかな朝の往来で、「殺人」なんてキーワードを叫ぶのは普通じゃない。

 しかし、何事かと振り返る人々は、見知らぬ者は訝しげに視線を戻し、見知った者は「なんだ、また妃藤か」と、そんな納得と共に通常通りの登校風景に帰っていく。

「いや、俺、テレビあんま見ないし」

 そう正明は切り捨てる。そう、テレビを見る暇があるなら小説を読む。正明はそんな読書狂人生を送っているのだ。ゴシップ感の強いテレビ報道には本当に興味がないのである。

「さすが菖蒲ちゃんね。朝っぱらから予想通り話題を予想通りに振りまいているわね。まったく行動が読みやすくて大変助かるわ」

 そんな二人の会話に、背後から割り込む声が聞こえてきた。

 その声に振り返れば、一人の女性が微笑んでいた。もちろん妃藤菖蒲と同じ制服で、着崩している菖蒲とは異なり制服をデザインした者がデザインした通りに堅苦しく身を包んだ、むしろ今来ているブレザーの制服より昔ながらの古典的セーラー服の方がらしいように見える髪長の女性。正明も所属するミステリ研究会の会長である九路州くろじ綺透きすき、その人だった。

 ちなみに振り返ったのは菖蒲だけで、正明は当然のように本を読み続けている。正明のことを知らぬ者が見れば、彼が九路州を無視したと思うだろうが九路州綺透は違う。彼女は正明の性格を熟知しているので不快感は覚えなかった。

「九路州先輩、おはようございます」

「はい、おはよう菖蒲ちゃん。……木城君、朝は『おはよう』じゃなくて?」

「先輩、悪趣味ですね。俺達の会話聞いてたんですか?」

「ふふふ、そんな盗み聞きなんて人聞きの悪い。単に聞き耳を立てていただけよ。音っていうのは勝手に聞こえてくるものだから」

「誰も盗み聞きなんて言ってませんよ~。それに、盗み聞きも、聞き耳を立てるのも、同んなじですね、先輩」

 にこやかな笑顔の菖蒲にそう指摘されても、九路州は全く慌てず微笑み返す。九路州綺透が何かに慌てるなんて、そうそうお目にかかれない代物だ。そんなところを目撃してしまったのなら、何か吉凶の前触れだろう。

「木城君。こんな爽やかな朝から、人を悪趣味呼ばわりなんて、誉めないでよ。ふふふふ」

「あ~、私のツッコミは無視ですか~」

「先輩、朝から腹に貯めた黒いモノが口から漏れてますよ」

 口元だけの黒い笑みをたたえる九路州。それを目の当たりにしても全く動じない正明と菖蒲を合わせたこの三人は、知る人ぞ知る、この西加茂高校の生徒達から『トップ3』と陰で呼ばれている三人だった。実際、何のトップかは明言せずに噂が流れるあたりが、高校というある種の閉鎖社会らしいところだろう。

「それで木城君。本当は首チュパ事件の情報も聞き及んでるんでしょ? 隠さないでもいいわ。だって木城君だもの。お昼はボックスで意見を聞かせてもらうわよ。雁首そろえて来て頂戴」

 朝っぱらからの会長命令。『ボックス』とはミステリ研究会の部室に当たるものを言う。なぜ部室と言わないかといえば、ミステリ研究会は部活動ではなく、単なるサークルだからである。しかし、単なるサークルとはいえ、ミステリ研究会において会長命令は絶対だ。正明も小声で「行けばいんでしょ、行けば」と悪態を吐いた。

「菖蒲ちゃんも、もちろん来るわよね?」

「はい。もちろんです」

「ミス研でもないのに、毎度毎度ご苦労なことで」

「木城君。そんな小学生みたいに好きな子に嫌がらせするのはやめなさい。来る者拒まず去る者許さず。それが我が研究会の方針です。菖蒲ちゃんも入っちゃえばいいのに」

 九路州が「入れ」と言うのも妃藤菖蒲はミステリ研究会の会員ではない。それなのに研究会のボックスにはよく現れる変わり者だ。

「先輩もやだなぁ。私、ミステリなんて興味ないんですよ~」

「そうよね。菖蒲ちゃんが興味があるのはミステリじゃなくて殺人事件だものね。私も入会は強制しないわ。だって夏の虫みたいに自分で虎穴に入ってくるカモネギを見るのが楽しいんですもの」

「先輩。相変わらずのS発言はやめてください」

 そんな言葉すら、本を読みながら言う正明も相当図太い神経の持ち主だ。しかし九路州はまだ上を行く。

「あら? 私がSだなんてとんでもない。私はどちらもいけるくちよ、ふふふ」

 と、これまた黒い微笑みを漏らしながら、目の前に迫った校門へと先に行ってしまった。去り際、「お昼、待ってるからね」と釘を刺すのも忘れない。

「さすが九路州先輩、私も見習わなくちゃ」

 そう言って拳を握り締める妃藤菖蒲を、登校する生徒の流れは避けるように蛇行する。ただ一人、本を読みふける正明だけが、菖蒲と同じ足並みで校門をくぐっていった。

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机上探偵ファンタジア 柳よしのり @yanagiyosinori

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