第71目 転人vs闇三儀③

「三儀、俺の声を聞いてくれ!

 その闇を払って、自分を閉じこめている扉を開けるんだ!」


「ああもう!

 どれもこれも、ぜんぶ転人さんのせい!

 あなたがいつものように無気力に諦めていれば、こんなことにならなかったのに!

 もうぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶ、ぜーんぶいらない!

 なにもかも、ぜんぶ壊れちゃえばいい!」


 黒い彼女の雄叫びとともに、空間中を、あらゆる黒さが埋めつくしていく。

 縦横無尽に広がる闇が、すべてを飲みこみ這い回っていく。


 転人と『DOG』はそれでも一歩も退かずに、黒い彼女に向かって駆け出していた。


 『FUGU』は彼らのあとは追わずに、その場でぱくりと『CURSE』を飲みこむ。そのまま地面にアンカーを射出して、その口を闇の根源へと向けて大きく開いた。


「それなら俺たちは、すべてをつなぎとめてみせる。千言万語のラスト・


 『河豚戴天テトロドトキサンダー


 『FUGU』は大きく開いた口から、針光線を放つ。

 それは這いよる黒を穿うがち、黒い彼女にまで届く。


 黒い彼女も、この光線を受けて、さすがにたじろぎを見せていた。


「でも……こんな程度じゃとまらない!」


 鈍くなる黒の中からまた新たな黒が生まれ、無数の闇が転人たちをむかえ追っていく。空気ごと浸食する黒は衰える様子をまったく見せなかった。


 だがそれは、転人たちも同じだった。

 まったく怖じ気づくことなく、ただ“彼女”のもとへと足を運ぶ。


「観念なさい! それ以上はもうどこへも行けない、どこへも続かない!」


 音すら黒く染まりゆく中で、転人はそれでもとまることなく、『首切役』員長の紙芸営から受け取ったダイス『SOL』を目の前に降りあげる。


「大丈夫、きっと届くはずだ」


 『青天白日アトミックソーラーレイ


 転人たちを支えるように、あがき残っていた空気が一斉にきらめいた。

 数多のまぶしい光がまたたきをこえて焼きつき、闇を焼きつくして打ちはらっていく。

 『FUGU』によってりつけられた黒い彼女の、そのまとう闇すらも暴力的になぎはらっていった。


「――そんな、バカな……!」


 黒い彼女から、黒さがはぎ取られていく。

 闇のドレスが弾け飛ぶ。


 転人と『DOG』は、無防備にさらけ出されたそのふところへと踏みこんでいた。

 あたりには白い靄がかかり、そこには微塵も黒さが生えない。

 この空気の中では、黒い彼女の闇は生まれない。


 黒い彼女は、その白い靄の中で、さっきまでとはうって変わって、静かにただ立ちつくしていた。


 転人は、そんな“彼女”の前に立つ。


「あとは三儀――お前次第だ」


 “彼女”に向かって、手を差し出す。


「…………」


 黒い彼女は、今はもう黒さを失い、虚ろな目でその手を見た。

 そして、その手へと、自分の手をゆっくりとあげていく。


 ふたりの手は、お互いの指先に触れて、そのままたぐりよせるように伸びる――かのように見えた。


 しかし伸びたのは、黒い彼女の手だけだった。


 黒い彼女の手――その黒い手は、まっすぐに転人の胸へと伸び、その指先の鋭さで、


〈転人!〉


 気がついたときには、もう転人の背中には、一本の黒い手が槍となって突き生えていた。


「ふふふ、ざーんねーん。

 惜しかったわね。

 やっぱり転人さんは、爪が甘い。

 あのときからまるで成長していない。

 “今の私”が私なの。

 “昔の私”なんてもういない。

 だから、これでおしまい、はい、しゅーりょー。

 すべては無駄に終わったのよ」


 黒い彼女は、ほとんど“彼女”の姿のままに、その手とその心に黒さを残していた。


――黒い彼女の言葉どおり、そもそも元の心などもうそこにはなく、黒い心こそがすでに彼女のそれなのかもしれない。


 どれだけ闇が覆いかぶさろうとも、一歩も引かなかった転人は、今その黒い彼女に突き刺されている。


 それでも――

 そこにまだ、“”を感じられるのならば――


「――まだ終わらない。すべてはこれからなんだ」


 黒い彼女が貫いたはずの転人の身体は、まるで陽炎かげろうのようにぼやけてかすんで空気に溶けていく。


 そして、


 黒い彼女は、その存在を感じてなのか、勢いよくふり向いていた。

 その顔には、これまで見せてこなかった直情的な感情が刻みこまれていた。


「――『DUMMY』……なんで……あの子はもう喰べつくしたはずなのに……」


――いや、は、喝采家の娘で、三儀の姉だ。三儀を救うためなら、どんな無茶だってするだろう。それに、この俺だって――」


 転人は、岩のような拳を握り、黒い彼女へと大きくふりかぶる。

 その拳は、『首絞役』員長の願石幸鉄が使っていたダイス『ROCK』が作り出した、まさに“なしとげるための大岩”だった。


「三儀のためなら、神様だってフってやる」


 『天吐てんと解岩かいがん


 神に仇なす転人の拳は、神に成り代わった黒い彼女を正確にとらえた。

 それは“彼女”の身体から、黒い彼女だけを無残にも押し出していく。

 殴り抜けた転人の拳のその先で、引きはがされた黒い彼女は、吹き飛ばされて地を舐めていた。


 残された“彼女”の身体は、変わらずにそこに立っていた。

 ただただ、立ちつくしていた。


「三儀」


 転人の呼びかけに、その身体はなにも応えない。

 転人を目で追うことも、手を伸ばすこともない。

 目の前にある大切なものを、認めようともしない。

 まるで心をなくしたように、ただそこにあるだけだった。


「だから、いくらやっても無駄なのよ。

 なんどもなんども言ってきたけど、もう“昔の私”はそこにはいないわ。

 私が喰べてしまったんだから。

 かろうじて残っていたとしても、もう元になんか戻らないわ。

 それこそ、この世界のすべてがひっくり返りでもしないかぎり、“昔の私”は帰ってこないのよ」


 諦めなさい、と黒い彼女は言う。


 黒い彼女は、ゆっくりと身体を起こしたが、立ちあがろうとはせずに、その場にぺたんと座りこんでしまった。

 観念したのか、敵意をなくし、淡々とさとすような口調になっていた。


 いっさい動かない“彼女”の身体は、黒い彼女の正しさを証明しているようだった。

 それでも転人は、三儀の頭を優しくなでる。

 目線をあわせるようにしてかがみ、その手を自分の手でしっかりとつかむ。


「そういうことなら、俺がすべてをひっくり返そう。

 三儀をこっちの世界に引き戻して、三儀の抱えているものは代わりに俺が引き受ける。


〈――なるほど面白い〉


 『DOG』はゆっくりと転人と“彼女”に近づき、ふたりに寄り添うように身を寄せる。


〈しかし転人よ、本当に……それでいいのか? そんなことをすれば――〉


「ああ、それでいい。悪いな……ドッグ」


〈これしきのこと造作もない。我は転人のダイスだ、どこまでもつき合おう〉


「そうか」


 そんな転人と『DOG』の掛け合いに、黒い彼女は、座ったままで声を荒げる。


「なに言ってるのよ、そんなことできるわけがないじゃない。

 ありえないわ。

 だって、世界をひっくり返すだなんて、そんなことがもしできたとしたら、それこそまさに――じゃない」


 ばっかじゃないのと、黒い彼女はなかば呆れるようにして、その身も心も投げ出していた。


 しかし転人は、『DOG』ならばできると考えていたし、『DOG』も可能だと動いた。

 だから転人は“彼女”の目を、まっすぐに見つめ続けていた。


「三儀が最初に言ったんだ、このダイスは世界をひっくり返すダイスだと」

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